ズシン!
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ねえねえ、つぶらやくん。私、疑問なんだけどさ、どうして高いところから落ちても、アリが死ななかったわけ?
いや、理科室の掃除をしていて棚の上を雑巾がけしていたら、アリンコを見かけたわけ。つい反射的に雑巾で蹴散らしたら、ぽーんと飛んで床へ一直線。そのまま叩きつけられのよ。
でも、アリの図体を鑑みたら、棚の上から床までって、私たちでいうところの高層ビルから飛び降りた感じっしょ? 私たち人間が高層ビルから飛び降りたら、まず死んでいるだろうに、どうしてアリは無事なのかなあ? と思ったわけよ。
――ふむふむ、アリ自身の質量と、空気抵抗による衝撃力緩和のせい?
ははあ。端的に言えば、アリほどの軽いものが落ちたら、発生するエネルギーが少ないってことね。
いやあ、私って理系の知識がてんでダメだから、勉強になるわ。たとえ今、話してくれたことが大げさだったとしても、それはそれで感心しちゃう。
高いところからの飛び降り。映画とかで見ると派手だけど、私としては「体張ってるなあ」と不安の方が先立っちゃうわね。同じようなことをする友達が、身近にいたからね。
――え? その友達の話はどんなかって?
はあ、あんたってそういうとこにも食いつくわけ? まあ、時間があるから聞きたいならいいけれど。
つぶらやくんの家の周りには、「土留め」や「擁壁」といったものがあるかしら? 道路の途中で、土がむき出しの斜面の横を通る時とかに見かけると思う。地面からある程度の高さまで積まれた、石やコンクリートの壁よ。斜面が崩れないように、圧力を受け止める役割があるとか。
私たちの通学路付近にもいくつか見受けられた。そのうちのひとつの擁壁は、学校側から見て手前が低く、道路の先へ行くほど、じょじょに高くなっていく構造だったわ。
小学校低学年だった、当時の私たちの度胸試しのひとつに、「高いところから飛び降りられるか?」というものがあってね。たちまち擁壁たちはその挑戦の餌食になっちゃったわけ。
幼かったとはいっても、どれくらいの高さから飛び降りたら命が危ないかくらいは、理解している。学校の屋上とか4階の高さから飛び降りるとかは、考えなかったわね。そもそも校内でやるのは、色々な意味で危なすぎる。
学校から離れた場所、先生方の目に届かない場所こそが、私たちのテリトリー。いくつかポイントを作って移動を繰り返していたわ。
私たちの飛び降りのルールは、いたって単純。飛ぶと宣言したところから飛ぶ、ということ。擁壁は坂道だから、歩けば歩くほど足場は高くなる。自分で下をのぞき込みながら、この辺りだったらいけるかな、と見当をつけるの。
学校のように、階段できっちりフロアが区切られているわけじゃない。高さの判断を間違えたなら、怪我かそれ以上の惨事もありえる。なのに、多少の痛い思いを我慢しても続けられたのは、先の話に出てきた友達の影響かもしれない。
その子は誰よりも、高いところで飛び続けていた。私たちは擁壁の上を登りながら、文字通り、二の足を踏んでしまう地点で止まる。その場で壁の縁に腰かけて、コンクリートの道路との高低差を少しでもなくした状態で飛ぶ。邪道かもしれないけど、潔さが生命の危機を上回ることはなかった。
けれどその子は、私たちより一歩も二歩も先で飛び降りていたの。集まる子たちも、目的の半分くらいが、彼女のジャンプを見るためだったと思う。
メンツの中で一番小柄な彼女は、私たちがするような衝撃緩和策をとることなく、堂々とした直立姿勢。「行きまーす」と、飛び込み選手のように手を挙げて宣言。ぽんと飛んで、わずかに柔らかく宙へ浮いた後、その身体は地面へ向かって一気に吸い込まれていく。その間、秒にすら満たない。
彼女が両足をつく。かがみ込む。両手の指先もつけながら、固まってしまう。
私たちはかたずを飲んで、それを見守る。彼女は無事なのか? 今度こそ、怪我して動けないんじゃないか? その不安など無用といわんばかりに、ややあって彼女はその場で元気に飛び上がって、とんぼを切りつつ改めて着地。その様子に、みんなで拍手。
まるで体操選手とか、スタントウーマン。いや、彼女の場合はスタントガールかな。所作がものすごく曲芸じみていたの。
常に最高記録を誇る彼女の飛び降り地点に、私たちは小さくちぎった付箋をつけていた。そこに立って下をのぞき込むと、もう足がすくんじゃう。少なくとも、歩道橋の上とほぼ互角の高さだと感じていたわ。
それでも彼女はまだ不満のご様子。飛ぶたびに足をさすりながら「足りないなあ」と、何度もこぼしていた。ふせんの位置も、飛ぶたびに一歩一歩、奥の高い地点へ進んでいく。
「怪我するから止めなよ」という声も、当初から上がり続けているけど、彼女は首を横に振る。「自分にとって、最高のジャンプができていないから」っていつもそう話してたわ。
だけど、その遊びもじきに終わりを告げる。学校の先生から擁壁を使った飛び降りを禁止する旨が伝えられたの。私たちが遊んでいた各所に先生の見張りが立つようになってしまったわ。
車通りもそれなりにある場所だったからね。車を運転している先生が通りかかって、現場を目撃されてしまったのかも。私たちのテリトリーは、消えてしまった。
先生の前以外だと、彼女は露骨にイライラしていたわ。「もう、里帰りまで時間がないのに……」とぶつぶつ文句も言っていた。
夏休みに、実家に帰る予定があるみたいだったわ。彼女の飛び込みが見られるのも、これ限りかとも思ったけど、彼女は諦めていなかったの。
夏休みに入り、近所の公園で行われるラジオ体操に参加する私たち。スタンプを押してもらって帰る途中、公園の砂場脇に立つクヌギの木。そのてっぺんに生い茂る葉っぱたちが、がさがさと音を立てたの。
「鳥でもいるのかな」と思いつつ、私は集まったみんなと別れる。ここから一番遠い出口が私の自宅の方向で、その砂場の横を通らないといけなかった。私は樹を横目に見ながら通り過ぎようとしたけど、公園を出かけたところで「ズシン!」と音がして、砂場の砂が少し舞い散ったの。
原因は明白。砂場に降り立った存在のせい。そう、例の彼女だったのよ。
何度も見せた、かがみ込みながら両手と両足をつく姿勢。少し砂の中へ埋まりながら、彼女の身体はまたとんぼをきったの。コンクリートに比べて、安定しない砂の上にも関わらず、今まで見たものよりずっと高く、彼女は飛んだ。くるくると二度回った後、砂場の中へ足をつけてフィニッシュする。
彼女が砂を払いながらこちらに歩いてくるまで、私はぽかんとしていたわ。先ほどの木のざわめきは、おそらく彼女が木に登っていた音。そこから飛び降りて、この芸当をしとげて見せたのだと悟ったわ。
彼女はうつむき気味のまま、「もっと高くやらないと……」とつぶやくことしきり。そのまま私の横を通り過ぎそうな空気。
「大丈夫? あんなとこから飛び降りて」
声をかけてみる。仮にこの木のてっぺんから飛び降りたなら、これまでの擁壁を上回る高さからだったはず。
ようやく気づいたといわんばかりに、彼女ははっと顔を上げて私を見たわ。でもすぐに、いつも通りの表情を取り戻す。
「練習してたんだ。ほら、もうあそこらへんでできなくなっちゃったから」
「すっごく熱心だね。前にも言ったけど、体操選手とか目指したら? この歳でそこまでの動きができるって、信じられないんだけど」
「ん、今はいいかな。これって、私自身の『課題』みたいなものだから。もっと練習しないと、いけないんだ」
課題。もしかするとすでに、その手の話が来ているのかもしれない。邪魔になるのも悪くて、他にも軽く2、3話して、その場は別れたの。
それからも彼女はラジオ体操に参加せず、課題練習をしているようだった。遊びに出かける他学区の友達から、彼女が木から飛び降りる姿を見かけたと聞いたわ。その子たちも声をかけたり、心配したりしたけど、彼女は「課題」の一点張りで止めようとしなかったとか。
そうして8月も半ばに入ろうという頃。留守番をお願いされた昼間に、私は自宅の小さい庭に面した縁側でアイスをかじっていたの。
空を見上げると飛行機が一機、横切っていくところ。白い雲を吐きながら空のキャンバスを彩る様をぼんやり眺めていたけれど、それから数分後のことを、私は忘れないでしょうね。
飛行機がだいぶ動き、そろそろ私も家の中へ入ろうかという時。
「ズシン!」という音と共に、家が一瞬、大きく揺れたわ。同時に庭の真ん中に、先ほどまではなかった穴が空いている。
目をぱちくりさせる私。考えられることは、すごく高いところから、ものが落下してきたことだけれど、それは「もの」じゃなかったわ。
何拍か置いて、空いた穴から飛び出してきたのは、紛れもなく彼女だったの。土だらけで、服もぼろぼろ。でも血走った眼と殺気がこもった顔をしていたわ。
彼女の身体がまたとんぼを切る。これまでのように緩やかなものじゃない。何度も何度も、数えるのが追いつかないほど、速くて激しい。そのまま身体は浮かび上がり続け、あっという間にあの飛行機雲の中へ戻っていってしまう。
ヨーヨー。私はほんのわずかな間だけ見えた彼女の姿が、そう見えたの。ただ、庭に開いた大穴は底が見えないほど深くて、埋めるのに苦労したけど。
新学期。彼女は日焼けしていたものの、平然と登校してきたわ。私と顔が合うと近づいてきて、「ごめんね」と頭を下げる。「穴、ちゃんと埋まった?」とも。私は詳しい事情を尋ねようとしたけれど、彼女はただ一言、「課題で、里帰りだから」としか答えずじまいだったのよ。
彼女、あの時はどこまで飛び上がることができたのかしら? 彼女のいう「里」って、飛行機よりずっと高い位置にあるんじゃないのかな? 私はそう思っているの。