朝。
日が明けて目が覚めた。どうやら昨晩は知らない内に眠ってしまったらしい。
二回目の、この部屋での目覚めである。窓の外では、これでもかと太陽の光が差していた。
昨日、購入したばかりの時計を見ながら起き上がる。時計は朝の時間を示していた。
シーツで膝を滑らせて、冷たい床に足をつける。あくびをすると、小鳥のさえずりが聞こえた。
一階が騒がしい気がする。小走りの足音や、がちゃがちゃと物が触れ合う音がする。
エルネジュアが忙しくしているようだ。何か、用事があるのだろうか。
ティリアは顔を洗うためにも一階へ降りる。真っ先に向かった洗面所には、水を生み出す魔法薬が一瓶だけ置かれていた。
それを使用し、桶に水を溜める。揺れる水面に写る、自分の寝ぼけ眼をじっと見つめた。見つめながら、桶に顔を近づけて顔を水に沈めた。
顔を洗ってからは、さっきまで眠気があったなんて嘘のようだった。今朝ほど気分がいい一時は珍しい。
朝食目当てに家を歩いていると、急ぐエルネジュアと出くわした。もちろん、ティリアが先に挨拶をする。
「おはようございます」
「おはよう」
エルネジュアは朝だというのに、額に若干の汗を蓄えていた。手には箒と布巾が握られている。
「朝ごはんは置いてあるから、ゆっくりと食べてね」
それだけ言うと、エルネジュアは先へ行こうとする。行く先は、家の正面のようだ。
どうやら今日はお店を開けるらしい。お店とは、エルネジュアが営んでいる魔法薬店だ。《雨の日に巡り合う》という名前のお店。数日に一度だけ開けるようだ。
ティリアはエルネジュアの力になりたいと思っている。しかしお店に関しては全くわからない。
魔法薬店というが、魔法薬とは一体なんだろう。
ついさっき洗面所で使ったばかりだが、全容は伺い知れない。
ティリアが手伝おうとしても、邪魔になるに違いない。魔法薬に関しては間違いなく邪魔になる。
しかし掃除ならどうだろう。箒と布巾を代わるくらいならできるはず。掃除なら、朝飯前である。
「エルネジュアさん、掃除なら私がやりますよ。これでも得意なんです」
だが、エルネジュアは首を左右に振る。
「ありがとう。でも大丈夫。時間に追われているわけじゃないから。自由にしていて」
エルネジュアは布巾を持った手を振ると、さっさと扉の向こうへ行ってしまった。
追って掃除用具を奪うならできる。しかし強硬手段が手伝いになるかは怪しいものだ。不興を買うだけになりかねない。
ティリアからすれば残念であるが、あきらめて食事をするとしよう。掃除がしたくて堪らないなら、自室や階段、廊下や他いろいろと掃除できる場所はたくさんある。そちらに手を出せばいい。
エルネジュアが忙しくしている間に掃除をしてみてはどうだろう。お店を開けている間に家中が綺麗になったと知った、エルネジュアの顔を想像すると、つい笑みがこぼれてしまう。
何をするにしても、まずは食事が先である。ティリアはエルネジュアとは逆方向へ進むのだった。
ティリアほど、ぐうたらな生き物は存在しないかもしれない。朝食を終えたティリアは、椅子に浅く腰掛けて背もたれに首を乗せていた。天井を見上げながら口を開けて、降る埃を食っている。
暇が恐ろしい。食器の後片付けはしたが、他にやることがない。
掃除をしようと考えていた。しかし道具がどこにあるのか不明だった。どの布を雑巾として使っていいのかも謎だ。
やたらめったら引き出しを開けて、それらしき物を探してみてもいい。しかしそれでは空き巣のようである。
エルネジュアとの間にはまだ壁がある。同じ家系図に名前が載る間柄だけど、初めて顔を合わせてから、まだ三日しか経っていない。好き勝手に戸棚を開けて、中を漁るには抵抗があった。
ならば、お店まで行って道具の場所を訊けばいい。そう思いながらそうしない理由は、仕事の邪魔になるのではと懸念したからだった。
邪魔をしたいのではない。役に立ちたいのだ。
エルネジュアは『自由にしていい』と言った。しかし無理である。どこかにエルネジュアにとって見られて困る物があるのでは、と考えるともう棚は開けられない。
八方塞がりのティリアは、ゆっくりと時間が流れる朝の一室で座っている以外には、何もできなかった。
ティリアは延々と銅像の真似をできるほど我慢強くはなかった。何かをしようと立ち上がる。
とりあえず本でも読もうか。本棚に刺さったものなら、気兼ねなく手に取れる。
そう考えて隣の部屋まで移動しようとしたところ、慌ただしく足音がした。
お店の方向からだった。ティリアは何事かと確かめに行きたい気持ちになる。お店の扉が開き、そして閉まる音がする。それからは静かなものだった。
エルネジュアの邪魔はしたくない。しかし今の音は気になる。明らかに慌てたような足音だった。何かが起きたのだ。
少しだけ、お店を覗き見るなら許されるのではないか。扉をわずかに開いて、狭い隙間から盗み見るのだ。
状況を判断して、手伝えそうなら顔を出そう。無理ならそのまま引き返す。
本がどうでもよくなったティリアは、お店へ向かうのだった。