リビングにいる象 ~人口減少問題とジェンダー問題
「リビングにいる象」は、”見て見ぬふり”とか、”大き過ぎて、見えにくい問題”の事らしいです。
ある日、ネットサーフィンをしていて、偶然、僕はこんなようなニュース記事を目にしました。
『父親と二人暮らしのBさんは、なんとか正社員の職を見つけようとしたが見つからず、低賃金の派遣社員として働いている。今はなんとかやっていけているが、将来的には生活できない状況に追い込まれてしまうだろう不安が消えない。
このBさんのようなケースはまだ良い方で、親の年金に頼って暮らしている若者もいる。今後、こういった境遇にある人間達が生活困窮状態に追い込まれるだろう危険はかなり高いだろう。にもかかわらず、国は何ら手を打とうとはしていない……』
この時見ていたページでは、この記事に対しての様々なネットユーザーからのコメントも閲覧できたのですが、その内の一つにはこんなものがありました。
『なんでもかんでも国に責任を押し付けるな! 仕事がないのは本人の問題だろうが!』
それを読んで、僕は「ああ、この人、分かっていないなぁ」とそう思いました。似たような意見を持っている方は多いのじゃないかと思いますが、もう少し視野を広げてみた方が良い気がします。
確かに飽くまで“個人”を基準にするのであれば、その主張は正しいかもしれません。“国に必要以上に頼らない”という意識を持つ事は重要です。「国が守ってくれるから平気だ」なんて甘えていたら、どんどんと人間は駄目になってしまいます。もしも国民全員が国に依存したら、社会は滅びてしまうでしょう。因みに、こういったように甘えの意識を持って努力しなくなる事を“モラルハザード”といいます(生活保護受給者の何割かは、恐らくこの状態に陥っているのではないかと思います)。“国”なんて主体は存在しません。国に頼るという事は、つまりはそれは国を支える国民を頼るという事。国に頼る人が増え過ぎて、負担を担う人の割合が減れば、自ずから社会は衰退していきます。
が、しかし、政治家や官僚の立場で働く人間達が『なんでもかんでも国に責任を押し付けるな! 仕事がないのは本人の問題だろうが!』なんて意識を持ってはいけません。もしこんな意識を持って、何もしないでいたのだとするのなら、それは職務怠慢です。今度は政治家や官僚達のモラルハザードです。
何故なら、“社会”を基準にするのであれば、「仕事がない」という問題は社会全体の問題である事が言えるからです。個人の力ではどうしようもありません。
今からそれを説明しようかと思いますが、ここでその説明の為の対話の相手として、『なんでもかんでも国に責任を押し付けるな! 仕事がないのは本人の問題だろうが!』と主張する人達の代表としてZ君(仮称)に登場してもらいます。説明するのには誰か相手がいたほうがやり易いので。
このZ君は特定の個人を指し示してはいません。“就職難は個人の問題だ”と考える人間の象徴としてある匿名性の高い誰かです(まぁ、僕が勝手に考えているだけなのですが)。このZ君は僕の友達だという設定にしておきます。彼は先の記事を僕と一緒に見ていて、そして先の台詞を言うのですね。
「なんでもかんでも国に責任を押し付けるな! 仕事がないのは本人の問題だろうが!」
――部屋の中。パソコン画面の前で、僕はその言葉を聞いて思わず顔をしかめてしまいました。少しどうかと思ったからです。何も言わなかったのですが、Z君は僕の表情を敏感に察し、こう問いかけてきます。
「なんだよ。何か言いたい事があるのか?」
僕は少し悩みましたが(なんだか少し面倒臭そうなので)、こうそれに応えます。
「いやまぁ、君の言いたい事はよく分かるよ。確かに何でもかんでも国に頼ってちゃいけないと思う。でもさ、ある程度は個人の責任だとしても、これ、個人だけじゃどうにもならないのじゃないかとも思うんだよ」
するとZ君は軽く首を傾げました。
「なんでだよ?」
「だってさ、世の中の仕事の量って有限な訳だろう? 無限じゃない。仕事の総量が減っていて、労働者全員分なかったのなら、どう足掻いたって失業者は生まれるさ。まぁ、それはつまりは労働需要が低いって事だから、低賃金の労働者だって出てくる。これ、個人がどう努力してもどうにならないんだよ。こういう問題は国が動かないと」
Z君はそれを聞くと、少し変な顔を見せはしましたが、それからこう尋ねてきました。
「国が動けたって、どうすれば仕事を増やせるんだよ? 公共事業でもやれってか? 今、日本は財政問題が酷いんだぞ?」
「いや、まぁ、公共事業はやらない方が良いだろうねェ。
と言うかさ、物事は何でもそうだけど、問題の原因を突き止めて、その上で問題解決の方法を考えるってのが基本なんだよ。まずはその基本に忠実にいかないか?」
「つまり、お前は“仕事が少ない”事の原因を考える方が先だって言いたいのか?」
「その通り」
僕はそう言うと、一呼吸の間を置きます。
「当たり前だけど、仕事ってのは誰かが何かの生産物を買う為にお金を払ってはじめて誕生するもんだ。米農家があるのは、米を買う人がいるから。ゲーム会社が存在できるのは、ゲームを買う人がいるから。
という事は、“仕事が少ない”のは、世の中の人があまり生産物を買わないからだ。もちろん、そもそもお金を…… 通貨を持っていなかったら、買い物なんかできないのだけど、日本の場合は今のところはまだ平気だ。物を買うだけの通貨を生活者達は持っている。つまり、誰かが通貨をあまり使わずに貯蓄しているって事だね」
それにZ君は大きく頷いた。
「なるほど」
「普通は通貨ってのは循環しているもんだってのは分かるよね? 誰かが生産物を買うとその為に払った通貨は労働者に流れて、その労働者が何か生産物を買ってまた別の労働者へと…… そんな感じで通貨というのは循環しているもんだ。
が、この通貨を誰かが貯蓄してしまい、死蔵させてしまったなら、この“通貨の循環”が断たれてしまう事になる。早い話、失業者が発生してしまうのは“通貨の循環”を阻害しているからなんだ。一応、補足しておくと、これは不景気の原因とそのままほぼイコールだ。
では、一体、この世の中の誰が通貨の循環を遮断してしまっているのだろう?」
それを聞くとZ君は少し考えてから、こう言った。
「金持ちか?」
「うん。そうだね。金持ちで、通貨を大量に貯蓄している人達が、通貨を遮断している犯人だ。だから、景気対策で公共事業をやって、不正に金を稼いで私腹を肥やしている政治家やら官僚達は、長期的に観れば、むしろ景気を悪化させている事になる。大いに糾弾するべきだろうね。もっとも、全ての原因が彼らだとは言えない。実は統計上、貯蓄を多く持ち、かつ使う意志のない世代がある……
まぁ、世代間格差とか言われているから、簡単に分かると思うけど、高齢者世代だね。資産を多く持つ高齢者の消費意欲が低いもんだから、そこで通貨の循環が断たれ、通貨が死蔵されてしまう。それが不景気を招き、失業者を発生させているんだ。
世の中には親の金で暮らしている人達もいる訳だけど、これは高齢者が通貨を使わないから無職になっているだけで、その高齢者の使わない通貨を若者が代わりに使っている…… なんて事も、もしかしたら言えるのかもしれない訳だ。ちょっと皮肉って感じだね」
それを聞き終えるとZ君はこんな事を言って来た。
「……それを聞いて思い出したんだけどよ。
ある漫画家の日記漫画で、自分のお婆ちゃんの貯金の多さに仰天するって話があるんだよ。恐らくは何千万って単位の額だろう。しかもそのお婆ちゃんは、富裕層でも何でもないそこら辺にいそうな質素に暮らしている普通のお婆ちゃんなんだな。それを読んだその時は、こんな事を書いたらこのお婆ちゃんが犯罪者に狙われちゃうんじゃない?とか余計な心配をした訳だが、もしかしたら、そういう老人が他にもたくさんいるのかもしれないな」
「――だと思う。時々、高齢者が何千万って額のお金を騙し取られたってニュースが流れる事があるしね。高額の年金を貰っている高齢者で質素な生活を送っている人達は、そんな感じで凄い額の貯金を持っちゃっているのかもしれない。
あ、そうそう、それで思い出した。その年金制度も問題なんだよ。
知っての通り、年金制度を支えているのは現役世代だ。現役世代から保険料を徴収して、高齢者世代へと支給している。
これ、つまりは通貨を使う意志があるどころか、通貨を使う必要のある育児世代から、通貨を使わない高齢者世代へ通貨を回してしまっているという事だ。わざわざ消費を低くしているようなもんだよ。これで景気が回復するはずがないって思わないか?
もちろん、年金生活者の中には苦しい生活をしている人達もたくさんいる訳だけど、少なくとも裕福な高齢者達の年金支給を減らすって事は絶対に行うべきだと僕は思う。じゃないと社会全体がもたない」
Z君はそれに頷きました。
「ああ、今は高齢社会だしな。これからますます、高齢者の割合が増えていく。その状況がもっと悪化するって事か。
しかしだ。なら、年金制度を改正すれば、その問題は解決するんじゃないか? 育児世代へ通貨を回すようにすれば、消費は増えるんだろう?」
「いや、多分、それだけじゃ不充分だろうと僕は思う…… もっと大胆な手を打たないと駄目だろうね」
「例えば?」
「例えば、こんなのはどうだろう?
税金を徴収して、その全ての通貨で国が何かを買う」
そう僕が言うと、Z君は目を丸くしました。
「いやいや、何を言ってるんだよお前は? 正気なのか?」
まぁ、彼が驚くのも無理はないと思います。常識ではおよそ考えられない方法ですから。
「大いに正気だね。いいか? 固定概念に囚われず、冷静になってよっく考えてみてくれ。生活者達が通貨を使えば景気は回復するってのは認めるよな? これって、実は国が税金を徴収して、それを全て使うんでも同じ事なんだよ。国が介在しているかどうかの違いでしかない。消費は増える。
因みに、これは“均衡予算乗数の定理”って呼ばれるものと同じ事を説明している。
今の世の中を観ると、生産するべき公的な機能は山ほどある。太陽電池などの再生可能エネルギーの普及、その他の環境問題対策、水産資源枯渇対策、医療介護福祉、児童虐待を防ぐ為の取り組み……、まだまだあるぞ。一般の国民に任せていたんじゃ、これら必要な機能は社会に生まれないだろう。この発想を使えば、それら必要な機能を社会に生み出せるんだよ」
まだZ君は納得いかないような表情を浮かべていましたが、僕は続けます。
「もちろん、注意しなくちゃいけない点は多々ある。まず、そんな事をすれば政治家や官僚達が不正をやって、その通貨を掠め取ろうとするだろう。どの企業から何を買うのか?って問題もある。公平にその生産物の質と値段から評価して、自由競争した上で買うってシステムが必要だ。
更に、国民が使った通貨が国民に戻ってくるようにしないといけないから、海外への通貨の流出があまりに多過ぎればやはり問題だ。つまりは、大部分の労働力を国内で賄う必要があるって事だ。もちろん、例え海外に流出しなくても国内で“死蔵された通貨”が生まれるような状況は防がないといけない」
「なんか色々とややこしいな。もっと分かり易く言えないのか?」
「分かった。言う。要するに、通貨が循環するように、システム設計をしないといけないって事だよ。通貨がどこにどう流れているのか監視して、循環を阻害する要因があるようだったなら、是正しなくちゃならない」
それを聞くと、Z君は頭を少し掻きました。それからこう言います。
「理屈は分かった。だが、それって上手くいくのか?」
それに僕はこう返しました。
「何を言っているんだよ? 僕が言っている事って公務員制度と原理的には同じだぜ。もちろん、公務員制度には問題点が多々ある訳だが、少なくとも続行不可能な事態に陥る程致命的なものはない。その公務員制度にもう一工夫するだけなんだから、大いに実現可能だろうと思える。
もちろん、今までにどの国もやってない方法ではあるから、実際に施行したらどんな問題が発生するかは分からない。しかし、控えめに判断しても、実験してみる価値がある事だけは確かだと思う。
因みに、これ、ほぼ確実に通貨の循環量を増やせるから、最初の一回だけは、通貨を増刷する事が可能だ。通貨需要が増える分だけ、通貨を供給するから、不健康な物価上昇にはならない可能性が大きいのだね。詳しい説明は割愛するけど、現在日銀がやっている量的緩和政策に比べれば遥かに安全だ。
更に付け足すと、これに成功すればGDPを増やせるから当然、税収も上がる。財政状況も改善するだろうね。
正直に言うと、僕は今の日本の経済問題を打開する方法は、これしかないって考えているんだ……」
ここで、少し補足です。
僕にはどうしてこの“通貨循環モデル”を応用した制度が、議論の対象にすらされていないのかが不思議でなりません(まぁ、そもそも多くの人が、この方法に気が付いていないのかもしれませんが)。
何故なら“ベーシックインカム”と呼ばれる、全ての国民に対して最低所得を保証する制度は広く世界で、この日本でも、議論の対象になっているからです。簡単に言っちゃえばこの“ベーシックインカム”って制度は、僕が提案する制度から“労働”を差し引いたような制度です。生活保護受給者をもっと多くするといった感じ。
しかも、あの実力・資本主義のアメリカで実現しかけた事すらもあります(結局は廃案になりましたが)。
今の先進諸国は、生産性がとんでもなく高いので、原理的には実現可能性は一応はあるかもしれません(今後はどうか分かりませんが)。が、やはり“ベーシックインカム”は採用しない方が良いと僕は考えます。モラルハザードも心配ですし、そもそも先ほども述べましたが、公的に必要とされる社会的機能は山ほどあるので、労働者達を遊ばせておく意味はないと考えるからです。
簡単に言うと、
「労働者が余っているのなら、社会問題を解決する為に使えば良いじゃないか!」
って事です。
労働しない人達に、通貨を回すって発想に比べれば随分と真っ当だと、少なくとも僕は思うのですが、どうでしょう? 自由競争の原理を取り入れば、共産主義国家(実質的には専制主義ですが)で起こっている問題もあまり発生しないでしょう。
もっとも、僕の提案する方法にも問題点は存在します……
「……ただ、この方法。労働力が余っていないと使えないんだよ。でもって、今日本は高齢社会で労働力が急速に減り続けているだろう? はっきり言って時間がないんだな。だから僕は大いに危機感を抱いている」
僕がそう言い終えると、Z君は「ちょっと待て」とそう言いました。
「何?」
「労働力が減り続けているんだったら、別にそんな制度を導入する必要はないのじゃないか? 放っておいても労働力が余らなくなって、失業者達は就職できるようになるじゃないか」
僕はそれを聞くと大きくため息を漏らしました。
「ところが、そう物事は甘くないんだな。それってつまりは経済が委縮するって事だ。すると、生活水準が下がる。しかも、日本には莫大な財政赤字があるから、労働力の減少によって起こる物価上昇…… つまり、スタグフレーションが起こった場合、財政が破綻しかねないんだ。
国は今まで、国民の貯金から借金をし続けて来た訳だけど、物価が上昇すると貯金が減って金を貸してくれる“元”がなくなっちゃうからだね。ただでさえ、高齢社会でますます財政が厳しくなるのに、そんな事が起こったらどんな悲惨な事態に陥るのか想像もしたくない……」
さて。
何故か、あまり大きく話題にはならなかった印象を僕は受けましたが、2015年10月1日に、公務員の加入する“共済年金”と一般のサラリーマンの加入する“厚生年金”が一元化されました。
実を言うと、僕はこのニュースに少しばかり驚いたのです。
それまで僕がこの年金の一元化で記憶していたのは小泉内閣の時に出された案で「2018年を目途に」というものでした。それを知った時、僕は「そんなに先かい! ははーん、さては一元化する気ないな」なんて思ったりしました。ずるずる先延ばしして、結局は手を付けないだろうと思っていたのです。
公務員の共済年金は厚生年金よりも優遇されていまして、もし一元化するとそれがなくなってしまう可能性があります。なので、公務員の皆さん達が“共済年金”を手放したくはないのは当たり前でしょう。だから激しい抵抗があるのだと僕は考えました。ですが、その後の経過は不勉強で申し訳ないのですが知りませんが、しかし、なんと小泉内閣の頃の案よりも前倒しされて実現してしまったではないですか!
……と言っても、以前よりはマシになってはいますが、完全に年金制度の公務員優遇が消えた訳ではないようです(詳しくは専門のページを参照ください)。
僕は自民党政権を支持してはいないのですが、厚生年金と共済年金の一元化を達成できた点は評価すべきだと考えます。公務員の労働組合が支持母体の一つとなっている民主党がもし政権を握っていたままだったなら、これは実現できなかったかもしれません。
当たり前の話ですが、年金の優遇を減らせば、その分、税金を節約できます。公務員の方達には申し訳ないですが、今の日本の財政状況を考えるのなら、これはやらなければいけない改革だったでしょう。一歩前進したと言えるかもしれません(もちろんこれは、僕が訴えて来た、あ、訴えて来たのですがね、“高齢者年金の支給額を減らす”事と実質的には同じです)。
ただ、これ、裏を返せば、高齢社会を迎えた今の日本の財政・経済状況がそれだけ酷くなっているとも捉えられるのです。自民党政権は追い詰められた結果、どうにもならなくなって公務員の高齢者年金優遇を減らしたのではないでしょうか?
社会の高齢化に伴って、日本が追い詰められた結果、自民党政権が掲げているのではないかと思われる方略はまだあります。
『一億総活躍社会』
などと銘打って、自民党は次の政策の指針とも取れるものを提示しました。アベノミクスを行い、経済成長を実現さえすればあたかも全ての問題が解決するかのように言っていた訳ですが、その効果は充分ではなく(実体経済について分かっている人なら、これは予測できていた事でした)、結局は高齢社会対策を別途、推し進めなくてはならなくなったのでしょう。
もちろん、この『一億総活躍社会』というスローガンは政治的なパフォーマンスでもあるのでしょうが、「希望出生率1・8」、「介護離職ゼロ」などといった目標はほぼそのまま高齢社会対策を意味します。少なくともその目指すべき方向付けは明確になったのではないでしょうか。ただし、この目標を達成する為には、恐らくは高齢者への行政サービス、及びに更なる高額年金支給額の減額(因みに、これは年金に税をかける方法で行われます)、高齢者の労働の推奨など、高齢者から嫌われる政策を実行しなければ達成はできないでしょう。
自民党政権は今までのところ(2015年11月現在)、これら目標を達成する為の具体策を提示していないのですが、それはだからかもしれません。高齢社会になると、選挙で政治家が当選する為には、高齢者の人気を獲得しなければいけないので、高齢者優遇の社会体制になり易いと言われているのですが(これはシルバー民主主義などと言われています)、その影響を既に受けていると見てまず間違いないでしょう。だから、高齢社会対策を執ろうにも、高齢者の反発を受けるようなやり方は難しいのですね。
“発展する社会”というものは、次世代の成長の為に富を使うものですが、社会が高齢化しシルバー民主主義の状況になれば、その逆の事が行われてしまうのです。一応、断っておきますが、人口割合が大きい“働かない世代”に対し、十年以上もの間、高額の生活費を支給するような時代は、この長い日本の歴史においてもありませんでした。つまり、今は異常な時代です。
選挙権年齢が20歳から18歳に引き下げられましたが、これは或いはシルバー民主主義対策なのかもしれません。
先のZ君との会話の中でも述べましたが、高齢社会が進行し続け、労働力が減り続ければ様々な弊害が出て来ます。
労働力は経済を動かす為の原動力ですから、経済成長はより困難になり、その一方で高齢者達の生活を支える為の負担は官民両方で重くなり続けます。
財政赤字は随分前に千兆円を越し、隠し借金を含めるのなら、どれだけの額になっているのか想像もできない程です(ただし、財政に与えるインパクトを判断する場合、一般会計だけでなく、特別会計も考慮に入れないといけないので気を付けてください。一般会計だけを見せ、危機感を煽るようなやり方をしている記事・報道もあります)。既に説明しましたが、高齢社会が進展をし、労働力不足に陥れば、財政破綻が起こるでしょう。そして、社会の高齢化を改善する目途はまったく立っていません。むしろ急速なペースで悪化し続けています。高齢社会になればなるほどそれを支える“育児世代”への負担が増えますが、そうなればますます人口は減り続けるからです。
難しい理屈は割愛しますが、“人口”というのは、間違いなく国力に影響を与える重要な要素です。だから、人口が減るスピードは抑えなくてはなりませんし(ある程度の減少は地球環境に与える影響を考慮するのなら、むしろ望むべきですが、今の日本の少子化は急激過ぎます)、労働力が減るのが避けられないのなら、それを見越して何らかの対策を打っておく必要があります。
例えば、インターネットの更なる活用による物流の効率化、再生可能エネルギーの普及(再生可能エネルギーの多くには、維持費が安価という優れた性質があるので、労働力が余っている間に設備を整えておけば、労働力不足の影響を緩和できるのです)、原子力発電所の廃炉(原子力発電所は、再生可能エネルギーとは逆で、核廃棄物の処分などでむしろ将来の方が労働コストが増えるので、労働力不足に陥る前に廃炉にしておく方が望ましいのですね)、予約注文習慣を定着させる(予約注文の割合が増えれば、在庫調整がやり易くなるので、結果として無駄な労働コストを減らせます)、まだまだ未知数ですが、人工知能とロボットとビッグデータ等の活用による著しい生産性の向上(ただし、もしこれが起こったなら、僕が先に述べた“通貨循環モデル”を応用した制度を用いなければ、失業問題は解決できないと思います)、などが考えれます。
ところが、国は今のところこういった対策を強く積極的に行ってはいません。そして、そうなれば当然ながら、人口減少問題を抜本的に解消する為の、最もシンプルで確実な政策を行わなければいけない事態に追い込まれるでしょう。
つまりは『移民政策』です。
実際、ちらほらとそんな話も聞きます。
自民党政権は今現在目標として「GDP600兆円」を掲げています。普通に考えて高齢社会に陥っている日本でこれを達成する事はまず不可能でしょう(先に挙げた人工知能等の活用が加速化すれば、或いは可能かもしれません)。ですが、移民を受け入れれば、実は極めてシンプルでしかもほぼ確実にGDPを増加させる事が可能なのです。何故なら、それは人口を増やす事を意味するからです。人口が増えれば経済規模が拡大するのは自明でしょう。アメリカは順調にGDPを増やしていますが、その要因の一つには移民を受け入れている事があります。もちろん、それはそのまま高齢社会対策にもなります。
ただ、僕は移民政策には、どちらかと言えば反対しています。一応断っておきますが、他の文化・人種を差別している訳ではありません。問題はむしろ日本という社会です。ホストとして他の文化を持つ人間達を受け入れ、彼らを日本社会に適応させるよう促す能力が日本という社会にあるとは思えないのです。もしかしたら、移民達に辛い境遇を強い、追い込み、犯罪行動に走らせてしまうかもしれません。
更にもっと悪い事が起こるとも考えれます。
社会通念上、“より大きな力を持つ方がより大きな責任を持つ”のが普通ですから、もし移民を受け入れて問題が生じた場合、その責任があるのは日本人達だと考えるべきです。が、多くの人はそうは考えないのではないでしょうか?
「悪いのは移民達だ」
と、そう主張するような気がします。
そして彼らを差別し迫害してしまうかもしれません(海外の移民に対する報道を観ていると、どうもそんな事が起こっているような気配がありますよね)。
もちろん、移民の全てが良心的な人達とは限りません。テロリストや、犯罪者だってやってくるでしょう。そういった一部の人達の悪い印象が更にその傾向に拍車をかけてしまうだろうことも容易に想像できます。
移民推進派の人達の意見を僕は読んだ事があるのですが、その人達は日本の移民受け入れ実績として“渡来人”を挙げていました。そんな遥か昔の事を実績と言われても、説得力がありません。
移民政策は、多くの人達から反対されているので、国としてもできれば執りたくはないでしょう。
しかし、それでも追い詰められた結果、日本は移民政策を執らざる得なくなるかもしれないのです。そして、移民政策は或いは“安保法制”によって、更にその必要に迫られるかもしれません。
安保法制を日本にとっての“対中国政策”と捉えるのは誤りだと僕は考えます。もし“対中国政策”なら、自衛隊を世界中に派遣できるようにした事の意味が分かりません。そもそも、世界中に日本の戦力を分散させてしまったら、対中国の為の守りが手薄になってしまうじゃありませんか。
それに今、中国は深刻な経済問題に直面しています(中国は一人っ子政策の所為で、経済が成熟する前に高齢社会を迎えています)。恐らくは日本以上に問題だらけでしょう。普通に判断するのなら、日本と戦争できるような状況ではありません。
もっとも、安保法制に完全に“対中国政策”としての意味がない訳でもないでしょう。恐らくは“対中国”をも含めた世界におけるアメリカ秩序体制の補強の一つとして日本の“安保法制”はあるのではないかと僕は考えます。
良くも悪くもアメリカはこれまで世界秩序の形成に高い貢献をしてきました。もちろん、問題点も罪も多々あったでしょうし、それがベストだったかと問われるのなら、大いに疑問は残る訳ですが、それでもそれにはある一定の評価をするべきです。
しかし、近年に入って、そのアメリカを中心とする秩序体制が崩れ始めています。中国もその一つですが、数多くの発展途上国が力をつけ始め、そしてアメリカは深刻な財政難の状況に陥って軍事的影響力を弱めています。アメリカとしては何としてもこれを補強したいでしょう。そして、その為に日本に協力を求めた。それこそが“安保法制”の本当の正体ではないでしょうか?
僕は国際外交や軍事については、はっきり言って詳しくはありません。ですから、僕のこの見解が正しいのかどうかは分かりませんし、だから“安保法制”に完全には反対もし切れない(様々な不安もありますし)のですが、それでも疑問はどうしても感じてしまいます。
まず、「アメリカ秩序体制を今度も執り続けるべきなのか?」という疑問です。いえ、この表現だと誤解が生じかねませんね。こう問いかけ直すべきかもしれません。
「アメリカ秩序体制を今度も執り続ける事が可能なのか?」
今の様々な世界情勢を観ると、無理にアメリカ秩序体制の補強を推し進めようとするなら、下手したらより深刻な泥沼状態に陥ってしまうような気がするのです。
もちろん、歴史に“たられば”はありませんから、どちらの方が悪い結果になるかなんて分かりません。が、疑問はまだあるのです。
「果たして、日本にアメリカの秩序を補強する準備が整っているのか? また、それに耐えられるだけの状態を保ち続けられるのか?」
今まで散々述べて来た通り、日本社会はこのままでは高齢社会の進展に伴って疲弊していくでしょう。財政問題はますます悪化するでしょうから軍事費をどう都合付けるのかといった問題もありますし、労働力が減少する中で、どう自衛隊員を充分に確保するのかといった問題もあります。そして、テロの脅威にも備えなくちゃなりません。とてもじゃありませんが、充分にアメリカを補強できるような役割が果たせるとは思えないのです。
もちろん、「国力に見合った役割しか果たさないから大丈夫だ」という声もあるでしょう。しかしもしそうなら、安保法案はあってもなくても大差ないという事になってしまいます。
日本の政治家達が、どれほど“労働人口”が重要であるのか認識しているのかは分かりませんが、いずれ国力の疲弊を目の当たりにすればその深刻さに気が付くでしょう。ならば、即効性のある“移民政策”によって、日本の国力を取り戻そうとするだろう事は想像に難しくありません(少し調べてもらえば分かりますが、人口というものは急には増えません。仮に有効な対策を打っても、それには長い時間が必要なんです)。
しかし、ここで大きな矛盾点及びに問題点があります。
日本が軍事力で力を発揮すれば、自ずからテロの被害に遭う可能性も高くなります(既に日本はテロ組織から敵視されています)。ですが、日本のテロ対策は非常に脆弱で、テロリスト達の格好の的だと言わざるを得ないのです。
特に原子力発電所のテロ対策状況は致命的と言える程のレベルで脆弱です。
近年、原発大国のフランスが急速に原発を減らしています(何故か、大手マスコミはこれをほとんど報道しません)が、その大きな要因の一つには“テロの脅威”があります。原発をテロから守り切る事は非常に難しく、コストもかかる。かつ一つでもその被害に遭えば、大きく国力を落とす事になるので、それは真っ当な判断だと言えるでしょう。
ですが、日本はそのフランスよりも遥かにテロ対策が脆弱な状態で原発を推進し、かつテロリスト達に対し喧嘩を売ってしまっているのです。
ここに“正常な判断”があるとは僕にはとても思えません。はっきり言って、日本の政治家や官僚達は、リスク評価能力が低過ぎるんです。一応断っておきますが、福島原発事故は本来なら防げていた事故でした。確りと国際標準に則った設備を整えておけば、あの事故は起こらなかった可能性がかなり高いのです。そして“地震や津波に対して脆弱な原子力発電所”を野放しにし続けた政治家や官僚達は、未だに何の責任も取らないまま居座り続け、相変わらずに脆弱な危機管理体制のまま原発を推進し続けています。
そして、ここに“移民政策”が加わると状況は更に悪くなります。
先ほど述べたように、僕は仮に移民を受け入れたとしても移民達を差別するような状態になる事だけは防がなければいけないと考えています。ですが、それでも「移民の受け入れと共にテロ事件が起こり易くなる」というのは歴史的事実です。
つまり、このままいけば「テロに対して脆弱な原発を稼働させたまま、テロに狙われる危険性を更に高くする」という事を日本はやってしまいかねないのです。
繰り返しますが、僕は安保法制にはどちらかと言えば反対です。しかし、現状を冷静に観るに、これはよほどの事が起こらない限り覆らないでしょう。ただし、安保法制を活用せざるを得ないのなら、少なくとも原発だけは諦めるべきです。百歩譲って原発を推進するというのなら、充分なコストをかけてテロ対策を行うべきです。「あれもしたい、これもしたい」で全てが実現できる程、世の中は甘くありません。
日本の政治家や官僚達は、どう考えても“テロの脅威”を甘く見ています。
どうか忘れないでください。
福島原発事故を引き起こしたのは、そうした政治家や官僚達のリスク評価能力の低さである点を。後悔した時は、既に遅いんです。
ただし。
この最悪の想定通りに事が進むとはもちろん限りません。日本は安保法制を通してしまいましたが、疲弊した状況では満足に軍事活動を行えないと今後、日本が判断する可能性は十分にありますし、疲弊した状態でも“移民政策なし”で無理に軍事活動を強化するかもしれません(もっとも、その場合は国民の生活は非常に苦しくなるでしょうが)。
もっとも、例え日本が国際舞台での活躍を諦めて三流国家になるのだとしても、それでもやはり人口減少問題を解決しなければいけない、という点は変わりありません。
何度も書きますが、日本の人口減少は少しばかり急激過ぎるのです。
日本の生涯未婚率(50歳時で一度も結婚したことのない者の率)は、高度経済成長期は高くても5%台と非常に低い水準にありましたが、1990年代から急速に増え始めました。特に男性で酷く、2000年には12%半ば、2010年にはなんと20%となっています(90年代以降は女性の場合、男性の約半分程のようです。詳しくは専門のページを参照ください。因みに僕の参考文献は『「居場所」のない男、「時間」がない女 著者 水無田気流 日本経済新聞出版社』です)。そして当然ながら、出生数も下がり続け、2014年には過去最低を記録しました。
高齢社会などの影響で、更に結婚し難くなっていますから、何も対策を執らなければ、この数字は今後も上がっていくでしょう。
因みに、正社員ではない三十代男性では、むしろ未婚の方が普通であるくらいの状況に現在既に日本社会は陥っています。
もちろん、この極端な減少には原因があるはずです。そして「二次元コンプレックス」や「男女平等・個人主義化に伴う家制度の崩壊」にその原因を求める声もどうやら大きいようですが、そんな安易な結論に至る前に、まずは全体を大きく見渡してみるのが基本でしょうから、ざっくりと社会状況の変化を概観してみましょう。
戦後、出生率が高かった頃は、今に比べれば養育費が非常に安価でした。子供は幼い頃から労働力として期待され、だから産む事にそれほど抵抗がなかったのではないかと考えられます(発展途上国の方が出生率が高いというのは、世界中で観られる現象ですから、それ以外にも様々な原因を求めるべきかもしれません)。
高度経済成長期の頃は、流石に養育費はある程度は上がっているでしょうが、それでも終身雇用と年功序列がセットで、家庭の経済状況は非常に安定していました。つまり、養育に関して少なくとも経済的な心配はとても少なかったのです。
そして、これらの時代は高齢者の人口割合は低かったのです。つまり、それが家庭の負担にはなっていなかった。
それに対して、現在は養育費は非常に高い上に、収入は下がっていてしかも不安定で、経済的に安心ができるとはとてもいえない状態です。また高齢者の人口割合は多くなり、寿命も延びましたから、年金保険料の増加といった間接的な要因の他にも介護などの直接的な負担も重くなっています。また高度経済成長期の頃に比べると、労働力不足が深刻になりつつあり、労働力として女性が期待されてもいます。つまり、女性が家事や介護のみに従事する訳にはいかない状況です。
どうでしょう?
少し考えただけで、「結婚も出産も難しそうだ」と分かるのではないでしょうか?
「二次元コンプレックス」や「男女平等・個人主義化に伴う家制度の崩壊」も或いは影響を与えているかもしれませんが、この急激な悪化を説明するには、生活の為の負担が増え過ぎて、結婚や出産がし難くなっていると捉えた方がむしろ自然ではないかと僕は思います。
因みに人間の性欲は「成功体験」によって増加する事が知られています。だから、生活が長期的に安定していたり、将来に関しての展望が開ける状況ならば、出生率は高くなるだろうと予想されます。それに対し、“不安で鬱屈した状態”では、当然ながら、「子供を残そう」という意欲は低下します。
こう考えても、社会不安が“出生率の低下”の大きな原因になっていると予想できるのではないでしょうか?
今度は、具体的なケースを挙げて、それを示してみましょう。男女別にそれぞれで観ていきます。まずは、男性から。
その男の名を仮にAだとしておこう。Aは三十代半ばの働き盛りで、年収は平均の約400万といったところ。酒や煙草やゴルフといった金にかかる趣味がないお蔭で貯金が貯まったものだから、Aは金利が低い今の内にと思ってその金で土地と家を買い、これから先を見据えて太陽電池も買った。家や土地と違って、太陽電池には今のところは税金がかからない。だから、資産を守る手段として有効だと考えたのだ。国は非常に不安な経済政策を執っているから、今後物価がどうなるのか分からない。できる限りの対策は執っておくべきだろう。
将来の為にやるべき事はやったと考えた彼が、次に人生設計の上で行うべきだと考え始めたのは結婚だった。
しかし、そこで彼は冷静になったのだ。
家も土地もあるしローンも大した額ではない。更に仕事も比較的安定していて、年収だって結婚できるラインはクリアしている。普通に考えればこれから婚活を行い、子供をつくって…… となるかもしれないが、自分の状況がそう簡単なものではない事に彼は気が付いたのだ。
Aは両親と暮らしているのだ。しかもかなり高齢で、これから介護が必要になる年齢だ。住んでいるのは自分の家だから、もちろん、逃げ出す訳にはいかない。両親を追い出す事もできないだろう。つまり、結婚生活は両親と共に過ごす事になる。
子供の養育期間が仮に22年程だとするのなら、その間に両親の介護が必要になる可能性はかなり高い。しかもその介護が必要な期間は10年以上に及ぶ場合もあるのだそうだ。
果たして、介護しなければいけない人間が二人もいるところに、子供の世話までできるだろうか? 自分にもっと収入があれば介護ヘルパーを雇う事や介護施設に入ってもらう事などもできるだろうが、養育費の高さを考えるのなら共働き前提でも難しいだろう(因みに、施設は空きを見つけるだけで苦労するような状況だ)。介護ヘルパーを利用せず、介護退職すれば、当然、収入が激減する。充分な養育費は稼げないだろう。つまり、子育ては難しい。
「子供をもうけない」という選択肢もあるだろうが、それでは結婚する意義があまりない気がする。
それに……
実はAにはもっと大きな問題があったのだ。彼の父親は性格が悪かったのだ。男尊女卑的な考え方を持っていて、女性が男性の為に尽くすのは当然だと考えている。既に定年退職してかなり経つが、家事の類は一切やらない。未だに妻に対し威張っている。彼の結婚相手の女性に対しても、彼の父親が横暴に振る舞うだろう事は容易に想像ができた。
結婚相手に働いて外に出てもらえば、まだ気も紛れるかもしれないが、仮に介護が必要になって一日中一緒に家にいる状態になったなら、果たしてその女性は耐え切ってくれるだろうか? しかも、十年以上もそれが続くのだ。そんな天使のような女性に幸運にも回り逢えるとは思えない。事情を知れば結婚などしてくれないだろう。いや、仮に回り逢えたとしてもそんな辛い境遇を強いるのは気が引ける。彼は自分の母親が父親の所為で辛い思いをしているを見ながら成長してきたため、特に女性には仕合せに暮らして欲しいと思っているのだ。
もちろん、自分の母親は家事をやってくれるし、父親の相手もしてくれるだろうが、どんなタイミングで何が起こるかは分からない。母親だって、いつ介護が必要になるのか分からないのだ。これは分が悪いギャンブルだ。
「これは、結婚は諦めた方が無難な気がするな……」
そして、Aはそのような結論に至ったのだった。
はい。
なんて感じで、未婚を選択するパターンの男性のモデルケースを描いてみました。もちろん、このAさんとそっくり同じなんて人はあまりいないのかもしれませんが、似たような境遇の人はたくさんいるのじゃないかと思います。このAさんは年収は400万円程ですが、家と安定した職があるという点では、境遇的には平均よりも上の立場でしょう。しかし、そんな彼でも“親の介護”という要因が加わると途端に結婚・出産は難しくなります(そもそも、親との同居自体、多くの女性は嫌がりますが)。
その昔、まだ未婚率が低かった頃に比べて、日本人の平均寿命は10年以上伸びていますから、それだけ要介護期間も長くなっています。しかも兄弟姉妹の数も少なくなっていますから、その負担は集中しがちになっているのでしょう。こんな境遇の人の割合は随分と増えているはずです。
冷静に自分の立場を分析して、「こりゃ、結婚は無理だ」と思っている男性も多いのじゃないでしょうか?
介護退職者は当の昔に年間十万人を超していますが、男性の割合もそれなりに高く、2006年の段階でなんと二万人を超しています。当然、そういった男性達には結婚も子育ても難しいでしょう。
もちろん、この男性Aのように“性格の悪い親”がいた場合は更に困難になります。
介護職員の高齢者への虐待がニュースになる事も珍しくなくなりましたが、その一方で“高齢者の問題行動”も知られるようになりました。当然ですが、高齢者にだって性格の悪い人はいます。自分の親でさえ、もし性格が悪く、文句ばかり言って来て迷惑行為を繰り返すようだったらうんざりするだろうに、それが自分の親じゃなかったのなら、なおの事でしょう。もし結婚相手の女性が逃げ出してしまっても責められないと思います。
因みに、施設職員の高齢者虐待はまだ目に付き易いですが、一般の家庭の高齢者虐待は見えない所で行われるのが常でしょうから、恐らくは明るみになっていないケースが多くあるのではないかと僕は考えます。“介護疲れ”による殺人や自殺も増えていますが、恐らくはそれを遥かに上回る件数の身内による高齢者虐待が陰で起きているのではないかと思います。
さて。では、次に女性のケースを考えてみましょうか。
彼女の名前は仮にBとしておこう。Bの父親は既に他界していて、母親と二人暮らしだ。彼女は働きに出ていて、母親が家事をやってくれているお蔭で、仕事に集中ができていた。ただし、それでも女性差別がある所為で、出世も難しいし給与も高くはない。
Bは悩んでいた。
このまま順調に仕事に生きるのも悪くないかもしれない。だが、その一方でBには結婚願望も少なからずあったのだ。彼女の年齢は三十代前半で、もしも結婚をするのなら、そろそろ考え始めないと手遅れになってしまう。
実はBには恋人がいる。性格はとても良く、収入もそれなりにある。結婚相手としては合格ラインだろう。
しかし、結婚を決断する為には何点か問題があった。
まず、その恋人も親と同居しており、もし結婚するとなれば、相手側の家に行く事になるだろうから、自分の母親を一人住まいさせる事になってしまう。年金もあるし、父親の残した遺産もあるから、それでも生活はしていけるだろうが、今後、介護が必要になれば難しくなる。しかも、恋人の両親もやがては介護が必要になるだろう年齢だ。
もし結婚をすれば、相手の両親の介護と自分の親の介護をしなければならなくなるかもしれない。ここに出産や子育てや家事が加わり、更に生活費の事を考えて仕事もしなければいけない可能性もある。しかも、子育てしながら充分な収入のある職を見つけるのは難しい。仮に職を見つけられたとして、そんな生活が十年以上も続いたのなら、とてもではないが身体がもちそうにはない。しかも、彼が家事を充分にやってくれるとは限らない。共働きでも男性が家事をやってくれるケースは珍しいのだ。結婚相手にその意思があっても、仕事の都合で難しくなってしまうケースも多々ある。
それに出産や子育ての為でも、一度、職場を離れると、もう復帰する事は難しい。これは単純に仕事上のキャリアを失う事を意味するのではなく、結婚生活に失敗をした場合の、その後の生活水準を大きく下げるリスクが高い事を意味する。
「どうも、結婚は諦めた方が無難かもしれないわね」
自分の人生設計と結婚に纏わるリスクを考え、Bはそのように結論付けたのだった。
はい。
なんて感じで、未婚を選択するモデルケースとしてこんな女性Bを想定してみました。男性Aよりも或いは少ないケースかもしれませんが、それでも今の世の中で結婚し難い状況にある女性が増えているだろう点は分かると思います。
女性Bの母親は家事をやってくれていて、そのお蔭でBは随分と助かっているようですが(これは男性Aのケースでも同じですが)、高齢者でも女性の場合は、仕事をしなくなるケースはかなり少ないそうです。つまり、多くの女性はお婆ちゃんになっても家事をし続けてくれるのですね。だから、同居していれば、大変に助かり、女性が仕事に集中する為には、母親と同居していないと難しいとまで言われているそうです。
つまり、女性が結婚を選択すると、母親との同居を相手が許してくれない場合、その大きなメリットを失う事にもなるのです。
そして、もし結婚をしてしまったのなら、自分の母親に介護が必要になった場合の状況は更に深刻でかつ過酷です。
女性は男性と違って相手の親の介護も期待される事が多く、また当然、同時に自分の親の介護も行わなければいけません。先に述べた通り、兄弟姉妹の数が減っているので、親の介護をしないといけない人の割合はかなり増えているので、こうしたケースも増えているのです。なんと、結婚して仕事をしつつ別々の家に住む自分の親の介護と夫の親の介護をこなしている女性もいるそうです(本当に凄いと思う)。
ところで、この話で少し気が付く点がありませんか?
今、女性の社会進出が叫ばれています。女性の人権問題に関して、日本に対して国際的な非難の声もあるし、そもそも労働力不足になりつつある現在は、それに対応する為に働き手としての“女性”が求められているからです。
もちろん、男性でも収入が少ない人が増えていますから、「共働きじゃないと生活ができない」なんて事情もあります。
ところがどっこい、一方でこの流れに反対をしている人達もいるのです。
「女性は家庭を守るもので、社会に出て働きに出るのは日本の伝統に反している。日本の家制度を破壊してしまう」
なんて事を言って、女性の社会進出は社会的に好ましくないと主張しているのですね。「女性の社会進出を促す」と主張しているはずの自民党ですが、その内部の政治家達にもこんな事を考えている勢力がどうやらかなり強くあるようで、女性の労働条件を良くしようとする動きに反対をしているようです(自民党は2006年の教育基本法の改正で、男女の性役割や母性について記述しています)。
結果として「女性の労働賃金が上がり難い」、「女性が出世し難い」、「共働きでも女性ばかりが家事をし、男性の家事労働時間が伸びない」などといった事が起こっています。
そして、更にここに財政難からくる介護福祉費用の不足から「女性に高齢者介護をやってもらおう」なんて声が加わっています。
つまり、“困った時のかみさん(女性)頼み”とばかりに「公の場での“低賃金労働”も、家庭での“家事も育児も介護も”、全て女性に押し付けてしまおう!」と、どうもそんな感じで昨今の不況や財政難や高齢社会で生じた負担の多くを、女性に押し付けてしまおうという流れが、今現在、社会にはできているようなのです。しかも、一部ではそれに国が加担しているという……。
これ、国が加担しているという時点で、半ば「労役」と言っても良いのじゃないかと思うのですが、恐らくは政治家の皆さん方にはそんな意識はないでしょう。
だからなのか、普通、ここまで女性が負担を押し付けられたら、出生率が下がるのは当たり前だと思うのですが、何故か政治家の皆さんはそうは考えてくれないようなのですよ(女性の方達は、だから特に文句を言った方が良いと思います)。
「女性の労働賃金を上げ、社会進出を促してしまったら、女性がますます結婚をしなくなって子供の数が減ってしまう。だから、女性を貧困に追い込んで、無理矢理に結婚をさせてしまおう」
その根底には、そんな非人道的な考えがあるように思えてなりません。もし、仮にそうだとするのなら、大いに反論もあるし(共働きの夫婦の方が出生率が高い)、仮に千歩くらい譲ってそれで結婚・出生率が増えるのだとしても、まだ問題があります。
世間には夫の暴力などが原因で離婚し、シングルマザーとなって厳しい生活を強いられている女性やワーキングプアの女性達もいるのです。
この“女性の貧困問題”を、女性の労働条件を改善しないでどう解決するというのでしょうか? まさか、不当に悪い労働条件で働かされている彼女達に対し、「苦しみ続けろ!」とでも言うつもりでなのしょうか?
昨今の“社会負担を女性に押し付けよう”とする流れを考慮しても、思わず疑ってしまいたくなります。
一応、フォローを入れておくと、これら“女性に負担を押し付けよう”って流れをつくっている人達は、同一ではないのだろうとは思います。恐らくは、それぞれがバラバラに、女性に負担を押し付けようとして、結果的に“何もかもを女性にやってもらおう”って感じになっているのじゃないでしょうか?
(もし、同一人物だったとしたら、倫理がどうこうの前に頭がおかしいと思いますが……)
多分、トップの方にいる政治家達は、個々のこうした意見の所為で女性に負担が集中している現実に、だから困っているのじゃないかと思いま…… というか、どうかお願いだから、困っていてください!って感じですよね。
(何も罪悪感を感じていなかったら、どうしよう?)
更に一応、公平を期す為に断っておくと、自民党以外にもこういう政治家がいる可能性は大いにあります。
(因みに、この女性の負担についての話は、『「居場所」のない男、「時間」がない女 著者 水無田気流 日本経済新聞出版社』を特に参考にしました)
さて。
このように、冷静に考えてみれば、未婚が増え、出生率が下がっているのは、明らかに社会状況の変化に、社会制度が対応できていないからだと言えると思うのですが(ここで上げた問題に対して、国はほとんど対策を打っていません)、一部の人達は女性の社会進出こそがその原因だと訴えています。
まぁ、先に述べた
「女性は家庭を守るもので、社会に出て働きに出るのは日本の伝統に反している。日本の家制度を破壊してしまう」
って主張している人達ですね。
これを「良妻賢母主義」と、ここでは呼ぶ事にしますが、この良妻賢母主義は、実は戦前の国家主義と深く結びついています。「国の為に国民がある」と考えている人達は、「家制度」が社会の根幹で、だからそれを支える為に女性には家庭にいて欲しいとどうやら願っているようなのです。
ただ、この考え、少し考えればいくつもおかしいと思える点が出て来ます。
まず、もし良妻賢母主義が崩れた事が少子化の原因であるというのなら、どうして女性の社会進出が盛んな他の先進諸国の方が少子化問題がマシなのかが説明できません。少子化問題が大きく改善しているフランスでは、“結婚しない出産”を広く認めるという“家族”という概念を根底から覆す方法を執ってすらいます。
更に、そもそも良妻賢母主義は現代の日本でもまだ根強く残っています。だからこそ、男性は家事労働をほとんどしないのです。
そして、過去、日本の婚姻率を高めていたのは、良妻賢母主義ではなく、むしろ“地域間の結び付き”ではないのか?という疑問もあるのです。
その昔は、結婚適齢期になると、頼みもしないのに、何処からともなく親戚や近所の「世話焼きおばさん」がやって来て縁談を進めてしまうという事がよくあったそうです(昔の漫画なんかを読んでいると、よく出て来ますよね)。
だから、見合い結婚の率が日本では非常に高かった訳ですが、それは「子供は社会の共有財産」という考えがあり、だからこそ結婚も単なる個人の問題ではなかったという文化が関係しています。
これ、“女性の社会進出”とはあまり関係しないとは思いませんか? 男女平等を進めてもこの文化を残す事は可能ですよ(ただし、今の高齢社会かつ経済的に不安な状況で、無理に結婚させて子供を産ませたら、下手すれば悲劇が起こりかねませんが。仮に生活に困窮し、「子供と高齢者のどちらかを殺さなくてはならない」、なんて事態になったとしたら、多くの親は高齢者を殺すでしょうね)。
先進諸国に比べての急激な少子化が、日本独自の問題なのだとすれば、それには経済的な要因ばかりではなく、何かしら日本独自の問題があるはずなのです。
では、結婚や出産に関係ありそうな、“日本独自の問題”とは、何でしょうか?
僕がそれで思い付くのは根強く残っている「良妻賢母主義」だけです。つまり、非婚化・及びに出産率の低下の原因は「良妻賢母主義」が失われた事だと主張されている訳ですが、実情はその反対でむしろ「良妻賢母主義」こそがそれらを引き起こした大きな要因となっているのではないか?と僕は疑っているのです。
僕がどうしてそう疑っているのかを説明する前に、ここで日本の社会的な性役割…… ジェンダーの歴史について大雑把に説明をしたいと思います。
江戸時代以前、つまり明治時代迎え、欧米の様々な文化に触れる前は、恐らくは日本社会の女性差別は諸外国に比べればかなりマシだったろうと思われます。
一応断っておくと、もちろん、様々な女性蔑視の証拠を江戸時代以前の日本社会にも観る事ができます。ただ、その一方で、女性の地位が比較的高かったのではないかと思われる証拠もあるのです。
ここで江戸時代以前(とは限りませんが)の日本社会では、社会の溝が深かった事を考慮してください。上層部と民間ではまったく別の文化を持っていましたし、交通技術も情報技術も未発達でしたから、地域間交流もし難く、それで地域によって大きく文化が異なっていただろう事が予想できるのです。
つまり、仮に女性優位を示す文化的な証拠があったとしても、それは日本全国で一律そうであったとは限らないって事です。もちろん、逆に男性優位を示す証拠があったとしても、日本全国で全てそれが通用する訳ではありません。
では、その日本社会において女性の地位が比較的高かったのではないかと思われる、その証拠を挙げていきます。
まず、日本における女性の優位性を示す証拠として、神道における女神の存在があるでしょう。
天照大神は女性ですが、知っての通り総氏神(つまり、日本の神様の中で最も偉い)でありかつ太陽神です。神道において地位が高い女神は他にも多くいます。「日本の象徴」とまで言われている富士山で祀られているのは、木花咲耶姫という女神ですし、神道系の稲荷神社で祀られている神様は倉稲魂命という女神で、いずれも重要な役割を担っています。
もしも女性差別が酷かったなら、こういった女神が重要な存在とはされなかったでしょう。
これに対して、外国…… 例えば、キリスト教では神といえば男性の姿で描かれる事が一般的で、しかも男神という言葉すらありません。もちろんそれはキリスト教が唯一絶対神を信仰しているからですが、それでもそこには「神といえば男性で当たり前だ」という意識があるはずです。
これは恐らくは、英語での“man”という言葉が人類を示すのと同時に男性を示す言葉である点とも関係しているのでしょう。
キリスト教圏ではかつて魔女狩り(実はそれ以外の地域でも起こっているようなのですが)が行われていました。これは異端排除の流れの中で行われたことです。魔女の集会を意味するサバトは、本来はユダヤ教の安息日の事でした。それが異端排除の中で、悪魔と密通する集会の意味に変えられたのです。ここで注目するべきなのは、“悪魔と通じる”主な人間が女性であった事です。魔女(というか、魔法使い)の中には、男性もいましたが、その多くは女性であるとされ、そして夥しい数の女性が魔女狩りによって拷問に遭い、殺害されました。女性が特に狙われたのは、民間に残る女神信仰の影響もあるのでしょうがしかし、女性を下等で邪悪な存在と見做す女性蔑視の文化が関与している点は否定できないでしょう(因みに、だからなのか、魔女を女性解放の象徴としているフェミニスト達がいます)。
他にも女性に対する迫害の歴史的事実を探してみると、本当に酷く理不尽なものが数多くあります。今でも発展途上国に残っている、婚前の女性の性交渉に対する罰として行われる「名誉の殺人」では、なんと強姦された場合でも女性に罪があるとされ殺されてしまいますし、女性が夫以外の男性と性交渉した場合でも殺害されてしまうケースが多々あります。また、女性の社会的地位向上にも反対する声も根強いです。イスラム系のテロリスト達が、女性の高等教育に反対して実際にテロ事件まで起こしているのは有名ですよね。女性をほとんど奴隷扱いしている民族も多い。
日本でも女性に対する虐待が行われた事実を観る事ができますが、これほど酷くはありません。
恐らく、これは日本に“母系社会”がかつてあり、それが文化や社会制度に大きな影響を与えていた為ではないだろうかと考えられます。夫以外の男性と性交渉した女性を罪人と見做すのは、父系社会を前提としているからだろうと思われます。何故なら、産まれて来る子供が男性の血を引き継いでいる事を確実にする為には、女性の夫以外の男性との性交渉を厳しく禁止する必要があるからです。父系社会の場合、他の男性の子供を産み育てているなんて事態は、絶対に防がなくてはならないのですね(女性の浮気に、殺人をもって応える男性を、こういった“遺伝子”の観点から擁護する主張を読んだ事がありますが、いくら何でも無理があるでしょう)。
それに対して、子供が女性の血を引き継いでいれば良い母系社会では、そこまで性交渉に対してナーバスになる必要がありません。何故なら、産まれて来る子供は絶対に女性の血を継いでいるからです。その為、母系社会では、性に対して寛容になるのではないかと予想できるのですが、日本社会にはどうもそのような特性が観られるようです。
母系社会が日本に色濃くあった痕跡ではないかと思われるものは、日本神話の中にもあります。
『面白いほどよくわかる 神道のすべて 著者 菅田正昭 日本文芸社』によると、天津神と国津神の違いは曖昧なのだそうですが、この原因の一つが日本に母系社会の特性があった事だと言うのです。天津神が母で国津神が夫で子供を残した場合、母系社会ならばその子共は天津神ですが、父系社会ならば国津神になります。が、日本社会の場合、両方あったのでどちらなのか分からないケースがあるらしいのですね。
夫婦と書いて「めおと」と読みますが、これは本来「女男」と書いていました。男性社会の慣習に反して、“女”の字の方が先なんです。「かみさん」は妻の事を意味しますが、この語源は「上様」(つまり、殿様)とも「山の神」とも言われています。揶揄の意味も含めた言葉として使われる場合もありますが、それでも女性優位が存在してた証拠と捉えても良いでしょう。
母系社会がかつて日本に存在していた点からこれら事実を考えると、地域によっては女性優位社会、或いは男女平等社会がかつて日本に存在し、しかもかなりの長い期間残り、影響力を持っていたと言えるのではないでしょうか?
当然、ここに今日の日本での専業主婦を理想とする「良妻賢母主義」は観られません。そもそも、女性は労働力として重要視されていましたから、家事に従事させるような勿体ない事はしないのです。存分に家事労働以外でも働いてもらわなくてはならなかった。実は良妻賢母主義は、明治時代に入り欧米の思想が流入する過程で、その女性に対する考え方が日本風にアレンジされて初めて誕生したもので、決して古い思想ではないのです。
日本は他国の思想を取り入れる事で発展してきた国ですが「良妻賢母主義」も同じなのですね。
このように古くからの伝統だと思われている事が、意外に歴史の浅い新しいものであるという事はよくあります。「妖怪」と言えば、今ではキャラクターを示す言葉ですが、かつては「不思議」と同じ様なニュアンスで使われていました。仏教で葬式をやるというのも江戸時代に誕生した新しい文化です。
そして、その中でも特に良妻賢母主義は“伝統”などという言葉で表現するのが憚られる程の新しい考え方なのです。
何故なら、明治時代に生まれた良妻賢母主義は、実現こそしなかったものの、母親的役割の価値の高さを認め、それをもって女性の価値を高めようと試みてもいたからです(つまり、性役割は分けるが、価値は平等だという“男女平等”を理想にしようとしていたのですね)。更に言うと、女性が家庭に入る事を理想とはしていましたが、それは一部の上流階級でしか実現しておらず、その多くが共働きで女性は外に出て働いていました。もちろん、未婚の状態で働いている女性も数多くいました。……そして、その劣悪な労働環境が社会問題にもなっていたのですが。
つまり、今日の良妻賢母主義は、明治時代のそれを受け継いではおらず、かなり変質してしまっているのです。
戦前は母親を社会の労働力として用いる為、国は積極的に託児所を設置していたそうです。「良妻賢母主義」は飽くまで理想に過ぎない。現実を観れば母親の労働力を活用した方が、社会的に有用だからその為の体制を整える。非常に合理的で当たり前の態度だと思います。女性の社会進出の必要性を認めながら、幼保一元化も進まず、未だに待機児童問題の解決目途すら立っていない現在の日本政府がいかに無能かがよく分かる事例でしょう。
さて。
現在思われているような女性が家事に従事する良妻賢母主義が実現するのは、戦後に入り日本が高度経済成長期に突入した頃からです。
この時代、安定した経済成長が実現できていた為、女性は働きに出る必要がなかったのですね。そして、この時代の良妻賢母主義は明治時代の理想とは異なってもいました。先にも述べた通り、明治時代に生まれた良妻賢母主義には“男女平等”という理想がありましたが、この時代の良妻賢母主義は男尊女卑的な傾向が強く、男性は女性に対して大いに威張っていたのです。
文字通り、母親に甘えるようにして妻に対して夫が甘え、生活管理も精神的なケアもしてもらっています。つまり、女性に“世話”をしてもらっている(断っておきますが、これは男性自身が使用してきた表現です)。これは現在でもそう変わらないようですが、だからなのか、男性は自分を支えてくれる女性がいなくなると生活態度が崩れ、ストレスに耐え切れず、直ぐに死んでしまう傾向にあるそうです。女性は男性が死んでも比較的長生きするようですが。
男性は女性に対し、都合の良い役割を押し付けた結果、女性依存状態になり、生活力を失ってしまったと言えるのではないでしょうか?
(僕には良妻賢母主義が失われる事より、こっちの方が異常に思えます)
そして、高度経済成長期の終焉、バブル経済が崩壊すると、国際競争力の低下及びに消費意欲の低い高齢者世代に資産が集中する事で通貨が死蔵されてしまい、生活費や養育費が必要な育児世代に通貨が回らなくなり、経済的な理由から子供の数が減少し始めたのではないかと推測されます。まだそれほど騒がれてはいませんでしたが(ただし、高齢社会問題は、バブル期の頃から警鐘が鳴らされていました)、高齢者の介護問題も徐々に深刻化していたはずです。
この時期は消費需要が低く、従って労働需要も低かった為、“労働力としての女性”はまだそれほど求められてはいませんでした。ですが、それでも女性の労働割合は増えました。何故なら、女性の方が男性に比べて低賃金だったからです。当然、それは男女不平等の雇用形態の裏返しです。
因みに、これはデフレスパイラル(低賃金が消費の減少を引き起こし、更に景気が悪化するという悪循環)の原因の一つにもなっているだろうと考えられます。
それからも長い不況が続き、未だに日本経済はそこから抜け出してはいません。そして、その状態のまま社会の高齢化が急速に進み、労働力不足問題が深刻化し始めた今日では“労働力としての女性”が求められるようになったのです。女性は家事や育児だけでなく、社会に出て働く事が期待され、更には介護の役割までこれまで以上に強く期待されるようになりました。
もちろん、それは女性の負担が重くなり過ぎるという結果をもたらしています。
ざっと日本社会における性役割の変遷をなぞってみましたが、どうでしょう? こう眺めると“専業主婦型の良妻賢母主義”が、高度経済成長期という日本社会の歴史においてもかなり特異な状況下でのみ成立する幻想だった事が分かるのではないでしょうか?
既に述べましたが、良妻賢母主義は決して日本の“伝統”などではないのです。昨今、良妻賢母主義の復活(そもそも滅びてはいないのですが)を求める人達の多くは、恐らくは高度経済成長期を経験した世代だろうと思われますが、彼らは自分の世代の常識が、日本の歴史の常識だと勘違いをしているのではないかと思います(これも前述しましたが、今の常識が古来より続くものだと勘違いしているケースは多くあるのです)。
もしも、“伝統”であったのなら、それは確かに馬鹿にはできません。伝統だからといって、ただそれだけでその価値を認めるのは間違っています。が、“伝統”というのは表現を変えるのなら“実績がある”という事です。それが生き残って来たのなら、生き残って来ただけでの理由があるはずで、それを分析する事で社会によっての有益性を見つけられる可能性は少なくともあるでしょう(もちろん、それが単なる因習である可能性もあります)。
ですが、良妻賢母主義はそもそも伝統ですらないのです。そして、その良妻賢母主義が、むしろ“夫婦共働き”という日本社会の伝統を破壊し、先にも述べた通り、出生率低下の大きな要因になっているのではないかと僕は疑っています。その切っ掛けは生涯未婚率(50歳時で一度も結婚したことのない者の率)の上昇が、1990年代から起こっている事実に気付いた事でした。
1990年代。確かに、日本ではバブル経済の崩壊が起き不況に入りました。しかし、生涯未婚率は不況の影響を受けて直ちに下がるような性質のものではありません。生涯未婚率は“50歳時で一度も結婚したことのない者の率”ですから、それよりも少なくとも20年くらい前から、その原因が生まれていなくてはおかしい事になります。
1990年代の20年前といえば、1970年代辺りからで、その期間は高度経済成長期にそのまま重なります。そして、先にも述べた通り、その時期は“専業主婦型の良妻賢母主義”が完全に成立していた長い日本社会の歴史の中でも非常に稀な時代でした。
この時代に何かが起こった事はほぼ確実だろうと思われます。まずその要因として注目するべきなのは“見合い結婚”の減少でしょう。それにより、本人達の意思がより反映される恋愛結婚の割合が増えていきました。
ここで注目すべき点があります。
日本社会の結婚に対する男女の満足度を調査した結果があるのですが、女性の満足度は諸外国と比べてとても低いのです。男尊女卑的な傾向があったり、家庭の犠牲になる事を求められる所為で不満が溜まり易く、かつ育児不安も高いようなので、それが原因ではないかと思われます。妻が夫に対して、恐怖や嫌悪感情を覚えている例も少なくありません。仕事の変化で、家にずっと夫がいるようになると、病気になってしまう女性までいます。
これは夫を指す言葉として「粗大ゴミ」、「ゴキブリ亭主」などが生まれたことや、「亭主元気で留守がいい」などといった言葉が流行したことを考慮に入れても、恐らくは事実なのではないかと思います。
これに対し、男性の結婚満足度は高く、また先にも述べた通り、生活管理や精神的なケアを女性に依存しているという調査結果が出ています。更に男性は家事・育児の参加率がとても低く、精神面から女性を支えようともしていない点が指摘されています。これでは「良妻賢母主義を悪用し、男性にとって都合の良い役割を女性に押し付けている」と言われても仕方ないでしょう。
(僕も男なので、一応、フォローを入れておくと、日本の女性の平均寿命は非常に長いので、実はそれほど不幸ではないのかもしれません。もっとも、寿命と幸福度が一致するとは限りませんが)
つまり、結婚は男性にとってメリットが多いのに対し、女性にとってはデメリットが多いという事になります。
(この結婚満足度に対する調査結果は『ジェンダーの心理学ハンドブック 著者 青野 篤子 ナカニシヤ出版』を主に参考にしました)
“専業主婦型の良妻賢母主義”が成立した結果、女性の結婚満足度が低下したかどうかは分かりません。戦前の調査結果を見つけられなかったので、比較しようがないからです。ですが、それでも恋愛結婚の割合が増えた点を考えるのなら、この事実は無視するべきではありません。
もうここまで書けば分かると思いますが、僕はこのように考えています。
“良妻賢母主義の所為で「結婚をすれば不幸になる」と、一部の女性達にそう思わせてしまっているのではないだろうか?”
だからこそ、高度経済成長期を通して、生涯未婚率は高くなってしまったのです。
そして、もしそうなら、見合い結婚が減り、恋愛結婚の割合が増えた状況下で、女性が結婚を嫌がるようになっても不思議ではありません。もちろん、それは出生率の低下、つまりは少子化を引き起こします。
もう少し具体的に、結婚した場合の女性の境遇について述べましょう。
道具が発達しているとは言っても、家事は確りやろうとすれば依然、かなりの重労働になります(ほとんど楽になっていないという調査結果もあるくらいです)。また、育児は答えや成果が見え難く、女性を不安にさせます。日本の女性の場合は、特に完璧に自分の役割を果たそうとするので、心理的なプレッシャーを受け易いのでは、という意見もあります(因みに、日本の母親の育児能力の高さは、世界から称賛されているにも拘らず、本人達の自信は低い傾向にあるようです)。“信頼できる相談相手”がいればまだマシでしょうが、家にこもっているばかりで発散する手段のない人にとって、その生活は相当に過酷なものであるはずです。
もちろん、本来、その“信頼できる相談相手”の役割は夫が果たすべきなのですが、先に述べた通り、多くの男性は家事や育児に無関心で、女性の精神面のケアもしません。女性に対して犠牲を強い、それを当然だと思っているからか、まったく家事・育児を手伝おうとしないケースも多々あるそうです。「母親の仕合せの為に家族が協力する」という発想がそもそも存在しないのです。
「家庭に入るのが女の幸せ」なんて言葉もありますが、もし本当にそうだとするのなら、女性の結婚満足度は高いはずでしょう。
また、日本社会の場合は(女性だと特に)「家庭と仕事は両立できない」という慣習がかなり強く残っている為、結婚し子供が生まれると仕事を辞めなくてはならないケースも多々あります。仕事に生き甲斐を見出している女性なら、だから当然、結婚は避けるようになるでしょう。共働きでなければ、養育費を稼げないような状況にある人達でも同様です。
因みに、海外では女性でも結婚、出産後も仕事をし続ける事が実現できている国も多いので、これは絶対に可能なはずです。明らかに行政の怠慢…… いえ、良妻賢母主義の所為で積極的に無視しているのかもしれません。
女性が結婚を拒否するようになったとは言っても、その影響は当初は大きなものではなかったのかもしれません(だからこそ、気付かれなかったのです)。しかし、そうして生涯婚姻率が下がると、わずかでも少子化が進みます。そして少子化が進めば、社会の高齢化の影響で育児世代の負担が重くなります。すると、その影響で更に少子化が進みます。この悪循環…… つまり、人口減少の正のフィードバックによって、そのわずかな影響は指数関数的に大きくなり、先進国の中でも特に酷い人口減少を引き起こしてしまったのではないでしょうか?
もし仮に、この推測が間違っていたとしても、今後の執るべき対応はあまり変わりありません。
何故なら、調査結果(『「居場所」のない男、「時間」がない女 著者 水無田気流 日本経済新聞出版社』を参考)によると、今現在(2015年11月)は、結婚適齢期ならば女性は男性に比べて比較的結婚し易い状況にあるらしいからです。男性は結婚をしたくても結婚できない人が多いのですが、女性は相手さえ選ばなければ結婚できる可能性が大きいのですね。
だから、結婚の数を増やす為には、女性にとっての結婚のメリットを増やしてやれば良い事になります。
その為には、「結婚すれば不幸になる」と女性に思わせるような、慣習や文化を変える事がまず第一でしょう。
因みに、実際、「結婚できていない男性」の考えを調べてみると「良妻賢母主義」の割合が大きくなっているようです。
(『ジェンダーの心理学ハンドブック 著者 青野 篤子 ナカニシヤ出版』を参考)
まぁ、女性の立場で考えれば、「俺は男だから、女のお前よりも偉いんだ」なんて考えを持っている相手となんか結婚したくないでしょうから、これは簡単に理解できます。
もちろん、男性が育児や家事に協力的で、女性を精神面からもサポートしている場合は、女性の結婚満足度は高く、また心理的な不安も少ない事が知られていますから、当然、結婚を促すでしょう。
つまり、今の人口減少問題を改善する為には日本社会は「良妻賢母主義」は捨てなければいけない、という事です。何度も説明していますが、「良妻賢母主義」は伝統でもなんでもなく、したがって“日本の風土に適している”というのも全くの幻想だからです。
或いは、強固な「良妻賢母主義」の考えを持っている人達は、この提案に対してこんな反論をするかもしれません。
“女性達に「良妻賢母主義」を受け入れさせるのなら、「良妻賢母主義」でも充分に上手くいくはずだ”
恐らくはそんな事は不可能でしょうし、もし可能であったとしても、上手くはいかないだろうと思います。
何故なら、「良妻賢母主義」を受け入れている女性達ですら、結婚満足度は低いからです。女性の結婚満足度が最も高い組み合わせは、女性が「良妻賢母主義」で男性が「男女平等主義」であった場合で、どちらにしろ女性に「結婚したい」と思ってもらう為には、男性が「良妻賢母主義」を捨てて、女性の仕合せの為に協力的になる必要がある事をデータは示しています。
普通、問題を解決したいと思ったなら、まずその問題が発生する構造を明らかにする事から始めます。その上で、適切な対応策を考え、実行していかなくては、解決は非常に困難になるでしょう。
では、国は、その為の“調査”を果たしてしているのでしょうか?
具体的には、「未婚を積極的に選択する人間に対して耳を傾ける」という作業です。先ほど述べたように、多くの男性は「結婚したくてもできない」状況下にあるので、人口減少問題を解決したいと思ったなら、特に女性達の声に耳を傾ける必要があるでしょう。
『少子化時代の「良妻賢母」』( 著者 S・D・ハロウェイ 新曜社)という書籍では、その点について指摘されてありました。
男性は女性に対して手前勝手な幻想を抱きがちです(僕も男ですが、家族に女性が多いので、比較的幻想は持っていない方なのじゃないかと思っています)。
「女性は従属を望む生き物で、本質的に男性の支配を受け入れるようにできている」
過去、このような事を当たり前に知識階級の人間達が発言していました。はっきり言って“願望と現実”の区別がついていません。人口減少問題を解決する為には「良妻賢母主義」を復活させるべきだと、何の調査も行わずに決めつけている政治家達も、或いはこのように“願望と現実”の区別がついていないのかもしれない、とも思うのです。
だからこそ、「女性が自らの仕合せの為に行動する」という“当たり前”を理解できず、社会の犠牲になる前提で女性を捉えてしまい、数々の差別的な発言をもしてしまうのではないでしょうか?(政治家の発言を聞いていると、それ以前に国家主義や全体主義ではないかと思えるようなものすらもありますが)。
もしかしたら、ですが、この“願望と現実”の区別がついていない傾向は、日本の一般的な男性にも観られるのかもしれません。妻が自分に嫌悪感を抱いている事に対して、鈍感な男性も多いのではないかと『「居場所」のない男、「時間」がない女 著者 水無田気流 日本経済新聞出版社』では、指摘されてありました。
だとするのなら、“思想”の議論の前に、それが“願望”に過ぎない事を、「良妻賢母主義」を抱く男性達に教えてやらなくてはならないのかもしれません。
さて。
「良妻賢母主義」が、出生率の低下の大きな要因になっているとは書きましたが、今現在は既に高齢社会や不況の影響の方が大きくなっているでしょう。ですので、出生率を増やす為には、育児世代の負担を減らし、育児に必要な経済的な余裕をつくってやる必要があります。その為には、先にも述べていますが、高齢者年金の減額や、医療などの優遇政策を減らしていく事は避けられません(一応、書いておきますが、既にこれはある程度は行われています)。
ただし、ここで一つ注意点です。
高齢者の生活を直接支えている育児世代も多い為、何も考えずに高齢者年金の減額などを行ってしまうと、結局、育児世代への負担が変わらない可能性も出て来るのです。ですから、人道的見地から言っても、裕福な高齢者の年金支給額を減らすという手段を執るべきだと僕は主張します。
公平性が損なわれると思いますか? “努力して来た高齢者達がそれでは報われないじゃないか?”と。
大した根拠もなく優遇されている公務員の年金もありますし、“果たして全ての高齢者がその労働に見合った適切な収入を受け取っているのか?”といった問題もあるのでその全てに納得する訳にはいきませんが、確かにある程度はその理屈は認めるべきかもしれません。ですが、それでも僕はその指摘は今日の日本においては既にあまり意味がないと考えています。
何故なら、公平性を言ってしまうのなら、既に今の時点でまったく成立していないからです。
まず、生活保護受給者は、まったく年金を支払っていなくても生活を保証され、多少減らされてはいますが、まだそれでも真面目に年金保険料を支払い続けて来た国民年金生活の高齢者達よりも生活の質は高いのです(特に医療費の無料は、いくらなんでも優遇され過ぎです)。
更に世代間格差の問題もあります。
少し調べてもらえば分かりますが、現在、及びにこれからの現役世代と、高齢者世代の年金格差は異常です。貰える総支給額に何千万円規模の差があるんです。この現状で良しとしているのに裕福な高齢者への年金の減額に対してだけ「公平性」を問題にするのはおかしいでしょう。
今の日本の状態は、もうそんな事は言ってられないところまで来ています。そして、都合がつけられそうな資金源はそんなに多くはない。ならば、やるべき事は決まっています。早急に手を打たなければいけません。多過ぎる高齢者への年金支給を減額すべきです。
(一応断っておきますが、高齢者の多くは次世代の事…… つまり、子供達の事をとても心配しています。子供達の為だと、充分に説明すれば、年金の減額にも納得してもらえる可能性も大きいのではないかと思います)
その他にも、充分に働ける能力を持った高齢者には、年金に頼らずに働いてもらうという事も重要でしょう。労働意欲の高い高齢者は多いので、職さえ創出してやればそれも可能だろうと思います。
もちろん、そうして資金を浮かせたなら、介護施設やヘルパーの充実に資金を注入し、できるだけ安価でそれらを提供するべきです。もちろん、幼稚園、保育園などへの設備投資で女性の労働を支援する事も忘れてはなりません。
高齢者介護施設と、保育園等を一体化しスケールメリットを活かし、同時に高齢者達に子供達の相手をしてもらおう、という案も出ています。何処まで現実性があるかは分かりませんが、少なくとも試してみる価値はあると僕は考えます。
ここで補足しておきますが、冒頭で述べた“通貨循環モデル”を応用するのであれば、これらは比較的スムーズに行える可能性があります。
さて。
直感的に考えても納得できる当然の話ではありますが、国際調査では女性への福祉が充実している国ほど、出生率も高くなる傾向にあるという結果が出ているそうです。
これからも政治家達がその“当然の事実”を無視して、「良妻賢母主義」の復活を主張し、世の女性達に社会の負担を押し付けるような政策を執り続けるのなら、恐らくは人口減少問題は解決しないでしょう。
ならば、仮にこれから先、三流国家になり下がることに甘んじるのだとしても、いずれ日本は「移民の大規模な受け入れ」をしなければいけなくなる事態に追い込まれるかもしれません。
もっとも、人工知能、ロボット、ビッグデータ等の活用による著しい生産性の向上がもし起こり、それを経済発展に結び付けられたなら、その限りにあらずですが。
最後に、男女平等社会は男性にとってもメリットがありそうだという話を紹介しておきます。
これは『「居場所」のない男、「時間」がない女 著者 水無田気流 日本経済新聞出版社』に載っていた話です。どの社会でも大体は女性の方が長生きする傾向にあるのですが、男女間の寿命の差が短い(つまり、男性の寿命が長い)のは、男女平等社会の方だというのです。
それを素直に解釈するのなら、男女平等社会の方が、男性にとっても住み心地が良いと言えるのではないでしょうか? もちろん、先にも述べた通り、幸福度と長寿は必ずしも一致しませんが。
この根拠は統計で、だから統計分析する際の注意点には気を付けなくてはいけません(著者自身が注意を促していました)。交絡因子、またはその他の要因で、偶々そんな結果が出ているだけかもしれないので、安易にそれを事実だと受け止める訳にはいきません(特別断りませんでしたが、これはその他の統計からの推測にも言える事です)。
ですが、女性にも充分な収入がある事で、男性のプレッシャーが減るだろう点、仕事を辞めても生活に困らなくなるので、企業からの過酷な要求に対し対抗ができる点、職場の人間関係を重視するあまり逃れらない“飲み会”による不健康な食生活、等が抑えられる点を考慮するのなら、演繹的思考からの根拠も提示できます。
また、これは日本独自の問題かもしれませんが、生活管理や精神ケアを女性に依存している為に、女性を失うと直ぐに死んでしまうという男性の脆弱性を改善する意味でも、男女平等を受け入れる事は、男性にとっても価値があると言えるのではないでしょうか?
では、今回はこの辺りで。
参考文献:
『魔女狩り (ヨーロッパ史入門) 著者 ジェフリ・スカール ジョン・カロウ 翻訳 小泉 徹 岩波書店』
『魔女狩り 西欧の三つの近代化 著者 黒川正剛 講談社選書メチエ』
『面白いほどよくわかる 神道のすべて 著者 菅田正昭 日本文芸社』
『近代日本の国民統合とジェンダー 著者 加藤千香子 日本経済評論社』
『男性支配の起源と歴史 著者 ゲルダ・ラーナー 三一書房』
『ジェンダーの心理学ハンドブック 著者 青野 篤子 ナカニシヤ出版』
『「居場所」のない男、「時間」がない女 著者 水無田気流 日本経済新聞出版社』
『少子化時代の「良妻賢母」 著者 S・D・ハロウェイ 高橋 登・清水民子 ・瓜生淑子 訳 新曜社』
因みに、少子化時代の「良妻賢母」は文化人類学的に海外からの視点で日本文化を述べられてあって別の意味でも面白かったです。