【4月】スタートアップ!長新入学編 第3話
<前回のあらすじ>
遺言書を持って、香典返し、祖父の確定申告と必要な手続きを済ませていくセリナ。だが口座指定や名義変更、その他諸々の手続きのために家庭裁判所へ向かう途中で、ずっと誰かに尾行されていた事に気づく。それが叔父の璃人による悪手だと知ったセリナは、相続の最終手続きがとれないという大きな壁にぶち当たっていた。
その一方、プライム次元では屋外授業の一環として、スポーツ強豪のCS学園、ミッション系の聖ハーバーリンネ学苑と順調に見学をこなしていた。今回は、招待客が在籍している残りの高校へ、見学しにいくというお話。
第3話
プライム次元にある千葉県の、成田空港近辺。長新から長いこと電車に揺られ、とある駅で降りた後、僕、アゲハ、ヒナの3人は長い歩行トンネルを歩いていた。
トンネルの片端にはムービングサイドウォーク、渋谷駅や空港などでよく見かけるあの動く歩道があり、僕たちはそれに乗りながらスイスイ前へ進んでいる形だ。トンネルには時おりお手洗いや売店、カプセルホテルなどに続く曲がり角があり、奥へ進むにつれてキャリーバッグを持った旅行客や、緑色のブレザーを着用した高校生が目立つ。
「まるで、空港の中にいるみたいだ。でも、この先ってこれから見学にいく高校だっけ?」
「そうだよ。あの緑色の制服を着ている子達は、まさにそう。アキラは初日に、あのジョン・カムリに会ったんだっけ? 私達がこれから行くのは、そいつが在籍している学校さ」
「底上げされた土地に作られた学校だから、校舎がメゾネットタイプの特殊な建造物になっているの。そこからの見晴らしが、とっても良いんだよね~」
なんてヒナも嬉しそうに呟く。そして漸くこの長いトンネルを抜けると、見えてきた晴れ空の奥に大きな学校の時計塔と、その横に管制塔が2棟、そして斜め上へと反るように聳え立つ建造物が3棟、僕たちの前に姿を現した。ここが、次の屋外授業の見学先だ。
「成田第一ウィング学院。通称N1W。いわゆる航空学校だ。普通科と航空科、2つの学科があって、今回は普通科の授業を見学するんだよ。お、あそこで丁度見回りやってるね」
アゲハがそう言って指をさした方向に、校門の横でバインダーを持って来校者のチェックをしている男子生徒がいた。間違いない、あれはジョン・カムリ本人だ。
「やっほー♪ 若ちゃんたちにはもう会った?」
ヒナが笑顔で手を振り、ジョンに挨拶をした。ジョンがペンを持った手で振って返しているあいだ、僕たちはアゲハの許可証を持って一礼し、キャンパスに足を踏み入れる。
「見てないな。でも、もう到着してるかもしれないぞ。この通り、今日は風紀委員の検問があるから、俺らに制服の乱れを注意されたくなくて、結構前に来てるかもだぜ。空から」
「空から…!?」
僕は、ジョンのその突然の発言に驚愕をしめした。アゲハが肩をすくめて説明する。
「この前、うちの古民家で若葉が庭に降りるところを見ただろ? ああやって、あの子は普段からよく空を飛んでいるんだよ。『歩くのが面倒くさいから』っていってね」
「人類の歴史と英知、完全無視だ…」
「ハッ。航空科在籍だし、空を飛びたいという夢をここで実現させてるんだろ。さてと。長新勢が来たら俺が案内する事になってるから、ちょっとこれ別の人に渡してから行くわ」
ジョンはそういって、手に持っていたバインダーとペンを、近くにいる他の風紀委員に渡していった。こうして僕たちは改めて、一校舎の中へと入っていく。
「うわぁ何だココ!? 中にエスカレーターがある! 教室も壁一面ガラス張り!?」
「な、凄いだろ? この学校は土地の殆どが坂になっていて、それに合わせた建築がされているんだ。勿論、敷地内には平坦な所もある。むしろその平坦な土地を多く活用するために、敢えてガタガタした地形の上に建物を建てたくらいなんだ」
「へぇ」
「そっか、航空学校だもんね。小型機を練習するための滑走路とかが、平坦じゃないといけないからだ」
と、ヒナがポンと手を叩き、別の方向に目を向ける。僕もそれに合わせて振り向くと、その大きな窓ガラス越しに映る平坦な地に、旅客機が置いてあるのが見えた… て、旅客機?
「え!?」
僕は思わず二度見した。まって、学校の敷地内に旅客機? え!? あの200人くらい収容できる旅客機!? まって、あれ本物!? え、なにこの異様な光景は!!?
「私も最初、あの光景を見た時はビックリしたよ。なんでも廃棄になった機体を、ここの生徒達がコックピットの練習台として使っているんだってね? あれ」
「あぁ。でも、一般人も一応試乗できるぞ。予約制で、今からじゃ2年待ちになるけど」
まぁ、そりゃそうなりますよね。本物のコックピットに乗って、パイロット気分を味わえる学校なんて、そりゃマニアだったら大勢食いつきますわ。なんて僕がこの異次元級の光景に呆気に取られている中、僕たちはやがて1つの教室近くでエスカレーターから降りた。
「今回の見学は普通科の教室だって聞いたけど、ここ一応は航空学校なんだろ? なのに、どうして態々『普通科』と『航空科』に分かれているんだ?」
「普通科は主に情報処理やプログラマー、医官、外交官を目指している子が入る学科で、航空科が本来のパイロットやCAを目指している子向けの学科なんだよ。ちなみに、学科ごとに授業で使える公用語が違う」
「そうなの?」
「普通科は日本語で、教員との会話程度ならどの言語でも対応してくれる。だけど航空科は一貫して英語だ。それ以外の言語を使うのはご法度、だからそっちの方が生徒数は少ない」
「へぇ」
それは初めて聞いたな、とアゲハが呟いているのを耳にしたところで、僕たちはジョンの案内により1-2の教室へとお邪魔した。他校見学という名の屋外授業で、やっと僕らと同学年の学習が見れるのか。てゆうか、外の景色スゴッ! 坂の上だから、見晴らしが良いな。
「では、ここに書いてある図の8の字結び目、K_8コンウェイ多項式は▽(K_8;z)=1-z^2である事を示しなさい。できた者は、率先して手を挙げること」
――え。なにこれ、結び目理論のやつだよね? え、まって、僕こんなの昔学習したっけ!? 大学に似たような図があったような、なかったような… まって、全然分からない。
僕は、この後の1-2の教室で始まった理学の授業内容を見て、暫く頭がパンクしそうになった。位相幾何学の結び目理論に出てくる、多項式不変量(だったっけ?)の問題だ。結び目理論そのものは高校でもやったような気がするけど、如何せん1学年じゃなかったような、大学出てから暫く勉強してないせいか、もう忘れてしまっている。
てゆうかこんなの、絶対高校で習うやつじゃないよね? 下手すりゃこれ、名門大学の入試問題かってくらい難しいぞ!? なんだこの学校、出題されるものが尋常じゃないよ!
「これ、ジョーンズ多項式のJⅠとJⅡがどんな特徴だったかを思い出せないと、解くのが難しいな。ヒナ、確かJⅠは=1で示せるんだったっけ?」
「…うん、多分そうだったと思う。でも、私もぶっちゃけ、よく覚えてないんだよね」
いやいやいやいや、君たち何でそんな所まで分かるの!? 僕、J1だのJ2だの、そんなサッカーリーグみたいな数式さえ頭から出てこなかったよ! なんて、声を大にして言うのも恥ずかしいくらいだ。これは、どうレポートで書いていったらいいんだろう?
「ふむ、誰も示せないか。では… カムリ。君はこれ解けるか?」
「え!? えっと、ちょっと待ってください? いま、頭の中で紐解いていくんで」
「あいにく、見学者の時間があるから10秒が限界だ。では、その間に答えられる人は?」
「は!? 10秒!? あの… やっぱ、後で復習しときます」
と、ジョンが考える時間をあまり与えられなかった事に「これは無理だ」と察したのか、白旗を示した。て、そりゃそうだよ。10秒で解ける問題じゃないってこんなの。
「この学校って、偏差値どれくらいなの?」
地獄のような難しい授業が終わり、僕とジョンが精神的に疲労困憊となった中の下りエスカレーター。それに乗りながら校舎の外に向かっているところ、僕はジョンに質問した。
「去年が、確か85くらいかな。今年は分からんけど」
「えぇぇ!? そんな高いの!? 通りでバカみたいに難しい問題が出てくると思った」
「たしかに、あの問題は長新じゃまず見かけないよね。せいぜいオイラーのファイ関数がたまに出るくらいだよ」
と、ヒナが困り笑顔でいう。こうして校舎の外に出て、元の校門前へと差し掛かったところで、僕はここに在籍する別の招待客2人に会った。第1話で交流したテラと若葉だ。てゆうかテラ氏、学校に通っている時はボーイッシュじゃなくて、普通の短髪女子なのね。
「やっほー! ヒナたち、見学楽しめた?」
「うん、そこそこね。2人とも、コンビニからの帰り?」
「うん。期間限定のスイーツが売っていたから、若ちゃんと2人で買ってきたんだ」
「これさ!? 結構うまいんだよ。月・水・金のどれか、たまにしか置かれないんだよね。イシシ、通信制の生徒はきっとこの贅沢を知らないんだろうな~♪」
なんて若葉がいたずら可愛く笑っているが… なんだこの学校、通信制もあるのか。僕がその「通信制?」を口に出し、反芻したことで、アゲハがいつもの様に説明してくれた。
「前回、ハーバーリンネへ見学しに行った際、あの茶トラの化け猫に会っただろ? その子の飼い主である招待客が1人、この学校の通信制に通っているんだよ。ただ、そっちは毎週火曜日が登校日だから、あいにくウチらの屋外授業で合流する事はないけど」
「そうなんだ… って、あれ? そこで何してるのジョナサン?」
と、僕がここでジョンの異変に気付いた。さっきから急に無口になったかと思いきや、彼は何故か門の横にある樹木の裏に回り、そこから何かを拾った。それは、バインダーとペン。
「委員仲間に、帰りにここへ記録用紙を隠すよう頼んだのが功を奏したぜ。安西若葉よ」
「げっ! は、なにお前!? ここで風紀委員の活動再開ってズルいぞそのやり方!」
と、若葉がこれからマズい事が起こると察したのか、慌てた口調でジョンに指をさした。だが、ジョンはニヤリと悪い笑顔を見せる一方。彼はバインダーにペンを走らせた。
「まず、スカートの丈が短い! シャツにリボンを付けるどころか、胸元に学校で必要のない派手なネックレスをつけてるじゃねぇか! おまけに何だそのジェルネイルは!!」
「サイテーだ、デリカシー無さすぎコイツ! ヤバイヤバイ、早く逃げよ逃げよ…!」
「あ! 若ちゃん、ちょっと待ってよー!!」
なんて、若葉がこれ以上風紀の乱れを発見され、指摘される前に急いでその場から走り去った。そして、その後を慌てて追うテラ。その様子を見て、アゲハが「帰るか」とため息交じりに呟いたので、僕たちはジョンに軽く会釈をしてから、N1Wを後にしたのであった。
………。
「アキラ… なんか、怖いよ。ここ最近」
翌日の夜。僕の妹で、芹名家の次女であるアカリがそう訪ねてきた。
時刻は午後10時。僕以外の兄弟達がみな学校とバイト先から戻り、夕飯と風呂を済ませたところで、アカリが神妙な面持ちで僕の元へ寄ってきたのだ。弟たちが自分の部屋へ行き、勉強をするために籠っている中での、葬式以来となる暗い話題だ。
「どうしたアカリ? 怖いって、何が?」
「なんかさ。私、最近誰かに後をつけられている気がするの。視線を感じる、というか」
「誰かに?」
僕は一瞬ドキッとした。自分も、同じ経験がある。尤も兄弟達は学校で、僕みたいに1人で行動する時間がない以上、叔父さんが雇ったんじゃないかと思われる人達から態々後をつけられる理由なんて無いと思っていたけど、どうやらそれは僕の思い違いだった様だ。
「ねぇアカリ。それって、いつから?」
と、同じく風呂上がりで座敷にきたヒカルが、アカリにそう訪ねてきた。アカリが、少し気まずそうな表情でこういう。
「今月から、かな。だけどこう、何だろう? 毎回、違う人が尾行してきているみたいな」
「なにそれ… 警察には相談したの?」
「まだ。でも、友達には先に相談したよ。そしたら『毎回同じ人じゃないのに、それはアカリの考え過ぎなんじゃないの?』って」
その友達の返事は一見、少し冷たいように思えるが案外、真っ当な答えなのだろう。警察だって、この程度では動かないわけだ。なぜ自分が追われる身になったのか? その理由を知ってもらえれば、セイルみたいにある程度は理解してもらえるかもしれない。だけど、アカリはまだ何も知らないんだ。これは、ある意味僕のせいなのだろう。
もう、本当の事を、言った方が良いのかな? どうするか。
~♪
「あ」
ヒカルのスマホから、直通のメロディが鳴った。それを手に取り、画面を確認するが、ヒカルは何も言わないままサイレントにする。かかってきている電話を無視したのだ。
「出ないのか?」
僕はヒカルに尋ねた。ヒカルが溜め息交じりに、遠くを見つめる目をした。
「知らない番号だから出ない。葬式の時に会った人たちの連絡先は、ある程度交換してるし、その人たちからなら出るけど」
「え、そうなのか? その知らない番号って、同じところ?」
「ううん。毎回、違う番号でかかってくるんだよ、ここ最近。何かの詐欺電話かもしれないから、怖くて出ない事にしてるの」
なんという事だ。アカリへのストーカー疑惑だけでなく、ヒカルにまでイタズラじみた知らない番号からの電話がかかっていたのだ。まさか、個人情報がどこかへ漏れてる!?
ガラガラガラ~♪
「アキラぁ。ドライバー何処に片付けたっけ?」
と、そこへ今度はテルアキが襖を開けてきた。僕の末弟の1人で、ライトの双子の兄だ。瞼を擦っている様子から、どうやら目を酷使する作業でもしていたらしい。たぶん、宿題が終わったついでにスマホで動画でも観ていたのかな?
「それなら、納屋に入ってすぐ横のラックに置いといたはずだよ。何に使うんだ?」
「ちょっと、コンセントの差込口を開けて確認しようと思ってさ」
「え、なんで?」
「なんか、そこだけコンセントを差しても接触が悪いというか、デスクライトもスマホも上手く充電できないんだよな。もしかしたらゴミが溜まってるんじゃないかと思って、裏を確認したいんだよ。しかも、そこから小さく『ウィーン』って変な音までするし」
「…」
ガタンッ! 僕は立ち上がった。とてつもなく嫌な予感がする。
これには周りが「兄ちゃんどうしたの!?」と慌てた様子になったのも構わず、僕は急いで納屋のドライバーを手に取り、テルアキとライトの部屋へ入った。ライトが机で受験勉強に励んでいるところ悪いけど、いまは一刻も早くその問題の差込口を解体しないとだ。
「アキラ!? だから、そこは俺がやるって!」
「ちょっと黙って…!」
僕は近くに抜かれたコンセントが転がっている、テルアキが指摘した例の差込口を見つけ、そのネジをドライバーで1本1本外した。兄弟達が緊迫した面持ちで見守る中、僕はその差込口をフタ同然に外す事に成功する。そして、その裏を見て僕の血の気が引いた。
裏には、3cm四方の黒い物体が、ガムテープで固定され張り付いている。
恐る恐るそれを剥がし、手に取ってみると、確かにそこから「ウィーン」と中の機械が作動している音が鳴っていた。その物体の一面には、マイクのような網目まで付いている。
「こんなものが、うちに…」
間違いない。これは盗聴器だ。いつからか、テルアキとライトの部屋に仕掛けられていたのである。通りでコンセントの接触が悪いわけだ。そして、それを目にした兄弟達が全員、その光景に絶句したのだった。僕は自身の人差し指を唇にあてるようにして、こう囁く。
「みんな。言いたい事は分かるけど、いまは口に出さないで。こいつは俺が持っていくから、そこで必要な書面を作ってくる。早くて、明日にはここに業者を呼ぶよ」
この盗聴器を仕掛けた犯人は誰か知らないけど、きっとあの叔父さん一家の誰かかも知れない。一番可能性として考えられるのは、葬儀当日テルアキとライトに一番よく接触し、この部屋にも長いこと入っていたというイトコのコウだ。もし、そこから僕たちの個人情報が洩れているとしたら、ヒカルのスマホに知らない番号から電話がかかってきているのも、アカリを狙ったストーカーがいるのも納得がいく。発生時期もほぼ一致してるから尚更だ。
もしもこれで彼らが犯人なら、アイツら、本当に救いようのないクズ一家だ!
そこまでして、お爺ちゃんの遺産の在処を知りたいか? ここまでして手の込んだ事をして、その分の見返りがあると思ってやってんのか!? 親も親なら子も子、死んだお爺ちゃんに申し訳ないと思わないのかよ! …お爺ちゃんは今、天国からどういう気持ちで、僕たちを見ているんだろう? きっと泣いているかもしれない。ごめんな、お爺ちゃん。
僕はそんな震えた手で盗聴器を持ち、外に置くため、静かに部屋をあとにした。その始終を黙って見ていた兄弟達は全員、顔を青ざめ、中には膝をついて泣き叫ぶ者までいた。
………。
ガン!
「…」
あのあと、しばらく兄弟同士会話を失くした状態で眠り、プライム次元で目が覚めてからも、僕の怒りは収まる事を知らなかった。今も思い出すだけで、無性にイライラする。
今回もまた屋外授業で、アゲハ達と合流する前に、僕は人けのない所で鉄柱に一発殴りを入れた。物に当たるなんて、本当は良くない事だと分かっているけれども、それだけ心が抑えきれなくなってきているんだ。殴った時の痛みなんて、感じられないくらいに。
「おはようー!」
遠くから、アゲハの声がした。僕はとっさに普段の顔に戻り、彼女と共にきたヘルにも手を振って挨拶する。先程の鉄柱を見ると、殴った所が少し凹んでいるので、僕はそこを背中で隠すように立ち振る舞ったのであった。我ながら凄い凹みようである。
「その様子だと、準備はバッチリみたいだね」
「うん。今日は、コスモタウンって所へ行くんだっけ?」
「そうだよ。そこにある、地域最高峰のロースクールへ見学しに行くんだ」
「ロースクール、か」
弁護士をはじめ、閣僚、書士、税理士などを目指す人の為の教育機関。通常なら、そういった法のスペシャリストを生む大学院を指していうんだけど、アゲハのいう事だから多分、高等学校の事だろうなと思った。それでいてロースクール呼びって、何だか不思議。
僕はそんなアゲハ達の後を追う様に、笑顔でその場を歩き去った。遠い街並みの中に聳え立つ、巨大なカクテルグラス状の空中都市を目指して。
カクテルグラス状の巨大建造物には、グラスの中に人工的に注がれた地層と、その上に近未来的な街が出来ている。そこへ行くための手段として、グラスの下には丁度そのガラスの柱に相当する部分に、巨大な着席型エレベーターが幾つも設置されていた。
グラスの真下に当たる日陰の部分、少し寂れた荒野を抜けたあと、僕たちは200円の切符で柱の中のエレベーターに乗り、電車のホームにある様な席についた。すると、その壁一面ガラス張りのエレベーターは、出発と共にどんどん上昇スピードを上げていったのだ。
「え!? まって、速度表示が大変な事になってる!」
エレベーターの出入口横には現在の高度と、エレベーターの移動速度が表示されているのだが、その速度が時速300kmをいっているのだ。これは、新幹線の最高速度に匹敵する。
「このエレベーターはリニアモーター式で、これでもまだ低速なんだよ。一番早くて600km、このエレベーターの倍早く移動できるのがあるけど、その分切符が高いんだ」
「すっご。なんか、時代の先をいってる感じがする」
「こいつで驚くのはまだ早いぞ。タウンの中は、もっと高度なテクノロジーで溢れている」
と、ヘルがいう。こうしてエレベーターに乗ってから10分、徐々にスピードが下がったのちにタウンへと到着すると、そこで僕は更に凄い光景を目にする事になる。
「え、なにここ!? 車が空飛んでる! 信号機が宙に浮かんでる!? あっちの人は、ペンみたいなのを持って何か魔法みたいにモノをパッと生み出してない?」
「あぁ、あれはリアグラムペンだね。『リアル』と『ホログラム』の造語で、リアグラム。その技術を詰め込んだ、ネットワーク接続型3D実体化ペンシルだよ」
ふぇ~なんだそれ、ちょっと複雑でよく分からないけど、何かもの凄く便利そうなペンだな。そんなサイバーパンクな街の中で、僕たちの方へ手を振っている1人の少年を発見した。
「おーい、長新のみなさーん! 僕はここですよー!」
中学生? いや、高校生か。ココアブラウン色のブレザーに、臙脂色のズボンを穿いたその小柄な少年は、アゲハ達がここに来るのを待っていたようだ。僕は町中の近未来的な光景に圧倒されながら、アゲハ先頭でその少年と合流した。少年は僕へと握手を差し伸べる。
「はじめまして、古住瑠夏です。芹名アキラさん、でしたよね? あなたの事は、アゲハさん達からお話を伺っています。同じ招待客どうし、どうぞよろしく」
そういって、ルカと名乗る少年と僕は握手を交わした。こうして彼の案内のもと、僕たちは早速今回の見学先である学校へとお邪魔する事になったのであった。
エレベーターを降りてから、ルカと出会い、ホバー式の浮遊バスに乗って約30分の距離にあるその場所に、今回の学校はあった。
名は、紫法院高校。近未来的な外の風景とは一転、大きな丸い湖があるキャンパスに、赤レンガの校舎が特徴的な近代的建造物である。と、ここで門を潜る横から話しかけられた。
『こんにちは。そこのあなた、来校許可は得ているのかしら? 証明書をお見せなさい』
そこにいたのは孔雀。あの大きな斑点模様の羽根を持った鳥の孔雀だ。その孔雀が今、人間の言葉を喋っている。僕はその光景に思わず絶句した。アゲハが慣れた表情で入校許可証を孔雀に見せている間、ルカが苦笑いでこう説明する。
「そのお方は『インターフェース』と呼ばれるものです。脳死した人間のゲノム細胞を、SIMカード程の小さなチップに詰めたものを機械に差す事で、生き物同然に動くんですよ」
「え。なにそれ… つまり、AIってこと?」
「いいえ。機械で作られた人工知能のAIとは違って、こちらは生前の人間そのものの意思と性格を持っています。なので、自分で考え、行動する能力だけでなく、人間的道徳をも持って活動しているんですよ。ね? 孔雀さん」
『えぇ。機械になってからは肉体的疲労も感じないから、毎日の仕事が楽でいいわよ~。あ、だからって人間時代が嫌だったとか、そういう事じゃないからね? 一度きりの人生、人間の時にしか味わえない喜びは、悔いのない様に味わいなさい? まだ若いんだし、ね?』
と、孔雀が流暢に喋って僕を激励した。僕は、これにどう反応したらいいのか良く分からず、とりあえず「は、はい」とだけ返事して一校舎へ向かった。
「あ! やっほー」
「お?」「あら」
ルカが先頭で歩いていた、その校舎を前に、彼と同じ色の制服を着た1組の男女が反応を示した。彼らは湖をずっと眺めていた様だ。スポーツ刈りの男と、ウルフヘアの女。
「紹介します。この方たちも僕らと同じ招待客で、2年生のミネルヴァさんと、3年生のイングリッドさん。2人合わせて、僕たちは『ひまわり組』と呼んでいるんですよ」
「はじめまして。ひまわり組、というのは?」
「本名の『日向』と『葵井』合わせて『日向葵』。彼らは、なんと結婚してるんです。ね?」
え? この世界で、高校生の歳でってこと!? なんて、僕は思わず先輩たちの前で驚きざまに後ずさりしてしまった。ここで、イングリッドと名乗る男が少し慌てた表情になる。
「お、おいルカ。いきなり初対面の人に、そんなこと話してどうするんだよ」
「いいじゃないですか。僕が黙ってても、いずれローズ兄さん辺りが言うと思いますし」
なんてルカが強かな表情で校舎へと入っていくその内部、ひまわり組に会釈し終えた僕達の目に入ったのは、これまた中世ヨーロッパ風の装飾が施された廊下。どちらかというと、ファンタジー映画の魔法学校にありそうな景観だ。第2話でお邪魔した、ハーバーリンネ学苑と肩を並べるような雰囲気を醸し出している。失礼だけどここ、本当にロースクールなのだろうか? と思えるほど、法律関係の教育現場に似つかわしくない内装であった。
「近年、ここコスモタウンでも話題になりましたわよね? スーパーの商品棚に陳列されていた商品が、本来置かれるべき所とは別の場所に置いてあって、お店の店員にご迷惑をかけるというケースが。確かに、店側にとっては迷惑極まりない行為ですが、違法性はないとして、殆どは黙認されているのが現状です。ですが! 例えばアイスクリームなどの冷凍食品が、冷蔵や常温の商品棚に置かれた事によって溶けてしまい、やむなく廃棄。つまり、商品としての価値を落としてしまうと話は別です。ここまで来ると、迷惑行為以前の問題として法的に罰せられてしまいます。この場合、法律上では何々何条の、何罪にあたるのか。基本中の基本ですよ? では! ここは古住くんに、口頭で答えてもらおうかしら」
「え? はい!」
ルカのクラスである、1年A組の教室。内装はいわゆる円形講義室で、部屋の中央に教員が立ち、ほぼ360度生徒達の席に囲まれた形で教えていくスタイルだ。そんなドーム型の部屋の上部には、シャンデリア代わりにモニターが3画面つり下げられており、それらが三角柱の形状を成していた。生徒達は全員、付属のタブレットを持って操作している。
まだ30代程であろう若い女性教員の説明のあと、問題を答えるよう指示されたルカが、ここでタブレットを置いて席を立ち上がった。彼は、顎をしゃくりながらこう答える。
「えっと、器物損壊罪ですね。確か刑法、261条…? だったかな」
「正解。だけど、ちょっと忘れかけているみたいね。あとでしっかり復習してきてね」
「…はい」
そういって、ルカは冷や汗気味に席へ座った。なるほど、今回の授業は生徒達がどこまで条項を覚えているか、その復習問題らしい。これは、六法全書を何回も読んで頭に叩き込まないと、何処かで必ず躓きそうだ。てゆうか、まって!? これを高校一年の4月時点でこなすって、普通にヤバくないか!? N1Wの時とは、また別の意味で尋常じゃないよ!
「では、その器物損壊罪ですが、みなさんこの刑法には具体的にどのような処罰が課せられるのか。タブレットなど見なくても今、正確に答えられるよって人はいませんか?」
「はぁー調べてから答えるやつじゃないのか、厳しいな。アゲハたちは分かる?」
僕は、小声で隣にいるアゲハとヘルに質問した。2人は表情一つ変えずに、こう答える。
「前3条に規定するもののほか、他人の物を損壊、又は損傷した者は3年以下の懲役」
「又は30万円以下の罰金若しくは科料に処する、だったな。確か」
「あら! いま答えたそちらの見学者お2人! 大正解です、素晴らしい!」
へぇ凄ぇ! と僕が目を見開いたと同時に、それを聞いた紫法院の生徒たち全員が「おぉー!」と声を挙げながら拍手を送った。て、これかえってここの生徒達のプレッシャーにならないか? 他校の見学者に先を越されるって、ある意味気まずい展開になりそうな気が。
「在校生のみなさん。きっと今は見学者がいて緊張しているんでしょうけども、この先当校を卒業し、司法試験に合格して弁護士になったあとは、今度は『法廷』という更に緊張する場へ向かう事になりますからね。原告被告問わず、人の人生を大きく左右する立場に立たされるわけですから、そこで失敗する事のないよう、今のうちに沢山緊張を経験してください。今は、何度でも失敗していいんです。そうやって人間というのは徐々に強くなっていきますから、そこから更なる高みを目指し勉学に励んでいきましょう。いいですね?」
「「はい」」「はい!」
え? 今の先生のそれ、何げに良い格言じゃない? 僕はそれに感化され、思わずこの場で拍手しそうになった。そうか、ここは高校だから、今は多少失敗してもまだ全然チャンスがあるんだ。そんな、大人になってからでは中々味わえない「失敗」という経験。元いる世界で大人になった今になって聞くと、その先生の言葉は、とても心に響くものがあった。
「ごきげんよう」
「こんばんは」
こうして授業が終わった放課後。教室を出てもなお青ざめた表情が取れないルカの前に、また別の男女2人が手を振って挨拶した。女性の方はぱっつんで、男性の方はおかっぱ。敢えて口にはしないけど、2人とも割と図体がいい人達だ。アゲハ達が軽く挨拶を返している中、僕もここは一礼し2人に笑顔で出迎えられる。今までの流れからして、きっと彼らも…
「唐突ですがはじめまして、リリーです。アゲハ達から話は聞きました」
「君が、今年新しく入ってきた招待客か。リリーの兄のローズです、よろしく」
だろうと思った。
なんて表情には出さなくとも、僕は「よろしくお願いします」と笑顔で返し、彼らに歓迎された。見ると、その兄妹の後ろには先に湖のほとりで会った、ひまわり組の2人もいる。
「紫法院在籍の招待客と、このキャンパスで揃っている所を合流するなんて珍しいな」
と、ヘルがいう。アゲハも、それを聞いてハッとなったように頷いた。
「ホントだ。アキラとここまで4校立ち寄って、見学してきたけど、どこも招待客が1人か2人、時と場所が合わなくて欠けていたんだよ。だから、何げに今回が初めてかもね。1つの学校で、その在籍である招待客全員と顔合わせをするの」
「おや? そうですか。僕たち、自宅がみな同じビルマンションなので、帰りが一緒なんですよ。多分、それが関係していると思いますね。学校の中で時間が合わないのは仕方がないとして、自宅が離れていると、帰宅時間までもバラバラになってしまいますから」
なるほど、確かにそうなりますよね。と、僕はローズと名乗るおかっぱ頭の男性に対し、相槌を打った。少し気になった点を挙げると、紫法院勢でローズ1人だけが、なぜか革製の手袋を嵌めている事である。確かにコスモタウンは高度な都市だし、首都圏より少し気温が低めかもしれないけど、いうほど今は寒くないのでは? 寧ろ革製なんて汗で蒸れそう。
「コスモタウンは、夜になると風が強く吹き荒れるんだ。だから、早めに手土産でも買って帰ろうか。ヘル、アキラ」
「あぁ。みんな、またな。ルカもそんなに気を落とすなよ」
「あぁ、はい… せっかくの授業見学で、僕のカッコ悪い所を見せちゃってすみません」
と、ルカがヘルに励まされ困り笑顔を見せる。やはり、先のあの展開が相当響いたのだろう。全然カッコ悪くなかったんだけどな。きっと、あの子はそれだけ根が真面目なのかも。
こうして僕も別れの挨拶をし、アゲハたち3人でエレベーターに乗る前に、近くの雑貨店へと立ち寄った。確かに、最初に来た時より風が強くなっている気がする。まだ日が暮れていない中でこれだから、これからもっと強く吹くのだろう。そうなる前に、とりあえず手軽に安く買えるものでも買うか。
――お!? リアグラム、ってこれのことか。へぇいろんな種類の筆があるんだ。
そこで僕は、商品棚を見て回っているアゲハ達とは別に、1人気になるものを発見した。このタウンに来た際に、宙に浮く車、インターフェース(だったっけ?)に次いで印象に残っていた「リアグラムペン」なるものを発見したのだ。3Dアートペンの凄い版みたいな。
値段はピンキリだけど、どれも普通にあるオフィスペンや水彩筆みたいな、そういうものだ。だけど商品ケースには確かに「5G対応リアグラム」だとか「使い切りタイプ コスプレ用」だとか、あとは高額なものだと「ネット通販の商品をイメージして空に描くだけで、即実体化!」といった事が書かれていた。これ、僕の元いる世界で使えるのかなぁ?
――とりあえず、試しに安いコスプレ用のを2本買っておくか。1本は予備で残そう。
そういう事にし、僕はこの商品棚の中で最も安い、600円のペンを2本手に取った。
「あ! アキラに一つ言い忘れてたわ。この店に売っている商品なんだけど、一部はコスモタウンの中でしか機能しないものがあるんだよ。だから気を付けて」
と、突然横からアゲハがそう言ってきた。僕は「え?」となり、レジ前で立ち止まる。
「なぁそれ、今なにを持っているんだ? …あ、そのペンなら大丈夫そうだな」
と、今度はヘルが反対側から僕の手持ち商品を見て確認し、安堵する。どこをどう見たら、タウン外で使える・使えないが分かるんだろう? まだ今日コスモタウンに来たばかりで、他にも知らない専門用語を幾つか見かけたくらいだけど、まぁそのうち分かるのかな?
『お買い上げ、ありがとうございます!』
とにかく、この不思議なペンがタウン外で使えると分かれば、僕は一安心だ。こうしてコスモタウン製の近未来的テクノロジーをもったアイテムを買うと、僕らは帰りのエレベーターに乗り、カクテルグラスの柱を下っていったのだった。それにしてもこの町、結構凄かったな。言っちゃなんだけど、多分紫法院高校より、町全体の技術の方が印象に残るかも。また時間があったら、次の休みの日でも寄ってみようかね。
………。
「ふぁ~。あれ? まだ朝早いな」
あのあと、僕は家に帰ってすぐ、疲れて寝ちゃったのだろうか? 目が覚めると、ここは元いる世界の古民家、僕1人の寝室。
時刻は午前5時前。僕以外の兄弟はまだ寝ていて、鳥のさえずりが窓の外から聞こえるくらいだ。枕元に別の感触があるので見ると、そこにはプライム次元のコスモタウンで買った、かのリアグラムペンが1本置いてあった。あちゃ~、それを横に置いたまま寝ちゃったのか。
――そうだ。これ、結局買ってからまだ一度も使ってないんだった。ちょっと試しに使ってみるか。え~と、どれどれ?
僕はペンの箱の中に附属されている、取扱説明書を一通り読んでみた。うーん、専門用語が随所にあって、一部理解できない所があるけど、まぁ何となく意味は分かったかな?
要するにこのペンは、空気中にある物質や光を吸収し、それを別のものに変換しながらの「お絵かき」が出来るという事か。で、絵が下手な人のために、このペンを持っている人間が何を描こうとしているのかを、内蔵されているAIが生体認証機能で検知し、思い通りの姿に変換してくれるという仕組みみたい。て、まって!? なんて凄いテクノロジーなんだ! それなのに1本たったの600円!? 「使い捨てタイプ」とは書いてあるけど、それでも十分凄いじゃないか! しかも、これで全身コスプレ時の持続時間は3時間!?
――ちょっと怖いけど、自分の手に、試しに手袋みたいなのを嵌めさせる絵描きでもしてみるか。うわぁ、これちゃんとこっちでも動作するのかなぁ?
魔法や奇跡は元いる世界だと使えないけど、このリアグラムペンはそういうものではなく、コスモタウン産のれっきとしたテクノロジー技術の一つだ。だから、アゲハ達の言う通りならこの世界でも使えるはず! 僕はそう信じて、ここは軽く片手の甲の近くでペンを一振りしてみた。取説通りのフォームで、さっとひと塗り。
シュルシュルシュルー♪
「え!? うわうわうわうわ、どんどん出来上がってきてる! て、手袋が!!」
僕の手に、空気中の何かしらを吸ったペン先から黒い物体が生み出されるように描かれ、それが機織りの様に1枚の布となって手の甲に置かれたのだ。まさかの光景だ。僕はつい声をあげてしまった。なんと、このリアグラムペンは現実世界でも問題なく使えるのだ!
「すっげぇ」
手の甲に置かれた、ペン書きで出来上がった布はまだこれで半分。僕は今にも心臓が飛び出そうな緊張感を持ったまま、今度は手の平を向けてペンをさっと走らせる。すると、そっちでも引き続き黒い布が形成され、それはやがて半自動的に、1つの手袋となって完成したのであった。僕は感激した。とんでもなく楽しいアイテムが手に入った喜びで、ニヤニヤが止まらないのだ。おー、これはタウンからの帰りに買っておいて良かったー!!
トントン
「アキラ? 起きてるの??」
と、ここで寝室のドアからヒカルの声が響いてきた。まずい、さっきの叫び声が聞こえていたかもしれない。僕は我に返り、急いでペンと手袋を枕下に隠してからドアを開けた。
「おはよう。起きるの早いな」
「そう? ねぇ、さっきなんかアキラの叫び声が聞こえたんだけど、何してたの?」
「え!? あ、あぁ、ちょっと。スマホでホラー動画見てて、それで」
と、僕はとっさにそう言って誤魔化す。ヒカルがそれを見て、呆れた表情で溜め息をついてから、僕の耳元でささやく様に小声でこういった。
「まだ、この家のどこかに例のブツが残っているかもしれないんでしょ…? あんまり、私生活の様子がバレる様な声を出していたらマズいんじゃないの…?」
「あぁそうだった、ごめん… 俺、ちょっとストレスが溜まっているのかも…」
「もう、気を付けてよ… ところで、今日なんだよね…? その、シロアリ駆除…?」
ヒカルのその小さな質問に、僕は緊張した面持ちで頷いた。ヒカルのいう「例のブツ」とは盗聴器、「シロアリ駆除」とはそれを探してくれる業者の事だ。今日はその人達が、兄弟達が学校でいない時間帯に来てくれる。家の大きさや探す時間に応じて見積もり額が変わる仕様なので、もしかしたら10万円以上もの費用が嵩む事になるかもしれないが、弁護士を雇うよりは断然安い値段だ。兄弟達のプライバシー保護のためには致し方ない。
僕はそれに付き添う事とし、兄弟達にはいつも通り学校へ行ってもらう事になった。だけどこう、何だろう? 家に盗聴器があると分かった日から、僕たちの会話は極端に減ったような気がする。淡々と食事を済ませ、あとはそのまま軽く挨拶をするだけで、皆それぞれやるべき事をやるためにすぐ家を出る。それの繰り返しだ。
きっと考える事は一緒なのだろう。今は少し喋るだけでも更に個人情報を抜かれる様な気がして、皆怯えながらこの家にいるんだ。それでも、毎日帰ってきてくれるだけ有難い事である。特にアカリなんかはストーカー被害という怖い思いをして、精神的に追いやられ、本当はもっとその事を誰かに相談したいはずなのに、それさえ容易に出来ないというこの状況。本当にいたたまれない光景である。僕は、そんなこの世の中が許せなくなった。
「いってきます…」
兄弟達は朝食を済ませ、支度が出来た人から順に学校へ行った。僕はその間、業者が来る時間帯に家にいるために、ひたすら無言で待つ。人が来る以上、常に古民家周辺の音も聞かなきゃいけないので、ヘッドホンで音楽を聞く事も、テレビの音声を流す事もできない。凄く退屈で、不便な時間であった。
そんな自分がいま出来る事は、リアグラムペンで出来た手袋を嵌めたり脱いだりして、スマホを弄ってNINEを見るだけ。こっちの世界じゃ送受信が出来ないけど、閲覧程度なら問題なく見れる招待客とのチャット履歴や、今日まで撮ってきた写真などを眺めていく。リアグラムペンでの使用例も画像で送ってもらったので、それも見ながら静かに待っていた。
「―――。」
僕は、あることに気がついた。今回僕がコスモタウンで購入したリアグラムペンは、もとは使い捨てタイプのコスプレ用だ。その使用例を見ると、衣服だけでなく、顔や髪型にまで、生身の人間の身体の上に、変幻自在に上塗りができる。僕はひらめいたのであった。
………。
あのあと、家には時間帯通り探偵事務所の業者が2,3人来て、警官1人立ち合いのもと、特殊な機械で古民家一帯を調べてもらった。すると、他に見つかった盗聴器は1個。なんとお手洗いのウォシュレット用コンセント差込口の裏に、前回僕が見つけたのと全く同じタイプの、黒い盗聴器が貼り付けられてあったのだ。僕は酷く吐き気がした。
設置した人間は、なんて趣味の悪いやつなんだ。そんな恐怖心に苛まれる中、それ以外の場所には全くなかったので、これで今度こそ家から盗聴器が全て取り除かれたのであった。こうして業者と連名の被害届作成、そして見積額を後日支払うための口座を登録し、通報。無事に盗聴被害について受理される事となったのである。もちろん、その日の夜は兄弟達にもこの事を報告した。案の定、トイレに設置されていた件については全員気持ち悪がったが。
「アキラ。パスポートはちゃんと持ってきた?」
それから1日半が経った今日。元いる世界で、兄弟達との会話が元通りになってきた事に安堵しながら、僕は「とある決意」を胸に秘めたまま、今回もプライムにおける屋外授業に参加する事になった。さすがに生徒会のアゲハに同行を頼りっ放しなので、次回以降は普通に教員同伴で行った方がいいかな? と考えている。因みに、今回はアゲハ1人だけだ。
「持ってきたよ。ヒナとヘルは?」
「ヒナは部活。ヘルは元いる世界での仕事が忙しいから、あまりこっちで目覚めてる暇がないんだってさ。それより、今日の屋外授業はいつもと一味違うぞ。何てったって海外だ」
「うん。だからパスポートが必要なんだよな? でも変な話、そんな簡単に高校生2人を海外へ行かせるって、旅行じゃないのに少し気前が良すぎる様な気が…」
僕がそういうと、アゲハがふと1つの方向に指を差した。それは、いま僕たちが立っている港の海の地平線。その指さした方向の先に、小さく点になって見える島がある。
「この港の向こうに見える離島。あれが、これから私達が向かう外国の島だよ」
「え… ん? 外国!? え、あんな近いところに外国が!? あれが!!?」
念のために言っておくが、ここは首都圏にある港町だ。九州地方にある、あの韓国に近い対馬ではない。なのに、そのわずか100km先にあるであろうその「小さな点」が、東京都所有の島ではなく1つの「国」だというのだ。僕は度肝を抜かされた。
「ん? 前に招待客の誰かが、アキラにその事を話したって聞いたけど… まぁいいや。このプライムという世界は、日本の八丈島や小笠原に位置する所に小さな外国が2つあるという、変な地形をしているんだよ。前回行ったコスモタウンみたいに、本来の世界には『そこにないはず』の街や島国が、この世界ではごく普通に、近くにポンと置かれたように存在する。それを、私たち招待客の間では『オリジナルフィールド』と呼んでいるんだ」
「えー。なんか、思ったよりとんでもない世界だな。ここ」
「あ、目当ての船が着いたよ。まずはあれに乗ろうか」
アゲハがそういったので振り向くと、港の桟橋に50人ほど乗れそうな船が1隻到着した。その船の機体には日本語の他に、英語、スペイン語、イタリア語など、幾つかの言語が並んで書かれている。乗り降りする人も、気持ちラテン系の人が多いような気がした。
僕たちはその船に乗り、出国確認のため乗務員の1人にパスポートを提示し、ハンコを押してもらった。こうして船が出発すると、それは物凄いスピードで大海原を駆け抜けていったのである。これから見学する南国の教育機関、セロ大学へ。
船に揺られ、果たして何時間ほど経っただろう?
無事に入港し、入国の証であるハンコを押してもらってから船を下りると、そこは日本の街とはまた一味違う、地中海にある様な街並みが目に入った。ここからは流石に言語が異なり、他に乗船していた人達も、日本から出る時とは雰囲気がガラリと変わる。これが海外か。
「レシヴァ国。もとい『ジェネリスタ島』と呼ばれている島国で、あのジョン・カムリやマリア・ヴェガが元いる世界では本来、イタリアのサルデーニャ島の近くにある島なんだ。だから、ここはラテン系が多い。人口は約80万人、特産物はシーフード全般。食べ物が本州より2倍近く安いから、帰りに缶詰とかを買って帰る人が多いんだよね」
「へぇ」
「おーい!」
と、ここでとある方向から、女の子の掛け声が聞こえてきた。ちょっぴりデジャブを覚える僕だったが、振り向くとその方角の先には、海岸沿いに建てられたカフェテラス付きの木造一軒家がある。海の家だ。そこから、1人の少女が手を振っている。マリアであった。
「ようこそレシヴァ国へ! 学校側から話は聞いたよ? 今日はセロ大の見学だってね」
僕たちがその海の家へと歩き、マリアとハグの挨拶をすると、マリアがそういって嬉しそうに家の中からリュックを取り出して背負った。彼女の服装は、白と黄の市松模様に紫のアクセントカラーという、特殊なセーラーをだいぶ着崩した感じの身なりをしている。挨拶といい立ち振る舞いといい、今までとは一味違う見学案内となった。これが文化の違いか。
「それよりどうセリナ? このプライムの生活にはもう慣れた?」
「どうだろう? まぁまぁ、って所かな」
「そうか。今回私が案内するセロ大は、時間内であればキャンパス内のどこを歩き回っても良いからね。学長から許可を貰っているから、全ての教室への途中見学も全然OK!」
「へぇ凄いフリーダムだな。そうだ。その学校にももしかして、招待客っている?」
「私含めて5人いるよー♪ …あ、でも今日シアンはハーバーでCMY理事会があって、セロ大には来てないんだったわ… まぁまぁ! 今日は思う存分楽しんでって! 帰りに2人の分の給食も用意するよう頼んであるから、それも食べてから帰ってね」
「あぁそうするよ。ありがとう… って、給食!? え、高校で給食!!?」
僕はこれまたぶったまげた。新しい招待客がこうして離島に来た事に大喜びであろうマリアの事だから、その気持ちを有難く受け止める気持ちで返事をしていたのだが、良く考えたら凄い話ではないか。アゲハが、その給食を楽しみにしているのだろう笑顔でこういう。
「今回、私達が行くセロ大は、高等部にレシヴァ国内でも珍しく給食の提供があるんだ。そこの海鮮料理は絶品だから、一度は味わっていった方が良いよ?」
へぇ本当にフリーダムでグルメな学校だな。本州の時とは全然違うや。なんて僕が心の中で思っている間にも、マリア先頭で歩いていったその先に、例の教育機関が目に入った。最初に行ったCS学園に匹敵するほど、かなりの規模がある巨大キャンパスである。
セロ大学附属高校。通称「セロ大」。
門を潜って中央の校舎には、この島国の国旗が建てられている。白基調に、左右の紫、そして中央には紫の三日月というシンプルな国旗だ。それに合わせているのだろうか、マリアの着用しているセーラーの肩掛けや左上腕のワッペン、そして校舎の壁に立てかけられている旗などは紫もしくは三日月である。どうやら、この国のナショナルカラーは紫らしい。
「あら。やっと来たわよ、あの3人」
「えぇ、こちらからも良く見えます。皆様、長旅お疲れ様です! ようこそセロ大へ」
その中央の校舎前には、マリアと同じカラーリングの制服を着用した男女が3人立っていた。よく見ると、黒髪のウェーブヘアである女の子は首にタイを結んでいる水兵デザインで、その隣にいる長いダークブロンドヘアの女子は半々模様のブラウス形式、そしてその中央にいる顎髭を生やしたダンディーな人は、少しチャイナテイストのある学ランっぽい服装だ。どうやら、この学校は生徒によって、制服のデザインに固有の特徴があるみたい。
「マリア、お疲れさま。今日はお二方、態々遠い所から見学に来て下さりありがとうございます。それで、あなたが新しく招待されたセリナさんかしら? はじめまして」
と、ここでダークブロンドヘアの女子が、僕に両手で握手を求めてきた。僕は快く「はじめまして」といいながら、ここはラテン系のノリに合わせ握手を交わす。黒髪ウェーブの子もそうだけど、この子メチャクチャ上品そうだな。もしかして、かなりのお嬢様とか?
「私、この学校に在籍している… エヘン! バニラです。ごめんなさい。新しい招待客にお会い出来ると聞いたので、つい、緊張しちゃって」
「あ、いえ」
「それで、ここにいる女性が私のいとこのシエラ。その隣に、彼女の付き人のバリーさん。私達3人は全員、あなたと同じプライムの招待客なんです。これからよろしくね」
「はい。よろしく、お願いします」
そういって、僕はバニラと名乗る美女に挨拶をした。こうしてセロ大の招待客が(ハーバーに行ってしまい不在だという1人を除き)全員揃ったところで、僕とアゲハは彼女達の案内のもと、校舎内へお邪魔する事になったのだった。
それにしてもこの学校、大学生も普通にいるからか、やけに人が多いな。マンモスか。
さて、気になる教室の授業内容だが、一言でいうなら「普通」。内装はどれも同じ白を基調とした講義室タイプであり、教師がホワイトボードに書きながら話した学習内容を、生徒達が静かに聞いてノートに書き写すという、ごくありきたりな風景だ。僕たちがそれを幾つも周って見てきている中、マリア、シエラ、バニラがそれぞれこう会話をしていた。
「この学校は一学年につき8クラスあるんだよ。そのうちの1クラス、最後の8組が全学年共通で『特進クラス』と呼ばれているんだ。国立だってのにね。毎年倍率が高いから?」
「一つの階の廊下に、学年ごとの教室がズラーっと並んでいるんだけど、その一番奥の教室がそうね。1本しか道がないから、毎回歩いていくのが大変だって、マリアがよく嘆くの」
「特進って、一般より学習内容が倍以上あるってきいたから、ついていくのが大変そう… でも、進学や就職で後々有利だから『来年こそは!』といって、敢えてそこを狙う一般生徒もいたりするんです。今日は不在だけど、同じ招待客のシアンがそうだったかしら」
なんて言っていたらもうお昼だ。学校のチャイムが鳴り、次に彼女達が向かった先は職員館の中にある談話室。そこでシエラとバリーが持ってきた配膳のもと、僕は中学以来の、他のみんなは久しぶりの給食を頂く事になった。
「「いただきまーす!!」」
その光景に、僕は目から鱗の展開だ。この学校で出される給食は2コースあって、献立表をもとに自分が好きなコースを事前に選んで登録するという、特殊なシステムが設けられている。それはまぁ良いとして、問題はその給食の量だ。高校生が食べる事を想定していてか、普通量で1.5人前かというほどの大ボリュームなのである。分かり易く言うと、カットされたフランスパンが丸々1本分に、チーズと小エビのサラダボウル、白身魚のムニエル(オリーブソースがけ)、ムール貝のオーブン焼き、大きめのプリン、そして500mlペットのジュースという、豪華なラインナップであった。うん、確かに海鮮ものが多いな。
「2人とも、すごい量だねそれ」
とアゲハが冷や汗気味に声をかけた先は、その更に上をいく光景だった。なんと、シエラとバニラの女子2人、その倍以上もの量が盛られているのだ。恐らく学校を休んだ人の分も貰っての量なんだろうけど、特にバニラの給食なんかはもう「給食」とはいえないほどの、パン5本にサラダボウル7個分もの量を1人で食べるというのである。まさかの大食いか。
「アゲハは逆に食が細いんだよ。私より少ないんじゃ、そりゃ伸びる背も伸びないでしょ」
「やなんね~! 日本人の食事量の平均を維持してるんだよ。健康のために」
といい、マリアに対して不貞腐れた態度で給食をいただくアゲハ。バニラがこういった。
「そういうマリアも、子供の頃はそんなに食べなかったじゃない? 今は肉も魚も克服して、色んなものをたくさん好んで食べるようにはなったけど」
「うげ…! む、昔は昔だよ。大人になって、味覚が変わったの」
なんて、まるで幼なじみさながら女子2人の微笑ましい会話が繰り広げられているが… うまい! ここの魚、確かに味が濃厚で、メチャクチャ身がプリプリしていて美味だ! 僕は海鮮料理を口にしたままつい目が点になり、周りの皆にも「お? やっぱりここの魚は美味しいでしょ?」と言わんばかり、嬉しそうな反応を見せる。僕は久々に教育現場で給食を味わうというこの懐かしさと、まるで高級料理店に来たかのようなその魚の美味に感動し、綻んだ表情でそれらを平らげたのであった。大食漢のバニラ達も、その後ちゃんと完食した。
「おや? 彼は、あそこで何をしているのでしょう?」
こうしてセロ大の授業見学(というよりはただのお散歩会)も無事に終わり、当校在籍の招待客一同による案内のもと、もとの海の家が近い港へ辿り着いたところで、髭を生やしたダンディーなお兄さんバリーがそう呟いた。その視線の先には一隻のクルーズ船が船舶しており、そこの乗務員らしきスーツ姿の男と、その専属らしい小太りシェフ、そしてその2人に何かを話しているハーバーリンネの制服を着た赤毛の男が1人、桟橋に立っていた。
「!…あの人は!」
その話かけていた赤毛の男は、キャミだ。長新で入学式があった日、僕の招待状を見てやけに疑問を抱いていた、あのサボり魔イケメンである。僕はそれを思い出し、ここはバリーとともにキャミの元へと歩いた。まさか、この国の一角で再び彼を見かけるとは。
「ありがとう。忙しい所、時間を取らせてしまってすまない」
キャミはそういって、そのクルーズ船の関係者2人に一礼し、その場から踵を返した。すると、その視線の先には僕とバリーの2人が立っている姿が目に入り、立ち止まる。
「お疲れ様です。例の、招待客探しですか?」
と、バリーが最初にそう笑顔で質問した。どうやらこの髭のお兄さんは、キャミがこうして学校をサボってその辺をブラブラ歩いている理由を知っている様だ。キャミがこういう。
「新規は、結局1人だけだ。安西若葉と協力しても、他に有力な情報は得られなかった」
と、かなり溜め息交じりである。こうしてキャミが再び歩き出し、レシヴァの市街地であろう方向へ行って僕らと対向する前に、バリーの耳元で彼はこう囁いた。
「今年のサーガライフは、いつもと何かが違うぞ」
バリーが、今のキャミのセリフを聞いて、数秒程考えるように視線が止まった。
今年は何かが違う? いったい、何の事だろう? 一応、今の小声は僕にも聞こえたけど、あいにく僕自身は今年が初めてのサーガライフなので、去年の事は全く知らない。それはそうと、バリーがふと我に返りキャミへと振り向いてこう叫んだ。
「本州へ帰らないんですか!?」
するとキャミは振り向く事なく、歩きながら
「今夜はここのホテルに泊まる」
とだけ言って、今度こそこの場を後にしたのであった。僕は彼の後ろ姿を見て、相変わらず不思議な人だな、と思ったものだ。バリーが肩をすくめ、次にこう呟く。
「ところで、女子たちはあそこで何の話をしているのでしょうね?」
「…」
アゲハは、僕たちがこれから乗って帰る便とは別の、南の地平線を眺めていた。夕焼けに染まった大海原を見つめるその目は、どこかもの悲しそうだ。
「おーい。そっちは本州じゃなくて、荒樫島だぞー。何ボケーっと眺めてんのさー?」
と、マリアがここでアゲハの前に手を上下ブラブラかざした。アゲハが呆然とした顔でマリアに振り向き、マリアと、その隣にいたシエラに心配そうな目を向かれる。
「そういえば聞いたわよ? あなたセリナを連れて、招待客が在籍する高校を全部回ろうとしているそうじゃない。で、今回のセロ大で6校目まで見学してきたと」
「うんうん! となると、最後の7校目は荒樫高って事だよね? そこ許可貰えたの?」
マリアが顎をしゃくってそう言うと、アゲハは何か諦めがついたかのように肩をすくめ、苦笑いで落胆した。僕もバリーも、その様子を少し距離のある場所から見届ける。
「…ダメだった。何度も交渉したけど、英治おじさんに門前払いされたよ… はぁー、最後の最後で壁にぶち当たっちゃったなぁ。せめてアキラには、7校全部見せたかったけど。宗ちゃんや礼治兄さんにも相談して、それでもおじさんには反対された。お手上げ状態だ」
アゲハ… だから彼女は、僕を率先的に他校の授業見学に誘っていたのか。僕はそれを知り、心が張り裂けそうになった。しかも今のアゲハは、元いる世界の僕と少し境遇が似ているような気がしたのだ。信頼を持たれていない親戚が、まさか彼女の身近にもいるとは。
それが、アゲハが見つめていたその地平線の先にあるであろうかの「荒樫」と呼ばれる島に住んでいるおじ、というわけだ。そう言われると、僕は益々その島の高校がどういう所なのか、少しばかり気になるのであった。マリアが「そうか」といい、シエラが腕を組む。
「仕方ないわよアゲハ。あそこはセキュリティが厳重で、私やバニラ、ジョナサンでさえ入校が難しい所ですもの。石油王のお孫さんや、超軍事大国の姫様が通うようなセレブ校なのよ? あなたが無理なら、セリナや他の招待客なんてもっと無理よ。国の存続がかかった子供達の命を預かっているような所なのだから、おじさまの言い分も分からなくはないわ」
え? ちょっとまって、そんな凄い金持ちの学校なの!? あぁなるほど、そりゃ簡単に見学できるわけがないわな。一般庶民の僕でもさすがにそこは理解できる。だからまぁ、もう生きている世界が違うという事で、僕はこれ以上贅沢を言わない様にしておきます。はい。本当はすっごい気になって仕方ないけど!?
ん? でもそうなると、その学校に在籍している招待客たちって、逆に凄くないか!? 一体、どんな人たちなんだろう? めっちゃ気になる。やっぱ物凄いキラキラしたラインナップなのかな? きっとみんな、相当な大物たちに違いない! だとするとこれは、寧ろ僕みたいなのが会えるチャンスなんて全然ないんじゃ…
「てゆうかアゲハ。今月末に、ファッジ文化ホールで招待客を集うパーティーをやるって、最近正式に決まったんでしょ? だったら、その日にセリナは荒樫の皆にも会えるわけじゃん。態々、今回みたいに見学しに行かなくても良くない? いや、別に来て欲しくなかったとかじゃないけどさ!? 寧ろ嬉しいけども!」
「アゲハー! 船が着いたわよー!」
と、遠くからバニラの掛け声が聞こえてきた。僕達がこれから乗る、本州行きの船が港に到着したのだ。それをずっと見張っていたバニラのお蔭で、僕もアゲハも逃す事なく搭乗時間に間に合わせる事が出来たのであった。僕たちは気を取り直し、セロ大の招待客たちと別れの挨拶を交わした。
「今日はありがとね~♪ また今月末、本州で会おうよ!」
「セリナ少年と、また文化ホールのパーティーで会えるのを楽しみにしております」
「2人とも、気を付けて帰ってね」
「ごきげんよう」
僕たちは「ありがとう」といい、その船に乗ってマリア達と別れを惜しんだ。
僕の元いる世界には実在しない南国、レシヴァ。屋外授業で初めての海外だったけど、いろんな発見があって楽しかったな。特に、給食は良い思い出になった。船が出港した後も、アゲハは少し物寂しそうにしながら、僕には笑顔で「お疲れ様」といってくれた。
さて。まさかのセレブ陣と、今月末にパーティーで会えるという夢にも思っていなかった展開だ! まさに朗報。僕はその期待を胸に、今日1日のプライムでの生活を締めくくった。だがこの後の、元いる世界での家裁直行は正念場だ。だけど、今の僕には起死回生のリアグラムペンがある。あれを上手く使って、無事に突破できる事を祈るばかりである。
【第4話に続く】