第一話 天才美少女の自殺未遂
10月、僕が通う高校では合唱コンクールが行われていた。
どのクラスも数ヶ月の努力を出し切るように頑張っていた。その中でも印象的だったのが、学校で1番の天才美少女と言われる春野愛佳がいるクラスだった。
春野愛佳は100年に1人と言われるほどの万能の天才で、それだけではなく、容姿端麗で誰しもがすれ違えば振り抜くような容姿で豊満なボディではなく、大和撫子といった全体のバランスが良い系みたいな感じだ。
これだけ聞くと、なぜこの高校に在籍しているのか分からないというほどの人物だ。
このことは、多くの人が疑問に思っており、その中の1人が聞いたところ、「どこにいても同じだから、楽な方を選んだけ」と言っているらしい。
そんな万能の天才が弾くピアノの音色はその名に負けないぐらい上手く、頑張って努力したであろうクラスメイトの歌声すらノイズになるほどだった。
ピアノの演奏だけならば、間違いなく最優秀賞を取れていたはずだ、しかし、これは合唱コンクールである。
一つだけが極めて目立つのはダメなのだ。
だからこそ、どこのクラスよりも人々を魅了した合唱は最優秀賞ではなかった。
その後、このことで春野のクラスは少しのゴタゴタがあった。
仕方がない事故だと僕は思うが、他クラスのことなのでどうでもいいかと、この時の僕は考えていた。
その日の帰りに、大雨の中、歩道橋から飛び降り自殺をしようとする春野愛佳を見つけるまで。
合唱コンクールの帰り、僕は合唱コンクールの片付けなどの裏方として先輩に捕まり、帰りが遅くなっていた。
「どうせ弓弦君は、打ち上げとか参加しないんだろ?なら手伝え」
こちらがそういうことが苦手なことを理解した上での先輩の発言は中々に酷いものであった。
それだけではなく、片付けで帰る時間が遅れた為、帰り道は大雨だ。運が悪いにも程がある。
そんなことを考えながら、僕は1人歩道橋を登る。
大雨ということもあり、周囲には人がおらず、歩道橋の下では多くの車が走っていた。
また、大雨で視界が悪かったこともあり、僕は登り終わるまで自殺しようとしていた春野の存在に気がつくことができなかった。
僕は、登り終わった時、歩道橋の手すりを乗り越えて自殺しようとしていた春野の存在に気がつく。
それを見た瞬間、僕は生きてきた中で一二を争うほど、頭が恐ろしいほど早く働いた。
(自殺しようとしてるのか、ならどうすればいい。止めるか、しかし、止めるにしても面倒なことになるな。だけど、止めないとなるとそれはそれで面倒だ。止めた方がまだマシか。
後はどうやって止めるか、声を出して止めるとなると驚いて落ちてしまう可能性がある。なら忍び寄って強引に引き戻す方が安全性が高いな。)
僕は損益計算と救出方法を1秒にも満たない時間で考え、即座に実行する。
僕は迅速かつバレないように彼女の背後へと駆け出す。幸い、彼女は自殺することに集中しており、こちらの存在に気がつくことはなかった。
そして、彼女の背後まで移動するとすぐさま、彼女に抱きつくように掴み掛かり、手すりから下ろす。
彼女は僕の存在に気がついていなかったこともあり「え?」と驚いた声だけで、特に抵抗されることなく引き戻すことには成功する。
しかし、大変だったのはここからであった。
「離してください!訴えますよ!変態!」
「いやいや、離したら自殺するでしょ。あなた」
「それの何が悪いのですか!貴方には関係ないことです!」
「自殺しようとしている所を見てしまった瞬間から関係ないとかできないから!天才と言われているなら分かるだろ!」
彼女は、こちらに罵詈雑言を浴びせながら激しく抵抗してきた。
まあ、何も知らない第三者から無理矢理止められるとなれば、こうなることは想定ができていた。
彼女には悪いが、ここは男女の体格差を活かして止めるはずだった。
最初は拮抗していたのだが、段々こちらが不利になってきた。それは力では勝っていたが、技量では負けていたからだ。
伊達に万能の天才と言われているわけではない彼女は、戦闘技術に関しても才能は遺憾無く発揮されていた。
漢としての尊厳を物凄い速度で削られながら、気がつけば形勢は逆転していた。
(嘘でしょ!)
止めるまでは上手くいっていた。だけど、その後の取っ組み合いに負けるのは想定外だ。
「離れなさい!」
「え、ちょ」
彼女の突き飛ばしによって完全に僕は彼女から離れる。
そして、雨で足場が不安定だったこともあり、滑ってしまい、手すりから上半身が乗り出してしまう。
(ヤバイ、死ぬ)
自殺を止めようとしたら返り討ちにあって死ぬ。そんな間抜けな事態に、スローモーションになった世界で全力で生き残ろうと手すりを全力で掴む。
それが功を奏したのか、投げ出された僕は、ぶら下がる形でなんとか生き延びる。
「助けろー!!!!死ぬ!」
「わ、分かったわ!」
僕は、生きてきた中で1番必死な声でこの危機を作り出した彼女に助けを求める。
彼女は僕の声でハッとした表情をした後、すぐさまこちらに駆け寄ってきて、こちらの手を掴む。
そうして何とか歩道橋内に戻る。
「はぁはぁ、死ぬところだった」
腕を鍛えていてよかった。僕は自身の筋力に感謝する。あそこで持ち堪えてなければ死んでいた。
自殺を助けようとして、自分が死にかけるとか冗談ではない。次に自殺しようとするところを見つけても助けん。
僕は心の中でそう誓うと共に、彼女の方を見る。
意図していないこととは言え、自分が人を殺しかけた事にショックを受けているのか、僕同様に座り込んでいる。
「気は済んだか?」
僕の問いかけに彼女は頭を下に向ける。はっきりとした返事はもらえなかったが、少なくとも今、自殺するつもりはないらしい。
自分が死にかける事で止めることが出来たなんて、割に合わんな。
「取り敢えず雨の当たらないところへ移動しよう。」
大雨でどちらもビショビショだ。このままだと、体調面でヤバイ。
そうして僕は移動するだの準備をして、彼女に近づく。
彼女は座り込んだままだった。どうしたものかなと悩んでいると、彼女が口を開く。
「どうして怒らないの?私は貴方を殺しかけたのよ・・・・・・」
「あ・・・・・・」
彼女の言葉に僕は、自分の異常性に気がついた。
普通死にかけたら、もっと動揺するものだ。しかしながら、僕は確かに死にかけた時は動揺したが、何とかなったと思ったら、何事もないように平常運転をしている。
適当な事を言って逃げてもいいが、彼女の表情を見るに納得してくれそうにもないし、逃げた場合一悶着ありそうだ。
「まあ、あれは仕方がない事故みたいなものだからね。運が悪かったなぐらいで、運に怒るなんてしないだろ?」
「仕方がない事故・・・・・・」
「そうそう、僕は止めたら抵抗され、自分が傷つく可能性があることも分かっていて、嫌なら君を見捨てるという避ける選択があることも理解した上で、止めるという選択をしたんだ。自分の決めた事について、結果が悪くて他人に怒るなんて馬鹿らしいだろ?」
それに僕は、このような辛い事にはある程度慣れていることも大きい。
「意味がわからないわ」
「そうかい。」
僕は特に気にしない感じで返事をする。
別に分かってもらいたいとは考えていないし、分かってもらう必要もない。
今必要なのは、彼女が自殺しないようにする事と、一息つける場所に移動する事だ。
彼女も今は分からないと言っているが、これ以上言っても意味がない事に気がついているのか、反抗的な態度ではない。
「とにかく、ここで居続けるのは、色々と都合が悪い。移動しないか?」
「そうね。そうしましょう。」
そう言って僕たちは近くの公園で雨風が防げる小屋もしくは東屋みたいな休憩所まで辿りつく。
互いに一息ついて座った後、僕は喋り出す。
「春野さんでいいかな?」
「それでいいわ」
春野はそっけない態度で答える。
まあ、本人的には助けられたくなかったはずだ。それなのに強引に助けた僕は、ヒーローではなく悪役と言った所だ。
そのことを考えながら、僕は次にやるべきことの為にスマホを取り出す。
「春野さん、このことは警察と親に連絡をするがいいか?」
僕は、連絡の許可を聞いた。
春野がどうして自殺しようと考えたのかは、分からないが僕1人で手に負えるものではないのは確実だ。
こういうことは大人に任せるのが最適解だ。
不幸な事故からあのような展開になったが、これでひと段落だ。後は、当時の状況とか色々聞かれるだけで終わる。
僕は春野の許可をもらった瞬間、連絡のできるように、準備する。
そして春野は言った。
「連絡するのはダメ。このことは私と椿君だけしか知らない。いいわね?」
「はぁ?」
僕は予想していなかった回答に、一瞬、頭が真っ白になる。
そして、先ほどの言葉は何かの間違いかと思いもう一度聞く。
「何を言っているのかよく分からない。もう一度言ってくれないか?」
「簡単よ、自殺なんてなかった。それだけの話よ」
どうやら何かの間違いではなく、本気で春野はこの事を無かった事にするらしい。
春野にも連絡されたくない、何かしらの事情があるかもしれないが、何も知らない僕がこの件を1人で対応するには荷が重い。
やはり誰かに頼るべきだ。そうなると、やるべきことは春野の説得か、今の春野は、色々あって暴走していると考えていい。
その状態で無闇に第三者を介入させれば、暴走を助長する事になりかねない。
一度落ち着くまで一緒にいて、冷静になったら説得して連絡をする。これが今のベストだな。
ただし、これがうまくいくという事も限らない。失敗した場合、偶然見つかったようにして、大人が介入出来るようにすれば、仕方がない事として受け入れやすいので、そのように手配することも考えた方がいいな。
どうするのか、ある程度の事を考えた僕は、取り敢えず、春野の反感を買わないように、今は連絡しないと伝えようとしたが、それよりも早く春野が先手を打ってきた。
「一応言っておくけど、今の私は極めて冷静だわ。だから、一度落ち着かせた後に説得しようとか考えてるなら、無駄なことよ。それと、偶然を装った発覚もダメよ。もしこのことが私と椿君以外に知られたなら、私は必ず自殺するわ。椿君が最も苦しむ方法でね。」
僕は顔を盛大に引き攣る。
考えていた事を全て言い当てられた上に、反抗を許さないように脅しという対策までしてきた。
「無駄な事を考えない事ね。椿君がどれだけ知恵を絞り大人と協力しようとも、私は必ず貴方が最も苦しむように自殺するわ。出来ないとは思わないでね。私、伊達に万能の天才と言われてないから」
さっさと諦めろと、春野は圧をかける。
春野の言っていることは正しい。あらゆる面で春野は僕の格上だし、そこら辺の大人では相手にならないほどの実力を持っている。
それは合唱コンクールの演奏からでも読み取れるし、これまでの実績からでも証明できる事実である。
詰んでいる。
僕は春野愛佳という爆弾を1人で抱えないといけなくなったのだ。