第十四話 バグり始めた距離感と春野を蝕む悪夢
無事に家に帰ることができたのは、午後8時ぐらいだった。
僕たちは、買ってきたもの等を片付けたりしながら、春野が夜食を作り、僕が皿洗いなど家事を分担してやるべきことをした。
「私、もう寝るから。あとよろしく」
「分かった。お休み」
僕が残していた皿洗いをしていると、担当していた家事が終わったのか、春野は自分の部屋へと入っていく。
時間も何だかんだあって、もう11時であり、いい時間である。
僕も、皿洗いを手短に終わらせる。二人分しかないのでそこまで時間がかかると言うことはない。
(春野の料理、中毒性があってヤバイわ)
昼に食べたマグロカツサンドも美味しかったが、やはり、春野の料理にはかなわない。
春野の料理は常に、その人の最適解といった感じで作られるため、どれもとてもおいしかった。
このまま、春野の料理を食べ続けているとそれ以外を食べられなくなりそうでとても怖い。
(餌付けされる方が先かもしれないな)
そんなことを思いながらも、僕はすべての食器を洗い終わり、自由の身になる。
この部屋にはベッドが一つしかないため、僕はリビングのソファーで寝ることになっているが、他人の家であるので、ソファーに足をかけて寝るという行為に抵抗を覚えてしまう。
(色々あって印象が弱くなっていたけど、男女で一つ屋根の下なんだよなー)
互いに何事もなかったように過ごしているが、他の人に知られることがあれば相当ヤバイことになる。
自分からしたことなので、何を言っているんだということだが、自殺を止める事に必死過ぎてたまにその事実を忘れそうになる。
それに、ほとんど家具がなかったこともあり、一から春野と一緒に色々用意したため、他人の家に来たというよりかは、一緒に過ごし始めたみたいな感覚も強くて、気を抜いたら割と簡単に忘れてしまう。
このままだと、どこかで危ないミスをしてしまうかもしれない。
一番ヤバイ方のミスをしない自信はあるが、距離感については春野の戦略もあり、確実にバグり始めている。
(演技か分からんが、警戒薄すぎるんだよな)
今日の朝までは、少なからず女性として最低限の警戒をしていたが、デートもどきの後は、その警戒すら消え始めた。
特に風呂の場面などはやばかった。
春野の寝間着は、買えなかったこともあり、サイズが大きくぶかぶかなのだが、それによって上着を着ているだけでも膝まで隠れることをいいことに、ズボンの方持ってき忘れたとか言って、風呂から出た来たばかりの状態で、僕のいるリビング、部屋を通るのは心臓に悪かった。
春野の容姿の良さと、普段のクール系から想定出来ない、隙だらけの姿のギャップのダブルコンボは凶悪な攻撃力を誇っている。
客観的に考えれば、デートを上手くいかせて、さらなる追い打ちとして、あのような行為をしていると考えることができる。
状況が好転するほど、春野のあの言葉が僕を苦しめる。
自殺を止める関係上、全てを演技だと思うことも出来ないので、春野との共同生活は中々にきつかった。
(春野も家ぐらいは一人の方がいいのではないだろうか?)
どれだけ悩んでも答えが出ない。
気が付けば、時間は12時を過ぎている。そろそろ寝るかと思った時だった。
「あああ、ああああああああああーーーー」
春野の部屋から、苦痛に悶える声が聞こえてくる。
(またか)
僕は、春野の部屋に向かうと、そこには苦痛そうな表情をして、酷い汗をかいて寝ている春野の姿を見つける。
二回目の自殺未遂を止めた日を除き、それ以降は毎夜、春野が寝ると必ずあのような苦痛な表情で声をあげる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……わたしがわるいの……くるしんでしぬから……ゆるして」
一体どんな悪夢を見ているのか分からないが、この悪夢を春野が見続けている限り問題はまだ何一つ片付いていないと言うことを理解させられる。
僕はタオルでそっと汗を拭き、布団を掛けなおす。
「ごめん……なさい、ごめん……なさい、上手く出来なくて……ごめんなさい……」
一体何を見ていればそんなに謝るようなことになるのだろうか、その苦しみを取り除けない力のなさに苛立つ。
(理想は、すぐ近くにいてあげることなんだろうな)
こちらから不用意に距離をつめることは出来ない。まだ、僕は春野にとって邪魔な存在だ。
春野の信頼を勝ち取るためにも、ここら辺の距離感は慎重にしないといけない。
しかし、このまま何もしないと言うのも春野の苦しんでいる表情を見ると中々に出来ない。
何かいい手がないかと周りを見た時、勉強机の上にはクレーンゲームで獲った可愛い猫のぬいぐるみが置かれてある。
僕はそれを手に取って、春野の隣に置く。
(こんなものでも、ないよりかはマシだろう)
気休め程度だが、今僕が出来る精一杯だ。
春野は隣に置かれたぬいぐるみを感じ取ったのか、それを抱きよせる。
「あったかい」
どうやら、少しは春野の苦しみを紛らわせることは出来たらしい。
「それじゃあ、春野の相手頼んだぞ、猫君」
僕は春野の部屋から出ていく。
春野の事も考えて、明日は適当な時間に自分の家に帰ろうかなと考えていたが、春野があの調子ならもうしばらくは近くにいた方がいいだろう。
僕は今後の予定を少々修正しながら、ソファーで寝ることにした。
流石に、横になって寝るのは、抵抗があったので、頭を端に預け座るように眠った。
そうして、色々あった土曜日が終わりを迎えた。