10話
日が昇る少し前に起きたロゼッタは、食堂で朝食の用意をしていた。
早速バゲット作りを始めたロゼッタは、昨日の夜のうちに発酵させていた生地を丸めて成形し、天板に並べてオーブンで焼いていく。
テーブルを拭き、食器を用意していると、次第に食堂の中がバターとパンに混ぜたハーブの柔らかな香りに包まれる。
オーブンを覗くと、膨らんだバゲットがこんがりとしていた。ロゼッタは慌てて天板ごとバゲットを取り出した。
「良い香りね」
すんすんとバゲットの香りを嗅いでいると、ロゼッタの視界に影が差した。
「確かにな。一体、どんな毒そ――植物を入れたんだ?」
「植物? 今日のパンはローズマリーを混ぜ込みましたけど――って、旦那様!?」
ロゼッタが上を見上げると、そこには神妙な顔でこちらを見下ろすアーネストがいた。
「ローズマリー……血行を促進させ、消化機能を高める働きがある」
「こんな朝早くにどうしたのです? しかも、ここは使用人が使う食堂ですし……」
ブツブツと独り言を呟くアーネストに、ロゼッタは不審な目を向けた。
「気にするな。今日は仕事も休みだから、少し皆の働きぶりを観察しようと思っただけだ。私のことはそう……空気だと思ってくれ」
「か、かしこまりました」
こんな目立つ空気があるか、という指摘をロゼッタはどうにか呑み込んだ。
「ふぁぁ、おはよう。今日も早いね、ロゼッタ」
「おはよう、ティナ」
朝日が窓から差し込んでくる時間になり、ティナが食堂に現れた。
欠伸をしたティナは、眠そうな目でアーネストを見つける。
「ん? なんで旦那様がいるの」
「私のことは気にするな」
「分かった、気にしなーい! ねえ、ロゼッタ。今日の朝食のメニューは?」
切り替えの早いティナは、アーネストの言葉通りに彼から視線を外す。そしてその場でくるりと回ると、ロゼッタへ笑みを向ける。
「バゲットサンドにするつもりよ。具材はそうね……レモンと塩胡椒で味を付けたチキンなんてどう?」
「やった! 適当に旦那様の朝食を作って早くたーべよ」
ティナはそう言うと、真っ黒いハーブを取り出した。
すると、アーネストが眉間に深く皺を寄せる。
「おい! 主人の朝食を適当に作るとは何事だ」
「うわぁ、空気がしゃべった」
「誰が空気だ」
アーネストは鋭い目でティナを睨み付けた。
(いや、空気だと思えって言ったのは旦那様じゃない。面倒くさいわね)
呆れたロゼッタは鶏肉を叩いて伸ばし、下味を付けていく。
「いいじゃん。適当に作ったって、心を込めて丁寧に作ったって、どうせマズいんだからさ」
「諦めるな。少しは努力しろ」
「努力きらーい。人には向き不向きがあるんだよ」
ティナとアーネストの言い合いは続く。
ロゼッタは熱したフライパンで鶏肉を焼き始めた。
「おはようございます。……おや、旦那様ではありませんか」
「……フェイ」
カッチリとした執事服を着こなしたフェイが、籠を抱えて現れた。
アーネストはフェイを見て、バツの悪い顔をする。
「昔から思っていましたが、あなたは誤解されやすい割に可愛らしいところがありますよね」
「うるさい」
アーネストとフェイ、それにティナのやり取りを見るに、三人は身分に囚われず、とても親しい間柄のようだ。
鶏肉の皮がこんがりと焼けた頃、漸くアーネストとの言い合いが終わったフェイが、ロゼッタに籠を差し出した。
「ロゼッタ嬢、こちら絞りたてのミルクです」
籠の中には、牛乳瓶がいくつも入っていた。
「ありがとうございます、フェイ様!」
「……そのフェイ様は止めてください。私の方が身分は下なのですから」
「ではフェイさんと呼ばせてください」
これまでよりも少し優しくなったフェイを疑問に思いつつ、ロゼッタは微笑んだ。
「折角の絞りたてミルクですし、ホットミルクにして飲みましょうか。あ、ココアもいいですね」
「あたしはココア!」
ティナがすかさず声を上げた。
「私はホットミルクでお願いします」
「ティナがココアで、フェイさんがホットミルクね。わたしはホットミルクにしようかな。旦那様は――わたしの作ったものは嫌ですよね」
「あ、当たり前だ!」
アーネストが何故かロゼッタを睨み付けながら叫んだ。
当たり前のことを言うだけなのに、どうしてそんなに怖い顔をするのだろうか。
(……やっぱり、わたしは旦那様に嫌われているのね。まあ、仕方ないけど)
アリシアの代わりに来た健康な女なんて、面白味がないのだろう。だから、彼がロゼッタへの当たりが強いのも分かる。
「分かりました。旦那様を抜いて、三人分を作りますね」
鍋にミルクを入れると、そのまま火にかけた。
沸騰しないように注意しながら、ロゼッタはバゲットサンドの仕上げに取りかかる。バゲットに切り込みを入れると、レタスとトマト、そしてチキンを挟み込み、粒マスタードを載せる。
「完成したわ」
ロゼッタはバゲットサンドを皿に載せ、ホットミルクとココアをコップに注ぎ入れる。そしてそれらを、使用人用のテーブルの上に並べた。
「ねえ、旦那様。部屋に運ぶの面倒だから、ここで食べて行きなよー」
朝食を作り終えたティナが、アーネストに言った。
「ちょっと、ティナ。それはさすがに……」
使用人と主人が同じテーブルで食事をするのは、好ましくないことだとされている。公爵であるアーネストもそうだろうと思ったが、彼は渋面だがしっかりと頷いた。
「よかろう」
「いいの!?」
ロゼッタは目をぱちくりとさせた。
アーネストはロゼッタのことを気にすることなく、静かにフェイの隣へ腰を下ろす。
「ふんふーん、ふんふんふふーん」
ティナは鼻歌交じりに、アーネストの前に朝食を置いた。




