12話
ロゼッタは客室のベッドに寝かされた。
アーネストはフェイを街まで走らせ、一年ほど前までカルヴァード公爵家に務めていた老齢の医者を連れて来させた。
医者はアーネストへ呆れた顔を見せたが、苦しむロゼッタを見てすぐに診察を行う。
アーネストとフェイはそれを黙って見守る。
「……ふむ。結構前から調子が悪かったようですな」
医者は聴診器を外すと静かに言った。
「それで、彼女は助かるのか? もしや、不治の病にかかって、余命半年!? いいや、まさか……今夜が峠だというのか。ならん! 金ならいくらでも払うから、彼女を助けてくれ!」
「思考が飛躍しすぎですぞ」
「いいから彼女は助かるのか!?」
焦るアーネストに、医者は安心させるように微笑んだ。
「風邪ですな。熱は高いが……身体も若いので、死ぬことはありません」
「……そうか」
「おそらく、心労と過労で免疫力が落ちて風邪をもらってきてしまったのでしょう」
「心労と過労か……」
慣れないカルヴァード公爵家へ来て、ロゼッタは真面目に働いていた。アーネストもフェイも、早くこの城から逃げ出させるために辛く当たってしまった。
(……ロゼッタは、叔父上のスパイではないんだろうな)
彼女が来て一週間が過ぎた頃から、薄々はその可能性に気がついてた。
だが、それを認めるのが怖くて、アーネストはロゼッタを遠ざけることばかりを優先させてしまった。もう少し……彼女の事情を聞いても良かったのだ。
「心当たりがおありのようですな。若い娘さんは大事にしてあげませんと。この娘さんを気に入っておられるのでしょう?」
「き、気に入ってなどおらん! 女など、煩わしいだけだ」
いつもの癖で咄嗟に虚勢を張ると、医者は小さく笑いを噴き出した。
「ぷぷっ。働き者の使用人という意味だったのですがな、アーネスト坊ちゃん」
「……坊ちゃんはやめろ。私はとっくの昔に成人している」
「坊ちゃんは坊ちゃんですぞ。まだまだ青い」
「うるさいぞ、爺」
この医者とは、生まれた時からの付き合いだ。
アーネストが多少睨んだからと言って、怯んだりはしない。
「さて、儂はそろそろ失礼しますかな」
医者は鞄を持って立ち上がった。
「泊まっていかないのか?」
急に呼び出して無理をさせたのは分かっている。
だからアーネストは医者には城で休んでもらい、明日街に戻ってもらおうと思っていた。しかし、医者は首を横に振る。
「アーネスト坊ちゃんたちの負担になる訳にはいきませんからな。娘さんも休ませてあげたいですし」
「……そうか。助かる」
今、この城にはフェイとティナ、そしてロゼッタしか使用人がいない。城の維持管理と日々の業務だけでも追いつかないのに、そこへ客人をもてなすのは、かなり負担だ。
なるべくカルヴァード公爵家の情報が外へ漏れないように気を遣っていたが、人々の噂までは止めることはできない。
おそらく医者は、実際に城の中に入って、アーネストの置かれているおおよその状況を理解したのだろう。
「どのくらいで片を付けられそうですかな?」
短い問いの中に、医者が使用人の件だけではなく、叔父のグラエムと揉めていることも知っているらしい。
観念したアーネストは、少し険のある顔で答えた。
「……分からない。だが、王太子殿下にしばらく領地のことに専念するように言われた。できるだけ早くカルヴァード公爵家を安定させるつもりだ」
王位を狙っているだとか、アーネストの口さがない噂を流布する者もいるが、真実は違う。
アーネストは王太子の側近で一番支援者だ。だから、貴族としても、友人としても、アーネストが倒れることは望まない。そのため、しばらくの間カルヴァード公爵家の問題に専念せよと言われている。
「ふむ。良き友人に恵まれましたな」
「ああ、本当にな」
アーネストが小さく笑みを浮かべると、医者は鞄から紙袋を取り出した。
「こちらが薬ですぞ。朝昼晩、食後に一包ずつの服用。後は暖かくして、たっぷりの睡眠をとって身体を休ませてあげてください。熱の上げすぎも良くありませんから、額は冷やした方がいいですな。もしも容態が急変したら、また儂を呼んでくだされ」
「分かった。ありがとう」
アーネストは薬を受け取ると、珍しく素直に礼を言った。
「ふぉっ、ふぉっ。応援していますぞ」
医者は小粋に笑うと、そのまま街へと帰っていった。
アーネストはロゼッタの眠るベッドの脇にある椅子に座ると、彼女の汗で張り付いた髪を優しく払う。
「……すぐにでも出て行くと思ったんだ。けれど君は頑固で負けん気が強くて、責任感もあって……けれど、か弱い女性であるということを忘れていた」
叔父の裏切りで、アーネストは視野が狭くなっていたのだろう。
ロゼッタのことを、叔父のスパイだと思い込んでいた。ずっとフェイとティナに見晴らせていたが、彼女はカルヴァード公爵家を調べるそぶりすら見せない。本当に真面目に働いてくれていた。
「私も失念しておりました。申し訳ありません」
「彼女が起きたら、謝るしかあるまい」
謝って、そしてロゼッタが来てからとても助かっていたとお礼を言いたい。できることならば、彼女の作る料理を食べさせてもらおう。……もう、ティナの料理は食べたくない。
「素直に謝れますかね。アーネスト様は、不器用人間ですし」
「……馬鹿にするな、フェイ。謝罪ぐらいできる」
「ええ、期待していますよ」
アーネストはフェイからロゼッタへと視線を移す。
このまま寝かせてやりたいが、彼女の顔は赤く、呼吸が乱れて苦しそうだった。
「苦しそうだな。一度起こして薬を飲ませるか」
そう言ってアーネストが立ち上がった瞬間、廊下からガッシャンッと何かが割れる音がした。
「……食堂からだな。私が様子を見てくるから、フェイは彼女のことを頼む。部屋を暖かくして、濡れタオルを額に乗せてやってくれ」
「かしこまりました」
アーネストはフェイに指示を出すと、早歩きで食道へと向かう。
徐々に強まる摩訶不思議な匂いに、胸騒ぎがする。
「何事だ?」
意を決して食堂を覗けば、そこには大量の割れた皿が散乱していた。
「あ、旦那様。その、うっかり……皿を割っちゃった」
ティナは皿を割ったことを誤魔化そうと、ペロッと舌を出して可愛らしく笑った。
「そうだな、皿が割れているな。しかし、私が今一番聞きたいのは……この凄まじい悪臭はなんだ?」
強い匂いで鼻がツンとし、頭痛がする。怒るのも億劫で、アーネストは無表情に言った。
「何って、ロゼッタに粥を作ったんだよ。病人食と言えば、これだよね!」
そう言ってティナは、土鍋に入った赤黒いものをアーネストに見せた。
その赤黒い何かはぐつぐつと煮立ち、紫色の煙が出ている。断じて粥などではない。
「……なんだこの地獄のマグマは」
どう見ても異界の物質だ。
「酷い、旦那様! ロゼッタが元気になるように、古今東西の身体に良い物をいっぱいぶち込んだのに」
「お前は彼女を殺す気か!」
「栄養満点だよ!?」
「栄養の問題じゃない! どうして、ティナは壊滅的に料理ができないんだ!」
堪らずアーネストは叫んだ。
「うーん。だいたいのことは拳で解決して生きてきたからかなー。繊細なこと難しいよ」
確かにティナは主人を世話する侍女ではなく、護衛する侍女で料理の技術は必要ない。しかし、人間として最低限のことはできても良いはずだ。美味しいものを作れとまでは言わない。せめて食べられるものを作って欲しかった。
「……もういい。彼女の食事は私が作る。ティナ、割れた皿を片付けろ。その地獄粥は自分で食べるんだ」
諦めてアーネストがそう言うと、ティナは元気よく手を上げた。
「はーい。粥の処理はフェイに手伝ってもらいます。でも、旦那様。料理ちゃんと作れるの? 駄目だよ、病人に変なものを食べさせちゃ。ロゼッタが可哀想だからね」
「少なくとも、お前よりはマシなものが作れる……!」
アーネストは怒りに満ちた瞳で叫ぶと、テーブルの上にあったリンゴを手に取った。そしてそれを、道具を使ってすり下ろしていく。
「そんな力を入れたら危ないよ」
「うるさい! 暇なら裏庭の氷室から氷を取ってこい」
「いえっさー!」
ティナは窓を開けると、しなやかな身のこなしで食堂から出て行く。
「……はぁ。私はどこへ向かっているんだろうか」
アーネスト・カルヴァード。二十四歳にして、初めての料理が始まった。




