本当はないお店。
あれ? こんなところに扉なんてあったっけ。
初めて来たお店だが、ティリアはどの服を買おうかと悩み続けて何周も店内を歩いた。隅から隅まで見ていたつもりだった。
それなのに、この扉は初めて見る気がする。扉の正面には邪魔になるような物はない。隠れていないのに、初めてそこに扉があるのだと気がついた。
不思議な気分だ。その扉は世界の中心にあるような、引き込まれる感覚がある。
どこに通じているのだろう。興味が湧いて止まらない。
気がつけば、ティリアはドアノブを握っていた。ゆっくりとドアノブをひねり扉を開けると、冷たい風が漏れてくる。
扉の先にはお店があった。何を売っているお屋かはわからない。
雑多に物が並べられている。まるで倉庫のようだった。
なぜ、ここがお店だとわかったのか。理由は正面にあるカウンターに、店員さんがいたからだ。
店員さんは大きな雑誌に目を落として、顔はよく見えない。メガネを掛けているくらいしかわからない。その眼鏡も真っ白に光っていて目は見えなかった。
落ち着いた店内だった。空気感が枯れ葉のような色合いをしている。宙に浮いた糸埃は、水に立つ細かい泡のようだった。
お店の壁には大きなガラス窓がついている。その窓は、外が明るすぎるのか真っ白で何も見えなかった。お店の外が眩しいくらい明るいのに、店内では薄暗さを感じる。
フィシス大広場は人でごった返していた。耳が痛くなるほどの喧騒だった。しかし扉をくぐると、その騒がしさはどこかへ消えている。
店内を歩く。狭いお店で、ティリアはたった一人のお客だったのに窮屈だった。
置いてある物はほとんどガラクタのようだった。汚れた何かの金属部品、角が丸くなった彫刻、色あせた絵画、二つに割れた水晶玉。紙で作られた魚。七色のティーセット。
どの商品にも興味はわかない。しかしどうでも良いと言うには、奇抜で目が惹かれる。
店内を一周してみると、一つの物に目が留まった。それは大きなガラス球の中に、小さなガラス球が浮かぶ、小さな置物だった。
内側の球は白と黒の二色に分かれている。外側の球には何やら不明な文字が浮かんでいた。その文字は黄色い光の線で描かれている。時が経つと、その文字は違う文字へと姿を変えた。
持ち上げてみると、思ったとおりの重量が両手にかかった。
おそらく、見た目から察するに魔法具である。魔法が掛けられた道具だ。浮かぶ文字は、魔法で記されているものだと思われる。
「あの、これは一体なんですか?」
カウンターにいる店員さんは、雑誌に目を落としたまま答えた。
「時計だよ」
「時計?」
「時間を測る道具さ」
「じゃあこの文字は、数字なんですか?」
「とある時代にある地域で使われていた数字だ。欲しいなら、読み方を教えよう」
時計か。球状の時計は初めて見る。
ティリアは時計を見つめた。不思議と懐かれたような気がする。相手は時計だ。この感覚は間違いなく勘違いだが、ティリアは自覚しながらその感覚を受け入れる。
「じゃあ、これください」
伝えると、店員さんが雑誌の端を破いて、そこに文字を書き始めた。その雑誌の端をカウンターに置く。
「これが読み方だ」
それだけ言うと、また雑誌に目を戻した。
ティリアは時計を、購入したばかりの服と一緒にした。そこに雑誌の切れ端も落とす。
なかなか不思議なお店だった。また機会があれば来てもいいかもしれない。
「ありがとうございました」
店員さんにそう伝えてからお店を後にする。店員さんは最後まで雑誌に目を落としたままだった。
お店を出ると、また衣料品店に戻る。雑踏も聞こえてきた。
もう用もないし、今度こそ隣のカフェへ行こう。ティリアは衣料品店から外へ出る。
最後にふと店内へ振り返った。そこかしこに服が敷き詰められていて、隣へ繋がる扉はどこかへ消えていた。