no.131
「アリスくん、仕事場に案内しましょう」
「は、はい」
部屋から出てきた先生に着いて行く。
白い洋館から渡り廊下を歩いて木造の建物に入る。
「こちらが僕のアトリエになっているんですよ。どうぞ」
建物の中は柱が真中にあるだけで、ひとつの広いフロアになっていた。
右手に綺麗に画材がしまわれた棚があって、その上に上がる階段がある。
あとは大きな机。
描きかけのキャンパスも立っていたりする。
「こちらに来てごらんなさい」
机のほうに呼ばれる。
「これが今描いている君の童話の挿絵だよ」
机の上に数枚の絵が置かれていた。
うさぎが手に青い玉を持っている絵。
少女が泣いている絵。
樹の上にいるリスの絵。
……どれもこれも信じられないほど、心を捉えた。
今にも動き出しそうな感じだ。
「すごいです、本当に。風が吹いてきそう……」
「いい表現ですね、さすがに」
「えっ、でも本当に。この樹の葉なんてサラサラって動きそう。女の子の髪も」
「喜んでもらえて嬉しいですよ」
青い瞳がまたまっすぐ私を見つめる。
冷たい青じゃなくて、なんて暖かい青なんだろう。
先生ってハーフなのかな?
「君のこの髪、きれいだね。僕の描いた少女に似ている」
そう言われて髪に触れられた。
ドキドキ……。
「今度は君にモデルになってもらいたいくらいですよ」
「えっ?」
「僕は油絵も描くんですよ。個展なども開いている」
それは知らなかった。
「今まで描いたものの一部しかないけれど、見ますか?」
「ぜひ!」
一部と言われたけれど、ものすごい数だった。
ひとつひとつじっくり見せてもらっていて時間が過ぎるのも忘れてしまう。
「すっかり遅くなってしまいましたね。食事を用意しましょう」
腕の時計に目をやるとなんと8時。
うわぁ~~~っ、こんな時間までお邪魔してたなんてとんでもない。
「す、すみません。夢中になっちゃって。あの、私帰ります」
「いや、食事をしていくといい」
「いえ、とんでもない」
「このまま帰しては僕の気持ちがおさまらないんですよ。それともお家の方が心配するかな?」
「いえ、今日は大道寺先生にお会いするって言ってきましたから」
「では、大丈夫なんですね。食事の用意をさせましょう。君はもうしばらくここで見ているといい」
「は、はい」
ここまで言われては断れない。
結局、食事をご馳走になった。
どこか豪華なレストランに行って食べるお料理のようなものばかりでちょっと緊張してしまった。
でも先生のおしゃべりは楽しかった。
今まで描いてきたものなどをいろいろ話してくれた。
食事が終わって、送ってくれると言い出した。
「あの、そんなことまでしてもらっては……」
困ってしまう。
「こんな時間に女の子を一人で帰すわけにはいかないでしょう。車を出しますよ」
「で、でも……」
「僕もここ数日外に出ていないから、ちょうどいい気分転換のドライブですよ」
「は、はぁ~」
なんだかんだで、車の中。
「ぜひこれからも童話書いてくださいね。そしたらまた僕は絵を描ける」
「でも先生はたくさんお仕事してるから……」
「いや、君の書いたものにはぜひ描かせてもらいたい。こんなに波長の合う人は始めてなんですよ。だから」
なんだか本当に気に入られちゃったのかな。
とっても有名で、手の届くはずのない人がこんなに近くにいて、こんな風に言ってくれてるなんて夢のようだった。
車窓に目を移す。
なんだか頬が火照って。
「家はもうすぐかな」
「あっ、はい。次の交差点を左に曲がってすぐの赤い屋根の家です」
車は静かに交差点を曲がり、家の前で停まった。
「着いてしまったね」
は?
「また遊びに来てくれませんか? 君と話すのはとても楽しい」
またあの青い瞳で見つめられた。
ドキドキ。
「あ、あの……」
「いい絵が描けそうな気がするんですよ。こうして波長の合う人と話ができると」
「は、はい」
そっと手が私の頬に触れた。
「また来てくださいね。待っています」
心臓がバクバクする。
手が触れている頬が熱い。
「は、はい。あの、また伺います」
「ありがとう。嬉しいですよ」
「そ、それじゃ、あの、今日は本当にありがとうございました」
私は慌てて車から降りた。
車の中って密室なんだってものすごく実感した。
ドキドキが収まらない。
車が走り去るのを見てから家に入った。
「おかえり、アリス。車の音がしたみたいだけど」
階段を基樹が降りてきた。
「う、うん。話が弾んじゃって遅くなったから、先生が送ってきてくれたの」
「そっか」
「あらっ、アリスちゃん、お帰りなさい。遅かったわね。食事は?」
リビングから出てきたママが言った。
「ごめん。してきちゃった」
私はそれだけ言うと基樹と部屋に入った。
「食事までご馳走になってきたのか?」
ドアに寄りかかって基樹が訊ねた。
「うん。悪いからって言ったんだけど」
「そっか」
基樹が不機嫌だった。
遅くなったのが気に入らないのかな。
でもこれも本の出版のためだし。
こういう機会もそんなにないし。