no.146
出版社を後にして、駅へ向かう。
溜め息が漏れた。
「疲れたのか」
「うん、ちょっと」
「アリス、ここ、入ろう」
そう言って、ちょっとおしゃれな喫茶店に入った。
テーブルについてもなんだかボーッとしてしまう。
いつの間にか紅茶と私が大好きな苺がたっぷり乗ったケーキがテーブルの上にあった。
?
「ぼーっとしてるから。好きだろ。食べろよ」
「う、うん」
基樹はなにを考えているのだろう。
大道寺のことは気になるはずだから、もう会うなって言いたいんだろうな。
私だって、会うのはちょっとって思っちゃう。
でもまた童話書けるのかな。
ずっと書いていくのかな。
私は椅子の上にある大道寺からの封筒に視線を移した。
「やってみろよ」
えっ?
外に視線を向けたまま、基樹が言った。
「嫌いじゃないだろ?」
えっ?
なに?
なにが嫌いじゃないって?
「童話、書き上げたときのおまえの顔、よかったよ。なにかやり遂げたって顔。そうやって輝いていたいんだろ?」
その言葉を聞いてほっとする。
そういうことか。
なに、不安になってるんだろうって自分が恥ずかしくなった。
「でも、童話が私にとってどのくらいのものか、まだよくわからないよ」
「そりゃ、やりたくてやりたくてって始めたことじゃないからな。でもとりあえず試してみるってのもいいんじゃねーの。金倉さんも言ってたじゃねーか。もったいないって。金倉さんはプロだろ。プロから言われたんだ。賭けてみるのもいいかもなってさ」
金倉さんの言葉に嘘があるとは思ってない。
なのになんでこんなに不安になるんだろう。
なにかやりたいってすごく思ってたのは事実だし、それが童話だったら、ものすごく嬉しいはずなのに。
「おまえがしっかりしてれば、大丈夫なんじゃねーの。余計なこと心配してないで、やりたいと思うことやれよ」
私はまっすぐこちらを見つめて言っている基樹を見つめ返した。
私がなんで不安になってるのか、基樹にはわかるの?
「なんで? なんでそういう風になんでもわかっちゃうの? 私より先に基樹はなんでもわかっちゃう」
何もこんなところで拗ねなくてもって思うのに。
「おまえを見てるからだよ。大道寺がどうのってより先に自分のこと考えろ。振りまわされることねーよ。あいつだって、大人だし、バカじゃねーよ。多分」
多分って付けないで欲しい。
でも基樹は本当に私のこと、よく見てるんだね。
あったかくなれた。
「やってみようかな。童話は好き。お話考えてるの、とっても楽しいんだ。本になるのも夢みたいだし」
「ただし、気をつけろよな」
ぼそっと言って、基樹は前髪を掻きあげると外に視線を移してしまった。
なんだかかわいい。
わかってる。
私は基樹だけを見てたい。
基樹だけを愛してたい。
ほかの誰も見えないんだよ。
自分さえ、しっかりしてれば、大丈夫だよね。
******
間もなく私の本は出版された。
皆に話したわけじゃないけど、いつの間にか学校でも話題になってしまっていた。
「すごいよねぇ、アリス。もうしっかり童話作家だね」
「そんなんじゃないけど。でもね、がんばってみようかなって」
「アリス、すっごくいい顔してる!」
「沙耶のお陰だよね。何かやりたいって思ってても、自分じゃどうしていいのかわからなかったんだもん。沙耶があの募集記事持ってきてくれたから。基樹もがんばれって言ってくれたし」
「私、アリスのパワーってすごいと思うよ。結婚の話の時さ、何かやりたいって言ってたでしょ。流されたりしないところがあって、ちゃんと自分を見つめられる」
「そ、そんなこと……」
「ううん、本当に。で、本気でがんばっちゃうんだよね」
「がんばれるのは沙耶や基樹がいてくれるから。だからだよ」
私が私になれたのだって不安だった。
それを沙耶と基樹がなくしてくれた。
童話のときも。
ほかのときも。
いつも沙耶と基樹が私を助けてくれたんだ。
ずっと後ろばかり見てた私を前を向いて歩けるようにしてくれたのは沙耶と基樹だよ。
そんなことを考えていてじんわりしてきてしまった。
「な、なに。どうしたの?」
「えへへっ、幸せだなって。沙耶と基樹に出会えて本当に……幸せ、だなって」
「や、やだなぁ、照れるよ、アリスってば。でも私も同じ。アリスに会って、アリスのパワーもらって、ね」
「うん」
人が出会うって奇跡だよね。
幸せの奇跡だよね。