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14話


(……これはいったい誰だ!?)



 今までアーネストが見たロゼッタの表情と言えば、怯えや呆れ、怒りなどだった。


 それらは普段貴族たちから向けられている感情だったため、アーネストは特段気にすることはなかった。


 だが、今のロゼッタの好意的な表情はアーネストにとっては見慣れないもので、ドクドクと心臓が早鐘を打つ。



「そうだ、私は看病に来たのだ」



 散々流された不名誉な噂と目つきの鋭い外見のおかげで、夜会に出ればアーネストは貴族令嬢たちに怯えられ、遠巻きにされている。経験豊富な未亡人や男女の駆け引きを楽しむ貴族夫人なんかは積極的に迫ってきたが、アーネストは火遊びをして修羅場になるのは嫌だったし、何より彼女たちの捕食者の目が怖くて逃げ回っていた。


 だからハッキリ言って、見た目と地位の割に純粋培養のアーネストには、今のころころと表情の変わるロゼッタは小悪魔にしか見えなかった。


 アーネストは真っ赤に染まった顔を隠すように、ロゼッタから離れようとした。



「……どこか行っちゃうの? 嘘つき」



 ロゼッタは拗ねた顔をしながらアーネストのシャツの裾を掴んだ。


 あざとい。あざとすぎる……!



「い、いや、行かない。そこにある小鉢を取るだけだ」



 アーネストはしどろもどろになりながら、キャビネットの上に置いていた小鉢を取った。そして意味もなくグルグルとスプーンで何度もかき混ぜる。



「それ、なぁに?」



 ロゼッタは小首を傾げて問いかけた。



「おそらく、風邪に効く食べ物だ。食べると良い」


「食べさせて」

「……え?」



 アーネストが目をぱちくりとさせると、ロゼッタはまたぷうっと頬を膨らませた。



「食べさせてって言ってるの!」


「わ、分かった」



 ロゼッタの気迫に押されたアーネストは、思わず頷いてしまう。


 アーネストは震える手でスプーンを持ち、掬ったリンゴをロゼッタの口元へ運ぶ。すると彼女は、迷いなくスプーンを咥えて蕩けるような笑みを浮かべる。



「ん、おいしい。ありがとう」


「いや……別にお礼を言われるほどではない……」



 アーネストは真っ赤になった顔を隠して素っ気なく言った。


 これ以上ロゼッタのペースに呑まれるのは嫌だと思ったアーネストは、医者からもらった風邪薬を取り出した。



「ほら、薬を飲め」



 水さじと一緒に風邪薬をロゼッタに渡す。


 しかし彼女はそれをはね除ける。



「嫌よ」


「君は子どもか」



 ロゼッタは、呆れるアーネストを潤んだ瞳で睨み付けた。



「ロゼッタって呼んでくれなきゃ嫌よ」


「何を馬鹿なことを……」


「嫌よ」


「名前ぐらいで……」


「……」


「…………ロ、ロゼッタ……」



 観念したアーネストが名前を呼ぶと、ロゼッタは無邪気な笑みを見せる。



「えへへ。ありがとう、親切なお兄さん」


「……私のことは名前で呼ばないか」



 ロゼッタのこの甘えた態度は、アーネストのことを見ず知らずの他人だと思っているからなのだろう。嫌われているのは当たり前のことだというのに、アーネストの胸がズクリと痛む。


 ロゼッタはそんなアーネストの心情など気にもせず、風邪薬を飲んだ。



「薬を飲んだわ」


「そうだな」


「ご褒美に撫でてくれないの?」


「うっ」



 ロゼッタはベッドの上に両手をつき、期待した目でアーネストを見上げる。


 困惑するアーネストだったが、恐る恐るロゼッタのふわふわと柔らかなチェリーレッドの髪を撫でた。



「よ、よく頑張ったな、ロゼッタ……」


「そうでしょう? もっと褒めて」



 ぎこちないアーネストの手つきを咎めず、ロゼッタは尻尾を振る子犬のように笑った。



「薬を飲んだことだし、早く寝るといい。君が不調なのは、こちらとしても歓迎すべき事態ではないからな」



 ゴホンと咳払いをして、アーネストはロゼッタから離れようとした。

すると彼女は不安げに眉尻を下げた。



「わたしが眠るまで、手を握っていて。お願い……」


「し、仕方ないな」



 ロゼッタをベッドに寝かせると、肩までブランケットを引き上げる。


 次第に彼女はうとうとし始め、ぼんやりとアーネストを見た。



「……誰かに看病してもらったのは初めて……」


「そうか」


「わたしよりもお姉様の方が、とても辛そうだったから……」



 フェイの報告によると、ロゼッタは領地にいた頃はとても健康だったらしい。それでも、何年かに一度は風邪を引いていたに違いない。


だが彼女が風邪を引いた時、運悪く病弱だったアリシアも体調を崩した。ロゼッタは自分よりも姉の看病を両親に頼んでいたのだろう。……本当の気持ちを隠して。



「……君も不器用だな」



 ロゼッタが眠りについたのを確認してから、アーネストはそっと呟いた。


 そして彼女の頬を優しくなぞり、瞼の上にキスを落とす。



「見ぃちゃった、見ぃちゃった」



 下卑た声がかけられ、ドキリとアーネストの心臓が跳ねる。


 振り向くと、中途半端に開けられた扉からティナが顔を出し、ニヤニヤと笑みを浮かべている。



「テ、ティナ! いつから――違う、これは早く風邪が治るためのおまじないで」



 慌てて弁明するアーネストを見て、ティナは大袈裟に頷いた。



「ええ、分かっていますとも。野暮なことは言わないでよろしい」


「絶対に分かっていないだろう……!」


「もう、旦那様。大きい声を出すと、ロゼッタが起きちゃうよー」



 へらへらとした顔のままティナは部屋に入ると、キャビネットの上に氷枕を置いた。



「ではでは、後は若いお二人で」



 婚姻を勧めるお節介なご婦人のようなことを言うと、ティナはそそくさと退室していく。


 廊下から響く、弾むようなスキップの音は徐々に遠くなり、やがて聞こえなくなった。



「……使用人を気遣うのは、主人の役目だ。何らおかしいことではない」



 自分に言い聞かせるように言うと、アーネストはロゼッタの頭の下に氷枕を敷く。


 気持ちよさそうな寝息に安堵すると、アーネストは険のない朗らかな笑みを浮かべた。




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