26話
「かしこまりました」
イライラした気持ちを抑え、ロゼッタは併設された食料庫にチーズを選ぶために行った。
レイン男爵家とは違い、カルヴァード公爵家の食料庫には国中のチーズが集まっている。それだけで、ロゼッタにとってはワクワクする場所だ。
「うーん。メインは塩気の強いブルーチーズで、コクとまろやかさにハードチーズを二種類。あと、チェダーチーズも入れたら香りが出ておいしいかも」
手早くチーズを切り分けると、ロゼッタは早足で厨房へと戻る。
グラエムは追加したマリネを食べ終え、ロゼッタを睨み付けた。
「遅いぞ!」
「少々お待ちくださーい」
ロゼッタは適当にそう言うと、グラエムに背を向けて調理を始める。
鍋にたっぷりの水を入れて火にかける。沸騰させている間に、ハードチーズとチェダーチーズをおろし器ですり下ろす。これが中々の重労働だが、チーズの比率が偏らないように集中して行っていく。
「よしっ。すり下ろせた! 結構、力仕事なのよね」
ボウルいっぱいのチーズを見て満足していると、ゴボゴボと鍋から沸騰した音が聞こえた。塩をひとつまみ鍋に入れ、戸棚から乾燥させたペンネを取り出して、一人分の量を鍋に入れて茹でる。
「今のうちにソースを作らなきゃ」
フライパンにオリーブオイルと白ワイン、それにミルクを注ぐ。そして手で千切ったブルーチーズを入れて火にかけると、弱火で焦がさないように注意しながらブルーチーズを溶かしていく。
部屋にはチーズの芳醇な香りが満ちて食欲をそそらせた。
「そろそろ茹で上がったかな」
鍋の中でくるくると回るペンネは、お湯をたっぷりと吸ってモチモチしている。芯がないことを確認すると、ペンネをザルにあける。
そしてフライパンに入れ、ソースと絡めて火を止める。最後にすり下ろしたチーズを加えてよくあえる。熱々のとろけたチーズがペンネと絡まり合い、四種のチーズの香りが調和する。深めの皿にペンネをのせて、黒胡椒を振りかけたら特製チーズペンネの完成だ。
「できました、グラエム様」
「遅すぎる!」
グラエムは悪態を吐くが、その手には既にフォークが握られている。ロゼッタは呆れつつもチーズペンネをテーブルに並べた。
「見た目だけはいいな」
グラエムが一口食べる。目を瞑り、しばらく咀嚼すると眉間に皺を寄せた。
「……おいしくなかったですか?」
やはりロゼッタの料理の腕では、高位貴族のグラエムを喜ばせられなかったのだろうか。不安げに見つめていると、グラエムは小さく呟く。
「これはカルヴァード公爵家の仕入れた食材が良かったのだ。断じて、芋娘の料理がおいしい訳ではない」
「ありがとうございます」
「私は何も言っていない!」
「ええ、わたしも何も聞いていません」
ロゼッタは小さく微笑んだ。
「それでグラエム様。いつまでこの城にいるつもりですか?」
「いつまでいるかは、私が決めることだ。そうだな……夕食と明日の朝食も用意させる栄誉を与えよう。具体的に言うと、夕食はあっさりとした魚料理で朝食はパンケーキを所望する」
「……図々しくないですか?」
思わずロゼッタは素で返してしまった。だが幸いなことにグラエムは気にした様子もなく、グッと拳を握って熱弁する。
「間違ってもパンケーキに生クリームやベリーソースをかけるんじゃないぞ! バターとハチミツをかけた、オーソドックスなもの以外認めないからな」
「生地にココアを混ぜたり、自家製のキャラメルソースをかけたりするのもダメですか?」
パンケーキの魅力は多種多様なアレンジが可能なところだとロゼッタは思う。どんどん色々な味に挑戦して、自分好みのソースやトッピングを見つけていくべきだ。
しかし、グラエムには受け入れがたかったらしく、憤怒の形相でロゼッタを睨み付けた。
「これだから若い娘は嫌なんだ! シンプルこそ至高、原点こそが頂点! 年長者の言うことは聞きなさい!」
「…………」
ロゼッタはグラエムから視線を逸らし、窓の豊かな景色を見る。
(早く、帰ってくれないかしら)
図々しくことこの上ない。そもそも、ロゼッタの主はアーネストだ。グラエムをもてなすことは大事だが、食事の世話をするほど尽したくはない。
(大体、わたしの作る料理よりも自分で作る料理の方がいいんじゃない?)
ロゼッタの料理の腕は、時折レイン男爵家に手伝いに来てくれる料理人のお爺さんが教えてくれたものだ。お爺さんの料理の腕はレイン領一だと断言できるが、教えを受けただけのロゼッタの料理では、高位貴族を満足できるものは作れないと思う。
(まあ、食べられないことはないって意味だとは思うけれど……)
要はカルヴァード公爵家に居座って、アーネストの情報を盗み、彼の行動を制限するつもりなのだ。カルヴァード公爵家の使用人たちを奪っていっただけあり、グラエムの手駒は潤沢で、数日滞在したところで影響はないだろう。
しかし、アーネストは違う。少ない味方と自分自身を使って動かなければならないだ。時間は少しも無駄にはできないだろう。だから、グラエムの滞在は断らなくてはならない。
「……グラエム様、どうかお引き取りを」
「何故、私が男爵令嬢如きの言葉を聞かなくてはならない? 断りを入れるなら、君ではなく当主のアーネストだろう?」
「それは……」
「ああ、知っているよ。この城に、アーネストは今いない。そうだろう?」
グラエムの言葉にロゼッタはたじろいだ。
すぐにハッとして表情を引き締めるが、グラエムは確信めいた笑みを浮かべる。
「……ふむ。やはりそうか」
その瞬間、グラエムはロゼッタに鎌かけをしたのだと気づいた。
(……どうしよう、どうしよう、どうしよう……!)
ドクドクと心臓が嫌な音を立てる。
アーネストがこの城にいないことは隠し通さなくては鳴らない。ロゼッタは必死に思考を巡らせた。
「グラエム様が利用している隠し通路……あれは厩舎の近くのものですよね?」
考え付いたのは話題をずらすことだった。
冷や汗をかくロゼッタに、グラエムは不敵に笑った。




