無感情と無表情
コンコン。
灯りはランタンのみで、薄暗い部屋の中で僕はある本を読んでいた。時間は余り気にしないタイプで、何度も夜明けを経験しては寝不足を繰り返す。そして決まった時間に木製のドアをノックしてくるのだ、そこで僕はようやく今が何時なのか確認する。
「しまった……またこんな時間か」
小さな機械から光が放出し、現在の時刻を秒単位で刻んでいる。深夜も超えて今は夜明け前となっていた、読書は僕にとって趣味であり勉強だ、本は常に頭の栄養素として良い刺激を与えてくれる。
どんなに古い書物でも僕は手に取る、そこにどんな歴史が書いてあるのか、どんな世界が広がっているのか、それを読み解き進めていくのが堪らなく好きだ。
「失礼します。マスター、活動限界を超えています」
「あぁ、わかっているよ。君が来たら寝ようと考えていたところさ」
彼女は感情を表に出さない……いや、感情を知らない。だから表情で様子を見る事は不可能だ、怒っているのか呆れているのか、僕にはそれがわからない。でもこうして『声』を聞ける事がここまで……ここまで嬉しいとは思いもしなかった。声が、足が、腕が、呼吸が、人間にとって当たり前な事を嬉しく感じている。
ここまで来るまでに何年掛かっただろうか、その声を聞く為にどれだけ朝を迎えただろうか。僕は25歳になり大切な家族を連れて孤児院を出た、院長には凄く感謝している。ずっと僕のワガママに付き合わせてしまい、時には暗くなってしまった僕を励ましてくれた。院長は大切な家族の一人だと、ずっと思っているし声にして他人に自慢したい。
エル……君にも人間の幸せを必ず与えてあげるから、これからも離れずに居て欲しい。こんな台詞を口にしたら笑われるかもしれないな、感情が無くても君がどんな気持ちなのか、不思議と分かる気がするよ。
「マスター?」
「あぁ、すまない。それよりその『マスター』と言うのはどうにかならないのかね?」
「貴方が私を生んだ主です。なのでマスターです」
魂……いや、作り物の心を宿した時から、彼女は僕をマスターと呼ぶ様になっていた。ずっと名前で呼べと伝えて来たが、
「はぁ、君は些か頑固過ぎでは無いかね?」
「きっと誰かに似たのでしょう、育てた親によく似ると……そんな風な事が書物に載っていました」
僕は親になったつもりは無い、かと言って兄妹になったつもりも無い。家族と言っても血縁関係とかそんな形にこだわりは無い、僕はただ深い繋がりと支え合える関係で居たい。これを言葉にするのは難しいものだ、これは目に見えない何か別の意思なのだろう、それが何かはまだ分かりそうにない。
彼女の身体は僕が作った『フラクトボディ』だ、人間に近い皮膚や髪はただ触ったり見ただけではわからない。さらに言えば、ロボットの様な動く度に軋む音やぎこち無い動作は全くない。様々な動物の皮膚や毛並みを一から選別し、ここまで完璧に仕上げたのだ。
だが身体が完成しても魂は宿らない、あの時院長から『渡された物』が『エル』に命を与えた。今から数年前、僕が作ったフラクトボディとは違うドールが世界に量産され、そのドールには『メンタルコア』が組み付けられた。
メンタルコアは作り物の心、人工的に命を作り出し空っぽの人形に生命を宿すエンジン。メンタルコアを作り出すには『魔導石』が必要になる、魔導石は強い魔力を秘めていて、5年間は石から粒子を放ち続けると言われている。その流れ出る粒子を何かに使えないかと、ある研究者は色々な試作機械を作りテストを開始した。
研究者は魔導石を機械の動力源として使用、機械は魔力を供給し見事動かす事に成功した。電力や燃料など使わなくても、新たなエネルギーにより暮らしをより豊かに出来る、研究者はそれらを世界に広めて周り、今この世界はハイテクノロジーにより大進歩した。その魔導石の魅力にとある会社が目を付けて、暮らしをサポートするロボットを作ろうと提案し、ライフサポートロボットの開発を進めたが、機械ボディでは動きが人間のそれとは程遠く、開発は難航し失敗の連続を繰り返した。
だがそんなある日の事、そこで働くスタッフが女の子が遊ぶ人形を持って来ていた。どうやら子供が悪戯で鞄に忍ばせていたらしく、何となく手に取って適当に動かしていた時だった。機械とは違い油を指す必要もなく、可動範囲に制限も無く、カクついた動きもしない……閃いたスタッフは直ぐに開発担当に提案した。
その発想と閃は世界をさらに動かす事になった。人と同じくらいの身長に作られた人形に、少し砕いた魔導石を可動する場所に埋め込み、最後は心臓の位置となる真ん中に少し大きめの魔導石を入れる。すると、人形は突然ゆっくりと動き出した、もちろんただ動くだけでウネウネとしていたが、それでも飛躍的な開発に成功したのだ。
そして魔導石をさらに改良を加えて、丸い手のひらサイズのボール型へと整えられ、最新鋭のコンピュータによりプログラムが刻まれてメンタルコアが誕生した。当時の開発者は『これを各施設や家庭へ』と、再度テストされた安全なメンタルコアを無料で配布した。
そのメンタルコアは孤児院にも届けられた。院長はそれを使用せず、ずっと引き出しの中に保管していたようだ。つまり、僕が院長から渡された物とは『メンタルコア』の事だ、どうして使わずに置いていたのか理由が気になった僕は、『これを使えば楽が出来るのに』と言ってしまった。院長夫婦は歳をかなり重ねている、孤児院の仕事がかなりの労働である事はもちろん知っていた。
これ以上苦労しないようにサポートして貰えばいい……僕はついそんな言葉を掛けてしまった。怒られるだろうか、そう思っていたが、
『ユーリ君。君は好きな何かを誰かに取られたらどう思う?』
その時に僕は気付いた、孤児院は院長達が好きでやっている事だと。誰かに頼まれた訳でもなく、院長夫婦が『やりたい』からやっている事だと。
『怒るよりも寂しいとか、悲しい気持ちになります』
『そう言う事だよ。そして、これは私から……いや、神様が君には必要な物だと言っているみたいだね?』
布に包まれていたメンタルコアは、傷一つ無く淡い光を放っていた。僕はそれを手にすると、頬を涙が伝い、コアにポツっと落ちた。嬉しいからか悲しいからか、僕はまだそれをちゃんと理解出来なかった。
やっと君の声が聞ける、やっと君と会話が出来る。もう何年もずっとずっと待ちわびていた。ついにその時が来たんだと、僕はベッドに寝かせてある『人形』を抱き寄せる。
『さぁ。大事な家族を迎えてあげなさい』
『エル……』
こうして僕は、エルと初めて声を交した。ロボットの様な起動音は無い、まるで長い眠りから冷めたお姫様の様に、ゆっくりと瞼を開けて僕を見つめながら……
「マスター?」
「あ、あぁ……すまない。少し昔の事を思い出していたよ」
そう、今のように彼女は僕をそう呼んでいた。




