06.兄姉弟
玄関の鍵を開け、誰も居ない家に入る。
居間の時計は、午後二時前を指していた。
家の電話で短縮ダイヤルを押す。
電話に出た愛子叔母さんから、仏の明石とほぼ同じことを言われた。
「困った事があったら、すぐに言ってね。夜中でも遠慮しなくていいから」
俺は今、現に困ってるんですが……
俺よりも当時をよく知ってる筈なのに、叔母さんは事件を未然に防ぐ気がないらしい。
オカンが何かやらかしてからじゃ、遅いんだってば!
祖父ちゃん祖母ちゃんは、元々うちで一緒に住んでいた。でも何故か、俺が小一の時に愛子叔母さん……都内に住む父ちゃんの妹の家に引越した。
祖父ちゃんならわかってくれると思ったが、今は専門の病院に通ってリハビリ中だ。
一月に脳卒中で倒れて、命は助かったけど、左半身に麻痺が出てしまった。でも、リハビリが巧く行けば、日常生活で困らないレベルまで、身体機能を回復させられるらしい。
祖父ちゃんの特訓を邪魔する訳にはいかない。
叔母さんにお礼を言って、受話器を置いた。
終わった……
いや、まだだ。
いざとなったら、俺が自力で赤穂と須磨春花と塩屋さんを守る。
俺は、生まれて初めて「回避」以外の行動に思い至った。
でも、具体的にどう動けばいいのかは、まだ分からない。
取敢えず、姉ちゃんと共同の自室に鞄を置き、部屋着に着替えて台所に立つ。
朝食で使った食器を洗い、米を研いで炊飯器にセットする。
食欲はなかったが、特売のベビーチーズを一個口に入れ、掃除機を稼働させた。
父ちゃんは、友田寿一。
パッとしない外見で、まじめだけが取り柄の会社員。
俺が物心つく前から、天神府の支社に単身赴任。
帝都の自宅とは飛行機の距離で、年末年始とゴールデンウィークと、お盆休みにしか帰って来ないので、当てにできない。
オカンは友田笑美華。
母親ではなく、最早「敵」。
年の割に若くて顔だけはキレイな専業主婦……の筈だが、家事は姉ちゃんと俺に丸投げ。
俺が小一の時、それまで同居していた祖父ちゃんたちが、愛子叔母さんの家に引越した。それ以来、夜遅くまで何処かに行っている。
ブランド物とか買いまくってるから、内緒で何か仕事してるのかもしれない。
クソ兄貴は、友田創歌瑠。
オカン似の性格でオカンの味方。つまり敵。
三流私大の三年生。金さえ払えば誰でも行ける所で、小学校からエスカレーター。
「創歌瑠」と言う名をカッコイイと喜べる感性は、悩みがなさそうで、いっそ羨ましい。
姉ちゃんは、友田迷露茶。
姉弟と言うより盟友。
都立商業高校の三年生。早く独立できるように、就職に有利な資格をとりまくっている。
「迷露茶」という音楽系と飲物系のコラボ名を心底嫌がっていて、変えられるものなら改名したいと愚痴っている。
俺も「鯉澄」は嫌なので改名したい。
「理澄」で「さとすみ」と読むなら、どちらかと言えば、普通の名前なのに。
何だよ。
どういう意味だよ。
「鯉澄」で「りずむ」って。
ソウル・メロディ・リズム……
うわぁ……可哀想に……という、世間のまともなネーミングセンスの大人の目が痛い。
オカンが「この名前を認めないんなら、この子を殺して私も死ぬ!」と、毎回やらかして、父ちゃんも父方母方双方の親戚も、お手上げ。
そして、創歌瑠・迷露茶・鯉澄の三兄姉弟が、できあがってしまった。
音楽の授業が苦痛でたまらない。
音楽会なんて行事が、なければいいのにと思う。