7話
いつもと違い、怪しげなハーブとスパイスの香りがしないことに、ロゼッタは首を傾げる。
「あ、ロゼッタ。旦那様が帰ってきた後、すぐにフェイと出かけちゃったから、今日のビーフストロガノフは作らなくなったんだ」
「お仕事かしら?」
「街の食堂を視察に行ってくるとか言っていたよ。そう言えば、ロゼッタが来てからは食堂の視察に行かなかったけど、前は週に四回は行っていたなぁ」
「……逃げたわね」
食堂の視察を夜に行くはずがない。というか、街の食堂なんて公爵様が行く必要はないだろう。そんなのは部下に任せておけば良い。
ロゼッタは、アーネストとフェイがティナの料理から逃げたのだと確信した。
「そんじゃ、今からあたしたちの夕食を適当に作るね」
ティナは紫色の強烈な刺激臭のするハーブを一株掴んだ。
ロゼッタは咄嗟に彼女の手を掴む。
「どうしたの、ロゼッタ?」
不思議そうに首を傾げるティナを見て、僅かにロゼッタの良心が痛む。
しかし、もう限界だった。
「……わたしが作る!」
ティナは良い人だ。だけど、それと料理の腕は関係ない。あんな料理を食べ続けていたら、ロゼッタは確実に死んでしまう……!
「ええ!? でも、フェイに言われているしな……」
渋るティナにロゼッタは微笑んだ。
「旦那様とフェイ様の分は、変わらずティナが作ればいいわ。わたしが作りたいのは自分の分だけ。調理しているところも監視してていいし……それなら文句ないでしょう」
「それは駄目だね」
ティナは真剣な顔をし、ロゼッタの両手をギュッと握りしめた。
「あたしの分も作ってよ。正直、残飯より酷い飯には飽き飽きしていたんだ」
「……自分で作ったものでしょう」
「自分だからこそだよ。マズくなると分かっていて料理を作る人の気持ちが分かる?」
「想像してみると、すごく嫌ね」
ロゼッタはくすくす笑うと、手を洗ってキッチンに立つ。
公爵家の厨房だけあって、様々な材料が揃っている。ロゼッタは食材棚の中に、懐かしいものを見つけて手に取った。
(筆頭公爵家なのに、そば粉なんてあるのね)
そば粉は貧しい者が食べるものだと言われるだけあって、驚くほど安い。ほとんどの貴族は食すことなく一生を終えるだろう。
しかし、貧乏男爵家のロゼッタは何度もそば粉に食を支えてもらった。だから、そば粉に対する忌避感は全くない。
「ちょっと待っていてね」
ロゼッタは早速料理に取りかかることにした。
そば粉と卵と塩、そして水をボールに入れて混ぜ合わせ生地を作る。その生地を熱したフライパンの上に流し込み、素早く広げる。軽く焦げ目が付いたら生地をひっくり返し、両面をしっかりと焼く。
「うぉぉおお! なんか、すでに美味しそうなんだけど!」
ティナがロゼッタの後ろからフライパンを覗き込み、涙目で叫んだ。
「……まだ生地だけだから、今食べても美味しくないわよ。危ないからテーブルで待っていなさい」
「かしこまりました!」
ティナは元気よく敬礼すると、テーブルへと走っていった。
ロゼッタは苦笑すると、料理を再開する。
「具材は……定番のものでいいかしら」
ハムとチーズを取り出すと、ロゼッタはそれをスライスして生地の上に載せる。そして中央に卵を落とし、フライパンに蓋をした。
「もう一つ作らなくちゃ」
ロゼッタは別のフライパンを熱すると、先ほどと同じように料理を作る。
「あ、卵に火が通ったわね」
最初のフライパンの蓋を取ると、生地の四隅を折って具材を包み込むようにする。それを皿に載せて、仕上げにハーブをパラパラと降りかける。
「ガレットの完成ね!」
もう一つのガレットも同じように盛り付けると、ロゼッタはそれをテーブルへと運ぶ。
ティナはフォークを握りしめながら、涎を垂らしていた。
「簡単なものでごめんね。料理人じゃないし、田舎者だからあまり自信がないのだけど……」
ロゼッタがそう言うが、ティナは半分も聞きもせずにガレットに食べ始める。
「うまい! うまいよ、ロゼッタ。こんな美味しい料理、久しぶりに食べたぁ……」
「大袈裟ね」
そう言葉にするが、確かに久しぶりに美味しいものを食べた気がする。
自画自賛するつもりはないが、自分の料理をこんなに美味しく感じたのは初めてだった。
「明日も明後日も……一年後もロゼッタの料理を食べていたいよぉ。そのためだったら、あたしは仕事を真面目に頑張る!」
涙ながらに言うティナを見て、ロゼッタはひらめく。
(あれ? これってもしかして使えるのではないかしら!)
ティナに料理でやる気を出してもらえれば、仕事の効率は上がる。そして料理を気に入ってもらえれば、フェイやアーネストへ口添えをしてくれるかもしれない。
「わたし、頑張るわ!」
ロゼッタは立ち上がると、胸の前で拳を握る。
ティナはそれを見て、大きく拍手をした。
そう、胃袋をつかむことから、ロゼッタの反撃は始まるのだ。




