05.放課後
放課後。
俺は職員室で、担任の明石先生に、これまでの経緯とクラスを替えて欲しい旨を伝えた。
途中、何度も噛んだり詰まったりしながらも、何とか話し終えた。
鼓動は激しく、椅子に座っているのに膝が笑い、顔は熱いのに、背中には冷たい汗の川が流れていた。
明石先生は、手帳にメモを取りながら最後まで黙って聞いて、口を開いた。
「小学校からの引継書は読んだよ。もう十年以上経って、当時とは状況もかなり変わったと思うが……心配か?」
「その時、俺はまだ、赤ちゃんでしたし、他にも色々ありましたし……」
「最近のお母さんの様子は、どうかな?」
「最近……いえ、小一の頃から、母は留守がちで……よくわかりません」
「まぁ、何かあったら、お父さんや須磨さんのお家の人と、相談しよう」
お人好しで穏やかで「仏の明石」と呼ばれる数学教諭は、俺の肩をポンと叩いた。
「心配する気持ちはわかる。でも、お母さんは、校内を見られないじゃないか。須磨さんとも、学校では普通に話しても大丈夫なんじゃないか?」
仏の明石、わかってねぇ!
世の中、性善説で見てたら、命が幾つあっても足りないよ!
須磨家の人たちがどんだけヤバイ目に遭ったと思ってんだ!
引継にも載ってるだろ! 警察沙汰だよ! 事件なんだよ!
俺の心の声に気付くことなく、担任はお茶を一口飲んで、穏やかな声で言った。
「わざわざ、お母さんに告げ口する子が、居ると思うか? 同じクラスでなくとも、小中と、同じ学校に通うことについては、何も言ってないんだろう? 大丈夫だよ」
仏の明石の慈愛に満ちた微笑みに、うっかり和みそうになり、気合いを入れ直す。
おっさんは他人事だから、余裕で笑ってられるんだよ。
大丈夫の根拠を教えてくれよ、先生!
「あ……あの、でもホント、マジで、迷惑掛けたくないんで……」
「友田君はしっかりしてるんだな。子供なんだから、大人の……保護者であるお母さんの行動の責任なんて、君が背負わなくてもいいんだよ」
大人も子供も関係ない。
今ここで誰かが何とかしないと、また警察沙汰になる。
今度こそ、刑事事件として、起訴されるかもしれない。
オカンが犯罪者になる。
そうなったら、俺と姉ちゃんの人生は詰む。
「これからは、お母さんのご両親とお父さん、それと、先生に任せておきなさい。君の仕事は勉強や部活を頑張って、中学生らしく恋や遊びを楽しむことなんだ。わかるね?」
俺は尚も担任に食い下がった。
「あの……でもホント、ウチの母マジでヤバくて……!」
「何かあったら、先生が責任を取る。大人だからな。……腹減ったろ? 今日はもう帰りなさい」
何か起こってからじゃ……
誰かの人生が終わってからじゃ取り返しがつかないのに……
仏の明石は、引出しからバタークッキーの小袋を出して、俺の手に握らせた。
今日は……
いや、子供の俺が、一人で食い下がっても無駄らしい。
仕方がない。
誰か親戚に言って、話を付けてくれるように頼もう。
俺は礼を述べて、職員室を後にした。