野菜炒めは美味しかった。
「ごちそうさまでした」
食事を終えて息をつく。初めてのエルネジュアの手料理は、慣れない味付けでよく舌に染み込んだ。
椅子の背もたれに体を預けて、満ちた食欲の余韻に浸る。満腹なんていつ以来だろうか。いつもは食べる量を制限して小腹を空かせるのだけど、今日はタガが外れて限界まで食べ続けてしまった。
これも全て、料理が美味しかったのが悪い。
今日くらいは理性に従わなくてもいいだろう。一日、少し食べ過ぎただけなら、きっと太りもしないはずだ。
ティリアは幸福を顔に浮かべていた。心地よい夢でも見ているようにほくそ笑む。
「ただの野菜炒めで喜んでもらえてよかった」
「いやいや、ただの野菜炒めって、こんなに美味しい野菜炒めは初めてですよ」
「大げさすぎ。舌が慣れていないだけでしょう。あまりお世辞は言わないように」
「お世辞じゃないですって。私、演技できませんもん」
「本当?」
「エルネジュアさんの料理なら、いつでも食べますよ」
「満足してもらえたなら良かった」
エルネジュアは立ち上がる。机に広げられた、汚れた食器に手をかけた。皿を重ねて流し台に向かう。きっと食器を洗うつもりだ。
ティリアはそうはさせまいと立ち上がった。
「あっ、後片付けは私がやりますよ」
「いいから、座っていなさい」
エルネジュアは譲る気がないようだった。あっという間に流し台で洗い物を始めてしまった。
今からティリアが洗い物をしようと思えば、力づくで奪い取る以外にない。しかしそんな手段は誰も望まない。ティリアは椅子に座って、エルネジュアの洗い物を見た。
エルネジュアは魔法を扱う。魔法で水を操りながらの洗い物は芸術的だった。
操られた水は皿を撫でるたびに汚れていく。次々と汚れを奪っていく水は、汚くならなかった。魔法の力で、汚れが沈殿していくように、綺麗な水と汚い水で二分される。
最後には目の細かいフィルタを通して濾したかのように、汚れだけがほぼ個体になって落ちる。綺麗な水だけが残り、再度皿を撫でるのだ。
ティリアでは決してできない洗い物の方法だった。ティリアは全く魔法を使えない。今まで使いたいと思わされる経験すらなかった。初めて魔法に魅せられる。
見惚れている間に、洗い物は終わってしまった。
エルネジュアには、色々とお世話になってばかりだ。部屋を貸してくれて、食事まで作ってくれた。洗い物まで任せている。少しくらい働かなければ悪気を感じてしまいそうだ。
役に立てないだろうか。
しかしティリアには役に立つ方法が何も思い浮かばない。
エルネジュアとは今日初めて会った。手紙でのやり取りはあったけど、彼女がどんな人なのか、知らない面が圧倒的に多い。何をすれば喜んでもらえるかも検討がつかなかった。
だから、すぐに転がり込んできたチャンスに飛びつくしかなかったのだ。
エルネジュアは洗ったばかりの食器を魔法で瞬時に乾かすと、それを仕舞う。ついでに食料庫に顔を突っ込んでいた。
「お昼は余り物でなんとかなったけど、残り少ないか。これからは二人分だし」
「買い物ですか? 私が行きます!」
ちょっと声を出しすぎただろうか。エルネジュアが肩を飛び上がらせて振り向いた。
「でも、まだティリアさんはこの辺りわからないでしょう?」
全くもってそのとおりである。買い物をするには、お店の場所を知らなければいけない。
しかしティリアは町のつくりをまるで知らないのだ。知るはずがない。この町に来てまだ、いくらも経っていないのだから。
それでも諦めずに手を挙げる。
「食後の運動にも。道を知るためにも私が行きます」
ティリアの目に宿った決意は圧倒的だった。論ではへし折れないと、エルネジュアに諦めを覚えさせる。
「じゃあ、ふたりで行く?」
しかしそれでは意味がない。ティリアの一番の目的は、エルネジュアの手助けだった。道案内という手間を掛けさせたくない。休んでいてもらいたいのだ。
ティリアは両手を机について立ち上がる。ぎらぎらした目には変わらず決意の火が灯っている。
一人で買い物に行けない理由があるとすれば、それは知らない土地だからだ。道がわからなければ、買い物なんてできるはずがない。
つまり道がわかれば、ティリアは一人でも買い物に行けるのだ。
「地図を借りられませんか?」
「地図? 探してみようか」
エルネジュアは一つの扉から隣の部屋に引っ込む。しばらく物音をさせた後に、紙の地図を手に戻ってきた。
「少し昔のだけど、まだ使えるはず。それとも手書きがいい?」
「道がわかれば十分です」
こうして、ティリアは地図を借りた。一人で知らない町に繰り出していく。