no.26
トントンと階段を降りてくる音。
「アリス、しっかりして。大丈夫よ」
「うん」
私は腕で涙をぬぐうと、洗面器とタオルを持って部屋に行った。
締ったドアの前で
「パパ、お湯、持ってきたんだけど……」
ドアが中から開いた。
「入りなさい」
「いいか、タオルをお湯でちゃんと濡らしてからしっかり絞る」
そう言いながら上半身裸になっている宮川を起こした。
「パパが起こしてるから背中を拭いてやりなさい」
「えっ……」
「さっさとする。早くして着せなくちゃダメなんだよ」
「は、はい!!」
先輩、ごめんね、先輩……。
手元を見れなかった。
でも優しくしっかり広い背中を拭いた。
「よし、アリス、それお湯でまた温めて絞る!」
「うん」
パパはパジャマを下に置いてから、そこに宮川の体をそっと降ろした。
「先に腕を拭いてやってくれ」
「パパ、私がやりましょうか? アリスじゃ……」
ママが心配そうに入ってきた。
「いや、いい。アリスにやらせる」
パパ?
「早く!」
「はい!」
私は丁寧に両腕を拭いた。
「貸してみろ」
そのタオルを引っ張って、パパが宮川の脇などを拭いた。
「ほら、また温めて。そしたら胸のあたり、拭いてやってくれ」
「うん……」
すぐにタオルをお湯で温めて、パパが袖に腕を通している間に胸を拭いた。
涙で歪んで手元がよく見えないよ。
「よし、もういい。ボタンしてやってくれ。ママ、お茶」
「はい!」
「できたら布団かけて、洗面器に水入れて持っておいで。汗かいたら、すぐ拭いてやるといい。冷たいタオルで拭くと気持ちいいからな。顔と首のあたり……」
「うん」
私は洗面器を持って下に下りた。
お茶を入れていたママが肩に手を置いた。
「すぐ元気になるわよ。ね、アリスちゃん」
「うん。でも……私、なんにもできなくて。なんにも……」
「そんなことないわ。ちゃんと体拭いてあげたでしょ。それにちゃんと寝かせておいてくれたし、熱も測ってくれてたし、それだけできたら充分よ、さっ、それ、持っていくんでしょ」
ママに促されて、また涙を腕でぬぐうと、洗面器を持って部屋に行った。
パパはママが入れてくれたお茶を静かに飲んでいる。
「で、どうしてこういうことになったんだ」
「昨日、帰るとき雨に濡れちゃったんだって。私が傘、持たせてあげてたら、こんなことにならなかったのに……」
「おまえがどうすればよかったじゃなくて、あったことを話しなさい」
「で、シャワーすぐ浴びればよかったんだけど、そうしなかったって」
「じゃ、濡れたままいたってことか」
「多分……」
「いくら暑くなったっていってもな、この梅雨空でしかも夜だろ。そんなことしたら風邪を引くに決まってる。不注意だな」
「学校帰ってくるときから、なんだかもうヘンだったの。なのに気がつかなくて……」
「今、この熱だ。その頃は相当体にきてただろうな」
「うん」
「とにかく今晩は様子を見て、明日、熱が下がってなければ往診に来てもらうから」
「大丈夫なの? ね、パパ」
「おまえが今夜は付き添っていなさい。様子が変わったらすぐに知らせて」
「うん……」
パパとママは部屋を出ていった。
宮川の苦しそうな息遣いだけが部屋にこだました。
「ごめんね、先輩。もっと早く気付いてればこんなにひどくならなかったよね。私、自分のことばかりで……」
早く熱、下がって。
お願いっ!!
私は側にいることしかできない。
なにもしてあげられない。
いつもいつも甘えてばかりなのに私はなにも……。
うう~。
「先輩、苦しいの?」
汗、額に一杯。
拭かなくちゃ。
パシャパシャ。
水音が響く。
そっとタオルで額の汗を吸わせるようにふき取った。
襟元も汗をかいてる。
タオルを返して、そこも拭いた。
フーッ。
「気持ちいい?」
返事はなかった。
でも苦しそうな表情が一瞬柔らかくなったような気がした。
ずっとついてるからね。
見つめて涙流れて、拭いて、また見つめて涙が流れて……繰り返し繰り返し流れて涙は枯れない。
「ア、リス……」
布団の中の手が動いた。
手を出して両手で包む。
「ここにいるよ、私、ここにいるよ」
「痛くない、から、泣かないで。だい、じょうぶ……痛くしな、いよ。すぐ治して、あげる……から」
先輩?!
「私もう痛くないよ。手、治っちゃったよ。全然痛くないよ。だから先輩、元気になって」
握り締めた手がかすかに動いて、私は頬に押し当てた。
「痛くないよ……平気だよ……」
しばらく宮川の息遣いだけが聞こえた。




