第2話『理不尽な宿』
冒険者ギルドから逃げるように出てきた俺達は、少し都市の中を観光しようと商業区に足を運んでいた。
商業区は観光客が最も集中する場所ということもあって、周囲は賑やかな喧騒に包まれている。煌びやかな服を着ている奴等は多分貴族だろう。そんな彼らが庶民に混じって歩いている姿はどこか微笑ましいものがあった。
それにしても今度こそ終わったな。もうチェリアさんとお話できそうにない。リーゼの失礼な発言については謝っておいたけど、許してくれたかは正直微妙だ。だって最後にもう一度見せてくれた笑顔が引き攣ってたんだもの。あんな不出来なスマイルは欲しくなかった。
くそ! やっぱりリーゼを連れて来たのは間違いだった! このままこいつといたら可愛い女の子との出会いができなくなってしまう!
「マスターには私がいるんですから、他の女なんていらないじゃないですか」
「冗談はそのイカれた頭だけにしてくれ」
「酷い!」
背中をぽかぽかと叩いてくるリーゼを無視して、俺は途切れることの無い商店の列を眺めた。どうやら雑貨店や料理店がこの辺りの中心らしく、庶民向けの店から貴族向けの高級店までしっかり揃っているようだ。通りの先には屋台まで出ていた。メイド服を着たお姉さんが肉を刺した串をくるくると炭火で炙っている。……なんでメイド服!?
俺の視線に気付いたのか、屋台で串焼きを売っていたお姉さんは手招きをしてきた。
「君、気になるなら一本買っていきなよ!」
「え、ああ、はい。それじゃ……二本ください」
「あいよ! 出来立て二本!」
あれ、なんか勢いで串焼き買わされちまったぞ? まあお腹空いてたから別に良いんだけど。
俺は熱々の串焼きをメイドのお姉さんから受け取り、片方をリーゼに渡してやった。するとリーゼは串焼きを受け取ろうとせず、黙って口を開けていた。どうやら「あーん」というやつをして欲しいらしい。
「ふざけんな、自分で食え!」と言いたいところだが、こういう普通のお願いなら聞いてやってもいいと思う。
でも……これって普通なのか? 不味いな。普段が変態なだけにリーゼに対する普通の基準がおかしくなってる。まあいいか。
俺が串焼きをリーゼの口元に持っていってやると、ぱくりと桜色の唇が肉を頬張った。もきゅもきゅと頬を膨らませながら肉を食べているリーゼは小動物のような可愛さがある。
「えへへ。私達、まるで恋人みたいですね。いっそこの後泊まる宿で一線越えちゃいます?」
「冗談はそのイカれた頭だけにしてくれ」
「何で!?」
何でって……それくらい分かってくれよ。前半の台詞だけなら認めてやっても良かったのに。本当に残念な美少女だ。
額に手を添えて溜息を吐いていると、憐憫の眼差しを向けたメイドのお姉さんと目が合った。すると彼女は焼き串をもう一本俺に差し向けてきた。
どうやらなんとなく事情を察したお姉さんなりの励ましのようだ。なんて優しい人なんだろう。俺は感激しながらそれを有り難く受け取って――。
「八〇クランです」
「サービスじゃなかったのかよ!」
――泣きながら金を払った。
お姉さんの屋台を離れてから乱暴に二本目の焼き串を頬張る。めちゃくちゃ美味いのが堪らなく悔しい。
軽い腹ごしらえを済ませた俺とリーゼはもう少しだけ商業区の賑やかな通りをぶらつくことにした。途中で雑貨店に寄り、仕事に使えそうな物を購入していくうちに荷物が増えていく。いつの間にか両腕が紙袋で塞がってしまっていた。
荷物を置きたいし、そろそろ宿を探した方がいいよな。報酬もあるし、しばらくここで働くつもりだからちょっと高めの宿に泊まろう。
そう考えた俺は日が暮れたこともあって、商業区から離れて居住区に移ることにした。
商業区にもいくつか宿があるけど、それらは全て貴族様専門の高級ホテルだ。流石にそんな場所に泊まる度胸も金も俺は持ち合わせていない。というか泊まりたいとさえ思わない。……たった一泊するだけであんなに金取るの!? 何なの? 貴族って馬鹿なの?
要は身も心も庶民な俺には庶民向けの宿がお似合いって話だ。
パリーニュの居住区は手前に観光客用の宿が、奥に進むほど人の住む家が多く見受けられる。ちょうど仕事に出かけていた人達が帰宅する時間だったらしくて、今の居住区は人の数が多い。俺達はその流れに乗ってあちらこちらに建っている宿を見回していた。
「マスター。居住区にはたくさん宿がありますけど、どれに泊まるつもりなんですか? 私はマスターと同じ部屋なら何処でも構いませんけど」
「百パー有り得ないけどその場合はお前を縄で縛って拘束しておかないとな」
「……マスターの御心のままに」
「あれ!? くそっ、これだとご褒美になっちまうのか!」
さっきの言葉は俺の童貞を奪わせないという意味で言ったつもりだったが、リーゼの変態スイッチを刺激する発言だったみたいだ。こいつの守備範囲は何処まで広いんだ!?
リーゼはもう無視しよう。これ以上まともに相手してると俺の気が滅入ってしょうがない。
俺は辺りを歩いていた人々に良い宿が近くに無いか尋ねることにした。すると最初に尋ねた人がとても親切な人で、丁寧に宿の場所とその宿の利点を教えてくれた。俺は早速その宿に向かってみる。
「マスター、ここですよ! ほらここ!」
「おお、確かに見た目は良い雰囲気出してるな」
探してみると親切な人に教えてもらった宿はすぐに見つかった。古い木の板に「竜の卵」と書かれた看板が立て掛けられたその宿は、質素だが誰でも気軽に入れそうな安心感を与える外観だった。ぶっちゃけ普通の家とそう変わらない。
俺は早速その宿の中に足を運んだ。扉の先は受付のカウンターがあるロビーに繋がっていた。かなり高齢と思われる婆さんが受付台の上で帳簿を付けている。
「あの……」
「あん?」
声をかけると婆さんはヤクザのような険しい顔で俺の方を睨みつけてきた。
だ、大丈夫だ。顔が皺だらけだから迫力があるだけ……きっとそうだ。流石にいきなり「てめーのようなガキを泊める部屋なんてねーよ。ぺっ!」みたいな反応はされない筈!
「ここに泊まりたいんですけど」
「あん?」
「ここに泊まりたいんですけど!」
「うるさいね! ちゃんと聞こえてるよ!」
婆さんの耳元で大声を出したら帳簿で頭を叩かれた。すいません。老人だからって気を利かせたつもりだったんです。
帳簿が意外にぶ厚くて重かった為に俺の頭は今も揺れている。普通に痛かった。
「二人一部屋でお願いします」
「あいよ」
「ちょっと待って! 今のなし! 一人二部屋にしてください!」
「うるさいね! 男のくせに文句言うんじゃ無いよ!」
「理不尽!」
何故かこのクソババアはリーゼの希望は素直に聞いて、俺の意見には聞く耳を持ってくれない。おいおい、金を払うのは俺だぞ。すなわち俺は客だぞ。
いっそのこと違う宿に泊まろうかなとも思ったが、俺達の後にやって来た人がその考えを中断させた。
「おや、君達はさっきの」
「あ、メイドのお姉さん」
新しくこの宿に入って来たのは商業区で串焼きを売っていたメイドのお姉さんだった。彼女は俺とババアの顔を見比べるなり唇を吊り上げて話しかけてきた。
「もしかしてこの宿の泊まるの? そっかそっか。私はこの宿でアルバイトしてるんだ。よければ部屋まで案内するよ」
「いや、まだ部屋は決まってなくて」
「二人一部屋、七号室だよ」
「おい! 勝手に決めんなババア!」
「うるさいね! あたしがこの宿のオーナーだ! あたしの決定権は絶対だよ! ……それと今ババアっつったのかこのクソガキがあああああああああああああああああああああ!」
ババアの理不尽な態度につい怒鳴ってしまった俺だが、ババアは俺の三倍くらい大きな声で怒鳴りながら凶暴化した。そしてあのぶ厚い帳簿で俺の顔を何度も殴ってきやがった。必死に避けようとしてるのに、ババアが老人とは思えない速度で追撃してくるから逃げられない。こいつ、本当にババアか!?
リーゼが涙目で止めに入ってくれなければ、俺はそのままババアに撲殺されていたかもしれない。それくらい俺は一方的に痛めつけられた。
「なはは! 帰って早々面白いもの見させてもらったよ!」
「お前……客がぼこられてんのに笑ってんじゃねーよ」
「ごめんごめん。帳簿には私が名前を書いといておくから、君は部屋で休むと良いよ。お婆ちゃんも男嫌いだからってすぐに怒っちゃ駄目だよ?」
「うるさいね! 怒ってないよ!」
いや、絶対怒ってるだろ。それで怒ってないなら本当に怒った時はどれだけヤバイんだっつーの。
受付をメイドのお姉さんに代わったババアは宿の奥へと消えていく。自分の部屋に戻っていったのか? というか、あいつ俺に一言も謝らなかったぞ!?
「ごめんねぇ。お婆ちゃん、いつもあんな感じなんだよね。だけど宿としての質は凄く良いから安心して! ……と、紹介が遅れたね。私は美人アルバイター、タウ! そしてさっきのヒステリックババアはエルメダお婆ちゃん! どうぞよろしく!」
「……ああ、どうも。俺はタクヤ……です」
「私はマスターのパートナー、リーゼです!」
メイドのお姉さん改め、タウさんは敬礼しながら自己紹介をした。無駄に元気な人だ。というか、あんたもババア呼ばわりすんのかよ! リーゼが俺をマスターと呼んだことにも疑問を感じてないようだし、なんだか……よく分からない人だ。
俺は肩を竦めながら、リーゼは張り合うように敬礼しながら自分の名前を伝えて、帳簿に書いてもらった。そして俺がタウさんから受け取ったのは七号室の鍵だ。息が止まりそうになった。
「……マジですか」
「あはは。お婆ちゃんの決定は絶対だからねぇ」
タウさんは無邪気な子供のように可愛らしい笑顔を見せた。なるほど。自分のことを美人と評価するだけはある。しかしその可愛さが今は憎らしい。こいつ、純粋に面白がってやがる。しかも悪意が無いだけに性質が悪い。
「あはは。ここは最高の宿ですねぇ……!」
「そうでしょ!? タクヤ君、話が分かるぅ! 君みたいな可愛い子にそう言ってもらえるとお姉さんもテンション上がるわー」
駄目だ。俺の皮肉が通じてない。何なのこの人。流石に純粋過ぎやしませんかね?
「だ、駄目駄目! マスターはあんたみたいな変人にあげないんだから!」
リーゼ。それは多分お前だけには言われたくないと思うぞ。
俺は急に抱きついてきた変態に冷ややかな視線を送った。