新しい家
手紙には、持ち主の元まで戻る魔法が掛けられていたらしい。その魔法によって手紙は風に飛ばされたのだった。
そういった話を聞きながら、ティリアは案内されるがままランティアの町を往く。重い荷物を背負ったまま長い距離を歩いた。もはやヘトヘトである。
歩き始めは周囲を見回して町を楽しむ余裕があった。しかしその余裕も長くは続かない。息が上がっている。汗だって、もうこれ以上は出ないくらいだった。
目的地はエルネジュアの家だった。これからティリアの家にもなる。
頑張った甲斐あって、ついにたどり着く。
「今日から、ここがあなたの家」
紹介された建物は、東中央通りの駅前で見た建物と比べたら、とても小さな一軒家だった。でも、立派な造りは変わらない。
一階部分がお店になっている。正面には大きな窓ガラスがついているが、今は内側から白色の幕が下りていて中は見られない。
物音が遠く、静かで落ち着いた雰囲気。聞こえる音といえば、道沿いに流れる水路の水音くらいだった。
お店も、その周りの家も落ち着いた色合いだ。空の青、隣家のプランターから伸びる緑色の植物たち。鳥がさえずる。
「素敵なところですね」
ティリアは深く息を吸い込む。つま先が伸びて、かかとが浮いた。
どこかのご飯だろうか。バターの甘い匂いがした。
エルネジュアがティリアを誘う。裏から入ろうと、お店のすぐ隣にある狭い隙間に体を差し込んだ。
しかしティリアは続けない。満腹のお腹のように膨らんだ鞄が蓋になって、狭い隙間を塞いだからだ。
ティリアは狭い隙間に鞄を引き込もうとする。ぐいと引っ張ってみるが鞄が破れるような音がするだけだった。
「通れません」
言わずとも、エルネジュアもわかっていた。ティリアの先で振り向いて、膨れた鞄を呆れたように見る。
エルネジュアが鞄に指先を向けた。ティリアにはその指先に虹がかかったように見えた。
その瞬間、鞄が軽くなる。ティリアが振り向いてみると、巨大怪獣の卵のように膨らんでいた鞄は背中に収まるくらいの大きさに変わっていた。
エルネジュアが何かをした。それは明白である。
「何をしたんですか?」
「魔法」
それだけ言うと、エルネジュアは狭い隙間を抜けて奥へ行った。
狭い隙間から家の裏手に出る。いいや、裏手と言うと語弊がある。家はロの字型の建物のようだ。ティリアとエルネジュアが狭い隙間を抜けた先は、天井がない中庭だった。白い雲がよく見える、家の中央部分だ。
小さくなっていた鞄は、狭い隙間から出たらすぐに元の大きさに戻ってしまった。
「お店を開けているときは正面から入ってもいいけど、一応こっちが玄関だから」
エルネジュアが示したドアは白かった。うっすらと文字のような記号が浮き出て見える。
どうやらこの文字は魔法らしい。魔法で施錠をしているのだとか。
エルネジュアがドアノブに手を置くと、浮かんでいた文字がすっと消えた。
ちなみに、ティリアの鞄はあまりにも大きくて、ドア枠も通ってくれなかった。
家に入り、部屋まで案内された。二階にある東側を向いた部屋だった。
入ろうと思えば五人でも入れそうな広さで、一人部屋にするには少々広い気がする。エルネジュアはティリアに、その部屋を自由に使うように言った。
「じゃあ、私は下にいるから」
そう言って、エルネジュアはドアの向こうへと消えた。
部屋には必要最低限の家具が揃っている。シングルベッドと胸元くらいまでの衣装箪笥、引き出しがない机とちょっと高めの椅子。これだけだ。隙間ばかりで、とても広々と感じられる。どれも木目が刻まれていた。
ティリアは大きく息を吸う。木の匂いが全身に溶けるように満ちた。初めての一人部屋についつい笑みを隠せない。
大きすぎる鞄をゆっくりと下ろし、窓辺に寄った。四角い窓は下から押し上げるような仕組みだ。
窓から上半身を乗り出すと、ランティアの町の東側がよく見えた。どうやらここは高台にあるらしい。
ティリアは家々が立ち並ぶ見晴らしに見惚れた。すぐ正面の緑色の屋根。その奥には無数の小さな屋根が並んでいて、たまに風車が回っている。より遠くには森があった。
空まで邪魔する影はなく、朝でも夜でも空がよく見えそうだ。吹き込んでくる風も川のように涼しくて心地よい。
今日からここが我が家である。まだ知らない町。エルネジュアに案内してもらった道以外は何も知らない。
きっとこれから、どんどん知っていくのだ。そうして季節が一回りした頃には、この町の一人として落ち着いている。きっとそうなっている。
そのときが楽しみでならない。
ドアを叩く音を聞いて、ティリアは窓から顔を引き戻して返事をする。
「はい!」
「食事はどうする? 食べるなら二人分を用意するけど」
「いただきます!」