UMA 其の4
「嘘だろ!?」
すぐにボートに上がってくると思った部長が、思った以上の速度で湖の底に向かって沈んでいく。
一瞬、何かに引っ張られてるのかと思ったがそうでは無かった。
「ニッシー泳げないの!?」
「いえ!そんな事はありません!」
「行きます!」
俺は上着をその場で脱ぎ捨てる。
「なんかごちゃごちゃしたの持ってたから重いんじゃないの!?」
「かもしれません!景君!これを!」
千影さんが部長のリュックサックからロープを取り出して、俺に手渡す。
それを素早く腰に巻き付けている間に、千影さんが逆の先端をボートにくくり付ける。
「強く2回引いたら引き上げてください!」
それだけ言って、返事も待たずに湖に飛び込んだ。
「………!」
見えた、残念ながら湖の水はお世辞にも綺麗だとは言えず濁っている。
だが辛うじてバタバタともがく部長らしき影が下方にいるのが見えた。
泳ぎは得意とは言えないが、これなら追いつけるはずだ。
「…!」
部長もこちらに気付いたのか必死で水を掻きこちらに手を伸ばす。
沈んではいるがまだ大丈夫、掴む事さえ出来れば上の2人が引き上げてくれる。
しかし琵琶湖の水深は確かおよそ100m、このまま湖底まで沈んでしまえば恐らく生きては戻れない。
100mと聞くとそう長くも聞こえないかもしれないが、縦にすると高層ビルの25階程度に相当する。
無呼吸でその距離を潜れる一般人はそうそういないだろう。
「……」
何か重たいものを持って飛び込めばよかったと今更ながら後悔する。
浮力によって浮き上がろうとする自分自身に対し、両手足を動かす事で抵抗する。
必死に浮き上がろうとする部長と、潜ろうとしている俺の距離はジワリジワリとではあるが次第に縮まり…。
そしてようやくなんとか指先が部長の指に触れる。
そのまま折れるのではないかと思うくらいに強く握り、部長を引き寄せる。
ホッとした表情を浮かべた部長の上着の襟元を掴んだ時に、部長のその表情が凍りついたように硬直しているのに気付いた。
「!!!!」
「!!!」
俺と部長は同時に息を飲む。
…と言っても水中なので実際に呼吸が出来ているわけではないのだが。
「ガボ!!!」
水流がうねったかと思うと、黒く巨大な何かが俺達の横を通り過ぎる。
「…!!」
部長は驚きで空気を吐かないようにだろうか、自身の口元を両手で押さえながら、その巨大な塊を見つめている。
「………」
水中にも関わらず嫌な汗が噴き出しているのが分かる。
それは巨大なワニだった。
日本には野生のワニは生息していないと言われている。
だが目の前をゆるりと旋回するように泳ぐそれは、いつかテレビやインターネット上で見たワニとしか言いようがない。
巨大な蛇のくねくねがいた以上、ワニもいないとは言えないのだが……。
「……」
「……」
俺と部長は動きを止める。
ワニに限らず爬虫類は動くものを捕食する傾向にある。
ジワジワと沈んでいくがそうも言ってはいられない。
5mはあろうかと言うワニがまるで品定めするように俺達の周りを泳ぐ。
「……」
「……」
わずかな時間だったのだろうがまるで永遠のように感じられるワニとの睨み合い。
その睨み合いに終止符を打ったのは遠くで泳ぐ魚だった。
ターゲットをそちらに変更したワニは驚く程の速度で遥か向こうへと姿を消す。
「……」
部長とアイコンタクトをし、ロープを強く2回引くと、俺達の身体は徐々に浮上を始める。
その間もできるだけ身動きしないように心掛ける。
呼吸は限界に近いがここで焦ってワニが戻ってきたりすれば何の意味もない。
ゴポ
と最後の息を吐ききったであろう部長の身体から力が抜ける。
それを見た俺の頭がパニックを起こそうとするのを必死で抑え込み、部長を離さないよう強く掴み直す。
焦ってロープを引けば上の2人が異常を感じその手を止めるかもしれない。
俺は何も出来ない無力さに叫びたい気持ちを堪え、ただひたすら浮上するその時を待った。
「…え…した!!」
ボートの底に手が届く距離になると、湖面の上から声が聞こえる。
俺は温存した力を使い切るつもりで、部長を引きながら湖面上に顔を出す。
「ぶはぁ!!!はぁあ!はああああ!部長を引き上げてくれ!!」
全身を押し上げる事は出来ないので、上の2人に部長を引き上げてもらう。
ドチャっとたっぷり水を吸った部長がボートに引き上げられるのを確認して俺もボートに上がろうとボートの縁を掴む。
「息が止まってる!心肺蘇せ…!!」
そこまで叫んだ所で俺はザブンと湖の中に引きずり込まれた。
「景君!」
「K!!」
ワニがいた。
ここでの騒ぎを嗅ぎつけ、俺を喰おうと戻ってきたようだった。
不幸中の幸いなのは足を咬もうとした狙いが外れ、ズボンだけがキバに引っ張られているという事だ。
こんな巨大なワニに噛まれれば、俺の足は綺麗に胴体と泣き別れしていただろう。
「……!!」
ワニは俺のズボンを引っ掛けたままグングンと湖底に向かって泳ぐ。
水流に翻弄されながらも俺は手の中に収まっている黒い塊に意識を向ける。
それは先程、部長をボートに押し上げた時にズボンのポケットから拝借した10徳ナイフ。
銃刀法違反を恐れ、一番大きなナイフだけは取り外されているが、小型ナイフやコルク抜き等はそのまま機能している。
「ごぼ!」
引っかかったズボンをナイフで切り取ると、俺の身体は水中にグルグルと放り出される。
上下の感覚を取り戻そうと水面を探すと、かなり遠くに薄っすらと光が見えた。
「ゴボ!!」
しかしワニはそう簡単に逃がしちゃくれないようだ。
でかい身体に似つかわしくない速度で真下から迫ってくるのが見える。
俺がアスリートならこんな化け物じみたワニとでもやり合えるのだろうか?
ガバっと大口を開けたワニが迫ってくるのを見ながら俺はそんな事を思っていた。




