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【5月】俺が主役だ!CS部活動編 第7話

<前回のあらすじ>

 先日、たまたま買い物帰りに出会ったベックス達から衝撃の事実をきかされ、ショックを隠せないでいるセリナの元に、更に大きなニュースが飛び込んできた。CS学園に通うマニー所属の部活動、軽音楽部が廃部の危機だというのだ。即座に運営規定を引き合いにだし、噂の矛盾点を見出したマニーは、軽音楽部の廃部を阻止するために立ちあがった。

 その一方、セリナの元いる世界ではテツと5年ぶりの再会を果たし、お祝いムードに。だが、時期をずらして次にエリシオが会いにいった直前、突然テツからドタキャンを食らってしまう。テツの身に、一体何があったのか―― セリナ達の不安は募るばかりであった。

 第7話


『どうも~Masa(マサ)でぇーす!! 良ければチャンネル登録、高評価、通知ボタン、よろしくお願いしまぁーす!!』

 なんて有名ユーチューバーの元気なあいさつが、僕のスマホから寝室中を木霊する。ここ元いる世界でテツと音信不通になってから、僕は両次元で起きた友人のトラブル目撃というダブルパンチで精神的に疲れていた。どうして、ここ最近は嫌な事ばかり起こるんだ?

『ここで、視聴者のみなさんに募集のお知らせです! つぎの金曜日、5/14は私Masa、生まれ故郷の軽井沢で撮影があるんですけど、そこで一緒に働いてくれる方を募集いたします! 締め切りは明日の23:59、採用人数はただ1人! 応募条件は…』

 と、喋り続けている有名ユーチューバーMasaは実をいうと僕自身、あまり良く知らない動画クリエイターである。では、なぜこの人の動画を見始めたのか? 単純に、元気が欲しかったからだ。連日のスランプと、友人のトラブルで、憂鬱な気分になっているのだった。

 だけど、巷では人気だというその暑苦しいユーチューバーの動画を見て、僕は落胆した。検索で一番上に上がっていたサムネを早速押してみると、流れてきたのはドッキリや実験といったおもしろ企画ものではなく、お仕事募集のお知らせという告知動画。きいた噂とは程遠いこの展開に、正直「つまらない」というのが第一印象であった。僕は溜め息をついた。

「はぁ~ 何もできない自分が、嫌になっちゃうなぁ」

 そういって、僕はすぐにMasaの動画を閉じてベッドに仰向けで倒れる。周りを気にしすぎなのだろうか。今は、何をやっても面白くないし、勉強も身に付かない。何かこう、ストレス発散や気分転換になるものはないだろうか。と、思い悩んでいた。その時だった。

 トントン

 僕の寝室のドアに、兄弟が外からノックする音が聞こえてきた。今の時間帯はテルアキとライト、この双子の弟2人が家にいるので、そのどちらかかと思われた。僕は立ち上がり、寝室のドアを開ける。するとそこにいたのは、

「よっアキラ。これ、いる?」

 テルアキだった。彼の右手には、そういって一枚のチケットみたいなのが握られている。何かの旅行券だろうか? 僕が「なにこれ?」と質問すると、テルアキが少し悔しそうな顔でこう答えた。

「軽井沢行きのひとり旅チケット。いらないから、アキラにあげようと思って」

「え、軽井沢!? こんなの、一体どこで手に入れたんだよ?」

「お菓子の応募フォーム。B賞のTDLパスが欲しかったのに、A賞が当たっちゃったんだよね。俺、軽井沢はあんま興味ないんだけどさぁ」

「え、A賞!? すごいじゃないか! なのに俺がもらっていいのかよ、こんな貴重なの」

「いいよ貰って。だってこのチケット、今月中の平日しか使えないって書いてあるもん。こっちは今月、ちょうどテスト期間だからズル休みしてまで行く意味がないんだよねぇ」

「なるほど。じゃあ、一応貰うぞ? 俺もこれ、使う機会があるか分からないけど」

「いやあるでしょうアキラなら。シフト自由の単価報酬制と? ソーシングの納期に間に合いさえすれば、平日余裕で休みいっぱい取れるってのに?」

「うるさいなぁ! 在宅だって、立派な仕事なんだぞ」

「あーそう、はいはい。あ! 帰りよさげなお土産あったら買ってきてくれよな♪」

 そういって、テルアキは笑顔で別の部屋に行ってしまった。まったく、がめつい事を頼んでくる弟だ。だけど、タダでこんな貴重な旅行チケットをもらえるだけ、まだ有難い方か。

 まぁいいさ。向こうで温泉か散歩か何か知らないけど、今週適当にひとり旅でもして、兄弟達のお土産でも買って帰ろうかね。このまま使わずゴミになるのは凄く勿体ないし、もしかしたら軽井沢のキレイな空気を吸ってストレスが発散できるかも… 軽井沢?

「!!」

 僕は思い出した。そうだ、そういえばさっきMasaの動画で、軽井沢の撮影がどうこう言っていたじゃないか。僕はすぐさま動画を再び開き、問題のMasaの募集動画を再生した。そこで語られた内容、つまり応募条件は、

『当日、実際に軽井沢に来れる証明として、軽井沢行きの旅行券や現地に住んでいる顔写真つき身分証明書などを写真に撮って、事務所のお問い合わせフォームに添付して送ってくださいね! それと、当日はお酒を飲む撮影が入るため、20歳以上限定の応募とさせて頂きます! 見事、事務所の厳正な審査により採用された方には、当日日給5万円のお仕事に参加してもらいます! どうぞお楽しみに!!』

 との事だ。今の僕は、まさにその2つの条件を満たしていた。一か八か、僕はこのお仕事に応募しようと決めたのである。現地住みの成人がもし応募していたら、そっちが優先されそうな気も正直しなくはないが、まぁこの機会に応募もせずただ旅行に行くより、全然有意義な方ではないだろうか。外れても軽井沢自体は旅行できるんだし、ものは試しようだ。

 それに… 軽井沢といえば前回、テツが言っていた「継母の移住先」ではないか。実の両親と接触させないために、テツが気遣って継母を軽井沢に移住させたっていってた。まぁ、実際におばさんと会う事はないだろうけど、僕はふと、そんな事を思い出したのであった。


 ………。


 ――あれ…? ここ、前にどうやって解いたっけ?

 Masaの所属する事務所の特設サイトに、実際にあったその日当5万円のお仕事応募フォームにて、僕は必要な個人データやチケットが映った写真などを送って応募した。その後は普通に兄弟達と一緒にご飯を食べて、風呂に入って、寝て、このプライムに来ている。

 しかし、とたんに僕の表情からは血の気が引いた。自分でもビックリするくらい、前まで少しは出来ていた問題が、今は全く解けない。いや、思い出せなくなっているのだ。一体、何がここまで僕の調子を狂わせているんだろう? そんな思いでいっぱいだった。

「アキラ、だいじょうぶ?」

 と、アゲハが心配そうに僕の横顔を覗く。僕は先日あった窃盗被害者への激昂シーンを見た恐怖心もあってか、あまりアゲハに心配はかけさせたくなかった。だから、つい咄嗟に「なんでもない。多分、ちゃんと睡眠を取っていない自分が悪いだけだから」と誤魔化した。するとアゲハもそこからは言及しなくなり、気を取り直してバインダーにペンを走らせた。

 今日は午前の屋外授業のみで、午後は各自自宅でテスト勉強の時間を設けるという理由で、長新の授業はない。それもあって、いつもより持ってきている教材の数が少ないせいもあるのだろう。分からない所を調べる伝手がだいぶ減っていて、僕は自分から誰かにノートなり貸して貰わないと分からないままであった。そうでなくとも、以前は参考書無しで、ある程度問題を理解できていたはずだった。だから余計にショックを隠せないのだ。

「やっほー2人とも!」

 お昼の時刻になり、持ってきたお弁当をまた校舎の屋上で一緒に食べようか。となった時にマニーが1人、1-Dの教室へ顔を出してきた。普段は僕達の方から3-Bにいって先輩たちを呼ぶのだが、今回は逆。かなり珍しいパターンだといえよう。

「アゲハ、悪いんだけど今日、俺とアキラは別の所へ弁当を食べに行きたいんだ。どうしても、アキラに紹介してあげたい部屋があってさ」

「え? あぁ、私は別にいいけど。アキラはどうする?」

 マニーが教室に顔を出すなり、教室内に屯していた生徒数人がキャッキャと賑やかになってくる。「うそ!? 桜先輩!?」「キャーなんでなんで!?」と、黄色い歓声が響いてきた。色んな部活動への入部を催促されるほどデキる先輩として、顔が広く知られているのだろう。マニーの人気の高さがうかがえる場面であった。僕は、2人に答えを求められた。


「ここが、俺が放課後よく使っている部屋。部活以外に使われる事はないから、ちょっと老朽化が進んでいるけど、適当にその辺座って」

 マニーがそういって、僕に案内したのは第2音楽室。第1音楽室と隣接しており、該当の階にあるのはこの2部屋だけ。そのため、一般的な教室より間取りが大きい。僕はあのあと、マニーの誘いに乗ってこの部屋にお邪魔したのであった。

 そのうちの第2音楽室は、この学園の他主要の部屋と比較しても「オンボロ」と思われても致し方ないほど寂れている。部屋の隅っこに椅子を逆さに乗せた机たちが全て寄せられていて、その対角線上の角っこに申し分程度のアンプやドラムキットが置かれているだけの、ごく殺風景な部屋であった。一応使用者が定期的に掃除をしているお蔭か、部屋自体は清掃されているので、僕はこの部屋のどこでも座る事が出来た。こうしてマニーが僕の隣につく形で同じく座ると、ほぼフルーツと豆料理だけが入った弁当箱を開けてこういう。

「この階の音楽室は、CS学園がむかし大規模な吹奏楽部を抱えていた事の名残なんだよ。今は吹奏楽部じたい、もう何年も前に廃部していて、各運動部の大会なんかじゃ今は外注で応援団をレンタルできるから、それで大会を進めるのが主流になってきている」

「へぇ。吹奏楽部がなくて、軽音楽部が残ってるのは意外だな。逆ならたまに聞くけど」

「こっちには、Hiding Heroesという引継ぎ制のスクールバンドユニットがある。それを後世に残すための活動を現役・卒業生問わず皆が絶えず行っていて、それで何とか残っているのが現状なんだ。もちろん、この部に入部した幽霊部員たちも、本当はそれに憧れて入ってきた子たちが殆どなんだよ。たま~にだけど、今も顔を出しに来てくれる子はいる」

「え、そうなんだ!? 参ったなぁ。てっきり、運動したくないから入部しただけの子たちばっかりなのかと思い込んじゃってた。じゃあ、なんで皆、積極的に活動しないの?」

「世間体を気にする親御さんや教師が多いから。スポーツ強豪校なのだから運動部に入れという保護者の反対に加え、教員の殆ども良い顔をしないから次第に活動しづらくなって、立ち寄れなくなる子が出てくるんだよ。俺より前に活動していた目白さん… 失礼。元メンバーも、親に大学資金か部活かの選択肢を強いられ、仕方なくバンドを辞めてしまった」

「ひどい。そこまでしなくたって良いのに」

「それだけ、前年度まで教員たちからの圧があったんだよ。けっきょく、教員が一新された今年度も、なお文化部に対する差別は残っている。現状、文化部はもうここしか残っていないし、バンド活動なら今時いろんなメディアやSNSを駆使して、簡単に世に広められるからね。そりゃあ、態々肩身の狭い部室だけに留まらなくても『別に良いや』ってなるさ」

 そんな事情がこの軽音楽部にあったのか、なんて世知辛いんだ。と、僕は肩を落とした。その間にも僕達は黙々と弁当の料理を食べ続け、引き続きマニーの話をきいていく。

「ま、そういう肩身の狭い子達に比べれば、俺みたいに親が干渉してこない招待客は逆に都合が良い。教員たちから好奇の目を向けられても、その事を指摘された保護者はなーんもしないからこっちはノーダメージだ。まぁ、あんな遠い所に連絡しても無駄なだけだしね」

「え、どういうこと? 実家がここから遠いの??」

「うん。京都の御所にある」

 え、御所!? たしか御所って、かつて天皇家が住んでいた地区じゃなかったっけ? というくらい、僕が知っている限りでは京都カーストの最上位に位置する場所だと記憶している。そこの出身って、マニー実はかなり裕福な所の御曹司なんじゃないかと思ったのだ。が、その幻想は次の瞬間、別の意味で見事に打ち砕かれたのであった。

「なんだ、全然気づかなかったよ。何ていうの? こう、標準語だから首都圏育ちかと」

「え、そうだけど?」

「ん? だって、京都生まれ、じゃなくて??」

「確かに生まれは京都だけど、俺、育ちは埼玉の児童養護施設なんだ。だから、京都の事は実際の所よく知らないんだよ。関西弁も一切使わないし」

「え、そうだったの!? あの、失礼ですが、なぜ児童養護施設に?」

「捨てられたから」

 …え? いま、なんて言った? 僕の頭が話の内容処理についていけず、数秒間フリーズした。というくらい、マニーのそのざっくばらんな衝撃告白に呆気に取られたのであった。

「ナゼ?」

 僕が緊迫した表情でそうきくと、マニーがここで自分の瞳を指さすようにして、こういう。

「これだから。俺、右目に障害があるんだ。障害者手帳も持ち歩いてる。それと父親がムラートだから、その混血も相まって跡取りに相応しくないとされて、施設に放り出された」

「そんな… 障害があるなんて、全然知らなかった。しかもそんな理由で施設送りって」

 僕の脳裏に、とある人物がフラッシュバックした。他ならぬテツだ。彼も確か、見た目で実親に捨てられたという話をエレナから聞かされていた。彼の場合、障害こそないものの… いや、そんな見た目だけで判断したら良くないのかも。という事を、僕はマニーを目前にして考えを改めたのであった。ところで、ムラートってなんだっけ? 確か、白人と黒人のハーフだったかな? 後で調べよう。マニーは引き続き、自身の出生についてこう話していく。

「まぁ、跡取りに関しては俺の妹にあたる子たちが何とかするだろうから、その余裕もあっての施設送りって所なのかな。だから、実家に対しては特に思い入れはないし、今さらそっちに顔を出したいとも思わない。それは元いる世界でも、ここプライムでも同様だよ。だから、今は招待客とのこの友人関係を大切にしていきたいんだ。このプライム世界に招待されたのも、きっと何かの縁だろうからね」

「何かの、縁?」

「うん。仮に自分の家族がいなくても、もしくは本当の家族のような関係が確実に築けないとなっても、それはそれとして仕方がないものだと割り切る。大切なのは『今』なんだ。今の関係を大切にしていけば、いずれはきっと、今度はその人が自分の『家族』になる日がくるかもしれない。俺やマイキ、そしてイングリッドやミネルヴァみたいにね」

「家族…」

「そう。大切なのは『血の繋がり』じゃないんだよ、アキラ。そんな一言で物事が解決するなら、今の世の中誰も苦労しないし、施設行きになる子だってこの世に存在しないさ。だからもう、それはそれ。“これから”を大切にしていくしか方法がないんだ。悪い事をした側なら今からでも反省して、心を入れ替える。悪い事をされた側なら今よりもっと幸せになるために努力して、相手を見返す。それが俺たち招待客に与えられた“目標(チャンス)”だ。自分たちには、それを達成できるだけの素質があると思っている。だから、このプライムに招待されたんだと思うよ。アキラだってそうだ。今が辛くても、いずれは脱却できる時がくる」

「え。そう、なのかな。俺みたいなバカな頭でも、いつか脱却できるのかな…?」

「できるさ。俺だって最初はそうだったもん。最初にこの高校に編入生として在籍させられた時はもう何が何だか分からなくて、ヤス達と遊んでストレスを発散させる毎日だった。でも、何ヶ月か通ってみて少しずつ、自分の特性が分かってきたんだ。自分でいうのも何だけど、俺、考える力は弱くても、一度勉強した事を記憶するのは得意な方なんだ。だから、今年度こそはそれを活かしたいと思う。折角与えられた高校生活なんだ、どうせなら成績上位を目指したい。部活だって、ここを仕事部屋に使うのは勿論だけど、その切欠を与えてくれた元メンバーに感謝の意を込めて、バンドを存続させたい! それが、俺の今の目標だ。だから、誰しもが何かしら可能性を持っている。今が上手くいかなくても、必ず別の道はある。それを見つけるのは自分自身だ。招待客は皆それを快く手助けしてくれるよ。大丈夫」

 そうなのか。なんか、ちょっとばかりマニーが恰好良いと思ってしまった。僕は、自分が今日まで悩んでいた事がまるで嘘みたいにアホらしく思えてきて、大きなため息をついたのだった。どうやら、僕が今まで気にし過ぎていたのは「家族」の件だったようだ。

 この世界には、自分の家族がいない。その事に絶望していたって、もう過ぎた事だ。ここでは「今この瞬間」を大切にする事が先決なんだ… と、頭では分かっているつもりでも、やっぱりどこかその事実を受け入れられない自分がいて。そして、その気持ちが実は間違っているんじゃないかと思って、誰にも言えずにいた。

 そんな事を、どうやら僕は過剰にネガティブに捉えていた様だ。だけど、そこをマニーが後押ししてくれたおかげで大いに救われ、僕はハッとしたのであった。確かに、僕の元いる世界にいるテツの母は実母じゃないけど、実母以上の愛情をテツに注いできたときいている。血の繋がりが全てじゃないというこの大きな「答え」は、実は意外と身近な所にあり、それが選択肢としての「間違い」ではないと今更気づかされたのであった。僕はこんな事でウジウジしている自分が、とても恥ずかしくなった。


「それじゃあ。今日は、態々呼んでくれてありがとう」

 僕はそう言って、マニーがたむろしている第2音楽室を後にした。今の僕にとって数少ない招待客の理解者がまた1人。こうして慰めてくれた事に対し、逆に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。僕は先程の話を胸に、今後もマニーとの交友関係を大事にしようと思った。音楽室がある階を下りようとしたとき、僕はボケーっとしていたのか、1人の女子高生が向かい側から階段を昇っている姿にやっと気づいたのだ。

「あら。あなた、長岡新興分校の生徒ね?」

 と、女子高生が僕の顔を見るなり、僕より上の段差まで昇ってからそう声をかけた。僕は先の“家族の件”から気を取り直し、「こんにちは」と挨拶をしながら踊り場に立った。

 その女子は校内指定の上履きのラインが緑色である事からして、マニー達と同じ3学年である事が分かった。名札には「三国」というプラ版が入っており、かなりの美人である事が伺える。その強い目つきからしても、恐らくクラスの中ではカースト上位の子なのだろう。最後の部分は、完全に僕の独断と偏見によるものだが。

「生徒副会長の三国よ。あなた、今月中は1-Dで授業を受けているそうね」

「はい」

「それと、実はさっき少しだけ声が聞こえたの。ごめんなさいね。あなた、あの桜くんやカリーファくん達と、お友達かなにかかしら? プライベートの??」

「え? はい。そうですけど」

 と、僕は三国が聞いてきた質問に、妙な違和感を覚えながらもそう答えた。すると三国が、窓から差す逆光に照らされた階段上から、不敵な笑みを浮かべてこういう。

「へぇ。てっきり後輩としてのマナーを知らず、先輩に向かってタメ口を利いているのかと思っちゃった。あ、今のは決して嫌味とかじゃないの。この学園では、それが絶対だから」

 僕は、今の三国の言葉で確信した。この人、自分より立場が弱い子から少しでもラフな口利きされたら、物凄い因縁をつける超面倒な先輩タイプだ、と。僕の元いる世界の出身高校にも、同じようなタイプの子がいたのを思い出した。ああいうのって、後輩がどう気遣おうが、事ある毎に揚げ足とって嫌味を言ってくるんだよね。そして、三国は僕から背を向けた。

「じゃあ。屋外授業、頑張ってね~」

 いかにも鼻が高い姿勢で上品に手を振り、僕にそういってどこかへ去っていく三国。最後まで、なんかモヤッとする展開であった。僕は先程マニーから受けた激励に対する暖かい気持ちが、スーッと冷めていく感覚を覚えたのだ。

 別に、マニーに対する感情が冷めたからとか、そういうのではない。心が落ち着いてきたタイミングで、あの三国の上から目線な態度を見せつけられ、興醒めしてしまったのだ。そう思うと僕は何となくこの先、嫌な事が起こりそうな気がしてならなかった。なぜだろう?


「…そうだったのか。フウラが、そんな事を」

 あれから、僕はアゲハとテスト勉強のために古民家へ立ち寄り、そこで自分が今日まで黙っていた例の件を明かした。ベックスとフウラに偶然再会した、あの場面だ。僕が話しているその姿を、勉強会で一緒にいるヘルやヒナも、ペットの猫バーキンも静かに聞いている。マニーからの激励もあって、僕はその事をアゲハ達に告げたのだった。

「うん。全てを知る神様から『いない』と言われたら、もう家族の事は諦めて、今の関係を大切にしていく。そう頭では考えていても、果たしてそれが正解なのか、良く分からないんだ。だって、きっと人によっては、俺のその考えを反対する人もいるだろうから」

「そんな、反対するだなんて。どうしてそう思ったの?」

 と、ヒナが悲しい顔で質問する。僕が体育座りで縮こまっているのを、バーキンが心配そうに歩み寄ってきた。動物は人の感情が分かるというが、果たしてそれが理由なのだろうか。

「だってさ? そうやって、人の言葉を鵜呑みにして、ならなぜ自分から家族を探そうとしないんだって言う人も、もしかしたら出てくるかもしれないじゃないか。だけど、それを言われた所で、今の俺にはそれ以上の探し方が分からないんだよ。そんな自分の問題のために、他の人にまで迷惑をかける訳にはいかない。だから、今までずっと誰にも言えずにいた」

「…そうか。俺だったら、セリナがそこまで思い悩む事を想定しなかったベックスとフウラに、不信感を抱くけどな。慣れない異世界で、家族が恋しくなるのはごく自然の事だ」

「そうだよね。私もそうだったから、セリナくんの気持ちは分かるよ。まぁ、違う形で家族がいない事を知ってしまった時は、ショックを受けたけど」

「え?」

 ヒナのその言葉に僕は振り向き、アゲハもヘルも歯痒そうな表情で俯いた。どうやら彼らも僕と同じように、家族の存在を気にかけた時期があったようだ。ヒナは続ける。

「私、物心がついた頃からママがいなくて、パパも中学時代に亡くなっているんだ。だけど、このプライムに招待された時は、魔法も奇跡もあると聞いて『もしかしたら生きているんじゃないか』って、可能性を信じて探した時期があったの。実家がある長野まで出向いて、見つからなくて。でもある時、もういっそ普通の探し方じゃ意味がないと思って、この世界で使える魔法を使ってみたら、すぐあっさり事実を知ってしまったんだ。現実で亡くなった人は、この世界でも同じく亡くなっているんだってこと」

「え…!? うそ…」

「ホント。私ね、『言霊』の魔法が使えるの。動物や、植物の気持ちを読み取る力。こういうのって、必ず誰かが見ているんだよね。人の目は欺けても、動物相手には誤魔化せない。私はそれでパパの死を教えられた。魔法でしか真実を得られないって、皮肉だよね」

 なんてことだ、ヒナにそんな悲しい過去があったのか。ぜんぜん知らなかった。僕はこうして招待客たちの境遇を何度もきいている内に、益々彼らの気丈さに気づかされる。

 彼らは、僕とこうして家族の話になるまで、自身の壮絶な過去を悟られないよう振舞ってきた。そしてそれは、実際に訊かないと本当に分からないものだ。やはり、招待客って僕が思っている以上に、修羅場を経験しているものの集まりなのかもしれない。

「だからね? きっとセリナくんも、自分が持っている魔法や奇跡の力を上手く使えば、意外な発見があるかもしれないよ? 元いる世界の常識で真実が見つけられないなら、魔法や奇跡で探してみるのもアリだと思う。とはいっても、それなりの覚悟は必要だろうから、少しでも心配な点があったら私達に頼って。もしかしたら、今セリナくんが使える虹色蝶以外の『何か』を発現できるかもしれないし。ね? アゲハさん達もそれには賛成かな?」

「うん、私もその方がいいと思う。今のアキラは、見ていてとても心配だよ。それに、今すぐその『真実』が見つからなくたっていいさ。誰もその事にケチをつけたりはしない。もし、それでも誰かが何かいうようなら、そこは私がガツンといってやるから」

「あぁ、俺もその案には賛成だ。というよりは… セリナ。お前は、周りが自分よりサーガライフの経験がある先輩達だからって遠慮しすぎなんだ。そうやって気を遣いすぎるがあまり、自分の本心に何度も嘘をついて、ずっと殻に閉じ籠ってしまっている。もう少し素直になれ。でないと、いつか自分自身が壊れるぞ」

「…みんな」

 目頭が熱い。といったら、ポエマーぶってふざけているのかと思われるかもしれないが、もうそれ以上に表現できる方法がない。僕はそれくらい、アゲハ達が励ましてくれた事に感謝するほかなかった。バーキンも、静かに僕を見つめている。僕は我慢できず肩を震わせ、今にも胸が張り裂けそうな思いでこう返したのだった。「ありがとう」と。


 古民家でのテスト勉強は結局、少ししかやっていない。僕自身が正直それ所じゃないのと、辛い気持ちを吐き出した疲れを癒すため今夜はしっかり睡眠を取るよう、ヘルから助言を受けたというのもある。夕方、僕は自宅の一軒家に戻って早々、自分のミスに気付いた。

 ――やっべ! 長新から頼まれていたこの書類、CS学園に提出し忘れてた! 今ならまだ施錠はされていない…! 急いで職員室に向かわないと!

 僕のリュックから出てきたのは、僕の学習指導に関する長岡新興分校からのお願いが記された、書類数枚入りのファイル。これを期限内に出さないと、僕が今回受けているCS学園への屋外授業単位が貰えなくなる。それは流石にまずいので、急いで外へ出た。

 本業が医者の友人から「休め」と言われているのに、早速休む時間がなくなった。ただ、こればかりは提出し忘れていた僕が悪い。悲しいがな僕はファイルを持って、CS学園へと急いで走った。自宅からはそんなに遠くないので、なんとか時間内に学園へと到着した。

「職員室! 職員室!」

 キャンパスの中央、職員会館となっている黒い建物へと入り、廊下を渡ってすぐの場所にある職員室をノックした。息を切らしながら、職員が顔を出すのを待つ。が、出てこない。

 ――あれ? 誰もいないのかな。一旦事務室か、談話室へ行こう。もしくは校長室か。

 今の時間はきっと、職員達が部活の顧問やキャンパス内の見回りで忙しいのだろう。僕はそう考え、ここは別の職員がいそうな部屋へと移動した。マンモス校なんだし、さすがに事務員なら常駐しているだろうと思ったからだ… が、校長室へ差し掛かった時に、僕はその部屋の奥から、聞き覚えのある男声を耳にすることになる。

「――きなり校長が音楽室に顔をだし、僕と顧問を呼び出すなんて。何事ですか?」

 ん? その声は、マニュエル!? なぜ校長室に?

 僕は疑問符を浮かべ、ついその足を止めてしまう。今の会話からして職員が、しかも校長がいると分かった。それなら丁度ファイルを提出できるが、その前にあのマニーと、軽音学部顧問の木内が校長室へ呼び出されているのだ。この珍しい場面に僕は何を思ったのか、息を殺し壁に耳を当てた。


「いやぁ実はね。早い話が、君の所属している軽音楽部が近く廃部になるんだ。今ここに同席している、顧問の木内先生にもその件を伝えてある。だから、君には今からでも別の所への転部をお願いしたいんだよ。もちろん、その暁には評価点も上げると約束しよう」

「待ってください。なぜ、廃部になるんですか? その理由を聞いてからでないと、すぐにその案を受け入れる事は出来ません。納得がいかないんです」

「気持ちは分かるが、そこを何とか頼むよ、桜吹雪くん。優秀な君なら、どこの部へ行ってもやっていけると思う。コーチも素晴らしい人ばかりだ、部員への最大限のケアは出来る」

「…理由を聞いてるんですけど。教えてください」

「あのなぁ。なら逆に聞くが、君はなぜそこまで頑なに転部を拒むんだね?」

 僕は、壁越しに聞こえるその校長の言い分に正直、疑問でしかなかった。マニーが理由を訊いているのに、答えようとしないのだ。何か、都合の悪い事でも隠してるのか? と思う。

「軽音楽部には、代々受け継がれたバンドユニットが存在します。僕自身、とても思い入れのあるそのバンドに入りたくて、メンバーを引き継ぎました。僕以外の部員もそうです。バンドの存在価値は、在校生だけでなく、卒業生もその名を残してほしいと著名活動を行っています。ライブハウスやSNSでも、みんなが協力して声を上げている。今でこそ他の部員達はほぼ部室に来ませんが、校外でそれだけの活動を精力的に行っているんですよ」

「そんな事は知っている。だが、彼らはそのバンドの名を使って外に出ているだけで、実際の部活動とはほとんど関係がないじゃないか。それなのに、ただ部室を借りているだけなのは如何なものかね。先生が顧問をするのだって、簡単な事じゃない。バンド名を残したいなら、別に学校内に留めなくたって良いだろう。私達はそこまで権利を奪う事はしないぞ」

「もしかして、費用の事を心配しているんですか? それなら部員達はみな、軽音楽部を維持するためにちゃんと部費を支払っています。ねぇ木内先生。部の会計に関る書面は全てこっちで控えてあるし、生徒会にも、この学園の事務にも、相違なく報告してきましたよね? それに納得して、この学園の軽音楽部OGであり、現顧問である先生も部の存続を受け入れてくれたじゃないですか」

 マニーがそういって、自身の横でソファに座っている木内へと目を向けた。木内は歯痒そうに、ずっと俯いたまま一言も喋らない。見様によっては、こってり絞られた後の姿に見える。校長がため息交じりにこう言い放った。

「桜吹雪くん。この木内先生は、今年大学を出たばかりの新任なのだよ。だから、まだ世間というものを良く知らない。しかも彼女自身、ここのバンドの元メンバーだったという個人的な理由で、私情を挟んで部を維持するなどという、教員としてあるまじき行為を働いた。だからさっき、私の方から厳重注意をしたんだ。君は知らないだろうがね」

「新人だから何だっていうんですか。木内先生だけじゃない。以前の別の顧問だって、みんな同じように部を維持してきた、その記録が残っています。なのに、木内先生にだけその仕打ちって、明らかにおかしいですよ。それって教員の差別に値するんじゃないですか?」

「いいかい桜吹雪くん! 軽音楽部は、いわばこの学園にとって『負の存在』なんだ。去年、この学園では大変な不祥事があった。そのせいで、教員が一新された今でさえ世間の評判は宜しくないのに、部員達が真面目に参加していない部活動が存在するなんて、そんなの更なるイメージダウンになりかねないだろう。いや、寧ろそういう歴代顧問の怠慢を許すような教育現場だったからこそ、去年あんな問題が起こったんだ。我々は、そんな下らない伝統を排除すべきだと考えている。当校はスポーツの強豪校だ。運動部に入っている生徒がみな真面目に取り組んでいるのに、それができていない部活や同好会は、あってはならない」

「…下らない、だって?」

 マニーの声のトーンが、ここで一気に下がった。僕も壁越しさっきから聞いていれば、その校長の言い分には怒りを覚えるばかりである。この学園はアゲハ達いわく、文化部を卑下する傾向があるといっていたが、実際はその想像を遥かに超える酷いものだったのだ。

「いくら校長が軽音楽部を悪くいったところで、今日まで運営できていたのだからそれが事実であり、それが世間でも許されてきたという証です。本当に問題があるなら、今ごろとっくの当に廃部していますよ。校長はまるで軽音楽部が全ての悪であるかのように言っているけど、俺知ってますからね。去年のCS学園の不祥事に、全ての部活動は一切関わっていないという事を。第一、この学園の部活動運営規定には、顧問が指導できる範囲であれば郊外での活動も可能だとされています。それは運動部でも文化部でも変わらなi…」

「その規定は改訂する。運動部は合宿があるからまだしも、文化部は必要がないだろう」

「なっ…! そんな事を言っていたら、かえって露骨な文化部潰しだと世間から批判されるんじゃないですか!? 吹奏楽部を、校外だからという理由でコンクールに一切出場させないと言っている様なものです! そんなの到底納得できません!」

 その瞬間、バンという音が校長室一面に鳴り響いた。校長が、内なる怒りを表す様に、自身の目の前にある机を叩き、立ち上がったのだ。校長の両手が、病気の様に震えている。

「…そこまで言うなら生徒会に申し立てればよい。どうせ聞いてもらえないと思うがな」

「どうして、ここで急に『生徒会』が出てくるんですか。じゃあ、その生徒会から許可を貰えれば、軽音楽部は廃部にしないと、校外活動を許可すると約束してくれるんですね?」

「っ…!」

 校長がマニーの鋭い視線を前に、一瞬だけ怯んだ。もしかして「しまった、余計な事をいってしまった」とでも思ったのだろうか? すると数秒して、校長が身を震わせてこういう。

「…いいだろう。だが、条件がある」

「なんですか?」

「君の、運動部への併部だ。それも含めて、軽音楽部の運営は続けて良いものとしよう。まぁ、結局君にとっては倍の負担になるだろうがな。新たな同好会でも設立しない限りは」

「ほう? じゃあ、体育系同好会に入るという形でも適応されるという事で、宜しいと?」

「…そうだ。だがもう一度いう。今の生徒会は、君のその案を決して受け入れないだろう。何があってもだ」

「そんなの、やってみなきゃ分からないですよね? フン。校長がそこまで言うのなら、俺はとことんやりますよ。何としても、生徒会の頭を下げさせてやる」


 そういって、マニーはこれ以上校長と話をしても意味がないと悟ったのか、木内を気遣う様に目をやりながら「失礼しました」といって校長室を後にする。僕はその瞬間「まずい…!」といって、急いで廊下の曲がり角に隠れたのだった。

 マニーは憔悴した木内と一緒に、廊下に出てきた。僕はこの2人が教室、もしくは部室である第2音楽室へ戻るまでのタイミングを見計らい、じっと身をひそめた。彼らからは、僕の姿は絶対に見えないだろう。そんな場所に隠れていたはずなのだが、マニーがここで前を見据えたまま、歩きながらこう呟く。


「君が、そこで聞いていた事は知ってるよ。でも大丈夫、心配はいらない」


 ――え!? …今のセリフって、僕に対して言った? いや、まさか、ね。

 僕はそう肩をビクッとさせ、マニー達の歩いている方向へと目をむけた。マニー達は、僕がいる所には一切目を向けず、足早に職員会館を後にしようとしている。

「え? ねぇ桜くん、今だれに向かって言ったの?」

「ううん。ただの独り言です」

 そういって、マニーは気丈な笑顔で木内の質問に答える。こうして2人はこの建物を後にしたのだった。僕は嫌な緊張を抱えたまま、再び校長室がある通りへと乗り出し、あたかも「今ここへ来ました」風の顔を演じながら事務室をノックしたのだった。すると、

「はい… あら? あなたは長岡新興分校の。どうかしましたか?」

 出てきたのは、40代半ばの事務員さんだ。僕はその人に一礼し「よろしくお願いします」といって、手に持っているファイルを提出した。事務員さんは、それを渋々受け取る。

 ――あの時の、セイルの予想が見事に的中してしまったな。これは、かなりまずいぞ。

 ちなみに、隣部屋である校長室はスルーした。先程のあの場面を耳で聞き、知ってしまっては、素直に会いたくなくなったからだ。そうでなくても、普段はそう気軽にお邪魔していい場所ではない。それくらいの常識は弁えているから、僕は事務室へ立ち寄ったのである。


 ………。


 5月14日、金曜日。長野県軽井沢町の空気は、都会とは大違いな程に涼しくて綺麗だ。

 僕はチケットの旅行会社が委託している観光バスに揺られながら、首都圏に住む人たちの避暑地として栄えている観光スポットへとお邪魔した。ちなみに、僕以外にバスに搭乗しているのは、定年を過ぎた老夫婦やご友人どうし、そして1人旅のお爺さんなどなど。国民の殆どが学校や仕事で忙しい平日だからか、見事にご年配の方ばかりであった。

「おやまぁ! お兄さん、お菓子の応募で軽井沢行きのチケットを当てたのー!?」

 と、僕の向かい側に座っていた還暦過ぎの女性が、連れの友人とともに驚いた顔で僕へと質問した。僕がなぜ今回のひとり旅に参加しているのかを聞かれたので、律儀に「はい」と答えた形である。当てたのは弟なんだけどね。

「羨ましいわぁ、私も一度は当てたいわね、そういうの」

「そうねぇ。お兄さん、お仕事は何をされてらっしゃるの? もしかしてバイトさん?」

「いえ、個人事業主です。自宅兼事務所を構えていて、主に、クライアントから渡された案件を納期までにこなす仕事をしています」

「んん? クライ… なんだって? あら嫌だ、今どきはそんな難しい言葉を使うのねぇ」

 と、女性の1人が自身の頬に手を添えながら、そういう。僕はお爺ちゃんが生前そうだったように、その「今どき」に敏感で、流行に付いていけているご年配の方も世の中たまにいたりするので、敢えて分かりやすく言い直さなかった。その“分からない事”で意味を知りたければ向こうが聞いてくるから、その時に教えてあげるくらいだ。

 さて、そんな孫気分でお邪魔してきているここ軽井沢だが、実は事前にあのプライム次元にて、生まれも育ちも長野だというヒナから少し教えてもらった。軽井沢もとい長野の名物といえばリンゴ、そば、野沢菜、などが挙げられるが、実は軽井沢は隠れたメープルシロップの産地でもあるらしい。寒冷地なので、白樺だけでなく、楓も多く生えているからだとか。というわけで、僕は先にチケットの無料宿泊対象にあたるホテルでチェックインを済ませ、外出に不要なデカい荷物を置いてから、目的地へと向かった。ちなみに先程も述べた通り、今日は金曜日だ。この日に訪れようと決めた理由は、ただ1つ。

「あ! 芹名さんですか!? はじめましてー、今日一日よろしくお願いしまぁーす!」

 約束の時間。本題である目的地の旧軽井沢銀座通り、通称「旧軽銀座」のアーケード前へ向かうと、そこにいた若い男性とそのカメラマンらしき眼鏡の男性、そしてバディさんと思われる女性の計3名から、笑顔で握手を求められた。僕はそれに仕事の笑顔で応じ、彼らと握手を交わす。

 そう。その中心人物である若い男性こそが、ユーチューバーのMasa本人。僕はあの日、全国から寄せられたあの動画案件の応募者2万人もの中から、見事、その採用者の1人に選ばれたのである。まさか自分でも当たると思っていなかったが、こんな事ってあるんだな。

「僕、ユーチューバーのMasaですよろしくー! 寒いでしょここ? 早速だけど、これから打ち合わせを行っていくので、あそこの店の中へ入りましょうか! 新垣、カメラのバッテリー見ておいてねー」

「お、りょーかーい」

 新垣と名乗るカメラマンの男性が、Masaからの頼み事にそうフランクに応じた。今の会話の様子だと、きっと彼らは動画クリエイターの仕事を始める以前からの友人関係なのだろう。新垣は編集担当の裏方と思われた。僕はMasaに案内され、建物内へと入った。


 さて、本題であるMasaとのその「お仕事内容」だが、簡単に言うと新曲MVの撮影だ。

 Masaはユーチューバーである傍ら、歌手、ラッパーとしても小規模ながら活動している。その知名度を活かし、今回は「生まれ故郷」をテーマとした彼の新曲の、Masaの友人役として僕が共演する事になったのであった。これの完成版が、近く公開される仕組みである。

 僕は撮影前の打ち合わせ時に、バディさんから頂いた「公開日まで新曲の件を誰にも言わないでね」という意味の同意書にサインをした。これの確認が取れてから、次に仕事の流れを一通り教えてもらい、はじめて撮影に挑んだのである。日当5万円という高給のお仕事なのは、それだけ顔出しのリスクが生じるからが故の相場なのだそうだ。

 ちなみに、ただ単に「顔出し」といっても、そこまで露骨に何回も顔がハッキリ映る様な撮影ではない。一瞬だけ、僕の顎だけだったり、目だけだったり… といった所謂「チラチラと見せるカット」が用いられた。あとは大半が顔の分からない後ろ姿、もしくは首から下を映すという手法であった。この撮影を一貫して行っているのがカメラマンの新垣であり、素人感を出すため、あえて一眼レフ1台のみの簡素な撮影にしているのだという。

「「かんぱーい!」」

 そしてこのMV撮影には当然、主役であるMasa本人もちょくちょく出てきている。その撮影の過程で、僕はMasaと一緒にバーで楽しく飲み会をするという設定のシーンにも参加した。あの募集内容に記されていた通り、飲み物は本物のビールを使っており、実際にそれを一緒に飲むシーンに挑むのだ。友達のように、和気藹々とした自然な感じで。

 きっと撮影場所がMasaの故郷・軽井沢なので、その中のバー宣伝のために、必ず本物を使おうという拘りがあったのだろう。僕は、途中で自分が酔って仕事が出来なくなってしまわないか、最初は心配だったものだ。ちなみにこの飲酒シーンは、最後に撮影している。

「おつかれさまでしたー!」

 こうして撮影をはじめてから実働4時間。僕たちは奇跡的にも1度もNGを出す事なく、Masaの納得がいく形で無事に全ての撮影を終えたのであった。MVだから台詞を言うシーンが一切なく、指示された通りの仕草やポーズなどを取るだけの撮影なので、思ったより簡単なお仕事だったというのもある。とにかくMasaの心証を悪くしていない様で、本当によかった。お酒を飲むシーンにしても、撮影が終わるまで酔わずに済んだから助かった。

「芹名さん、凄いね!? もしかして、過去にドラマのエキストラ役とかやってた?」

「いえ、今回が初めてです。もう、撮影中ずーっと緊張しちゃって。でも、上手くいったみたいで、本当に良かった。凄く楽しかったです」

「いえいえこちらこそ、どうかお気をつけて! ここから宿まで歩いて帰れますか?」

「はい、大丈夫です。お気遣い、感謝します。ありがとうございました」

 そういって、僕はMasaたちと笑顔で別れの挨拶を交わした。バディさんも新垣も笑顔で手を振ってくれて、とても好印象だった。こうして終わったユーチューバーMasaとの出会いは、動画をみた最初に抱いた「ただの煩い男」から「元気で思いやりのあるクリエイター」へと印象が大きく変わって、撮影に参加して良かったと思えるものであった。

「アキラおにーたーん」

 と、その時だった。旧軽銀座から踵を返して僅か10秒ほど。僕の元へ、突如幼い子供が横から話しかけてきた。その瞬間、僕は「え!?」と思い、振り向いたのだ。なぜ、この町で僕の名前を知っている子がいるんだ!? と思ったが、その理由をすぐ知ることになる。

「ん? 君は… え!? ミアちゃん!?」

 そう。あのテツの幼き娘、ミアであった。日英ハーフの容姿だから、見間違えるはずはない。僕は驚いた表情でミアの顔を見て、その子と同じ目線まで腰を下げた。

「ミアちゃん、だよね?」

「こんばんは。アキラおにーたん。ミアでつぅ」

「こらこら、ミアちゃん。知らないお兄さんに話しかけてはいけませんよ?」

 と、前方からは女性のかけ声が聞こえる。エレナとはまた違う、日本人らしい話し方が特徴の女性の声だ。僕はとっさに肩をこわばらせた。もしかして、不審者だと思われたか!?

「…て、あら? お兄さん、どこかで」

 と、その女性はミアの元へとかけつけ、ミアの手を取ると今度は僕の顔をみつめた。僕もその女性の顔を見て、一気にその記憶が呼び覚まされる。歳は40代後半くらいだろうか、見覚えのある顔だ。その瞬間、僕はまさかという目で女性にこういう。

「あっ…! もしかして、テツん家のおばさん!?」

「あら! あなた、もしかしてセリナくんよね!? いやだ、5年ぶりくらいかしら!」

「本当ですね! いやぁお久しぶりです、おばさん!」

 そう。この女性こそがテツの母、実母に捨てられた彼を女手一つで育ててきた継母のおばさんその人である。僕はその懐かしさについ顔が綻び、ホッと安心したのもあってか満面の笑みで一礼したのだった。ミアも、嬉しそうにおばさんの手を握りながら飛び跳ねる。とりあえず、あのドタキャン事件以来、心配だった娘さんが元気そうにしていて安心したよ!

「おばーたん♪ パパのおともだちだよー♪」

「えぇそうね。セリナくん、さっきはごめんなさいね。知らないお兄さんだとかいって、つい孫を離しちゃって」

「いえいえ。しかし、ここで会えるなんて奇遇ですね。テツたちは元気にしてますか?」

「あっ…」

 するとおばさん、途端に気まずそうに笑みを浮かべたまま、一瞬だけ目が泳いだ。僕はその異変にすぐ気づき、笑顔がなくなる。もしかして、聞いたらマズい質問だったのかも。

「た、たぶん元気にしているんじゃないかしら? テツからは、何か聞いていない?」

「いえ。ただ、この前東京で再会して、すごく幸せそうだった姿だけ、覚えています」

「そう…」

「ねぇおばーたん。パパ、元気なかったよ? ママも、いつびょーいんから出れるの?」

「え!?」

 首を傾げながらおばさんを見上げる、ミアのその言葉に僕は衝撃を受けた。おばさんが咄嗟にああやって返事をしても、純粋な子供の前では、本当の事は誤魔化せないだろう。それを目の当たりにしたおばさんも、途端に「どうしよう」と言った表情で動揺を見せた。

「あのぅ、おばさん? 失礼ですが、エレナさんの身に何かあったんですか? テツ、実は少し前に、急に大きなトラブルがあったからと俺達に言ったきり、今も音信不通なんです。もしかして、その件と何か関係が? どうか、俺に教えて頂けますか?」

 僕はそういって、緊張した面持ちでおばさんに質問した。するとおばさんはこれ以上、ひけらかしても意味がないと諦めたのか、怯えながら溜め息をつき、こう告げる。

「実は、ちょっとね。エレナさん、腕を焼かれちゃって、その手当てで入院しているの」

「え!? 腕を焼かれた!?」

 僕は、その余りの信じがたい展開に目が点になった。ミアもこれには事の重大さを察したのか、少しずつ心配そうな顔になる。おばさんは息を呑む表情で、前を見据えた。

「…ここじゃ何だから、場所を変えましょうか。良かったら、私の家にくる?」

「え、お邪魔していいんですか? 迷惑にならないですかね?」

「なに、ぜんぜん迷惑じゃないわよ。寧ろ、こうして会えたのも何かの縁でしょうから、うちで軽くお茶でも。ね?」

 そういって、優しい笑顔で誘ってくれるおばさん。僕は意を決し、お言葉に甘える事にした。こうして旧軽銀座を僕達が離れていく所を、この時まだ残っていたMasaと新垣が遠くから見つめ、不思議そうに顎をしゃくっていた。という事を、この時の僕はまだ知らない。


 おばさんが住んでいるのは一般的な7階建て賃貸マンションで、その中の最上階角部屋にある。軽井沢に住んでいる、ときくと湖畔の近くに建てられているテラス付き一軒家を連想しがちだが、実際はそういうのではなく、普通に日本国内の何処にでもありそうな建物だ。間取りは南向きの1LDKで、寝室はミアが現在1人でテレビに映る動画を見て過ごしている。こういう時にいつでも好きなものが見られるユーチューブって、ほんと優秀。

「アシッドアタック?」

 同じころ、僕はリビングへと案内され、おばさんから紅茶とメープルサンドクッキーを頂いたあとに本題を聞く事になった。先程の場面では聞けなかった、エレナさんが受けた被害の件だ。僕はその名称をきいて、大体の想像ができてしまった事に恐怖を覚えたのだった。

「あれは、先週の火曜日だったかしら。テツがエレナさんとミアちゃんを連れて、友達と会うために都内の公園で待ち合わせをしていた時よ。エレナさんが待ち合わせ時間の少し前、お昼前に近くの公共トイレへ向かった時に、それは起こったらしいの。テツから電話があって、私がそれに出たら凄く慌てていて、泣いていて。『妻の腕が…!』って、ずっと」

「火曜日のお昼前… ちょうど、エルが会う約束をしていた日時だ。その後は?」

「『腕が腕が』っていって、酷く気が動転していたから、きっとエレナさんの身に何かあったんじゃないかと思って、すぐに救急車を呼ぶようテツに指示したわ。それで、暫くして再びテツから電話があってね。エレナさんは病院に搬送され、幸い命に別状はなかったんだけど、事件性が高いものだとして警察まで駆けつける事態になったのよ。なんでもエレナさん、そのトイレの洗面台で化粧直しをしている時に、突然何者かから塩酸をかけられて」

「ひどい。なんでそんな事に?」

「分からないのよ。犯人は今も見つかっていなくてね。事件当時、エレナさんは丁度化粧直しで両手にメイクキットを持っていて、そのためか突然近づいてきた不審者が何かをしてきそうなタイミングで、咄嗟に両腕で顔をガードしたんですって。犯人は、どうもエレナさんの顔を狙っていたそうなのよ。で、塩酸をかけたその犯人はすぐに逃げたらしいんだけど… その人は帽子を深く被っていて、顔は見れなかったんですって。背丈からして女性の可能性が考えられているけど、何せ全身ジャージ姿だったから判別がつきにくいみたいで」

「その話の感じだと、犯人はやけに用意周到ですね。通りで、あの時エルがテツに会う直前にキャンセルをくらったわけだ。奥さんが病院に搬送されて、警察も複数動いた中で会える状態じゃないもんな。あの! その時、ミアちゃんは?」

「ミアちゃんは当時テツと一緒に外にいたから、何事もなくて無事だったわ。けど、エレナさんは火傷の進行具合もそうだけど、酷く憔悴してしまって。『もしもあの時、ミアもトイレに連れて行かせていたら、どうなっていたか』と。そういって、今も入院しているわ」

 かわいそう。なんでテツの奥さんが、そんな目に遭わなきゃならないんだ。と、僕はその事件に対し、ただただ首を横に振るしかなかった。おばさんも、悲しい顔で俯く。

 犯人は一体なぜ、エレナを狙ったのだろう? 凶器であるその塩酸だって、いつどうやって用意してきたのか。無差別か、それとも計画的犯行か。それだって犯人が今も見つかっていなければずっと謎のままだ。それでも犯人は、今もどこかで普通の顔して過ごしているかもしれない。そんな危険人物が、もしも自身のすぐ身近に潜んでいたらと思うと恐ろしい。

「テツは今、その病院に?」

「えぇ。エレナさんが退院出来る日まで、ずっと傍につくと言っていたわ。だからその間、ミアちゃんは私が預かっているの。それでも娘が少しでも寂しい思いをしない様にって、テツは今もたまにこっちへ顔を出しに来ているのよ。態々、東京と長野を行き来してね」

「そうだったんですか… あの。その病院って、都内のどこなのか教えて頂けますか?」

 僕はおばさんを真っ直ぐ見つめ、頭を下げる面構えでそうお願いした。テツが、きっと僕達に心配をかけさせたくなくて音信不通になってしまったのはおおむね分かったとして、だけどこの遠い所まで来て事情を知った以上、僕としては放っておけないのだ。

 余計なお世話かもしれないけど、ここは少しでもテツたち一家の力になりたい。微々たる力かもしれないけど、犯人探しにだって協力してあげたい。アシッドアタックなんて、こんなの、どう考えたって絶対に許されない行為なのだから。

「セリナくん…」

 僕は力強い眼差しで、ひたすらおばさんからの答えを待った。弟から受け取った想定外の切符と、人気ユーチューバーとの共演。それらが重なって訪れる事になったこの軽井沢にて、おばさんとミアに偶然再会したのだ。この数奇な運命もきっと何かの縁だと思い、僕は友人をこの未解決事件から救うという“目標(チャンス)”をもって、おばさんに懇願したのである。


【第8話に続く】

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