19話
応接室はシンと静まり返った。
アーネストは怒りからか、唇が白くなるほど噛みしめている。
(……でも、そうよね。わたしなんかじゃ……)
ティナのおかげですごく可愛くなったと思っていたロゼッタだったが、それでも生まれながらの高貴な貴族令嬢やお姫様には敵わないのだろう。分かってはいるが、少し落ち込む。
そんなロゼッタを見て、アーネストはテーブルに身を乗り出す。そして見合いの肖像画ごとテーブルを強く叩いた。
「私にとってロゼッタは、かけがえのない人だ。優しく、強く、働き者で……二人っきりの時は可愛く甘えてくる。こんなに可愛くて愛らしい人を私は知らない」
アーネストに甘えた記憶はないが、彼の精一杯ロゼッタを庇ってくれていることは伝わってくる。
(そうよ。旦那様がここまで言ってくれているんだもの。わたしだって、堂々としなくちゃ!)
ロゼッタはふわりと笑顔が花開いた。
「わたしもアーネスト様のことをお慕いしております!」
「……ロゼッタ」
アーネストは慈しむようにロゼッタの頬を撫でた。
「ふんっ。そんな猿芝居には騙されんぞ。どうせ、私と関係のない辺境の貧乏男爵家から脅して連れてきたんだろう?」
グラエムの言葉に、ロゼッタの肩はびくりと跳ねる。
「お前のすべてを受け入れてくれる令嬢などおらんよ。だったら、カルヴァード公爵家により有利になる人と結婚しなさい」
「美貌や身分、それに資産がカルヴァード公爵の有利になると? それは叔父上の野心を満たしたいだけでしょう」
「私の野心は、カルヴァード公爵家の野心でもある」
「ふっ、身分ある女と結婚して、王家を討ち果たせと? 馬鹿馬鹿しい」
アーネストの言葉に、ロゼッタは驚愕する。
(……確かにカルヴァード公爵家が王座を狙っているという噂があったけれど、それは旦那様ではなく、グラエム様の思惑だったのね)
しかし、アーネストは王座など狙ってないという。ならばグラエムの独りよがりということだ。それなのに、彼はどうして確固たる自信を込めた笑みを浮かべるのだろう。
「カルヴァード公爵家はそれだけの権力がと資産がある。お前の母は王妹だ。血筋だってある。今の愚かな先王や、不甲斐ない王や王太子などよりも、ずっと強き王となる素質がある。私がそう育てた」
「私は望んでいない」
「だとしても、反王家思想のものは着々とカルヴァード公爵家に集まってきている」
それは内乱が始まるということだろうか。
貧乏男爵令嬢には身に余る話の大きさに、僅かに手が震える。
「カルヴァード公爵家ではない、叔父上にだろう」
「大した違いはないさ」
「私は王太子殿下の側近だ」
「そう思っているのはお前だけだ、アーネスト。貴族たちは、お前が王座を狙っていると確信している。王太子だって、お前を遠ざけようとするだろう」
グラエムがそう言った瞬間、アーネストは動揺を見せた。
「心当たりがあるようだな。そう、お前のことを愛して支えてやれるのは私だけだ。兄夫婦が死んでから、お前に手を差し伸べたのは誰だ? 貴族たちが、領民が何をしてくれた。アーネストの資産や爵位を狙い、未熟者だとあざ笑う。私はお前の苦しみをずっと見てきた。一番の理解者だ……」
「叔父上、私は……」
苦しそうに言葉を紡ぐアーネストを見て、ロゼッタは我慢ができなくなった。
彼の固く握られた拳の上にそっと手を重ねて、グラエムを睨み付ける。
「勝手なことばかり言わないでください!」
ロゼッタには権力も財力もない。政治のことだって、王都から遠く離れたレイン領に住んでいた自分には縁のない話だった。
王座を狙うと言われても、ピンとこないし、グラエムの紹介した令嬢や貴族のように、国を変える力なんてない。
(だけど……わたしは旦那様が苦しんでいることは分かるわ!)
アーネストは王座など望んでいないといった。冷たい表情でとても分かりにくいけれど、グラエムに会ってからずっと彼は泣きそうに見えた。
辛くて、苦しくて、それでもアーネストは助けを求めない。もしかすると、助けを求めることを知らないのかもしれない。
「グラエム様は、血の繋がった叔父なのでしょう? それなのに、どうしてアーネスト様の幸せを考えないのですか!」
ロゼッタが力強く言うと、グラエムは眉間にゴミを見るような視線を向けてきた。
「君のような田舎貴族には分からないだろうけどね、高位貴族や王族は政略結婚が当たり前なんだよ。その恩恵を君はこの国の民として、少しは受けているとは思うけどね」
「政略結婚だったとしても、少しでも幸せになれるように努力しては駄目なのですか。始めから結婚生活が破綻すると分かっている相手と、どうして結ばれなければならないのです?」
国同士の思惑が絡むのなら、どうしても避けられない政略結婚もあるだろう。だが、グラエムの勧めてくる相手は、高貴で資産のある身分というだけだ。
それならば、アーネストのことを大切に思ってくれる令嬢を探したっていいじゃないか。
「アーネスト様は極悪非道、王座を虎視眈々と狙う貴族と言われているのです。わざわざグラエム様に結婚相手を見繕ってもらわなくても、好きな女性ぐらい自分で狩って来られます!」
「……ロゼッタ。それは私を庇っているつもりなのか?」
アーネストはなんとも言えない表情でロゼッタを見た。
「まるで、アーネストが今から女性を狩ってきてもいいみたいな口ぶりだね?」
「も、物の例えです。わたしはその……実体験を言ったまでです!」
「つまりアーネストに狩られた後だと」
「ぶふっ」
アーネストは不自然に咳き込むと、何か言いたげにロゼッタを見つめた。
すると、グラエムが腹を抱えて笑い出す。
「くっ、ははははは! 面白いね、君は。でも、だからこそ危険だ。アーネストには相応しくない」
「相応しくないのはどちらですか」
ロゼッタは最初の頃の猫かぶりを止めて、ムッとした表情をする。
「言うねぇ。見た目とは違って、気の強いお嬢さんだ」
口調は和やかだが、グラエムの表情はゾッとするほど冷えたものだった。
「失礼いたします。お茶をお持ちしました」
ティナが普段とは打って代わって、楚々とした佇まいでお茶を運んできた。
ロゼッタとアーネストは、同時にビクリと身体を硬直させる。
(ティナの淹れたお茶? 大丈夫なのかしら。でも、お湯と茶葉しか使わないから……それ以外使っていないわよね?)
訝しむロゼッタの前に、ティーカップが置かれる。
色は一般的な紅茶のような澄んだ赤茶色。強い香りは今のところない。
(……意外とまともそうね)
ロゼッタはアーネストと視線を交わすと、一緒にお茶を飲む。
一応、貴族のマナーとして、出したお茶はもてなす側が先に飲まなくてはならない。毒がそのお茶に入っていないことを証明しなくてはならないからだ。
「……なんというか安心する味ですね」
「ああ、ホッとするな」
来客も飲むから気を遣ったのか、いつものティナの料理のような、強烈な薬品臭やスパイスの刺激はお茶からは感じられない。
だが、複数のハーブをブレンドしたのか、胃薬のようなスッとした匂いに、生姜のピリリとした軽い刺激しか感じられない。いつもの得体の知れなさとは違い、材料の想像ができるだけ安心できた。
それだけで、ロゼッタとアーネストはティナの成長を感じ、涙を流しそうになるぐらい嬉しかった。彼女が普通の料理が作れる日も近いかもしれない。
「気を抜いているところ悪いけどね、私はアーネストが結婚に承諾するまでいつまでもこの城に居座るからね!」
グラエムは喉が渇いていたのか、ティナ特製のお茶を一気に飲み干した。
「へぶるしゃいっ!?」
目玉が飛び出そうなぐらい目を見開いて、グラエムは奇声を上げる。そしてお茶を吐き出して、上着に赤茶色の大きな染みを作った。
「軟弱者だな、叔父上は」
「アーネスト! 私に何を飲ませた!」
「何って、異国の貴重なお茶だ。手に入れるのはとても大変だったのに、勿体ないことをするな」
アーネストは嘯くと、残っていたお茶を一気に飲み干す。
ティナの強烈な料理を食したことのある彼は、涼やかな顔のままだ。
(旦那様って優しいけれど、結構意地悪なところがあるわよね)
ロゼッタもとても美味しそうな顔で残りのお茶を飲み干し、壁際に控えていたティナに声をかける。
「おかわりをいただけるかしら。グラエム様もどうですか? この貴重なお茶は、この城でしか飲めませんよ。時間はまだまだありますし、もっと堪能してくださいませ」
優しくロゼッタがそう言うと、グラエムは顔を真っ青にさせる。
ティナのお茶の攻撃力の高さに、ロゼッタは感心した。
「きょ、今日のところは出直そうかな」
お見合いの肖像画をそそくさと懐にしまい直し、グラエムは立ち上がると早足で扉に向かう。
そして思い出したように不敵な笑みを浮かべながら、クルリとこちらへ振り返った。
「アーネスト。この戦いはゲームだということを忘れないでくれよ」
「……ゲーム、ですか」
「そうさ。私とお前、どちらかが破滅するかのな」
不穏な言葉を残して、グラエムは帰っていった。
嵐が過ぎ去った後、アーネストはぐったりとソファーにもたれかかった。
「……旦那様」
「ロゼッタ。少し、放っておいてくれ」
腕を目の上に置いて、少し弱々しい声で呟く。
ロゼッタにはグラエムとの争いを解決させる力はない。だけど、アーネストの苦しみを分かち合えたらいいのに。この思いが真っ直ぐに届けば良いのに。
そう心に願い微笑んだ。




