ダンジョンだ
「は? なんでー? 今からウチ歌うとこなんだけど」
ルナは王我に面と向かって文句を言える数少ない人間だ。
もし日向汰が同じことを言ったら、後遺症を負うレベルの暴行を受けるかもしれない。
ただ他の面々も、いきなり外に出ろと言われたことに少なからず困惑していた。
今は夕方の五時前だ。
まだあと一時間半くらいはカラオケを楽しむ予定だった。
彼らは馬鹿みたいにカラオケが好きなのだ。
それは王我も例外ではない。というかその筆頭なのだが、今は違うらしい。
「うるせえッ! いいから言うこと聞けやッ! 時間がねえんだよッ!」
このグループのリーダーは王我だ。
そして王我はこうなったら自分の意見を曲げない。
それはこの場の全員が分かっていた。
機嫌を損ねる前に、おとなしく従う方が賢明なのだ。
「チンタラすんなッ!」
みんなが立ち上がり、ルナも諦めてマイクを置いた。
「あーあ、せっかく面白くなりそうだったのにー」
ルナはまだ日向汰になにかを仕掛けるつもりだったらしい。
その顔はとても不満げだ。
頬を膨らませたり唇を尖らせたりして、ぶーぶー言っている。
日向汰は助かったような、邪魔をされたような、複雑な気持ちになっていた。
けれどこの場はお開きのようなので、とりあえずコップを片付け始めた。
ドリンクバーの返却口にコップを持っていくのは日向汰の仕事だ。
しかし後ろから王我に、尻を蹴り上げられた。
「急いでるっつってんだろうがクソボケがッ! んなもん放っとけやッ!」
蹴られた衝撃で、日向汰は手にした飲みかけのコップの中身をこぼしてしまった。
よろけながらも反射的におしぼりに手を伸ばし、机の下には飲み物がこぼれないように素早く拭き取った。
日向汰にしては機敏な動きで、それが王我には気に入らなかった。
再び尻を蹴り上げられ、さっきよりも強い衝撃が日向汰を襲った。
ソファに倒れ込み、痛みに耐える日向汰。
そんな日向汰の顔を王我は上から覗き込んだ。
「殺されてえのかテメエは?」
ガチの目だった。
日向汰は謝罪し、片付けを諦めた。
一行はカラオケ店を出た。
王我を先頭に、目的地も分からずみんなで走る。
「お尻大丈夫ー?」
最後尾を走る日向汰に、スピードを落としたルナが前から話しかけてきた。
「あ……うん、だ、大丈夫」
「あんなに思いっきり蹴らなくてもいいのにねー……でもヒナたん、オーガっちにケンカ売っちゃダメじゃんっ!」
言われなくとも、日向汰は王我に喧嘩を売るつもりなんて微塵もない。
ただあの行動が王我を怒らすなんて、分からなかっただけだ。
いつもいつも、王我の考えと行動は日向汰には全く理解できなかった。
「そ、れ、とー、ヒナたん。さっきのはツケにしといてあげるねー?」
残念ながら、ルナは日向汰の罪を忘れてはいなかったらしい。
そのツケは一体いくらになるのか、日向汰は怖くて聞けなかった。
「にっしっしー。ウチのパンチラは安くないぞ~?」
ならもっとスカートを長くして欲しい。
日向汰はそう思ったが、もちろん口には出せなかった。
ただ神妙に、うなずくのみである。
小走りの移動に信号待ちも含め、数分後。王我は足を止めた。
そこは立体型の月極駐車場だった。
ちょうどミニバンが一台出て来て、止まる。
その運転席から顔を出したのは、日向汰も知っている人物だった。
数分前までいたカラオケ店の、店長だ。
「おっさん、これ八人乗れんだよなあ?」
「ああ、乗れるよ」
「じゃあちょうどか。朝焼は別にいらねえけど、まあなら連れてくか」
助手席に王我、二列目に女子三人、三列目に残りの男子三人が乗り込んだ。
日向汰は三列目の真ん中だ。
「でさー、これなんなの? ウチらどこ連れてかれるわけ?」
「それ~わたしも気になる~」
「……おい、おかしなところに行くつもりじゃないだろうな?」
黒ギャルと白ギャルと女ヤンキーの当然の疑問を、しかし王我ははぐらかす。
「着いてから説明してやる。別にそんな遠い場所じゃねえよ」
「えーっと、僕もあんまり長く店を空ける訳にはいかないんだけど……」
「おっさんはただの運び役だから心配すんな。つーかいいから早く出せやッ!」
車が走り出した。
日向汰も少し不安には思ったが、大きな危機感はなかった。
なんだかんだで、王我があからさまな犯罪行為をしたのは見たことがない。
自分だけならまだしも、いつものメンバーが揃っているし、そんなに危険なことにはならないだろうと思っていた。
「なーんかオーガ君、ピリピリしてね? どしたんかね?」
右隣に座る茶太郎がこちらを向いて口を開いたので、一瞬日向汰は自分が話しかけられたのかと思った。
しかしその問いには、日向汰の左隣に座る男が答えた。
「――さて、な。……まあ確かに、普通ではないが……俺には子供が興奮して、はしゃいでいるだけのようにも……思えるがな」
もったいぶった話し方、長身痩躯に銀髪メガネの、条利計だ。
その風貌は、一言で表すならインテリヤンキー。
このグループに入ってまだ日が浅く、最近になって王我に気に入られた男。
だから日向汰は、計のことをほとんど知らない。
ただ、いつもひどく冷たい目で見てくるので、きっとあまり仲良くはなれなそうだと感じていた。
「……ここか? ずいぶん近えじゃねえかッ」
目的地は本当に遠くなくて、むしろかなりの近場だった。
まだ走り始めてから数分しか経っていない。
王我ですら予想よりだいぶ早く着いたようで、少し驚いた反応を見せていた。
というか、反応から見て王我もここには来たことがないらしい。
そこは住宅街の中にある、小さな寂れた公園だった。
しかしなぜこんなところに来たのか、やはり王我以外には意味不明だった。
彼らは高校二年生。公園の遊具で無邪気に遊べる年齢ではない。
「は……? なに? すべり台でもしたくなったの? わけ分かんないんだけど」
ルナはかなり機嫌が悪そうだった。
日向汰も、どうせ遊ぶならもっと良い公園がありそうだと思った。
王我はスマホの画面と公園のほうを交互に見て、なにかを確認していた。
公園の名前が書いてある看板のほうを見ているようだ。
その顔は隠し切れない喜びに歪んでいる。
「間違いねえな。おっしゃテメエら降りろッ!」
店長以外の全員が車から降りて、ミニバンは去って行った。
公園の中には誰もいないようだ。
定番の遊具も一応一通りあるが、それで遊ぶ子供はいない。
秋の夕暮れ時、寂れた公園。
日向汰はどこかノスタルジックな気分になった。
「え? マジでなんなの? ウチちょっと怖くなってきたんだけど……」
「夏の終わりにぃ花火とか~? わたしぃ花火好き~」
公園の中央へと足を踏み入れる。
日向汰はブランコを見て少しだけ、久しぶりに乗ってみたくなった。
「ダンジョンだ」
先頭にいた王我は、振り返ると腕を広げて唐突にそう言った。
みんなの足が止まる。
「帰りてえなら好きにしろ。オレはこれからダンジョンに行くッ!」
その場に沈黙が流れる。
しかし王我は、冗談を言っている雰囲気ではなかった。
彼の冗談はいつもつまらなかったが、もっと単純で分かりやすいはずだった。
つまり彼は、本気なのだ。
――ちなみにダンジョンは、確かに日本に存在する。
日本に限って言えば、その存在が初めて現れたのは約十年前。
それは何の前触れもなく、突如としてその場にいるもの全てを呑み込んだ。
人、車、家、ビル、山……範囲内にあれば、例外はない。
全てが異次元空間に消え去り、あとには何も残らない。
人や、人に味方する動物以外は、吸収されその一部となる。
中で死ねば、人もまたその一部となるのだろう。
現在、この十年間に日本でダンジョンに呑み込まれた人間は、推定約一万人。
その生還率は50%を下回っている。
半分以上は死んでいるか、もしくはダンジョンから出たくても出られずにいる。
しかし、ダンジョンには夢もあった。
その中は、まるでゲームのような世界なのだ。
まず、科学では説明のできない魔法と呼ぶしかないような、特殊な能力を得ることができる。
そして出現するモンスターの素材も、宝箱から出るアイテムも、地球には存在せず、今の人類の力では再現できないものが多い。
例えば、四肢の欠損や不治の病すら、一瞬で再生、完治させるアイテムもある。
ダンジョンに殺された者は多いが、救われた者も確かにいるのだ。
だからダンジョンの中に入りたいと自ら願う者たちも、実はたくさんいる。
現状に不満を持つ者や、異世界に憧れを持つ者などは、特にその傾向が強い。
馬鹿な高校生なんかは、ダンジョンで一攫千金を夢見たりする。
とはいえ実際には、狙って高校生がダンジョンに入るなんて、まず無理である。
しかし。
例えば親が権力者で、妙なコネがあったりして、異常な行動力、さらに悪運まで持ち合わせていたりすると――それが実現してしまったり、するのかもしれない……。
「お前らも、オレと一緒にダンジョン行こうぜッ!」