きさらぎ駅【夢】
夢を見た。
姉の夢。
姉が泣いている。
誰だか分からないが、蹲り、頭を抱え、大声で泣き叫ぶ男。
その男に必死で声をかける姉。
やがてその男はその場に飲み込まれるように消えて行く。
姉は男の消えた空間を掴もうと手をバタつかせながら藻掻く。
男が完全に姿を消してしまった後、姉はその場でへたり込み、泣き続ける。
男の持ち物だったであろう、まだ火のついたタバコを握りしめる手に、その火の熱さは伝わっていないのだろう。
俺はそれを俯瞰で見ている。
声をかけるが届くことはない。
姉の悲しみが、苦しみが、痛いほどに伝わってくる。
「ぅぐ!!!」
そこで目が覚める。
目からはとめどなく涙が溢れ、心臓の鼓動は早鐘を打っている。
「な…ん」
グルグルと考えは纏まらず、そのままトイレに走り、胃の中身を全て吐き出した。
最悪の目覚めだ。
「なんだ夢か」なんて言えないリアルさがその夢にはあった。
しばしトイレで呆然としていると、耳に聞き慣れた音が聞こえてくる。
スマホの着信音だった。
「も…もしもし」
呼吸を整えながらその電話に出ると、着信の主は部長だった。
「ん…ああ、すまないね、朝早くに」
「いえ、ゲホ…大丈夫です」
「………」
「……部長?」
自分からかけてきたわりに、何も切り出さない部長。
俺の耳がおかしくなったのだろうかと思った時に、部長が切り出す。
「その…なんだ…おかしな…夢を見てね」
ゾワリと全身に怖気が走る。
「…ど…どういった夢です?」
「気を悪くしないでくれよ?君のお姉さんの夢だ…」
予感が確信に変わる。
「泣いてましたか?」
「景君も見たのか!?」
「消えて行く男性に…泣く姉…」
「……」
「部長も見たんですね?」
「もしかしたら…千影君も見ているかもしれないね…」
「目覚めが最悪だったでしょう?千影さんにも連絡してあげてください、参ってるかもしれません」
「ああ、そうしよう、詳しいことは後で」
「はい、わざわざすみません」
一言、二言交わして電話を切る。
「終わったんじゃ…無かったのか」
解決した気になっていた自分に無性に腹が立つ。
ガンと自身の顔面を殴りつけると、激しい痛みと共に、口の中に鉄の味が広がる。
こんな事をしている場合でもなければ、こんな事で何かが解決するわけでもない。
分かってはいたが、能天気な自分に一発でも喝をくれてやりたかった。
大学に行くも、講義の内容は頭に入ってはこなかった。
じっとしているのももどかしく、午後を迎える前に部室へと向かう。
サボり癖がついてしまっているのも事実ではあるが、今回はそれとは違う。
「やぁ」
部長の姿があった。
どうやら部長も同じだったようだ。
「千影さんは大丈夫でしたか?」
「ああ、だがやはり同じ夢は見ていたようだ」
「偶然じゃ…ないですよね?」
「ただの夢ならそれに越したことは無いが…3人が揃って同じ夢を見るなんて…ただ事ではなさそうだね」
「……ヒカルちゃんは?」
「あぁ、ヒカル君は夢を見ていないそうだ、お姉さんに会った事がある人間だけという事だね」
「そうですか…」
「お姉さんはまだ解放されていないのだろうか?」
「そう思います…あの夢の景色は間違いなくきさらぎ駅の…向こうの景色でした」
見覚えのあるどんよりと濁った景色を思い出す。
「なんで今になって…」
「あの消えて行く男性…見覚えは無かったかい?」
「いや…頭を抱えてこう…丸まってたんで…誰だかは…部長は?」
「私もタバコを吸う人物だったのは分かったんだが…特定には至らなかった…お姉さんの知り合いにタバコを吸う男性はいたかね?」
「小学生の時ですからね…そんな知り合いは…親戚の叔父さんくらいしかいないんじゃないですかね?ウチの親父は吸わないし…」
「その人は?」
「ちょっと確認してみます」
母親にスマホでメッセージを送ると、数分もしないうちに返事が来る。
『どしたの急に?ヒロシ叔父さんなら元気してるよ、でも最近血圧が高いのに嗜好品辞めないから困ってるって叔母さんが言ってた、それよりアンタちゃんと大学行ってる?ご飯食べてる?自堕落な生活は〜』
これ以上は割愛させてもらう。
「叔父さんじゃなさそうです」
「ふむ…なら向こうで知り合った人の可能性が高いね…助け合ってたなら…その…あの悲しみ様も理解できる」
「はい…」
姉の姿を思い出し、胸が痛くなる。
「生者の我々はこちらに戻れた…が、死者であるお姉さんは未だ解放されず囚われている…」
「姉が『きさらぎ駅にずっと囚われ、縛られ続ける』事を恐怖し、実現してしまったからですね…」
「だとしたら解放の方法は…どうすれば彼女を解放できるだろうか…」
「いっそ俺も向こうでずっと姉といれば…」
「景君」
「…すみません、失言でした」
「いや…」
ふぅ~と2人揃って長いため息をつく。
「まずは向こうに行く方法ですね」
部室の扉が開き、ファイルを抱えた千影さんが入ってくる。
「私も講義どころではありませんでしたから、改めてきさらぎ駅のファイルを確認してみました」
バサリとそれらを机の上に置く。
「残念ながら意図的にこちらからあちらに行く方法と言うのは難しいと思われます、映画や小説の創作物ではその方法が示唆されていたりしますが」
「千影さん…」
「それ片っ端かやってみるのも1つの方法とは思いますが…私達が行った時とはどれも条件が異なるので、信憑性は低いと思われます」
「千影君…大丈夫かい?」
スゥと息を吸い、千影さんが答える。
「私も悔しいんです、以前はオロオロするばかりで何もできず!風さんに、部長に景君に助けられただけで…!そんな私を助けてくれた風さんがまだ解放されてないなら…!私は行きますよ!もう一度!」
都市伝説に身を投じる事を最も危惧していた千影さんの言葉とは思えなかった。
だが、その言葉が姉の為のものであるのが心から嬉しかった。
「そうだね…我々は都市伝説けんきゅうかいだからね…」
「千影さん…」
「それと1つ危惧している事があります」
「それは?」
「一度絶望した風さんが、大事な人を失い、再度絶望してしまった場合です」
「うむ…それは私も気になっていた」
「まさか…」
「可能性の話でしかありませんが…最悪…完全に消えてしまう可能性も…」
ゾッとした。
散々あそこに苦しめられた挙句、あそこで消滅する姉を想像し、身震いする。
「そうなると…早いに越したことはないね…」
「まずは前回の状況再現、次いで様々な方法を試していきましょう」
「すみません、姉のために」
パンと両頬を叩いて、気合を入れ直す。
「向こうに行けたとしてもどうすれば帰ってこれるのか、どうすれば風さんを解放できるのか…それも考えなければなりません」
「私もいつ向こうに行ってもいいように準備しないとな…」
「俺も…何が出来るのか…」
分からない事だらけだったが、進むしかなかった。
最後まで足掻く、そう胸に強く誓った。




