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孤独な負け組人生の終わり。と終わった後。

 三十男はパソコンのモニターの前で深くため息をついた。

 鼻水が一緒に出てきた。風邪をひいたようだ。


 日曜日も終わりか。

 この風邪を言い訳に、明日仕事を休めるか。

 アルコールでぼんやりした頭で男は考えてみた。

 一瞬でその考えは潰える。そんな「ホワイト」な職場ではない。怒鳴られるだけだ。


 次いで男の酔った頭は、休めない事を残念でないと思いこもうとした。

 イソップが寓話化した現象である。「酸っぱい葡萄」の心理だ。

 休んだところで、惜しむほど休日は充実しない。今日もそうだった。

 別にどこかへ旅行したわけじゃない。恋人と語らったわけじゃない。友人と時間をともにしたわけでもない。スポーツで汗を流したわけでもなければ、インドアな趣味で何か達成と呼べる類のことをなしとげたわけでさえない。

 ただ家の中にある二つの画面-―テレビとパソコンの前でのんべんだらりとしていただけなのだ。


 だが。

 そんな無為な、一週間のうちの単なる一日すら、残りの六日に比べれば遥かにマシであった。

 幸せではなくとも、会社での疲労、苦痛、そして侮辱がないというだけで。


 四時間ほど点けっぱなしていた彼のパソコン画面は、読みかけのネット小説を映し出していた。


 最もよくあるタイプ。

 自分のような取り柄のない現代社会の落ちこぼれが、ロールプレイングゲームのような中世ファンタジー風の世界に生まれ変わって、獅子奮迅の大活躍をする物語である。

 他愛のない絵空事ではあっても、こういったものを読むことが彼に出来る、せめてもの現実逃避のひとつであった。

 単に無料で読めるのを良い事に、他人の生産した物語を眺めるだけである。

 自分で書く事はできない。

 そんな文章力も想像力もありはしなかった。


 彼の想像力が及ぶところといえば、せいぜい読んだ物語をそのまま「自分にもこんなことが起こったらいいのになあ」と感想を抱く。

 その程度である。


 もちろん、起こるわけが無かった。


 第一話はどんなだったっけ。

 男はもうおぼろげな記憶をたどる。そうだトラックに轢かれるんだ。

 トラックに轢かれそうになっている人を助けようとした男が、逆に自分が轢かれて死んだことで、異世界へと転生する。前に読んでいたのもおなじような始まりだった。

 彼自身のように、それまでだらけた人生を送っていた男が、そのことで神様に認められたかのように、凄まじい力を持った英雄へと生まれ変わる。こういう話の冒頭はなぜか交通事故が多いのだ。

 特にトラックだ。

 同じ始まりで、霊界探偵とやらになって妖怪と戦う不良少年の漫画もあった。天使になった男の洋画もあったような気がする。

 とにかく社会的に落ちこぼれた男が、最後の最後に咄嗟になした善行のおかげで、一発逆転しヒーローになるのだ。

 さて、こんな物語の主人公みたいなことが自分に起こるだろうか。


 絶対にない。


 異世界は存在するか。生まれ変わりが果たしてあるか。

 そんなこと以前の問題としてである。


「車に轢かれそうになっている赤の他人を見て、身を呈して助けようと自分が思うか?」


 男は質問文に妥協的修正を加えた。


「赤の他人でなくてもいいから、車に轢かれそうになっている同僚なり親族なりを、身を呈して助けようとするか?」


 さらに修正する。


「身を呈するまでいかなくても、車に轢かれそうな誰かを助けようとはするか?」


 無い。

 絶対に無い。無いという答えがこれっぽっちも動かない。

 分かり切っていた。未だかつて誰かを庇おうと自分の身を危険に晒したり、面倒事を背負いこんででも誰かを助けようとしたことがあっただろうか。

 冗談じゃない。1円の募金すら、1滴の献血すらしたことがない。

 他人のために指一本動かしたこともない。

 

 異世界や前世があるかないかという不可知なことよりも、具体的にはっきりと無いと断言できる。

 自分は迫りくるトラックから他人を助けたりする可能性は「ない」のだ。

 善意も利他心も、ゴミほどもありはしないクズ。

 それが自分だった。


 男はお世辞にもおしゃれとは言い難い格好で、薬局へと向かった。

 風邪薬を買いに行くのである。休めはしないのだから、症状だけでも薬で抑えたかった。


 だが風邪薬は1、000円ほどもする。

 ああ痛い出費だ。その金で、コンビニのカップ酒が何個買えるだろうか。

 さんざん飲んでいた癖に、また酒の事を考える。


 酒の事を考えるなら、男は金額以外の事に頭を向けるべきであったのだ。

 アルコールにせよ風邪薬にせよ、向精神作用はあるのである。

 そして同時に服用したりすれば、違法薬物の世界では「ドラッグ・カクテル」と呼ばれるものに似た現象を起こす場合がある。

 単純な足し算以上に薬理作用が強まったり、変化することがあるのだ。

 考える以前に、そもそもそんなことを男は知らなかったのだが。

 

 無礼にもレジを通った瞬間に錠剤を口の中に放り込み。

 帰りに通りがかったコンビニでまたも酒を買う。

 口の中が、溶けかけた錠剤で少し苦くなった気がした。

 それを言い訳に歩きながらの飲酒。


 なんだろう。

 体がふらつく。ふだんならこのぐらいの酒でここまでになることなんて無いのに。

 車道に倒れ込みながら、近づいてきたものを見て、うすぼんやりした頭がなんとか考えた。


 -―あ、トラックだ。



 

 とある総合病院の産婦人科。

 その一室で、ひとつの感動的場面が繰り広げられていた。

 人の良さそうな黒人青年と、東洋人の若い女性が、涙を流して抱き合っていた。人種と国籍の壁を越えて結ばれた若い男女が、赤ん坊を授かったのだ。

「よく頑張った、ユカリ。ありがとう。僕らの子だ。僕のジュニアだ!」

「ありがとう、あなた……」

 妻を抱き締める青年の茶色い手には、固く固く握りしめていたロザリオの十字が、まだ痕となって残っていた。

「ねえ、この子の名前だけど……」

「もう決めてあるじゃないか」

「本当に、日本風の名前でいいの?」

「ああ! 最高さ! 日本語でヒーローって意味なんだろ?」

 年配の医師も看護師たちも、その様子を目を細めて見守っていた。


 新しい生命の誕生である。


 職業柄、何百回も見ている光景だが、この感激は決して変わらない。

 何度経験しても目に涙が浮かぶのだ。

 老産婦人科医は窓を開けた。

 さわやかで温かい風と光が流れ込んでくる。美しい空だ。雲ひとつない青空ブルースカイ

 涙ににじんだNYの白い摩天楼が、だんだんとくっきりした輪郭を取り戻す。


 新妻が赤ん坊に呼びかける。

「それじゃあ……元気に育ってね、英雄ひでお

 その声を聞きながら、ドクターは想った。

 かつて荒廃した黒人貧民街であったここハーレムも、かなり開けてきたものだ。






うん、これがやりたかっただけです。引っ掛けなのでこのままエタりますw

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