茶色い木の扉だった。
日が明けて、朝食も済んだ。昨晩から予定されていた外出の準備を進める。
街の中心部への買い物だ。楽しみで仕方がない。昨晩、興奮が冷めて眠れた自分が信じられないくらいだ。
準備を終えて下の階に降りると、白いティーカップを傾けるエルネジュアが待っていた。
エルネジュアはティリアのおめかしに気がつくと、すぐにカップをテーブルに置く。
「それじゃあ、行きましょう」
南中央通りを北上して、町の中心へ向かう。歩きながら、どんな物を買おうかと妄想をふくらませる。
ティリアが予定している買い物リストは主に衣服だった。
以前から着ている服はある。しかしその服が、この町に相応しいか疑問だった。気分に合わせて新しい服が欲しいだけ、とも言う。
エルネジュアは何を買うつもりなのだろうか。訊けば教えてくれるに違いない。
「買う物? 魔法薬の材料と、他にも日用品とかいろいろとね」
どうやら帰りは大荷物になりそうである。ティリアは、両手いっぱいに袋を抱えながら帰る覚悟をしたのだった。
ふたりで歩いて、ランティア町の中央広場に向かった。その広場は、フィシス大広場と言う。
東西南北に伸びた中央通りがぶつかる広場である。中央広場と言っているが、本当は町の東側にずれているらしい。
ティリアは初めてのフィシス大広場に足を踏み入れる。右も左も人ばかりで、お祭りでもやっているのではと勘違いをしてしまった。
フィシス大広場では多くのお店が並んでいた。あちこち気になり目が泳ぐ。
あちらこちらを見ようとも、人ばかりで高く掲げられた看板が見えるくらいだった。すぐ目の前には人がいる。霧よりもずっと視界が狭い。
どこに何のお店があるのか、知っていれば歩ける。しかしティリアにはその手の知識は皆無だった。
できれば一軒ずつ、お店を回りたいところである。しかし人の多さと圧倒的な広場の面積を考慮すると、全てのお店を回りきるには日が落ちても時間が足りない。計算するまでもないくらい明白だった。
ティリアは服を買いにきたのだ。最優先は衣類である。
だからその手のお店はどこにあるのかと、エルネジュアに質問をする。すぐに案内してくれた。
一軒のお店の前で立ち止まる。
「ここはどう?」
案内の先には、可愛らしい服やちょっとセクシーな服が並ぶお店があった。
宝石店と間違えるほど華やかで美しい。誕生日パーティーをするかのように、飾り付けられた子供服売り場が特に目立っている。
ティリアが知っているお店とは、ボロ屋に棚を敷き詰めて、並べた商品に直接値札を貼り付けるような粗雑なお店ばかりだ。だからとても新鮮だった。
感嘆の声を漏らしても、誰が責められようか。
「わぁ!」
「案内をした甲斐があったのかな?」
「エルネジュアさん、ありがとうございます」
浮き立つ心はもはや止まらない。
「このお店、見てもいいですか?」
忠犬が飼い主にするように、ティリアはエルネジュアに振り向いた。その目には、世界すべてを肯定するような輝きがある。
エルネジュアは仕方がないと頷いた。
「じゃあ、その間に私は私のお買い物を済ませちゃうから。終わったら、ここの隣のカフェで合流しましょうか」
ティリアが興奮した衣料品店のすぐ横にもお店がある。食べ物や飲み物を出すお店だった。ここも感動せざるを得ないほど、精錬された上品な雰囲気が漂っている。落ち着いた色合いで、時間を忘れられそうなお店だ。
ティリアはエルネジュアと別れる。それぞれ自分の買い物をするのだった。
広場についてはよく知らない。初めて来た場所である。どこに何があるのか全く知らない。エルネジュアが向かった先にあるお店もわからない。
好き勝手に歩き回れば、迷子になるはずだ。だから、今自分がどこに居るのかをしっかりと把握しなければ。衣料品店とその周囲から離れなければ迷いはしないだろう。
ティリアは衣料品店に足を踏み入れる。初めて見るような服ばかりだ。
無地の衣類はとても少ない。どれも模様や凝ったデザインで、それぞれから違った印象が得られる。
ティリアは正直困っていた。どの服も魅力的なのだ。だからって、全てを買い尽くすような資金はない。買えたとしても、仕舞う場所がない。
この中から選ばなければいけない。自分が着たい服を探すのだ。
人生の岐路に立ったかのように真剣に悩む。どれくらいの時間、服の前でうなり続けていたかはわからない。
苦悩の果に、ついに一着の服を掴んだ。日常使いしやすく、値段も手頃な服だった。
すこし派手に思える服だった。しかし広場を見てみれば、同じくらい派手な装いの人が多く見られる。そういう意味では町に溶け込めそうな服だった。
お会計を済ませる。さあ隣のカフェに行こうとしたところだった。服が並ぶ店内に一つの扉を見つけた。どこにでもありそうな、茶色い木の扉だった。