板井圭介
僕は「俺の甲子園」というオンラインゲームをしている。選手をガチャで引いて、その引いた選手と、監督である自分を成長させていくゲームだ。
成長のさせ方にはいろいろあるんだけれど、その一つに、他のチームと練習試合をするというのがある。練習試合をすると経験値を得ることができ、その結果でチームのレートが決まっていく。で、僕のチーム「啓文社高校」は、レート1700台というランクを上がったり下がったりしていた。
僕はその状況を『まるで八百長力士のようやないか』と思った。どういうことかと言うと、僕が小学生だった頃の40年近く前の相撲では、幕内の上位と下位を上がったり下がったりするような力士が何人もいたのだけれど、それは八百長をする仲間うちで星を回しあって十両に落ちないように調整していたから、そのような状況が生まれていたのだ。その様子と今回のゲームでのレートの変動の具合が似ていると思ったわけだ。
ちなみに僕は、八百長のことを元八百長力士である板井圭介が書いた「中盆」という本を読んで知った。その本が出たのは2000年の頃だから、随分大人になってからだ。ただしかし、当時小学生だった僕も、その時見ていた相撲が随分ヘンだなぁと思っていたものだ。
麒麟児や板井や他の力士が、そんなに対戦力士が変わるわけでもないのに、幕内の上位に行くと負け越し、下位に落ちると勝ち越して十両に落ちないことが度々あり、他にも千代の富士が決まった力士にしか負けないとか、勝ち越しがかかった千秋楽の一番で朝潮は必ず北天佑に勝つとか、いろいろおかしなところがあったのだ。で、その原因は八百長をしていたからだった。大人になって本を読んだことで「やっぱりなぁ」と子供の頃から抱いていた違和感が消化され、物凄く腑に落ちたものだ。
そして僕は、2018年8月14日午前0時、そのような八百長力士のことをネタにして、「啓文社高校」の学校紹介文を書くことにした。
ところで学校紹介文っていうのは、文字通りその学校を紹介する文章であり、通常は「ダレノガレ明美さんが鳥取に建てた学校です」とか「六本木にあるホストやキャバ嬢が通う学校です」とかそんな感じで、各々の発想でオリジナリティ溢れる設定を創るものなんだけれど、僕は「なにか面白いことを書いてやろう」と常に企み、ちょくちょく更新していた。その一つがこれだ。
「うちのマネージャーが巨人の菅野の出身校を見て「なんで相撲の学校出とるん」と聞いてきたが、東海大相模を東海大相撲と思ったらしい」
これは、実際に巨人の試合を見て妻が言ったことをネタにして書いたものだけれど、こんな感じで学校紹介文を書いていたわけだ。
で、問題の学校紹介文である。僕は最初こう書いた。
「麒麟児が幕内の上位と下位を行ったり来たりするように、レート1700台を上ったり下がったりする現状。でも八百長はしてません(できればしたいけど)」
読んだ人に「なんで野球のゲームの学校紹介文に40年近く前の相撲のことを書いとんねん」と、そんなふうにツッコんでもらおうという企みがここにはあり、よし、と僕はこれを学校紹介文にした。しかし更新してしばらくして、これは麒麟児やなくて板井ちゃうか?と思い直した。だって板井の出した八百長告発本「中盆」を読んで僕は八百長を知ったわけで、やっぱり八百長と言えば板井じゃないか。
なので僕は麒麟児を板井に変えた。そして寝た。
介護の仕事をしている僕の次の日の勤務は夜勤だった。夜勤と言っても四六時中やることがあるわけじゃないので、22時頃暇だった僕は「俺の甲子園」をしようと思ってネットを開いた。yahooからつなぐことにしているので、yahooのトップページをまず開いた。そこにはニュース記事が並んでいたのだけれど、僕の目にビックリするような文字が飛び込んできた。
「14日、板井圭介氏死去」
え!?
驚いた。だって僕が板井の学校紹介文を書いたのが、14日になったばかりの午前0時で、板井がその14日に死んだというのだ。僕はそれまでの人生で板井と書いたことはなかった。日記であろうがミクシーであろうがなんであろうが、板井と書いたのはそれが最初だった。しかもそれは、全然相撲とは関係ない野球ゲームの学校紹介文でだ。さらに、最初は麒麟児だったのを板井に変えたのだ。
これは僕のところに板井が来てたんじゃないか?そう思わざるを得ない。
それにしても――わけのわからない、ちょっと板井の本を読んだことがあるだけのオッサンのところに来るくらいだから、よほどツテがなかったのだろうか?わらをもつかむ想いとはこのことかもしれない。
板井の死は原因不明で、14日朝、板井の部屋に行った元付け人が、台所の水が流れっ放しだった部屋で、倒れている板井を発見したらしい。糖尿病を患っており、心臓にはペースメーカーが埋め込められていたとのことだけれど、まだ62歳、ちょと早過ぎるではないか?
ところで、板井の師匠の大鳴門親方も、大鳴門部屋後援副会長の橋本成一郎氏と共に八百長告発本を出していた。そして、1996年4月26日、日本外国特派員協会で八百長告発会見をする予定だったのだけれど、直前の4月14日、2人は同じ病院でレジオネラ肺炎とかいう同じ病気で死んでいる。そう。板井と同じように八百告発本を出していた師匠と後援副会長は、とっくの昔に不可解な死を遂げているのだ。
今回の板井の死も随分怪しい。なんせわけのわからないオッサンのところに来て、全然相撲とは関係のない野球ゲームの学校紹介文に板井と書かせるくらいなのだ。どんな小さなとっかかりでもいいから、突破口を開いてやろうという板井の必死さが伝わるのだけれど、どうか?
問題は、本当にそのとっかかりが小さ過ぎるということだ。僕は板井の無念を受けてこの文章を書いている。だがしかし、あまりにも影響力がなさ過ぎるのが残念だ。
ご冥福をお祈りいたします――。




