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15話


 カーテンの隙間から柔らかな光が差し、ロゼッタはゆっくりと意識を覚醒させた。



「……朝? あ、いけない! 急いで朝食の支度をしなくちゃ」



 勢いよく起き上がろうとするロゼッタだったが、ベッドに上半身が俯せになるように椅子に座った黒髪の男性が静かに寝息を立てていた。



「だ、旦那様!?」



 黒髪の男性といえば、この城には当主のアーネストしかいない。


 ロゼッタは素っ頓狂な声を上げる。



「ん……目が覚めたか、ロゼッタ」



 怠そうに身じろぎをしながらアーネストは身体を起こし、ロゼッタへ眠たげな真紅の双眸を向けた。欠伸をし、目を擦る姿は、実年齢よりも幼く感じる。



「どうして旦那様がわたしの部屋――ではないですね? ここは客室だわ」



 混乱しながらも、ロゼッタは状況を把握しようと部屋の中を見渡した。そしてすぐに、自分が普段掃除している客室だと認識する。



「……覚えていないのか?」



 アーネストは髪をかき上げ、不満そうに言った。



「えっと、確かわたしは洗濯をしていて、それから……あれ?」


「君は洗濯中に倒れたんだ。医者からは風邪を引いたと言われた。軟弱者だな」


「も、申し訳ありません! お医者様まで呼んでいただいたなんて……代金は給料から引いてください」


 ロゼッタは顔を真っ青にして頭を下げた。


 アーネストは不機嫌さを隠さず、いつもよりも眉間に皺を寄せた。



「必要ない。君が私のことを、病気の使用人を医者に見せることができないほどの甲斐性なしだと周囲に思わせたいのなら、話は別だがな」


「すみません、旦那様」



 自分の良かれと思った言動が、アーネストの貴族としての矜持を傷つけてしまった。ロゼッタはがっくりと肩を落とす。



「私は君に謝罪など求めていないのだが? 少し考えれば分かるはずだ。他に言うべきことがあるだろう」



 高圧的に言うアーネストだったが、チラチラと何かを期待するようにロゼッタを見る。


 ロゼッタは暫く黙考し、もしかしてと言葉を紡ぐ。



「ありがとうございます、旦那様」


「分かれば良い」



 アーネストは微笑を浮かべ、すぐに元の気難しい顔に戻る。そしてロゼッタへ、白い包み紙を押しつけた。



「……これを食べろ」



 ロゼッタは訝しみながら、白い包み紙を開ける。そこにはハムとレタスのサンドウィッチがあった。



「……普通のサンドウィッチですね」


「普通で悪かったな。私が作ったサンドウィッチがそんなに不服か?」


「旦那様が作ったのですか!?」



 貧乏貴族ならばいざ知らず、筆頭貴族のアーネストが料理をすることに、ロゼッタは驚愕する。


 アーネストはそんなロゼッタの様子を見て、不満げに鼻を鳴らした。



「不満なら捨てれば良い」


「いいえ、そんなことはありません。いただきます」



 ロゼッタのために、アーネストが手ずから作ってくれたサンドウィッチを、食べない選択肢はない。


 ゴクリと喉を鳴らすと、そのままサンドウィッチに齧り付く。



「……おいしい」



 パンはしっとりふわふわ。薄切りのハムは何層にも重ねられ、シャキシャキのレタスと合わさり最高の食感だ。普通においしいサンドウィッチだった。



「そうか。初めて包丁を握った私でも作れたのに、ティナはどうしてあんなにも料理が下手なのか……」


「ティナは、料理に余計なアレンジをしようとするのがいけないのだと思います」



 ロゼッタはアーネストと会話をしながら、ぱくぱくとサンドウィッチを食べ進める。


そして、すべて胃に収めたところで、アーネストが水の入ったグラスと薬包を取り出した。その時、彼の手が赤く、たくさんの切り傷があるのを見つける。



「ほら、薬だ。よもや飲めないなど、子どものようなことは言わないだろう?」


「い、言いません! わたしを何歳だと思っているのですか」



 からかうアーネストからグラスと薬包を引ったくると、ロゼッタは風邪薬を飲んだ。以前飲んだ薬よりも粒子が細かく、苦みも少ない。とても上質な薬だということが分かる。



(……こんな貴重なものをくださるなんて……)



 戸惑いながらアーネストを見上げる。彼は切なげにロゼッタを見下ろしていた。



「本当に何も覚えていないのか?」


「倒れた後のことですか? 申し訳ありませんが、まったく記憶にございません。もしや、何か粗相をしましたか?」


「……君は魔女よりも質が悪い女性だな!」


 アーネストは椅子から立ち上がると、怒りにまかせてロゼッタを罵った。



「わたし、やはり何か粗相を!? ……うーん。やっぱり思い出せないわ」



 倒れてからの記憶が、やはりすっぽりと抜け落ちている。まるで酒に酔っていたみたいだ。


 それでも必死に思いだそうと唸っていたが、痺れを切らしたアーネストがブランケットをロゼッタの頭にかけた。



「もういい! さっさと眠ってしまえ!」


「でも、仕事が……」



 ブランケットから顔だけ出したロゼッタを、アーネストは睨み付ける。


「仕事だと? この私が付きっきりで看病したというのに、また体調を悪化させたいというのか……?」


「あ、いいえ。そうではなくって、わたしは身体が昔から丈夫な方で、風邪なんて滅多に引かないし……たとえ風邪を引いても、一晩寝れば治るんです。ほら、今みたいに!」



 そうロゼッタは力説するが、アーネストは胡散臭そうに嘲笑した。



「昨晩の君の状態を見たら、そんな戯れ言はとても信じられないな」


「……わたし、本当に何をやらかしたのよ!」



 ロゼッタは頭を抱えた。だが、やはり昨晩のことは思い出せない。



「君には三日間の休暇を与える。拒否は許さん。雇い主からの命令だ」



 アーネストはそう言うと、扉へと歩き始めた。


 ロゼッタは慌てて声を上げる。



「待ってください、旦那様!」


「うるさい。精々、ブランケットから出ずに養生することだな、ロゼッタ!」



 アーネストはビシッと指をさして叫んだ。


 ロゼッタは呆然と彼が退室する姿を見送った。



「……いつから旦那様がわたしの名前を呼ぶようになったのかしら?」



 誰もいなくなった部屋で、蓑虫のようにブランケットを身体に巻き付けながら、キャビネットの上に置いてあるタオルと水の入ったタライ、そして弱い火が揺らめく暖炉を見た。



「ずっと旦那様がわたしを看病してくれていたのね」



 ロゼッタは人に頼ることが苦手な女の子だった。風邪を引いた時、本当は傍に両親がいて欲しかったけれど、ロゼッタよりも重篤な病に苦しむアリシアを差し置いて、そんな我が儘を言うことはできなかった。


 こんなふうに一晩中看病をしてもらったことは勿論ない。



「旦那様の口は悪いけれど、本当は優しい人なのかも――いいえ、とても優しい人だわ」



 雇い主に看病をさせるなんて、使用人として恥ずべきことのはずなのに、心には温かな気持ちが広がっていた。胸に手を当てて、ドクドク脈打つ鼓動を確かめる。



「……ありがとう、アーネスト様」



 ロゼッタは悪戯をするかのように、こっそりと温かな気持ちをくれた彼の名を呟いた。




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