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9話



 王宮での仕事を終えたアーネストは、すっかり寂しくなったカルヴァード公爵家に帰ってきた。


 ラフな格好に着替え、ソファーで読書をしていると、アーネストの部屋にフェイがワゴンを引いてやって来る。薬品と香辛料を合わせたような奇妙な匂いが部屋に充満した。



「……食事か。今日はもう疲れたから街へ避難する余裕もないな」



 アーネストは本を閉じると、フェイは慣れた動作でテーブルの上に湯気の立つ皿を置いた。



「アーネスト様、本日の夕食のメイン料理は、当家秘蔵の料理人ティナによる、異国の珍しいハーブとスパイスで味付けをした――牛頬肉のワイン煮込みのような……しかし、そうでもないようなものになります」


「それは結局なんなんだ!」


「さあ? 私の知っている牛頬肉のワイン煮込みは、深緑色ではありませんので」


「……どうやったら、こんな色になるんだ……」



 目の前に置かれた、深緑色の牛頬肉のワイン煮込み(仮)をスプーンで掬ってみると、肉の存在は発見できず、すべてがドロドロに溶けていた。


 アーネストがなんとも言えない顔をしていると、フェイがそっと焦げ茶色の塊を差し出した。



「ご一緒にティナが作った、どうしてこうなったパンをどうぞ」


「ああ、バターとミルクをたっぷり使ったのに、何故か凄まじく堅くなってしまうとティナが嘆いていたパンか。どうしてこうなったではなく、ただの焼きすぎだろう」


「ハッキリとマズいと言ってもよろしいのですよ?」


「言えるか。無理を言って作ってもらっているのだからな」



 アーネストは無理矢理砕いたパンを牛頬肉のワイン煮込みに沈めると、ぐるりとスプーンで料理をかき混ぜて、一気に口へ運ぶ。


 今日はハーブよりもスパイスが多めだったらしく、舌がビリビリと痺れる。


 しかし、アーネストは自分を奮い立たせて完食した。



「私はアーネスト様のそういう不器用な所を、主として好ましく思っていますよ」


「馬鹿を言え。立派な主だったら、お前たちにこんな苦労はかけない」


「今の過剰な仕事量のことですか? それは仕方ないでしょう。前に居た使用人の半数はある日突然示し合わせたように離職し、残った私とティナ以外の使用人はすべて……あの方のスパイだったのですから」


「外の敵が漸く落ち着いてきたと思えば、内の敵に思い悩まされるとはな」



 別にカルヴァード公爵家の財政が悪く、人を雇えない訳ではない。むしろ、以前よりも税収が伸び、アーネスト個人が行っている事業も軌道に乗っていた。


 だから当然、カルヴァード公爵家は大勢の使用人が働いていた。それが今では、フェイとティナ……そして、レイン男爵令嬢ロゼッタだけである。


その原因は――叔父のグラエムがアーネストを裏切ったからだ。



「おいそれと領内の人間を使用人として雇う訳にいきませんし、外からの人間は中々信用できませんからね」



 フェイは神妙な顔でそう言うと、おもむろにワゴンから小さな皿を取り出した。


 そこには、このカルヴァード公爵家で久しく見ていなかった、ちゃんとした形をした黄金色のケーキらしきものが乗っている。



「お、おい! それはなんだ!?」


「アップルパイですが?」



 動揺するアーネストにフェイはサラリと答えると、取り出したフォークでアップルパイを一口食べた。



「ティナが作って――いや、街で買ってきたのか? しかし、そんな時間は――」


「アーネスト様が疑っている、あの方のスパイ候補からいただきました」


「何!? 毒が入っているかもしれない。吐き出せ!」



 アーネストの脳裏に一瞬、気の強そうなロゼッタが落ち込む姿が浮かんだが、それをすぐに振り払う。



「毒なんて入っていませんよ。彼女にそんなことはできません」


「……絆されたのか?」


「まあ、そうですね。彼女、すごく真面目で一生懸命仕事をしてくれているんです。執事としては、歓迎すべき人材ですね。あのティナもすっかり懐いていますし、悪い方ではないかと」


「そんな訳あるか……!」



 叫んだ後に、アーネストはハッとした顔で黙り込む。


 フェイは眉尻を下げ、困った顔をする。



「アーネスト様だって知っているでしょう。ティナは嘘を本能で見破る、カルヴァード公爵家の猟犬ですよ」



 そう言ってフェイはアーネストの前に、毒味の済んだアップルパイを置いた。


 アーネストは渋々アップルパイを食べる。



「どうです? 美味しいでしょう」



 問いかけるフェイを無視して、アーネストは噛みしめるようにアップルパイを平らげた。



(……確かに美味しい。本職の菓子職人にも引けを取らない味だ。だが……)



 幼馴染みのフェイとティナがロゼッタを信じても、アーネストは信じることができない。


 あれほど自分を支えてくれていた、血を分けた叔父だって簡単に裏切ったのだから、新しく人を信じるなんて無理な話だった。


「……私は騙されない。彼女の尻尾を掴んで、絶対に追い出してやる」



 アーネストの心は固く閉じたまま、人の心を恐れていた。






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