6話
ロゼッタはティナと分かれた後、エントランスホールを掃除していた。調度品の埃を落とし、丁寧に磨いていく。
そして額に汗を浮かべながら床を拭いていると、コツコツと規則正しい靴音が背後から近づいてくる。
「おや、ここにまだ埃が溜まっていますね」
そう言ってフェイは絵画の縁を指でなぞり、指についた僅かな埃をロゼッタへ見せつけた。
(……出たわね、小姑!)
ロゼッタは内心の怒りを隠し、優しげに微笑んだ。
「そこは後でやろうと思っていたんです」
「嘘ですね。適当に済ますつもりだったのでしょう?」
「そんなことしません」
アーネストの指示か分からないが、ロゼッタが侍女になってからというもの、フェイは事あるごとに嫌みを言ってくる。
どんな意図があってロゼッタに嫌みを言うのかは分からないが、今は耐えるしかない。お金が欲しいのもあるが、何よりロゼッタはカルヴァード公爵家を離れる訳にはいかないのだ。
(……気にしないようにしよう)
黙々とモップをかけ続ける。そして床をすべて磨き上げて一息つくと、ロゼッタの後ろにはまだフェイがいた。
「ま、まだいたのですか!?」
「中々の腕前ですね。感心感心」
じっとロゼッタを監督するようにフェイは見つめてくる。
(……やりづらいわ)
監視なんかしなくても、ロゼッタは仕事の手を抜くつもりはない。
ロゼッタはフェイにうんざりしながらも、エントランスホールの中央にある階段の手すりを磨き始めた。タオルで丁寧に汚れを拭き取り、専用のコーティング剤で艶出しをしていく。
ロゼッタとフェイの間に気まずい空気が流れる。
「フ、フェイ様は仕事をしなくて大丈夫なのですか?」
「仕事ならしていますよ」
「……」
していないでしょう!という反論をロゼッタは寸でのところで呑み込んだ。
監視されていると居心地が悪い。いい加減イライラしてきたロゼッタは、この際なので今までの疑問をフェイにぶつけてみることにした。
「旦那様以外に、カルヴァード公爵家の方はいらっしゃらないのですか?」
「旦那様に兄弟はおりません。ご両親――先代のカルヴァード公爵夫妻は、十年以上前に不慮の事故で亡くなりました。ですので、本家には現在、旦那様おひとりです」
「……そうなんですか」
世間の噂とは異なり、アーネストは相当な苦労をしているのだろうか。
一瞬、意外とアーネストが良い人かもしれないと考えるが、ロゼッタはすぐにその思考を振り払う。
「そう言えば、ティナはどうして侍女をやっているのですか?」
ティナはどう見ても侍女には向いていない。そして本人もあまり侍女の仕事が好きではないようだった。
もしかしたら、使用人が少なすぎてティナは侍女の仕事を仕方なく掛け持ちしているのかもしれない。少しでも個人の負担が少なくなればいいのにと思った。
「それはティナを辞めさせろということですか?」
「違います! もう少し、人を雇って仕事の負担を減らせば……」
「新参者が、執事の私に意見するのですか?」
ロゼッタは純粋にカルヴァード公爵を思って言ったが、それは伝わらなかったらしい。フェイは疑うように眉を顰めた。
「せ、せめて、料理人だけでも!」
「無理ですね。もちろん、あなたが旦那様の食事を作るのも許しません。大人しくご実家へ帰るのが、あなたのためですよ」
食い下がるロゼッタにフェイはピシャリと言い放つ。
「……わたしは帰りません」
ロゼッタは俯き、グッと手が痛むほど拳を握る。
ここでロゼッタが引けば、アーネストが気まぐれにまたアリシアを侍女に寄越せと言ってくるかもしれない。
家族を守るためには、侍女としてロゼッタがカルヴァード公爵家を見張るしかないのだ。
フェイは、ロゼッタがエントランスホールの掃除を終えるのと同時にどこかへ行ってしまった。おそらく、自分の仕事へと戻ったのだろう。
ロゼッタは彼を気にすることなく、客室の掃除をした。そして日が落ち、蝋燭の灯りなしでは廊下を歩けなくなった頃に、漸く客室の掃除を終えることができた。
「……疲れた」
侍女二人で仕事を回すのは、やはり無理がある。
ロゼッタは重たい身体を引き摺って、ノロノロと食堂へと向かう。
「労働の後にティナの料理を食べるのは、精神的にかなり痛いのよね。ただでさえ、身体が疲れているというのに……」
食堂へ足を進めるごとに、胃がずっしりと重くなる。
すると、気にしないようにしていたフェイへの怒りがフツフツと沸いてきた。
「こんなに使用人が少ないなんて、明らかにおかしいでしょ! 何を隠しているのは分かるわ。でも、わたしは詮索する気はないし……とにかく、せめて料理人だけは雇いなさいよ!」
愚痴を言うが、それだけで労働環境が改善されないのは分かりきっている。貧乏男爵令嬢如きの意見が採用されないのも仕方がない。なにせロゼッタには信用がないのだから。
鬱屈した気持ちで歩いていると、いつの間にか食堂へと到着していた。




