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29話



 あれから何十着もワンピースを試着させられて、漸くロゼッタは解放された。


 選ばれたのは、白地にレモンイエロー色のチェックが入ったフレアワンピースだ。ウエストには同じ柄のリボンが結ばれ、スカートの裾にはたっぷりの白いレースがあしらわれている。焦げ茶色の編み上げブーツを履き、ロゼッタは一時間ぶりにアーネストの前に出た。



「ふむ。さすが、マダム・ヘイリーだ」


「ありがとうございます」



 マダムはお辞儀をすると、スッとロゼッタの後ろに控えた。



「……どうですか?」


「そうだな……」



 なんだかこのワンピースに自分が負けているような気がして、ロゼッタは不安になる。


 アーネストはジロジロ見ると、ロゼッタの髪を一房取ってくるくると回し始めた。



「彼女のふんわりとした赤毛に似合う帽子はないかね?」


「こちらはどうですか?」



 マダムは鍔の広い白色の帽子をアーネストに渡した。


 彼はロゼッタの髪を耳にかけると、そっと帽子を被せる。



「愛らしいな」



 優しく耳元で囁かれ、ロゼッタの顔はぽんっと赤くなった。



「あの……旦那様。このワンピースの代金は……」



 アーネストはそっとロゼッタの口に人差し指を当てた。



「気分転換に君を飾り立てるのも悪くない。私が楽しんでいるんだから、邪魔をするな。それとも、この間のように私を怒らせるか?」


「いいえ!」



 勢いよく否定すると、アーネストはロゼッタの腕を掴んでそのまま店を出た。



「ありがとうございます、旦那様!」


 ロゼッタがお礼を言うと、アーネストは立ち止まる。


 不思議に思って彼の顔を見上げれば、彼は不機嫌そうに顔を顰めていた。



「……アーネストだ」


「え?」


「アーネストと呼べ。……偽とはいえ、婚約者なのだから」


「……そうですね。偽とはいえ、婚約者ですもの」



 偽の婚約者だというのは分かっているのに、ロゼッタの胸の奥はズキズキと痛む。


 アーネストの顔を見ないように、ロゼッタは俯いた。



「それと、その丁寧口調もやめろ。ティナと接するように気兼ねない感じでいい」


「……分かったわ、アーネスト」



 思いがけない言葉に、ロゼッタは目を瞬かせる。


 アーネストはロゼッタと腕を絡み合わせ、まるで恋人同士のように密着する。



「分かれば良いんだ、ロゼッタ」



 そして再びロゼッタとアーネストは歩き出す。

今度は並んで、一歩一歩を惜しむようにゆっくりと。


「カルヴァード領の城下町には、様々な見所がある。案内してやってもいいんだぞ」


「でも今日は買い物に来たのよ」


「私は気分転換に来た」


「面倒な人ね」



 偉そうなアーネストを見て、ロゼッタはクスクスと笑い出す。



「そうだ。面倒な男が君の雇い主だ。不満か?」


「不満ね。意外と野菜の好き嫌いがあるし」



 ロゼッタがからかうと、彼は不満そうに唇を尖らせた。


 子どもみたいで可愛いとロゼッタは思ってしまう。



「き、君にだって苦手なものの一つぐらいあるだろう」


「確かに、ティナの作る料理は苦手だわ」


「好きな奴なんて存在するのか……?」



 和やかに談笑していると、ロゼッタは目的地に着いた。


 古びたレンガ造りの店で、薬草の絵が描かれた看板が立っている。



「あ、ここに用があったの」


「……薬屋か?」


「そうよ」



 ロゼッタはアーネストと手を繋いだまま、薬屋へと入った。



「ごめんください」



 中に入ると、店の奥で気難しげな老人が一人座っていた。


 ロゼッタは商品の置かれた棚を見て、目的の物を見つける。



「あった! レイン領には置いていなかったのよね」



 水色の液体が入った小瓶を手に取った。



「……君はこの薬を買うために働いていたのか?」


「ええ、そうよ。これで、お姉様の病気が治るわ!」



 棚に置かれた薬をすべて買うと、ロゼッタは満面の笑みを浮かべた。


 だが、アーネストは少し不満そうだ。



「自分の物は買わないんだな」


「わたしの贅沢とお姉様の病気が治ることを天秤にかければ、別に不自然なことじゃないと思うけど?」


「だが、君の姉の病気は何年か療養していれば治るものだ。薬がなくとも、時間をかければ治癒する」


「……もし、お姉様に今、他の病気が見つかったら? 免疫力が落ちているのに、そんなことになれば……死んでしまうかもしれない。そんなのは絶対に嫌よ」


「……ロゼッタ……」



 ロゼッタは真っ直ぐにアーネストを見た。


 彼は難しい顔をしていて、何か葛藤しているよう思える。



「わたしはお姉様の笑った顔が好き。お姉様の奏でる竪琴の音色ほど美しい旋律を聴いたことがないわ。温かくて、優しくて……自慢のお姉様なの」


 ロゼッタはただ素直に、ありのままの気持ちを言葉に乗せる。



「それに、今日はわたしにとって贅沢な日よ。アーネストが貧乏貴族のわたしを、こんな素敵な女の子にしてくれたんだもの!」



 その場でひらりとスカートを靡かせる。


 すると、アーネストは繋いだ手にキュッと力を込めた。



「べ、別に大したことじゃない。ただの気まぐれだ」


「ええ、ありがとう。わたしは幸せ者だわ」


「君は……姉が病気で寂しい思いをしなかったのか?」



 ロゼッタは少しだけ考えて、朗らかな笑みを作る。



「確かに寂しいと思うこともあったわ。でも、両親もお姉様もわたしを愛してくれた。そこに偽りはないと信じているもの」


「……偽りはない、か。君はもしも……信じていた家族が過ちを犯していたらどうする?」



 強ばったアーネストの問いに、ロゼッタは偽りのない言葉で向き合う。



「疎まれても、詰られても、説得をするわ。人は間違う生き物だもの」


「……その説得が通用しなかったら? 家族が罪に問われたら?」


「そうね……迷惑をかけた人に家族と一緒に謝りに行くわ。もしもその罪がとても重いものなら、一緒に償う。死ぬというのなら……死ぬわ。だって、家族を止められなかったのは、わたしの責任だもの。まあ、すべて想像なのだけど」



 家族とはいえ、違う人間なのだから、そこまでしなくても良いのかも知れない。しかし、ロゼッタは家族とても愛しすぎていた。



「いいや、君はそれを実行するだろう。姉を庇って、私の元に来るぐらいだからな」


「最初はアーネストのことが怖くて腹立たしかった。でも、今は違うわ。こうして目を見て、会話をして、心に触れた。噂のカルヴァード公爵はとっても怖い人だけど、わたしは実際のカルヴァード公爵がとても優しい人だって知っている」


「……私は優しくなどない」



 冷たい真紅の瞳をロゼッタに向けながら、アーネストは言った。



「優しいわ。だって見て、あなたの領民は飢えることも、怯えることもなく、生き生きとしている。こんな町を作れる公爵様は素敵な人に決まっているもの」



 叱るようにロゼッタが言うと、アーネストは優しげに目を細めた。



「……君の見える世界が、私にも見えたらいいのにな」


「? わたしたちは今、同じものを見ているでしょう」


「そうだな」



 ふと、アーネストは真剣な顔をしながら、ロゼッタの頬を両手で包み込んだ。



「もしも……私が公爵でなくとも、君は今までと同じように接してくれるか?」


「当たり前じゃない」



 たとえば、アーネストが平民になったからといって、ロゼッタは態度を変えたりしない。別にロゼッタは、アーネストが公爵だから傍にいる訳ではないのだから。



「そうか。……ならばいい」


「変なアーネスト」


「君は失礼な人だな」


「怒らせてしまったかしら。ごめんなさい」


「許さない。だから、私の気分転換に付き合ってもらおう」



 アーネストは再びロゼッタの手を絡め取り、歩き出した。



「どこへ行くの?」


「城下町の南に、君の瞳と同じ美しい碧色の湖がある。今の時期は湖の周りをコスモスが囲んでそれは美しい景色らしいぞ。私はそれを君と見に行きたい」



 強引な誘いだったが、ロゼッタはそれが何故か嬉しくて堪らない。



「い、いいわ。行きましょう。でもその前に、あそこの雑貨屋さんで茶葉を買ってきてもいいかしら。ティナに頼まれたの」


ドキドキとした気持ちが繋いだ手からアーネストに伝わってしまうのが怖くて、ロゼッタは隙を見て手を離した。



「ロゼッタ!」


「すぐに戻るから!」



 ロゼッタは振り返ってアーネストに手を振ると、雑貨屋に駆け込んだ。





 雑貨屋の中には、若い男性の店主と十歳ぐらいの少年がいるだけだった。


 ロゼッタはアーネストの元に戻るため、手早く茶葉の缶を二つ手にとってレジへと向かう。



「こちらをいただけるかしら?」


「はい、ただいま」



 店主は紙袋に茶葉の缶を詰めると、それをロゼッタに渡さずレジの下にしまってしまう。



「えっと、何かあったのかしら?」



 訝しんだロゼッタが問うと、店主は作り物めいた不気味な笑みを浮かべた。



「ええ、ありますよ。あなたにはご退場願いませんと」


「うぐっ」



 店主はロゼッタの腕を強く掴んで引き寄せると、何か薬品の塗られた布を口元に押しつけてきた。



「おい、止めろ!」



それを見ていた少年が店主に体当たりをした。


 だが、それは店主をよろめかせるだけで、倒すまで至らない。店主は少年の髪を乱暴に掴むと、拳を振り上げた。



「失せろ、ガキが」


「駄目ッ!」



 ロゼッタは咄嗟に叫ぶと、震える足を一歩踏み出した。



「わたしが狙いなんでしょう? それなら、大人しくついていくわ。代わりにこの子を見逃して」


「いいだろう。この子どもは使えるからな」



 店主は少年を古く擦れた縄で柱に縛り付け、白い上質な封筒を持たせた。そして、少年の耳元で囁くと、ロゼッタに視線を移す。


震えるロゼッタを見てにやけながら、店主は腕を縄で縛って目隠しをし、馬車でロゼッタを連れ去った。



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