32話
「……わたしを殺すの?」
ロゼッタが恐怖を誤魔化すように睨み付けると、グラエムはにんまりと笑みを浮かべる。
「いいや、殺さないさ。利用させてもらうよ」
「利用ですって?」
「私は君よりもアーネストの性格を良く分かっているよ。あの子はとっても優しい。だが同時に興味のない人間には非情だ。だから、妻には愛せない女性を据えようと思っていた。何故なら、愛した人は弱点になるからねぇ」
「……あなた!」
「君に刃を突き立てて脅せば、アーネストはきっと王座を手に入れるために動いてくれるだろう」
アーネストはロゼッタの看病をしてくれた。気分転換だと言って城下町を案内してくれた。そこまでされて、アーネストがロゼッタをどうでも良いと思っているなんて考えられるほど愚かではない。
彼がロゼッタのために罪を犯す。考えただけで泣き叫びそうだった。
「卑劣な!」
「とても心地よい響きだね」
グラエムがロゼッタを見下ろして笑っていると、部屋の中に別の年配の侍女が入ってきた。そしてグラエムに耳打ちすると、また部屋から出て行ってしまう。
「おっと、ちょうどアーネストがお見えだ。私の言った通りに一人で来るなんて、良い子だね。まあ、アーネストから戦力を奪ったのは私なんだけど」
「やめて! これ以上……アーネストを傷つけないで」
ロゼッタの悲痛な叫びも虚しく、黒髪の美しい青年が扉から姿を現す。
「これは……酷い歓迎だな。あちらにいるのは、私の婚約者に見えるのだが」
「もちろん、本物さ。交渉をしようか、アーネスト」
護衛はロゼッタに剣先を突き立てたままだ。
アーネストは眉間に皺を寄せて、グラエムを睨み付ける。
「交渉とは、対等な人間がするものだと思うのだが」
「そうだったかな。最近、忘れっぽくてねぇ」
ポンポンと耳を叩きながらとぼけるグラエムを見て、アーネストは溜息を吐く。
そしてアーネストはグラエムにゆっくりとした歩調で近づいた。
「それで、叔父上の要求はなんだ」
「余裕ぶっちゃって。お前が内心怯えているのは知っているよ」
「さて、それはどうだか」
「ふふっ、遠慮なくいかせてもらうけどね。さて、アーネスト。この紙にサインしてくれるかな」
グラエムが突きつけた書状を、アーネストは無表情で読む。
「王座を奪うため、反王家の貴族たちと同盟を結べというのか。すでに多くの貴族の名が書かれているな」
「そうそう。だからアーネストも気兼ねなく署名してくれ」
「……断ると言ったら?」
「そんなことはしないよ。お前の弱点は私の手の内にあるのだからね」
グラエムは中年の侍女に羽根ペンを持って来させる。
アーネストはそれを受け取った。
「駄目よ、アーネスト! 王座なんて、あなたには似合わないわ」
彼は幸せになるべき人間だ。
ロゼッタは恐怖を押し殺して訴えかけた。
「ほう。アーネストが王家に劣ると?」
グラエムが怪訝な顔をするが、ロゼッタは負けずに言い返す。
「そんな利権ばかりに気を取られている貴族たちと組んで、本当に王家を滅ぼせると思っているの? 仮に王座を手に入れたとして、アーネストが笑っているはずない! 幸せになってなれっこないわ!」
「知った口を。黙れ、男爵家の小娘風情が! おい、少し痛めつけてやれ」
「黙るのはあなたの方だ」
彼の口が弧を描いた瞬間、護衛の男が命令を実行するよりも早く、中年の侍女が一撃で昏倒させる。
「なっ!」
驚くグラエムだったが、すぐに中年の侍女に取り押さえられる。
彼女の鮮やかな身のこなしに呆然としていると、先ほどまでの余裕が嘘のように焦るアーネストがロゼッタに駆け寄った。
「大丈夫か!?」
「え? え?」
「怪我はないようだな。本当に良かった、ロゼッタ」
そう言って、アーネストはロゼッタを強く抱きしめる。
「く、苦しいわ……」
「す、すまない」
慌ててアーネストは身を離すが、両手はしっかりとロゼッタの肩を掴んでいた。
「ひゅー、お熱いね。お二人さん!」
中年の侍女がグラエムを押さえつけながら囃し立てる。
この緊張感のない言動。覚えがある。
「え……もしかして、ティナなの!?」
「そうでーす!」
ティナはポケットからハンカチを取り出すと、それで自分の顔を拭いた。
すると皺のあった顔は卵のようなツルツルした肌に戻り、目元の隈やシミすべて消える。彼女の化粧の技術はすごいと思ってはいたが、ここまでとは思わなかった。
「すごいわね」
「まあね! ちなみに傷とかも化粧で作れるよ。やってみる?」
「それは遠慮するわ」
「そう、残念」
ティナはニカッと笑うと、這いつくばるグラエムをグリグリと踏みつけた。
「ぐぅぇ……アーネスト!」
助けを求めるグラエムを、アーネストは冷めた表情で見下ろした。
「終わりだ、叔父上」
「王座を手に入れるんだ、アーネスト! それこそがカルヴァード公爵家の悲願だ」
「それは叔父上の悲願でしょう」
「お前は王家の悪行を知らないから、そんなことを言えるんだ!」
「……知っているさ。カルヴァード公爵家を恐れ、先王が両親を暗殺したことぐらい」
絞り出すような言葉に、ロゼッタは胸が痛くなる。
「……アーネスト、知っていたのね」
「それでも私は王座なんていらない」
アーネストはハッキリと言うと、ロゼッタから離れてグラエムに近づいた。
「王太子殿下に、カルヴァード公爵家が反逆を企てていることをお話した」
「そんなもの証拠がなければ罰することはできないだろう」
「証拠ならあった。この屋敷の使用人が私に渡してくれたさ。今、フェイが王太子殿下に届けている」
淡々としたアーネストの言葉に、グラエムは目を見開いた。
ティナは小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「うんうん。見た目通り、アンタは人望がないねぇ。旦那様も人望はあまりない方だけど、代わりに何があっても味方する少数の人間がいるから、アンタよりも上だよ」
「……早くから私を進んで裏切ったように見せ、あなたの隙を窺っているカルヴァード公爵家の使用人が数人この屋敷にいる。おかげで証拠集めはそれほど難しくなかった。必要なのは覚悟だったさ」
「アーネスト、王家に付けいる隙を見せたらどうなると思っているのだ! 今度こそ、カルヴァード公爵家を消されてしまうぞ!」
「……隙を見せたのは叔父上の方だろう」
アーネストは悲しそうに眉を下げた。
「あなたが言ったのだ。これはどちらかが破滅するゲームだと。だが、私は人の思い通りに動くのが嫌いでね。二人で破滅する道を選ぶことにした」
「お前が私に従うか、私を殺すか、その二択で良かったんだ。共に破滅など……」
弱々しい声で、グラエムは呟いた。
「当主として、叔父上を制御できなかった私が悪い。だから共に罰を受けよう」
アーネストがどんどんロゼッタから離れて行く。
こんな誰も笑顔になれない結末なんて、認めたくない。
「待ってください……!」
ロゼッタは一縷の望みをかけて声を上げた。
「……ロゼッタ?」
「グラエム様は、王座なんて求めていなかったのではないですか? ……本当は、アーネストに自分の復讐心を砕いて欲しかったのではないですか?」
わざわざアーネストに言伝を残す形でロゼッタを攫い、彼の過去や王家との関係を話すなんて、グラエムからすれば無駄なことだ。
王家転覆を謀りたいのなら、アーネストを上手く丸め込めば良いのに、彼に嫌われることばかりしているのもおかしい。王家への復讐心を燃やして計画を進めようとしているのに、何度もアーネストの意志を問うている姿は、ちぐはぐな印象を受けた。
「……違う」
グラエムは苦しそうに呟いた。
ロゼッタは、真っ直ぐにアーネストと同じグラエムの真紅の瞳を射貫く。
「いいから素直になりなさいよ! アーネストがいなくても、あなたは復讐に走れた。それなのにこんな回りくどいやり方をしたのは、どこかで間違っていると思っていたからではないの?」
これは賭けだ。
ロゼッタにとって、グラエムは理解しきれない人間だ。しかし、アーネストの叔父として、彼の意志を大切にして欲しいという勝手な理想を口にしたのだ。
「…………今更遅い。王家に知られたのであれば、私の首だけの問題ではなくなっただろう」
実際に行動をしなかったとはいえ、反王家の貴族たち同盟を組もうとしていたのは事実だ。それを王家に知られればどうなるかなんて、ロゼッタでも想像が付く。
「……アーネストとグラエム様が死んで、カルヴァード公爵家がなくなるのを受け入れなければならないの? そんなのは嫌よ。……嫌なのよ」
「……ロゼッタ」
アーネストは確実に公爵位と領地を没収される。平民の身分に落とされるのはまだいい。国王陛下の裁量で、死刑になることだってあり得る。
「ここでお別れなの? あなたの力になりたいって思ったのに……。家族と仲直りもさせてあげられない」
離れたくなくて、だけど彼らを止められなくて、ぐちゃぐちゃになった想いが涙と一緒に溢れていく。
「…………ロゼッタ」
「何よ」
アーネストはロゼッタの涙の雫を拭き取った。
「……じ、実は嘘なんだ」
「……嘘って?」
ロゼッタが小首を傾げると、アーネストはバツの悪そうな顔をした。
「王家に報告したのは嘘だ。カルヴァード公爵家も王家には反意がなく、叔父上の行動は私が監督し、すべて王家の敵を炙り出すためだったと王太子に報告している。だから罪には問われない。むしろ、王家への貸しになる」
「な、なんですってぇ!? どうして、あんな嘘を吐いたのよ!」
ロゼッタが責め立てると、アーネストはあからさまに目を逸らした。
「……叔父上を完膚なきまでに叩きのめしたかったんだ。使用人を奪うし、勝手な行動を取るし、ロゼッタを泣かせるし……」
「泣かせたのはあなたよ!」
驚きでロゼッタの涙は引っ込んだ。
アーネストはポンッとロゼッタの頭を撫でると、グラエムに威圧的なカルヴァード公爵の顔を見せる。
「あなたのしたことは許されないことだ。だから、生きて償ってくれ。このカルヴァード領、ひいてはこの国のために」
「それがお前の望みか?」
「そうだ。私もカルヴァード領と国と……家族のために尽くす」
グラエムは一度目を瞑ると、穏やかな笑みを浮かべる。
「分かったよ。敗者は勝者に従うのが定めだ」
ティナが拘束を解き、グラエムはよろよろと立ち上がる。
「……アーネストって、意外に策士だったのね」
彼は優しい。だけど、貴族的な強かさも兼ね備えていた。あながち、アーネストの噂も嘘ばかりではないのかもしれない。
(不器用で優しいアーネストも、強かで頼もしいカルヴァード公爵も、どちらもあなたなのね)
そんなことを思っていると、グラエムがロゼッタを見て笑い始めた。
「今頃気がついたのかい? いいだろう、ロゼッタ。叔父様が色々とアーネストのことを教えてやろう。それで君を危険にしたことは許して欲しい。……ところで、孫の顔はいつ見られそうだい?」
「え?」
「やっぱり隠居しろ!」
アーネストは顔を真っ赤にさせて叫んだ。




