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1話

 ロゼッタは馬車に揺られ、一週間が経った。


 途中、馬車が脱輪することも、馬が疲れて言うことを聞かなくなることもない。泊まった宿も、無駄に広く清潔で内装も凝った部屋ばかりで、貧乏貴族のロゼッタは心底驚いた。


 快適な旅と言えるかもしれないが、馬車の中では窓のカーテンを決して開けないようにと、御者を務めていたカルヴァード公爵家の執事にキツく厳命されていたことに、不安が募る。


(……まるで隠されるように運ばれる高貴な囚人みたいだわ)


 ロゼッタは馬車の中で冷や汗をかく。


 道は舗装されているのか、馬車は殆ど揺れない。それは馬車が確実にカルヴァード公爵家へと近づいている証拠でもあった。



「……落ち着くのよ、ロゼッタ。大丈夫。カルヴァード公爵家だって、わたしみたいな健康だけが取り柄のような貧乏貴族令嬢をいたぶるのに、すぐ飽きるはずだわ。だから家に帰れるはずよ……」



 ロゼッタは人前だと気丈に振る舞えるのだが、その反動でひとりの時はどうしようもなく不安になってしまうことがある。


 恐怖を振り払うように両頬を軽く叩く。それと同時に馬車が静かに停まった。



「到着しました、レイン男爵令嬢」



 淡々とした口調で執事は言うと、ゆっくりと馬車の扉が開かれる。

 執事の手を取り馬車を降りると、ロゼッタは目の前の光景に唖然とした。



(……ここがカルヴァード公爵家? 王宮じゃないの?)



 目の前には、美しい藍色の城があった。庭園の草木は芸術的に整えられ、幾何学模様に並んでいる。見たこともない鮮やかな花々が咲き誇り、庭園の中央には薔薇のアーチが架けられていた。女神の彫像が飾られた噴水は、心地よい水音を奏でている。そしてそれらを抱え込むように、ぐるりと高い白亜の城壁が取り囲んでいた。


 ……田舎者のロゼッタが王宮だと勘違いしてしまうほどに、カルヴァード公爵家は桁違いの財力と洗練された美意識を持っていた。



(美しいわ。でも、この素晴らしい光景が、領民から過剰に搾取した税金で維持されていると思うと悲しいわね)



 ロゼッタは、執事に気づかれないように小さく溜め息を吐いた。



「では、レイン男爵令嬢。こちらへどうぞ。旦那様がお待ちです」


「……ええ」



 背筋を伸ばし、ロゼッタは執事の後ろを着いていく。


 途中、軋まない床だったり、ヒールが深く沈むほど分厚い絨毯や煌びやかな絵画と調度品に驚きながらも、それを顔に出さないように懸命に表情筋を酷使する。


 そして、二階の一番奥にある部屋に案内された。重厚な扉が開くと、そこには恐ろしいと噂の公爵が姿を現した。



「長旅、ご苦労だった。ここに来たということは、契約をするということで間違いないな。私はアーネスト・カルヴァード。以後、よろしく頼む」



 どんな悪鬼羅刹が飛び出てくるのかと思えば、意外にもカルヴァード公爵――アーネストは普通だった。……いや、厳密に言うと普通ではないのだが。



(み、見た目だけは素敵な紳士……いえ、騙されてはいけないわ! なんだか目が鋭いし!)



 アーネストの歳は確か二十四歳のはずだ。彼は鬼のように逞しい体つきなどではなく、スラリとした長身の青年だった。艶やかな濡れ羽色の髪は短く整えられ、顔立ちは人形のように精巧だ。その中で異彩を放つのが、怜悧な印象を抱かせる真紅の瞳。ガーネットのように美しく、危うい魅力を持っている。


 アーネストは偉そうに――実際、偉いのだが――ソファーに悠然と座り寛いでいる。



(……第一印象が大事だわ。しっかりしないと!)



 ロゼッタは令嬢らしい嫋やかな笑みを浮かべると、旅の中でこっそり練習した淑女の礼を取る。



「お初にお目にかかります、カルヴァード公爵閣下。わたしはレイン男爵家が次女ロゼッタでございます」



 決まった!とばかりにロゼッタは心の中で歓声を上げる。



「……ロゼッタ? 私が呼んだのは長女のアリシアだったはずだが……どういうことだ、フェイ」



 地に響くような恐ろしい声音でアーネストは執事に問いかけた。

 フェイというのは、執事の名前のようだ。



「うっかりでしたね。申し訳ありません。まさか、レイン男爵家が旦那様の要求を違えるとは思いませんでして、確認を怠りました」



 執事――フェイの言い方では、レイン男爵家が態とカルヴァード公爵家の要求をはね除けたようではないか。


 まあ、確かにアーネストが怖くて中々自分がアリシアではないと言い出せなかったのも悪いが……。



「ま、待ってください。姉のアリシアではなく、わたしが来たのは理由がありまして……」



 ロゼッタが慌てて釈明しようとすると、アーネストは眉を釣り上げた。



「理由? あの手紙の文面を読まなかったのか? 私が必要としているのは、嘘を吐かず契約を守り、相互利益を得るパートナーだ。君はフェイに事情を説明せず、姉を押しのけてここに来た。一体、なんのつもりだ?」


「姉は病弱なのです! それでは、カルヴァード公爵閣下のいう契約を果たせる訳がありません。だから、わたしが代わりに来たのです!」


「尚更、私は君を信じられない。私が所望したのは、病弱なアリシアであって君のような傲慢で欲深な人間ではない。所詮、レイン男爵家も下賤な貴族共と一緒ということか」


「……そんな……」



 アリシアが病弱だったからカルヴァード公爵家に呼びつけたというのか。彼女を苦しめ、殺すことを楽しみにしていたとでもいうのだろうか。



(……酷いすぎるわ。あなたにとっては壊し甲斐のある玩具でも、わたしにとっては――レイン男爵家にとってお姉様は、代わりのない大切な家族なのよ!)



 ロゼッタの胸の奥で、怒りの炎が静かに揺れる。



「即刻、この家から出て行きたまえ。そして、私の前に二度と顔を見せるな、恥知らずが」



 最低! 最低! 最低!!


 アーネストが吐き捨てるように言った瞬間、ロゼッタの怒りの導火線に火が付き、そして爆発した。



「……恥知らずなのはどっちよ。この人でなしの最低公爵! わたしは絶対にこの家を出て行かないわ。その契約とやらを果たしてみせようじゃない。お姉様のことを考えられないようにしてやるんだから!」


「言っている意味が分かっているのか?」



 アーネストの真紅の双眸が、ギラリと光る。まるで悪魔のように恐ろしいが、怒りで燃えに燃えているロゼッタは気にせず、不遜に鼻を鳴らした。



「分かっているわよ! 煮るなり焼くなり殺すなり好きにすれば?」



 恐怖心が麻痺したロゼッタがそう言った瞬間、アーネストの頬がピクリと動く。



「ふんっ。そのような挑発に私が乗ると思うのか? 愚かだな。そうだ、どうしてもこの屋敷に居たいというのなら……」



 アーネストは足を組み直すと、蠱惑的な笑みを浮かべる。



「私の身の回りの世話でもしてもらおうか。どうだ、屈辱だろう?」



 どうやらロゼッタの挑発にアーネストは乗ったらしい。おかげで当初の思惑通りに、アリシアの代わりにロゼッタが侍女となることになった。


 ロゼッタは内心でほくそ笑む。



「わたしがその程度の屈辱で音を上げるとでも?」


「がめつい女め」


「お褒め預かり光栄ですわ、旦那様。では早速、雇用契約の確認といきましょう」



 勢いのあるうちに面倒なことは済ませてしまおうと、ロゼッタは早速話を切り出した。



「……雇用契約だと? 君は私から給金を貰いたいというのか?」


「当たり前でしょう」



 タダで働かせるつもりだったのか、この鬼畜生め。


 ロゼッタの蔑みにも気づかず、アーネストは高慢に顎をしゃくる。



「面の皮が厚いとはこのことだな。君のために宝石やドレスをくれてやるものか」


「いりません。わたしが欲しいのは現金です」



 宝石やドレスは換金するのが面倒だし、そんな高価で無駄なものはいらない。貧乏貴族のロゼッタが信用するのは現金だけだ。


 アーネストは即答するロゼッタを見て、驚愕に目を見開く。



「はぁ!? わ、分かったぞ。君はカルヴァード公爵家の財産を狙って――」


「ひとまず、わたしはフェイ様に仕事を教わるということですので、新人侍女と同じぐらいの給金をくださいませんか?」



 矜持の低い貧乏貴族のロゼッタは、執事のフェイに敬称をつけることに抵抗はない。むしろ、これから仕事を教わる立場になるのだから、それが当然だとも言える。



「……それではまるで、侍女と同じではないか」


「それが何か?」


「余裕ぶっていられるのも今のうちだ。化けの皮を剥がしてやる」



 アーネストは眉間に深く皺を寄せた。


 怒りが静まってきたロゼッタは、窓から差す夕焼けを見て目を細める。



「どうぞご自由に、旦那様。とりあえず、今日はもう日が暮れて来ましたし、失礼しても良いですか? できれば、契約の開始は明日からということにして欲しいのですが」


「君の部屋はない。物置で寝るんだな」


「カルヴァード公爵家の物置なら、さぞ立派なのでしょうね」



 これだけ財力があるのだから、レイン男爵家にある自分の部屋よりもここの物置の方が豪華かもしれない。



「……意地を張らず、早くこの家から出て行くことだ」


「いいえ、出て行きません。わたしは命懸けでここに来たのですから!」



 殺気を放つアーネストに、ロゼッタは負けじと言い返した。



「……フェイ」


「はい、旦那様」



 フェイは恭しく頷くと、ロゼッタの肩を掴んで扉へと押し出した。



「ちょっと! まだ話が終わっていないわ」


「旦那様はお疲れです。意を汲んでひとりにして差し上げるのも、使用人の務めですよ」



 結局、ロゼッタはそのままアーネストに謝罪の一つも言わせることができず、そのままフェイに引き摺られていった。




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