21話
「さーてと、化粧終わり! うん、うん上出来だよ。気の強さがぷんぷんの典型的な貴族令嬢って感じ」
ティナは満足げに頷くと、ロゼッタのチェリーレッドの髪を簡単に編み込んでいく。
弱きなロゼッタの心とは反対に、鏡に映る顔は自信に満ちあふれている。昨日の優しげな印象とは異なり、ティナの言う通り気が強そうだ。けれど、ロゼッタの素材を極限まで活かしているのか、いつもより賢そうに見える。
「見た目は完璧ね」
「でしょでしょ! 今日は時間もあったし自信作だよ」
編み込みを緩く纏めると、ティナは銀細工のバレッタをつけた。それはいかにも高級そうで、ロゼッタの胃がキュウッと縮む。
「ねえ、今更だけど……昨日とわたしの性格が違ったら、さすがに怪しいと思うわよね? やっぱり悪女役は止めましょう」
「旦那様のいる前と態度が違うのは、貴族令嬢としては普通じゃん? 自分を脅かしそうな婚約者の家族に辛く当たるのも、身分関係なく普通だよ」
「それ、完全にフェイさんに毒されているわ」
「何、常識人ぶってんのさ。これから悪女を演じなくちゃいけないっていうのに」
「だって本当に来るの? 昨日、追い返されたっていうのに」
いつもより控えめだったとはいえ、ティナの特製ハーブティーを飲んだのだ。それがまた出されると知っていながらカルヴァード公爵家を訪れるのは、とても勇気がいることだろう。
そんなロゼッタの懸念とは裏腹に、ティナはニヤリと笑みを浮かべる。
「来るよ。あの御方は、ギトギトの油汚れよりもしつこいからね」
油汚れは大嫌いだ。ロゼッタは思わず渋面を作る。
「往生際が悪いと言われようと……わたしは、悪女なんて演じたくないわ」
「でも演じてもらわないとダメだよねー。今、旦那様とフェイは調査のために不在だし」
「聞いていないわよ!?」
最終手段として、フェイに言われたとおり悪女を演じた後は適当なところでアーネストたちに丸投げしようと思っていたのに、彼らが不在では計画を実行できないではないか。
ロゼッタは焦りを隠しきれず、ティナに詰め寄った。
「そりゃあ、言ってないよ。旦那様が城の外へ出たのは秘密だもん。グラエム一派に感づかれないように、秘密通路を使って城下町を脱出しているの」
「ねえ、もしかして……アーネスト様が城の外にいることは、グラエム様に見つからないようにしないといけないのかしら?」
アーネストはおそらく、グラエムに反撃するために領地外で秘密裏に動いているのだろう。
それが昨日グラエムが現れたからなのか、元々決まっていたことなのかは分からないが、彼にこちらの手の内をできるだけ明かしたくないのは、ロゼッタにも分かる。
「鋭いね、ロゼッタ」
ティナは軽快に指をパチンと鳴らした。
「前途多難だわ。やっぱり、わたしには荷が重すぎる役よ。代わりを見つけましょう。そうだ、フェイさんを女装させるなんてどう? 名案だと思うのだけど!」
期待をかけているのか、面白がっているのかは分からないが、王家打倒を狙うような貴族を田舎令嬢が相手取るなんて無謀過ぎる。
「もー、そんな弱きでどうするのさー」
「嫌よ、絶対に嫌!」
抵抗虚しく、ティナに引きずられるようにエントランスホールへと連れて行かれる。逃げられないことを悟ったロゼッタは、どんよりとした気持ちで溜息を吐いた。
「こんなに朝早くエントランスの前で待ち構えていても仕方ないわ。グラエム様が来るのはもっと日が高くなってからじゃない?」
「確かに。食堂に待機してようか。ロゼッタが昨日作ったクッキーはまだ残っていたよね?」
「そうね。アーネスト様がもらってきた高級茶葉もあるし、お茶にしましょうか。少しの間だけでもリラックスしていたいわ」
でないと、やっていられない。
ロゼッタたちは食堂へ向かうため、エントランスホールを横切る。
「ロゼッタの淹れる紅茶はおいしいんだよねぇ」
「……ティナみたいに余計なものを入れないからよ」
ロゼッタがそう言うと、ティナは唇を尖らせた。
「毎日飲むものほど健康にでしょ。そういえば、南国には紅茶にたっぷりのミルクとスパイスを入れて楽しむお茶があるみたい。やっぱり、あたしのお茶も間違っていないよ。技術が伴っていないだけで!」
「自慢げに言うところじゃないから」
ロゼッタは呆れた口調で言った。当然、ティナが何か反論をしてくると思ったが、彼女は足を止めると眉間に皺を寄せる。
「……ねえ、ロゼッタ。何か変な音が聞こえない?」
ティナは耳を澄ませながら、慎重に辺りを見回す。
ロゼッタも釣られて警戒していると、カチャカチャと金属を引っ掻くような音が僅かに響いているのが分かった。
「エントランスの扉の方ね。泥棒かしら」
「鍵穴をいじくっているのかな。正面から来るなんて度胸あるね。それとも灯台下暗しって奴かな。想定外だよ」
「……ティナ。武器になりそうなものを持って来てくれる?」
ロゼッタは意を決して言った。
「分かった。ちょっと待っていて。食堂に良い物があったはず」
ティナは頷くと、食堂の方へ足音を立てず器用に走っていく。食堂ならば、エントランスからほど近い。それほど時間はかからないだろう。
ロゼッタは冷や汗をかきつつも、エントランスの側にある石膏像の陰に隠れた。
(悪女役のことを考えている暇はなくなったわね……)
ただでさえ人が少ないカルヴァード公爵家だが、今はアーネストとフェイが不在で、女性であるロゼッタとティナしかいない。泥棒が何人いるのかは分からないが、力尽くで襲いかかられたら為す術はない。
(それでも、わたしたちがカルヴァード公爵家を守らなくちゃいけないわ!)
ロゼッタは震える手を握りしめる。
「お待たせ、ロゼッタ。手近にあったのはこれなんだけど、役に立つかな?」
ティナが持って来たのは、火かき棒と大鍋の蓋二つ。ロゼッタはどちらにするか迷ったが、結局火かき棒を手に取った。
「十分よ。隠れて、泥棒が現れたら襲いかかるの。先手必勝よ」
「ロゼッタ格好いい!」
「茶化さないの。反撃してくるかもしれないから注意してね」
ドクドクと心臓の音が耳元まで伝わってくる。ロゼッタとティナは息を潜めながら、泥棒が盗みを諦めてくれることを祈った。
しかし、それも虚しくガチャッと解錠される音が大きくエントランスホールに響いた。そして扉が静かに開かれ、泥棒が城に侵入する。足音はできるだけ小さくしようとしているようだが、靴の裏に鉄板を入れているのかコツコツと大理石の床を鳴らす。ロゼッタたちの存在には気が付いていないようだ。
「今よ!」
合図と共に、ロゼッタとティナは泥棒めがけて武器を振りかぶる。
「この不届き者!」
泥棒の年齢は五十代くらい。男性。服の色は焦げ茶色で地味だが、近づいてよく見るとアーネストが着るような仕立ての良いものだった。ロゼッタは「あれ?」と心の中で疑問に思う。
「な、なんだ!?」
泥棒は驚きの声を上げて振り返る。彼の顔を見て、ロゼッタは目を見開いた。
「――ってグラエム様!? ティナ、止めて!」
ロゼッタは咄嗟に火かき棒の軌道を逸らして空中を切ると、ティナに叫んだ。
しかし彼女は鍋の蓋を両手に持ったまま止まろうとしない。
「どりゃぁぁあああ!」
「ティナァァアア!?」
勇ましい叫びを上げながら、ティナはグラエムの前で鍋の蓋を思い切り打ち付ける。バシィィンッとシンバルのような轟音を響かせ、それを間近で聞いたグラエムは足をカクンと人形のように曲げて床に倒れ込んだ。
唖然としているロゼッタを尻目に、ティナは額の汗を爽やかな動作で拭った。
「ふぅ。悪は滅びた」
「今滅びたら困るから!」
「正義はあたしにアリ! あー、スッキリした」
「おふざけしてる暇なんてないから。どうするのよ。使用人が主人の家族を害するなんて、退職……いいえ、牢獄行きよ!」
ロゼッタは涙混じりに言うと、グラエムに駆け寄る。
ぐったりとして意識はないが、呼吸はしているようだ。
「そんな心配しなくても、大した怪我はしていないよ。急所は外したし、驚いて気絶しただけ。外に放置してれば、そのうち目が覚めるよ」
「良いから担架を持って来て! 医務室に運ぶわよ」




