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33話

 ロゼッタの誘拐事件から二週間が経った。


 あれから、グラエムの反逆は内々に収められ、これから死ぬまでカルヴァード領に尽くし続けるという罰を与えられた。そのため、グラエムはカルヴァード公爵家に毎日通うようになった。彼の顔は憑き物が落ちたかのように、朗らかな顔で今は本当にカルヴァード領のためになる仕事をしている。


アーネストから奪った使用人たちは、グラエムの元に居ても忠誠心を忘れなかった者たちだけ戻ってくることになった。


彼らが戻ってきてから、ロゼッタの仕事はどんどん減った。皆、彼女が仕事をしようとすると、慌てて奪うのだ。フェイに聞いたところ、貴族のロゼッタに仕事をさせることが恐れ多いのだという。貧乏貴族だから気にしなくていいというロゼッタの言い分も、彼らには通用しなかった。


元々、アリシアの代わりに来ただけだ。実家からは姉が回復し、もう仕送りはいらないから帰ってきなさいと手紙が来ている。ここに居ると何故か胸が苦しいので、もしかしたら都会の空気が合わないのかもしれない。


自分の居場所はもうないのだと悟ったロゼッタは、カルヴァード公爵家を出ることにした。



「よしっ」



 ロゼッタはがらんどうになった自分の使用人部屋を見た後、侍女服のエプロンの紐をきつめに縛った。



「おはよう、ティナ!」



 廊下を出ると、いつもと変わらずティナは欠伸をしながら、怠そうに廊下を歩いていた。



「気合い入っているねぇ、ロゼッタ」


「当たり前でしょう。今日はわたしの侍女生活最後の日なんだから」



 そう言ってロゼッタは拳を握る。


 今日の午後にロゼッタはレイン領へ出発する。その前の思い出作りに、フェイに無理を言って侍女の仕事をやらせてもらうことになっているのだ。



「何をしているのです? お喋りをしている暇があるのなら、仕事をしなさい」



 皺一つない執事服を纏ったフェイが、パンパンと手を叩いた。ティナはそれを見ると、嫌そうに顔を歪めて逃げていく。


 変わらないフェイとティナの態度に、ロゼッタは酷く安心する。



「ロゼッタ嬢、エントランスホールの掃除をお願いできますか?」



 フェイはロゼッタにバケツとモップを手渡した。



「分かりました。あ、フェイさん。今日のおやつはアプリコットタルトにしようと思っているのですけど、良いですか?」



 出発する前に、ロゼッタは少しの間厨房を借りて、今までのお礼にお菓子を作ることにした。


アプリコットタルトは、ロゼッタがカルヴァード公爵家で作ったお菓子の中で一番好評だったものだ。貴族らしく高い品物を買えないロゼッタには、これぐらいしかできない。



「ええ。旦那様もお好きですよ」


「……知っています」



 アーネストが一番アプリコットタルトを喜んでくれたのだ。


 しかし、彼はここ一週間ロゼッタの前に姿を現さない。忙しくなり、ロゼッタを構っている余裕などないのだろう。



(……アプリコットタルトをアーネストに食べてもらえるかしら)



 力なく笑うと、ロゼッタは掃除用具を持ってエントランスホールへと向かった。




 床を磨き、調度品を拭き、エントランスホールの掃除はすぐに終わった。折角、掃除のコツを掴み始めていたというのに、今日で最後かと思うと寂しい。


 ロゼッタは余った時間を活用しようと箒を手に持ち、エントランスを出て落ち葉を集めることにした。



「ふぅ……全部集まったわ。最速記録更新ね」



 何度も掃除をしたおかげで、落ち葉の溜まりやすい場所をしっかりとロゼッタは覚えている。だが、その知識が活かせるのも今日までだ。


 ロゼッタが寂しく思いつつもホッと息を吐くと、隣に大きな影ができた。



「掃除は順調か?」



 見上げればそこには、渋面を作るアーネストがいた。



「旦那様?」


「アーネストだ」



 彼は不機嫌そうに眉を顰める。



「ごめんなさい、アーネスト」



 素直に謝ると、アーネストはロゼッタの頭をぎこちない動作で撫でる。


 顔は怖いが、彼の雰囲気はビクビクしていた。その違いが面白くて、ロゼッタはクスクスと忍び笑う。



「アリシアと君は随分と違うのだな」



 噛みしめるような言葉に、ロゼッタの胸がズキンと痛む。



「お姉様は綺麗で、優しくて……わたしの自慢の家族なの」


「彼女が……?」



 アーネストは怪訝な顔をした。



「お姉様とお話したことがあるの?」


「あ、いや……そんなことはどうでもいいだろう。それよりも気分転換がしたい。ロゼッタ、付き合え」


「えっ、ちょっと! わたしは仕事中よ!」



 アーネストはロゼッタの腕を掴むと、そのまま駆け出す。


 始めは唖然としていたが、やがてロゼッタは彼と同じ笑みを浮かべていた。




    ☆



 アーネストに連れて来られたのは、城下町の外れにある大きな湖だった。


 湖を取り囲むように赤いコスモス畑が広がっている。アーネストは湖脇にある小屋にいた男性に声をかけると、二人乗りの小さなカヌーを持って来させた。



「乗るぞ、ロゼッタ」


「わたし、カヌーって初めてで……」


「安心しろ。私も初めてだ」


「どこが安心できるのよ!」



 叫ぶロゼッタだったが、アーネストが抱きかかえるようにカヌーに乗せてしまったため、身動きが取れなくなってしまった。


 ぐらんぐらんとカヌーが不規則に揺れる。



「ううっ、怖い」


「怖いことあるか、よく景色を見てみろ」



 ロゼッタはアーネストに言われた通り、辺りを見回した。



「……綺麗」



水面にはコスモスの花びらが一面に広がっていて、赤いベルベットの絨毯の上をカヌーで進んでいるみたいだ。


 カヌーが通った後ろは花びらが除けて、エメラルド色の湖の曲線ができている。まるで真っ赤なキャンバスに絵を描いているような気分だ。


 ロゼッタはこの神秘的な光景に暫し見入られる。



「ずっと君をここに連れて行きたかったんだ」



 アーネストはそう言って、カヌーを漕ぐ。


 カヌーは安定感を保ったままスイスイと進み、ちょうど湖の真ん中で止まった。



「なかなか上手いだろう?」


「そうだけど……怖い物は怖いわ」



 ロゼッタは水面に手を伸ばし、花のまま浮いていた一輪のコスモスを手に取る。



「……わたしは今日、レイン領に戻るわ。ありがとう、アーネスト。最初はお互いに良い印象を抱いてなかったけれど、今はカルヴァード公爵家に来て良かったと

思っているの。とっても楽しかったわ」


「…………」



 黙り込むアーネストに、ロゼッタは微笑んだ。



「城に戻ったらアプリコットタルトを焼くわ。良かったら、わたしが出立した後にでも食べてね」



 ロゼッタがカルヴァード公爵家を出れば、もうアーネストとの関わりはなくなる。


 噂でしか近況を知れないような、雲の上の存在になるのだ。それがカルヴァード公爵アーネストとレイン男爵令嬢ロゼッタの立ち位置。元に戻っただけなのに、ロゼッタの頬には一筋の涙が伝う。



「ごめんなさい。泣いたりして……こんな綺麗な場所に、相応しくない表情よね」



 目元を手で擦ろうとすると、アーネストはその手を掴んだ。


 彼の指先はとても熱い。



「……その……あのな……」


「どうしたの?」



 目を泳がせるアーネストを見て、ロゼッタは小首を傾げる。


 何度か深呼吸をした後、アーネストは真紅の双眸を真っ直ぐにロゼッタへ向けた。


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