そして王女は辺境に嫁入りした
「まぁ、何も無いんですね」
それが、ある大国の6番目の王女が辺境の領主に嫁入りし、一生を過ごすことになる領地を初めて見た時の感想だった。なにしろ、丘に立つ彼女が見渡す限り木が数本しかない荒地が広がるばかりだったのだ。
れっきとした大国の王女とはいえ彼女は側室の子であり、他の兄弟姉妹に比べて地味な外見をしていた為にあまり重要視されていなかった。だからこそ、18になって最初の求婚者である辺境の領主である貴族への嫁入りが簡単に許されたのだった。
「こんな辺境で後悔しましたか?」
王都で婚姻を神に誓ってからすぐに辺境であるこの地に馬で向かった為に休む間もなく、落ち着いて話すのは婚姻式以来だった。従者は姫が領地を見て気を変えぬ内に実質的な妻にするようにすすめたが、この荒地の主であるフェンリイが初夜は領地で過ごすと聞かなかったうえ、姫もそれを望んだために急ぎの道中となった。
「いいえ、この様な所こそ私は望んでいました」
「姫君はこういった荒地がお望みだったと?煌びやかな王都でお育ちの姫君が?」
そう語る姫に王都育ちの姫が何をと皮肉気に領主の従者であり、乳兄弟でもあるルカは問いかけた。
「ごめんなさい、言い方が悪かったわね。私はフェンリイ様がいらっしゃる所ならどこでも良かったの。でも、このような場所なら私は本来の姿に戻れるわ」
「本来の姿ですか?」
姫は笑って不審そうなルカの質問には答えずに、夫であるフェンリイを見つめて問いかけた。
「フェンリイ様、私は親にも見向きもされず、姉妹の中でも地味だわ。なぜ、私を選んでくれたの?」
「貴方はとても美しいです!綺麗でそしてお優しい…。実は幼い時に会った事があるのです。貴方はこんな田舎貴族の私を馬鹿にすることもなく、地味な茶の髪と緑の目を幹の色に葉の色と評してくださったうえ綺麗ね、私自然が大好きなのと笑ってくださった。私はその時から貴方を愛していました」
熱の篭った目で彼女の手を握り締め見つめ返し愛を語るフェンリイだった。
「フェンリイ様…覚えていてくださったのね。私も貴方が褒めてくださったから、苦手だった踊りが好きになれましたの」
「姫…」
「もう貴方の妻です。ユリファと呼んで下さい」
「ユリファ…愛しています」
「おあついのは分かりました。ですが、奥様が荒地を喜んだ理由は?」
2人だけの世界に耐え切れず、この場で唯一言葉を挟むことが許されているルカが流れを断ち切って質問をした。後ろでひたすら甘い空気に耐えていた侍従や護衛たち、そして姫に着いて来たただ一人の侍女はルカをまるで英雄を見る目で見ていた。
「ふふふ、王都は恵まれていたの。愛し子も多かった。多すぎる力は調和を崩しかねないの。だからこそ、私は私の力の殆どを眠らせて力の調和を取っていたのよ」
そんな彼らの微妙な空気を気にすることもなくユリファは楽しそうに自分の秘密を語った。
「えっ姫は愛し子だったのですか?」
愛し子は神に愛された子という意味である。この世界では神に愛され、加護を与えられた存在を愛し子と呼ぶ。神ごとに存在する彼らは美しく魅力に溢れた存在だった。彼らが神へ祈りを捧げることにより様々な恵みがもたらされるとされている。過去には水の神の愛し子として有名な巫女は歌を歌って祈りを捧げることで水害をおさめたり、雨をよんだという伝説が残っている。
また、神代のことだが月の神の愛し子が満月の晩に命を神に捧げたことによってこの世界から夜に暴れていた魔物がいなくなったという伝説もある。そんな伝説にされるほどの存在だが、どの国にも何人かは存在していた。だが、神の寵愛の深さによって加護の強さが変わり、祈りによる祝福の強さも変わるために、自然環境を変える程の力を持つ愛し子はめったに存在しないうえに、王家や神殿に隠されていることがほとんどだった。
「ええ大地の神殿長含めて2・3人しか知らないの。王には言ったけれどあの人は神に頼ることが嫌いな人だから、余計に疎まれてしまったわ。それに、力を抑えている私は地味に見えるからたいした加護を持っていないと思われていたみたい。愛し子は寵愛が深ければ深いほど美しく見えるもの。だから、たまに力を使うと別人らしくって誰にも気付かれないのよ」
そう朗らかに笑う彼女は確かに他の愛し子に比べて地味だった。愛し子はどれもキラキラしている人が多いからか余計に彼女の地味さでは信じられなかった。
「ああだから皆さん、貴方が春の女神だと気付かないんですね」
そんな周囲と違って、彼女の発言をあっさり信じた上に、おまけに一番有名な大地の女神の愛し子であり、彼女が神に祈りを捧げる手段である華舞を踊る時に天から花が降ってくることから春の女神という異名を持つ愛し子がユリファだと断言する主にルカは驚きが隠せなかった。なにしろ彼女はどこの王家にも神殿にも属していないとされ、王都で行われる華祭りの時にしか踊らない正体不明の愛し子だった。
「へっ?あの華舞の名手!?彼女が舞えば花が舞い大地の神の祝福が与えられるって伝説の?」
そんなルカの動揺のあまりの言葉遣いの乱れを気にも留めずに再び2人きりの世界に入るフェンリイとユリファ夫婦だった。ちなみにこの時にルカが彼らの甘い空気の犠牲になる未来が周囲の人間にははっきりと見えたそうだ。
「気付いてくれていたのね。さすがだわ」
「同じ顔なのに春の女神が正体不明だったのが不思議でした。でも、貴方の美しさに誰も気付かぬ内に求婚出来て幸いでした。初めて会った時から愛しておりました。絶対に大切にします。私と一生をともにしてください」
「はい!私もあの時からずっとお慕いしていました。18になったらすぐにあなたの所に押しかけようと思っていたら求婚してくださったのですもの。本当に嬉しかったです。不束者ですが、よろしくお願いいたします」
そういって華の様な笑顔を浮かべるユリファをフェンリイは抱きしめてくちづけを交わした。周囲の生ぬるい視線は彼らには何の痛手にもならなかった。
ちなみに、この世界では王族の女性は18歳にならないと婚姻を許されない。血をつなげることが重要な王族の女性が未熟な体で出産する危険性を避けるためだ。そのため、彼女は18になってすぐに押しかけ女房をするつもりだった。その準備を手伝わされていた侍女は後にルカにこう語ったそうだ。
『もし、求婚がなかったら…税の報告に訪れるフェンリイ様の寝室に忍び込む手はずになっていたのです。犯罪の手助けをせずに済んで本当に良かった…。姫様は猪突猛進の方で…その為に、鍵開けと壁のぼりも習得なさったのです…』
ユリファ付きの侍女の話を聞いて真っ青になり大切な弟分である主の寝室の鍵を強固なものに変えようとして、主の寝込みを襲う恐れがあるユリファが妻なのだから同じ寝室にいることに気付き世の無常を感じたルカだった。だが、幸せそうな主を見ている内にユリファが結婚前に犯罪計画を練っていたことはどうでも良くなったようだった。
そして、力を隠すことをやめ、美しさを明らかにしたユリファのおかげでこの地はだんだんと恵みに溢れた土地に変わっていった。だが、彼らの子ども達が大きくなるにつれて辺境の地の変わりように王家が手出しをしてくることもあった。その為に、春の女神とうたわれるほどの神の愛し子の本領を発揮したユリファがこの地の独立を勝ち取り辺境の領地は辺境の小国となった。その後も数多くの問題に襲われたが、2人の愛を邪魔できるものはいなかった。
領主夫妻から王と王妃になった2人が一生を共にという言葉通りに60歳のときに一緒に事故でこの世を去るまでには木々も増え、荒地が森に変わっていた。彼らの小さな王国は何故か加護の強い愛し子揃いの子どもたちが立派に守っていった。風の愛し子の長男が王になり、水の愛し子の次男がルカの跡を継いで宰相に、大地の愛し子の長女は隣国(ユリファの生国)の正妃に、炎の愛し子の次女は最年少の神殿長になった。
そんな子ども達によって彼らの王国は次第に大きくなり強い力を持つことになった。だが、彼らは自然を愛した初代の王と王妃の願いを忘れることはなく自然に溢れ、調和を大事にした国をつくり続けた。
愛し子ですが、精霊神殿の方とは世界が違うので短編で上げてあります。