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2話

 迷路のような屋敷の中をフェイに連れられて進み、ロゼッタは小さな扉がいくつもある廊下へと出た。そこはエントランスと違って薄暗く、日当たりも悪い。



(……そう言えば、人の気配がしないわね)



 こんなにも広大な敷地なのに、ロゼッタがカルヴァード公爵家に来て出会った人間はアーネストとフェイだけ。使用人が客人になるべく姿を見せないようにすることはあるが、それにしたって行き過ぎている。



「ここがあなたの部屋ですよ」



 フェイは立ち止まると、廊下の一番奥にある部屋の扉を開ける。


 そこはシングルベッドと机と椅子、そして小さな洗面台のある部屋だった。



「物置じゃないのね」


「さすがに物置に使用人を住まわせませんよ。監視下に置かないと、何をやらかすか分からないですからね」


「……わたしは盗みなんてしないわ」


「魔が差すと人間は何をするか分かりませんから。忠実だと思っていた使用人が、目の前にちらつかせた餌に釣られて裏切る、なんてことも珍しくはありません」


「……」



 優しげな口調でさらりとフェイは毒を吐いた。



「まあ、あなたが愚かなことをすれば、旦那様が黙っていませんので。生きていたければ身の振り方には気をつけることですね。では、仕事は明日からになりますので、おやすみなさい」



 沈黙するロゼッタを残し、フェイは早々に姿を消した。


 部屋に入って鍵を閉めると、ロゼッタはベッドに飛び込んだ。



「……わたし、生きているわ」



 今更ながら、ロゼッタの身体がカタカタと震えている。


 それを誤魔化すように顔を枕へ押しつけると、子どものように手足をばたつかせた。



「うわぁぁああ! わたしったら、なんであんなこと言ってしまったの。命知らず!」



 ロゼッタは家族のことを馬鹿にされると血が上ってしまう。だが、それにしたって、悪人で有名なカルヴァード公爵に盾突くなど、命知らずにもほどがある。


 格下の男爵家の令嬢なのに、まるで近所の悪ガキと喧嘩するような口調で怒鳴ってしまった。馬鹿だ、馬鹿すぎる。


 ……まあ、そんな馬鹿なことをしても、アリシアの代わりに侍女の仕事を貰えたのは幸いだ。これで一応、レイン男爵家の面子は立った。



「……お父様、お母様、お姉様。わたし、頑張るから……だから、みんなは幸せになってね……」



 旅の疲れとアーネストとの対面で神経をすり減らしたロゼッタは、うとうとと微睡む。


 そして、すんなりと意識は夢の世界へと旅だった。



    ☆


 フェイはロゼッタを使用人部屋に送り届けた後、再びアーネストの元へ戻って来た。彼は先ほどと同じソファーに寝そべり、ワインのコルクを抜こうとひとり格闘していた。



「まだ起きていたのですか、旦那様」



 フェイは棚からオープナーとグラスを取り出した。そしてアーネストからワインの瓶を取り上げ、慣れた手つきで栓を抜き、グラスにワインを注ぐ。


 氷で冷やしていない、ぬるいワインだが、今のアーネストはそれでも飲んで忘れたい気分なのだろう。



「旦那様は止めろ、フェイ。結局、結婚はできなかったのだから」


「結婚しなくとも、あなたはこの城の旦那様であるのですけどね」



 そう軽口を叩けば、アーネストはギロリとフェイを睨み付ける。この目つきの悪さは、ある意味才能だ。



「はいはい。では、アーネスト様。ロゼッタ様は使用人の部屋へ通しておきました」



 フェイは大人しくアーネストにワイングラスを差し出した。



「何か言っていたか?」


「いいえ、何も」


「……彼女は何者だ?」



 アーネストはグラス越しに自分を睨み付ける。



「そうですねぇ。カルヴァード公爵家の財産を目当てに姉を押しのけて来たのか、それとも――――」


「あの人の手の者か」



 フェイは真剣な面持ちで頷いた。



「旅の道中は徹底的に人との接触を避け、馬車の窓を覗くことも禁止しました。ロゼッタ様の存在は見つかっていないはずです。あの御方が干渉する隙はありません」


「敵対派閥でなく、あの人の息がかかっていない堅実な貴族で、尚且つ契約を結べそうな問題を抱えている令嬢ということで、レイン男爵家のアリシア嬢に目を付けたが……どうやら失敗だったようだな」


「まさか、姉君を押しのけて妹君が来るとは。アーネスト様、求婚状にどんな熱烈な口説き文句を並べたのですか?」


「簡潔な文だけだが?」


「またまた、そんな大嘘を。アーネスト様はただでさえ評判が悪いのですから、いつもの威圧的な口調のまま求婚状を書けば、ご令嬢方は裸足で逃げ出しますよ」



 レイン男爵家は政治から遠く、特定の派閥に属していない。小さな領地ではあるが、領民から慕われている。今時珍しい穏やかな貴族だ。


そんなレイン男爵家の問題と言えば、長女のアリシアが病気だということだろう。薬が買えず、レイン男爵家が難儀しているという情報を得たアーネストは、完治するまで薬の提供することを条件に、彼女を仮の妻に迎えたいと思っていたのだ。


 すべてはこのカルヴァード領を守るために。



(てっきり、脅し文句をちりばめた色気も何もない文章を書くと思っていましたが……人は成長するものですね……)



 アーネストは昔から無愛想で、色事はダメダメだった。

彼の成長に、フェイは心の中でひっそりと涙を流す。



「……威圧的で悪かったな。だが、侮られるのならば、恐れられていた方がマシだ」


「難儀なものですねぇ」



 いじけた顔でワインを呷るアーネストを見て、フェイは苦笑した。

 そしてすぐにカルヴァード公爵家執事の顔に戻る。



「明日からのロゼッタ様の処遇はいかがなさいますか?」


「本人が望んだのだ。侍女としてこき使ってやれ」


「やれやれ。貴族令嬢を仕込むのは骨が入ります。私も忙しいですし、ティナに任せますか」



 最近、とある理由で大量の離職者が出たため人手が足りないのだ。そのため、侍女の教育まで手が回らない。



「それはいいな。ティナ相手なら、すぐに音を上げて実家へ帰るだろう。貴族令嬢にティナは相性が悪い」



 アーネストは悪人のような笑みを浮かべる。


 顔は整っているのに、彼の表情は非情に誤解されやすい。蝶よ花よと大切に守られていた貴族令嬢では、アーネストの傍にいることはとても耐えられないだろう。



「そうですね。ロゼッタ様が、カルヴァード公爵家の財産を目当てであることを祈りますよ」


「……現時点では、あの人の手の者である確率が高いだろう」


「まあ、宝石もドレスもいらない、少しばかりの現金で良いと言うぐらいですからね。しかも、使用人部屋を与えられても我慢するなんて、普通の貴族令嬢ではありません」



 どこからかレイン男爵家長女との婚姻を嗅ぎつけられ、先回りされてロゼッタはあの御方の手の者になってしまったのだろう。



「彼女は私を探り、あの人に情報を流すつもりなんだろう」


「折角、屋敷の中を綺麗にしたのに……」


「いい加減、諦めて欲しいものだな」



 アーネストとフェイは深く溜め息を吐いた。



「アーネスト様を謀った、レイン男爵家の処遇はいかがなさいましょう?」


「……放っておけ」


「詰めが甘いから、碌でもない噂を流されるのですよ」



 フェイは呆れた目でアーネストを見た。



「うるさい! 私は別に……親しい者だけ理解してくれていればいい……」



 アーネストはまだ十代の少年の時に両親を事故で失い、公爵位を継いだ。


 その後、年若いアーネストを侮り、利用しようと近寄ってくる貴族たちが数え切れないほど現れた。不名誉な噂を流されようとも、それを利用してでもアーネストはカルヴァード公爵家を必死に守ってきたのだ。


 身近にいたフェイは、彼の不器用さと優しさを誰よりも近くで見てきた。

 そしてフェイはただの使用人だが、一生を懸けてアーネストに仕えようと決意したのだ。



「良かったですね、幼馴染みの親友が私と王太子殿下で。そうでなければ、アーネスト様は誤解やら陰謀やらで、もう死んでいますよ」


「そうだな」


「……これで、アーネスト様を心から愛して寄り添ってくれる奥様が居ればいいんですけれど……」



 フェイが小さく呟くと、アーネストは首を傾げた。



「フェイ、何か言ったか?」


「いいえ、何も」



 フェイはにっこりと笑みを浮かべると、ワインボトルをテーブルに置いて扉へと歩き出す。



「それでは、アーネスト様。今夜は月明かりもありますし、私は庭の手入れをしに行ってきますね」


「……苦労をかける」


「いいえ。前とは違い、地味な趣味の庭師に邪魔されず美しく庭園を改造できるのも、なかなか楽しいものですよ」



 フェイは小さく礼をして退室した。


 今のカルヴァード公爵家には、ロゼッタを合わせて三人しか使用人がいないため、フェイの休まる時は当分先だ。


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