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4話

 厩舎は客人に見えないように、城の裏手にあった。


 放牧に最適な平坦な緑の大地が広がっており、馬が逃げ出さないように頑丈な柵も取り付けられている。柵の向こうには山があって、ロゼッタはレイン男爵領を思い出した。



「公爵家だから、どれほど馬がいるのかと思えば……意外と少ないのね」



厩舎にいる馬は十頭だけ。どうやら最低限しかいないらしい。世話人もおらず、馬たちだけだ。馬たちは見知らぬロゼッタを警戒するように鼻を鳴らす。


 ロゼッタは馬たちに自分の姿を見せながらゆっくりと近づき、一番大きくて逞しい馬の前に立った。そしてじっくりと待つ。



「ブルルッ」



 敵意がないことが伝わったのか、その馬は警戒を解いた。ロゼッタは馬の首筋や鼻を優しい手つきで撫でる。



「こんにちは。今日からあなたたちのお世話をする、ロゼッタよ。よろしくね」



 ロゼッタがそう言うと、馬たちが一斉に鼻を鳴らす。今度は歓迎されているような気がした。



「では、掃除をするので、みんな厩舎を一端出てね。好きに走っていいわ。掃除が終わったらご飯だから」



 そう声をかけて、厩舎の柵を外すと馬たちは我先に走り出す。元気な様子を微笑ましく思いながら厩舎の中を覗くと、そこが酷く汚れているのに気がついた。



「下手をしたら、一週間は掃除をしていないのかもしれないわね。食事は与えられていたみたいだけど……」



 疑問に思うことは多いが、今は馬たちの環境を良くすることが先決だ。


ロゼッタは腕まくりをすると、掃除に取りかかる。動物特有の糞尿の匂いが充満しているが、ド田舎育ちのロゼッタには慣れたものだった。


 しなびた藁を鉄製のフォークで掻き出すと、糞尿を綺麗に水で流し、古い餌も捨てた。どうせカルヴァード公爵家はお金を持っているのだからと、馬房の藁をたっぷりと敷く。



「……ふぅ、終わった――あ、ちょっと。もう、そんなにお腹が空いたの?」



 達成感に浸っていると、先ほどの一番大きな馬がロゼッタのキャップを口で咥える悪戯をした。つぶらな瞳はらんらんと輝き、とても喜んでいるのが伝わってくる。



「分かったわ。すぐにご飯を持ってくるから」



 ロゼッタは餌を仕舞っている倉庫へ行くと、台車いっぱいに牧草を乗せた。


 そしてロゼッタが戻ってくる頃には、馬たちは全員行儀良く厩舎へと戻ってきていた。随分としっかり躾けられている馬たちだ。



「……やっぱり、専門の人がしっかりとお世話をしていたのね」



 そう呟くと、ロゼッタは馬たちに牧草を与える。


 馬たちはロゼッタを新しいお世話係と認識したのか、擦り寄るように懐き、ブラッシングまで許してくれた。



 こうしてロゼッタは、たくさんの味方を得ることができた。



    ☆



 ロゼッタは侍女服を着替えると、食堂へと向かった。


 馬たちと接したことで癒やし効果があったのか、足取りは軽い。不安と恐怖だらけのカルヴァード公爵家の仕事だが、少しだけ希望が湧いてくる。



「あ、ロゼッタ。道具の場所とか、ちゃんと分かった?」



 食堂に着くと、ティナが一人で大鍋をかき混ぜていた。食堂の中は、変わったハーブとスパイスの香りが充満している。



「ええ、大丈夫よ。厩舎も綺麗にして、餌も与えたわ」


「良かった。なんか、あたし馬たちに嫌われているみたいでさ。厩舎に近づこうとすると怒るんだよねー。ズバッと世話しようと思っているのに」



 そう言ってティナが鍋をかき混ぜると、勢いが良すぎて床にスープが飛び散った。彼女はそれを気にした様子もない。



(……まあ、ちょっとティナにお世話されるのを躊躇するのは分かるわ)



 馬はとても繊細な動物だ。彼女の荒っぽさを本能で恐れたのかもしれない。



「何か手伝うことはある?」



 ロゼッタは話を切り替えるように言った。



「アーネスト様の食事は終わって、王宮の仕事に行ったから急ぎのものはないよ。フェイが煩くなる前に、朝食を食べよう」



 ティナは食堂の隅に置かれた使用人用のテーブルに二人分のスープ皿を置いた。そして、オーブンから焼きたてのパンを取り出して籠の中に入れ、同じく使用人用のテーブルに置く。


 ロゼッタは言われた通りに席へ着いた。



(……えっと、この料理が最近の流行なのかしら?)



 スープは紫色でドロドロとしていて、煮込まれている具材の大きさはバラバラ。香り付けのハーブもそのまま入っている。そして何より、スープなのに薬品のような匂いがした。


 さらに添えられたパンは歪な丸型で、色は炭になる一歩前の焦げ茶色でボールのように堅い。



(沿岸部ではイカスミを練り込んだ黒いパンもあるって聞いたことがあるし、このパンも何か特別な材料が使われているのよ。きっとそうよ!)



 曲がりなりにもティナは厨房を任されている侍女だ。それはアーネストに、料理の腕と人柄を信頼されてのことだろう。だから……この料理は極上のうまさのはずだ。そう思うのに、ロゼッタの背に冷や汗が伝う。



「それじゃあ、食べるか」



 ティナは席に着くと、戸惑いもなくスープを口に入れる。その表情は特に変わらず、やっぱり自分がおかしいのだと思ってロゼッタは一安心した。


 まかないとは言え、筆頭貴族家の料理を味わえるなんて幸せ者だ。そう心の中で思いながら、ロゼッタはスープを一口飲んだ。



「……マズッ!」



 取り繕うことも忘れ、ロゼッタはおよそ貴族令嬢とは思えない顔で叫んだ。


 口の中は効き過ぎたスパイスでビリビリと痺れ、具材は半生かぐずぐずかの両極端。鼻から抜けるスープの香りは、湿布薬を連想させる。


 ロゼッタは口直しをしようと、パンに齧り付いた。



「堅いっ! しかも、苦い! 見た目通りの味だわ」



 パンは芯まで焦げていた。そして焦げ特有の苦みは、スープの味と見事に反発し、口の中で主張し合っている。


 なんて恐ろしい味だ!


 ロゼッタは青い顔をしながら、口元を手で覆う。



「あはは、やっぱり? あたし、料理苦手なんだよねー」



 ティナがけらけらと笑うが、耐えきれなくなったロゼッタは洗面所へと駆けだした。




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