no.73
二人が出ていくのと同時に隣の部屋のドアが開くのがわかった。
まだみんな廊下にいるよね。
「な、なんで宮川君がここにいるの?」
「俺、ここに住んでるから」
「えっえーーーっ」
「夏休みに入るちょっと前から……」
「じゃ、一緒に住んでて、それなのにアリスに会ってないの? ふざけないでよ!!」
川上の甲高い声が聞こえた。
「アリスを責めないでくれよ。俺があいつを殴ったのは俺の気持ちが収まらないからでアリスのせいじゃない。謹慎だって俺が勝手にやったことへのもんだから」
「二人してなんなのよ。そんなんじゃ、全然先に進めないじゃない。バカじゃないの。本当にバカじゃないの!!」
「川上、もういいから。悪いな、宮川。俺達帰るから」
会話はそれで聞こえなくなった。
私のしていることはなに?
たかがキス、なの?
本当に?
指先で唇をなぞる。
川上がキスした唇。
多分池上がしたキスと重みが違う。
意味も違う。
でもおんなじキス。
先輩からもらうキスとは全然違う。
私が先輩のために守れたものって?
キス以上のことされなかったってこと?
バージン守れたってこと?
無理やりキスされたのはすっごいショックだった。
先輩に嫌われちゃうんじゃないかって思った。
なんだか自分がものすごく汚くなっちゃったような気がした。
コツン……。
ドアになにか触れた。
「先輩……、そこにいるの? ……先輩……かぎ……開いてる、から……開いてるから……」
怖かった。
でもドアを隔ててそこに苦しんでいる先輩が立っていると思ったらそう言っていた。
「……入っていいのか……」
「開いてるから……」
静かにドアが開いた。
顔を上げられなくて視線は床に落ちたままだったけれど、ドアが締って宮川が入ってきたのがわかった。
「アリス……」
目の前に立ってるんだよね。
先輩、こんな近くにいるんだよね。
「私……怖かった。先輩に嫌われちゃうんじゃないかって。もう嫌いになっちゃうんじゃないかって」
「なんで嫌いになれるんだよ。こんなに好きなのに、こんなにおまえが大切なのに。どうやったら嫌いになれるんだよ!」
「だって、私……バカだから、こんなことになって……」
「……俺も怖かった。泣いてるのに抱きしめてやりたいのに、手を伸ばしたら逃げられそうで、壊れちまいそうで……手どころか声をかけるのも怖くなった。失えないんだよ。おまえだけは……」
そっと手が前髪に触れた。
「……額の怪我、大丈夫か。もう痛くないか。見せてくれないか……」
私はゆっくり顔をあげた。
触れられるのは怖い。
でも大きな手。
見なれた優しい手。
この手なら、大丈夫。
「傷、まだ消えないな。もう痛くないか」
「うん……」
「よかった。きっとすぐ傷も消えるよな」
そう言って大きな手は頬に触れた。
怖くない。
大丈夫。
先輩はここにいて、私に触れてくれる。
「……私、先輩が好き。大好きだから、怖かったの。先輩が私のこと、嫌いになっていなくなっちゃったらって、怖くて怖くて……好きだから。ずっと好きだから……」
そう。
今も好きって気持ちは変わらない。
キスされたからって好きって気持ちは変わらない。
守れたものってこれなんだ。
私が守れたものって先輩への気持ちなんだ。
そう思ったらもう思いっきり宮川に抱き着いて泣き喚いていた。
「アリス……なにも変わってないんだよ。前と変わってない。俺達の気持ちも、皆の気持ちも。アリスが大切で守っていきたいって。変わってないよ。安心して」
ゆっくりとそしてしっかりと耳元で囁かれる言葉はまるで呪文のようで……。
まるで子守唄のようで……。
体がゆっくり沈んでいった。
意識はまだあるのになんだかふわっとした感覚で……。
「アリス……寝ちゃったのか?」
そっとベットに寝かされたのがわかる。
コンコン。
「はい」
宮川が答えた。
「……もう大丈夫みたいだな。本当に手のかかる娘だ」
「ほんとうに、アリスちゃんには困ってしまうわね。でも宮川君、ありがとう」
「いえ、今度のことは俺、何もできなかったし」
「こいつをまた頼めるかな」
「もちろんです」
「それが聞けてよかったよ」
「アリスは幸せ者ね」
「あの、今夜はここにいていいですか?」
「ああ、側にいてやってくれ。目が覚めて君がいなかったらそれこそ、ヘンになってしまうかもしれないからね。よろしく頼むよ。おやすみ」
「おやすみなさい」
ドアが締る音……先輩、ここにいるの?
一緒にいてくれるの?
「アリス、ゆっくり寝ろよ。ずっと側についててやるから」
頭がそっと持ち上げられて、そのあと抱きしめられた。
これって腕枕だよね、先輩。
私の一番気持ちいい場所だ。
あったかくて気持ちいい場所だ。
ここにいてもいいんだよね。私、いてもいんだよね。
優しく何度も何度も髪をなでられているのを感じた。
ふふふっ、気持ちいい……。




