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三月七日(水曜日)
昼休み、私は一縷の望みを信じ廊下へ飛び出した。
卒業式に告白するなんて至難の業なのだ。式が終わると同時に同級生と写真を撮り、部活動でまた写真を撮り、そのまま打ち上げ会場まで向かうため、いまだ無関係の私が先輩に近づける望みなんて薄い。だから、今日、卒業式練習の日しかないのである。だが、練習もそんなに時間をかけるものではない。担任に訊いたところ、基本的に午前中には終わるらしい。
ここまで無理を通してきた、それを無駄にするわけにはいかない。体中が痛かったが、不思議なほど軽かった。登山で同じ症状に見舞われたことがあった気がするが、今は思い出す必要がないことだ。
階段に差し掛かる。するすると、私は手すりを掴みながらもなるべく早く降りる。
そして三階と二階の踊り場に差し掛かると、
「……ッ!」
深緑のネクタイ、うねりを帯びた無造作な髪、細く整った顔立ち。
先輩が二階から上がってきた。
――な、んで?
先輩は私を一瞥した後、そのまま三階に上がろうとする。
「まって、ください!」
喧騒からわずかに隔離した空間に、私の声がとどろく。
呼び止められたことに驚いたのか(もしくは声の大きさにか)、先輩はきょとんとした表情を私に向けた。
開口一番は出たものの、先輩に見つめられると、水道栓をキュッと閉めたかのように言葉が出なくなった。
呼吸すらままならない。思考がぼやけていく。
「えと……なに?」
先輩が困っている。どうしよう、何か言葉を答えないと。
「……好きです」
ぼやけた意識から必死に手繰り寄せた言葉は、それだった。
「初めて出会った時から好きでした。だから、付き合ってくれませんか!」
頭を下げると、甘く締めてあったヘアゴムが飛んでいった。髪の毛がばらっと目の前にかぶさる。
私の告白に先輩の表情は、
「えと……」
変わらず、曇っていた。
思わず、視線を下にやっていた。黒く長い髪がと下がり、私の視界を薄暗くした。
「気持ちは嬉しいんだけど……」
ここまで来れば答えなんて聞かなくてもわかる。
「ごめんなさい」
先輩は謝る。
私は、私は言葉もなく、言葉を出せず、首を横に振る。
「好きな人がいるんだ。その子にしっかり謝って、そして好きという気持ちを伝えないといけない」
まあできることはやった。だからもう、終わりだ。
「だから、ごめん」
終わりなんだ。
そう思うと私は途端に力を失う。気持ちだけで動いていた私の体と意識は、その糸が切れるとともに一気に遠のいていく。
「……そういえば、君の名前って」
――頑張ってください
今のは言葉になっていたのだろうか。小さな祈りとともに、私の意識はついに途切れた。