カラオケでの日常
そのカラオケ店の一室は、不良高校生の溜まり場となっていた。
この不良グループのリーダーの親は、ちょっとした権力者だ。
そしてこの店を個人経営している店長の男に貸しがあり、弱みも握っていた。
だから店長は、この高校生たちに逆らうことが出来なかった。
今日も放課後になり集まった少年少女たちの髪色は、金、銀、茶、赤と、黒髪のほうが少数派という見事な校則違反率であった。
今この部屋にいる七人中、黒髪なのは二人だけ。
一人は長身に鋭い目つきのヤンキー娘。
そしてもう一人は、このグループでパシリをさせられている少年だ。
普通の地味な高校生である彼だけが、この場においては一人だけ浮いていた。
少年の名前は、朝焼日向汰。
彼は狼の群れに捕まった可哀想な一匹の子羊であり、不良らしいことなんて生まれてこのかた何ひとつしたことがない。
ただの善良な小心者である。
今日も日向汰は、カラオケの代金を払わずこの場にいることに罪悪感を感じていた。
過去に彼は何度か、一人になった時にこっそりと、店長に自分だけでも代金を払うと言ったことがある。しかしそれは全て、とんでもないと断られてしまった。
日向汰は歌いもしないし、ドリンクも飲まない。
ただいつも端っこに座っているだけだ。
それでもやっぱりなんだか犯罪に荷担しているような気がして、毎回不安になるのだった。
「おいッ朝焼、コーラ。炭酸MAXなッ」
このグループのリーダーで、学校の不良たちのボスでもある男。
長めのソフトモヒカンをワックスでこだわり強く固めた赤髪のDQN。
玉頭王我が無駄に威圧的な声を上げた。
彼はパシリに偉そうに命令することを格好いいと思っている。
親の悪い部分ばかり真似してすくすくと育ち、怪物になってしまったのだ。
「わたしぃアイスティ~」
「――ホットコーヒー……ブラック」
王我に続いて、みんなが順々に日向汰へとドリンクの注文をする。
彼らにも迷いはない。ただの日常。これが当たり前だった。
日向汰はその注文を忘れないように一生懸命に記憶する。
間違えたら、また殴られるかもしれないからだ。
しかしメモを取ることは許されていない。
注文を間違った日向汰をいじめることも、彼らにとっては楽しみの一つなのだ。
「おらッダッシュ」
「ヒナたんファイト~!」
全員の注文が終わると、すぐさま日向汰は急かされる。
日向汰は頭の良い人間ではないが、だからと言って別に悪くもない。
しかしプレッシャーにとことん弱かった。
このような場面でも、間違えたらまずい、絶対にちゃんと覚えなきゃ、そしてなるべく早く、急がなきゃ、そう思えば思うほどミッションの難易度は上がってしまう。
本来なら簡単に出来るはずのことが出来なくなり、焦って勝手に自滅してしまう。
それで高校受験も失敗してしまい、今の高校に入ることになった。
本番に弱い。
それは日向汰にとって最大の弱点かもしれない。
部屋を出て一人になると、日向汰はこっそりため息を吐いた。
彼らと居ると、息が詰まる。
今の状況になってから一年半が経つが、いまだに慣れない。
ヤンキーも、ギャルも、みんな怖い。
このグループを抜けたい。
そんなことは最初の日からずっと思っているが、日向汰はその意思を表明できたことがない。
勇気が出ないのだ。
それに、どうせ言っても無駄だろうという諦めもある。
しかし、もう高二の秋だ。
高校生活も半分が終わってしまった。
かつて思い描いていた理想の青春とは、ほど遠い毎日を送っている。
このままパシリとして、残りの半分の高校生活も過ぎていくのだろうか。
どんよりと暗い気持ちになった日向汰は、またひとつ大きなため息を吐いた。
「おっせーぞッ!」
「……ご、ごめん」
日向汰が注文された通りのドリンクをトレーに載せて部屋に戻ると、扉を開けた途端に王我が怒鳴った。
ビックリしてトレーを落としそうになってしまったが、なんとか耐えた。
ドリンクもギリギリこぼれなかったようだ。
日向汰も日々の苦行により少しは成長しているのだ。
「もしかしてぇトイレ行ってた~? キモ~! ちゃんと手洗った~?」
「いや、と、トイレは、行ってないよ」
大抵の男には媚びるが日向汰にはとても厳しい金髪の白ギャル、桶原厚美――通称オケ美が、嫌な目つきで文句を言ってきた。
本当にトイレには行っていないのでそう言ったら、小さな舌打ちを返された。
これも、いつものことだ。
彼女はデカくて強い金持ちの男がタイプなのだ。
だから小さくて弱い貧乏な日向汰は必然的になめられる。
将来性も皆無に見えるし、ツバをつけておく必要はない。
日向汰はそう判断されていた。
「日向汰~! オレのジンジャーエールそこ置いといて~よろしこ~!」
ちょうど歌唱中だったチャラ男、薄い茶髪にゆるいおしゃれパーマをかけた薄井茶太郎がマイクで日向汰に話しかけてきた。
言われた通りの場所にコースターを敷いて、ジンジャーエールを置く。
茶太郎は一応、日向汰の幼馴染みだ。
小学校の頃は近所に住んでいて、よく一緒に遊んでいた。
昔は、明るくて人懐っこいサッカー少年といった感じで、日向汰も茶太郎には好感を持っていた。しかし今では、あの無垢だった笑顔を悪用して年上のお姉さんたちをナンパする、非の打ち所のないチャラ男に育ってしまった。
日向汰をパシることにも、罪悪感なんてちっとも感じていなさそうに見える。
ちなみに、この不良グループに日向汰が入ったきっかけは、茶太郎だった。
中学は別々だったし、茶太郎一家は引っ越してしまったので交流は絶えていた。
しかし高校の入学式で茶太郎は、すぐに日向汰をみつけた。
背が伸びて髪も染めて垢抜けた茶太郎に対し、日向汰は小学校の頃とあまり見た目が変わっていなかった。
茶太郎は中学時代に仲良くなった王我に、日向汰を紹介した。
王我は、都合の良い弱者を見極めるのが得意だった。
そうして日向汰は高校に入学して間もなく、日向汰の意思とは無関係に、気が付けば不良グループの一員に組み込まれていた。
ウェイターのように、注文されたドリンクをそれぞれの前に置いていく。
日向汰は毎回カラオケに来たらこうやって、ひたすら給仕の仕事をしている。
あとは言われた曲の入力作業とか。
「あんがとっヒナたん」
金髪ツインテールの黒ギャル、七夕ルナの前にホットミルクティーを置いたら、礼を言われた。
真っ直ぐと日向汰に向けられるその笑顔に、嫌味っぽさは見当たらない。
彼女の笑顔に日向汰はいつも心を惑わされる。
七夕ルナはこのグループで唯一、日向汰に悪感情をぶつけてこない人間だ。
なぜか日向汰にも普通に接してくれる……というより、むしろちょっと優しい。
しかし彼女が善人かと問われれば、それには簡単にうなずくことはできない。
彼女は人を困らせて楽しむ悪癖を持っているし、いろいろと問題のある行動をする女子なので、日向汰にとっても要注意人物ではあるのだ。
それに、ルナは夏休み明けに王我と付き合い始めた。
かねてから王我は、ルナに猛アタックをしていた。
それは一緒にいれば誰が見ても明らかだったので、日向汰も気付いていた。
王我は性格に難はあるが、金持ちのイケメンではあるのでモテる。
見た目だけで言えば二人はしっくりくるお似合いのカップルになれそうだった。
しかしルナは王我の誘いをずっと突っぱねていた。
少なくとも夏休みに入る前までは、二人は恋人関係ではなかったはずだ。
ルナは猫のような性質を持っている。
気まぐれで、突然甘えてきたかと思えば、それに引っかかってグイグイ来た相手を急に毛嫌いしたりもする。
だから日向汰は、ルナも王我のことを嫌っているのかと思っていた。
今年の夏休みも、日向汰はバイトに明け暮れていた。
夏休みに頑張ってお金を貯めておかないと、金銭的余裕のなさから普通の高校生らしい生活ができなくなるのだ。
だから夏休みの間に、ルナにどういった心境の変化があったのかは見当も付かない。
けれど二人が付き合い始めたと知った時、日向汰はショックだった。
別にルナは、日向汰だけに特別優しいわけでもない。
日向汰は自分がルナと付き合うだとか、そんな大それたことは――少し妄想したりしたことはあったが、さすがに本気では考えていなかった。
しかし、このグループで唯一自分に優しいルナが、よりにもよって王我と付き合い始めたという事実は、日向汰に想定外の精神的ダメージを負わせた。
けれどもルナは、王我と付き合いだしてからも日向汰に対する態度を変えなかった。
逆に日向汰は、そんなルナにどう接すれば良いのかが分からなくなっていた。
「なーんかヒナたん、最近ウチに冷たくない?」
日向汰はギクッとした。
「え、な……べ、別に、そんなこと、ないと思うけど……」
冷たいもなにも、元から仲良く話すような間柄でもない。
というか、今はただミルクティーを置いて礼を言われただけだ。
日向汰は必死に冷静を装っているが、不意打ちを食らってかなり困惑していた。
ルナはいつもこうだ。
思いがけないことを思いがけないタイミングで言ってくる。
「ふーん。ウチは、そんなことあると思うんだけどなー……あっ!」
ジト目で日向汰の顔を覗き込んできたルナは、何かを思い付いたらしい。
日向汰の腕を掴んで引き寄せると、隣に座らせ、流れるように自然な動作で耳元に口を近付けてきた。
ここはカラオケ店だから、これはそこまで珍しいことではない。
けれど日向汰にとってはドキドキの状況だった。
耳に唇が触れてしまいそうな近さで、囁くように言葉が発せられる。
「もしかしてヒナたん、オーガっちにジェラシーしちゃってるの?」
日向汰はギクギクッとしてしまった。
つい反射的にルナのほうに顔を向けてしまい、そして超至近距離にある顔に驚いて、体を大きくのけ反らせた。端から見ればかなりのマヌケだが、幸いなことにその情けない姿は、ルナ以外には見られていなかった。
日向汰の顔が急激に赤くなっていく。
「ぷはっ! ウケる! ヒナたん分かりやすすぎー!」
「ち、ちがっ! 別にぼくは、そんな……」
「アハハ! だいじょぶだいじょぶ。みんなには内緒にしといてあげるからさっ」
「違うから! ほ、ほんとに違うからね!」
日向汰にしては珍しい大きな声に、部屋中の視線が集まった。
それにはもちろん、ルナの彼氏である王我のものも含まれている。
まずいと思った日向汰は急いでその場を離れることにした。
下手な誤解でもされたら殺されるかもしれない。
が、ルナにまた腕を掴まれてしまった。これでは逃げられない。
「いーじゃんヒナたん。そんな一人で端っこ行かないでさ、ここ座ってなよ」
ルナの突飛な行動は、今に始まったことではない。
学校で日向汰みたいな男子をからかうのも、日常茶飯事だ。
だから実は、日向汰が危ぶんでいるほど、他のメンツは二人のことを気にしてはいなかった。
ああ、またルナが遊んでるな……といった感じだ。
王我は独占欲が強いが、見栄っ張りの格好つけでもあるので、こんな程度のことで声を荒げて文句を言ってきたりはしない。
つまり日向汰が心配するような事態にはならない。
ルナは空気が読める。こう見えて無茶なことはあまりしないのだ。
「ね? いーじゃん。ウチが歌うの近くで見ててよっ!」
腕は掴まれたままだ。
日向汰はうなずくしかなかった。
しかし可愛らしくもどこか小悪魔めいたその笑顔に、日向汰はなんだかとても嫌な予感がした。