第1話『都会にやって来た二人』
さざ波のように揺れる馬車の中、ガタゴトと心地よい音を耳朶で捉えながら……俺は吐き気を催していた。
「ううううう……気持ち悪ぅ。これだから乗り物は嫌なんだ」
「何言ってるんですか。『ファンタジーならやっぱり馬車で移動だよな!』って喜んで飛び乗ったのはマスターでしょ?」
「だって馬車を実際に見たのこれが初めてだったし……こんなに乗り心地悪いとは思わなかったんだ。いやマジで。やっぱり地面が舗装されてないのが悪いんだな」
俺の情けない弁解を聞いて、リーゼは呆れたように溜息を吐いた。その後に軽く咳払いをしてから自分の膝をぽんぽんと叩く。
「その……寝ていた方が楽でしょうから……しばらく私の膝で眠っていてはどうでしょうか?」
「おお……サンキュ」
俺はリーゼの申し出に甘えて早速膝枕してもらった。柔らかな感触が後頭部に触れて心地良い。こうして見上げているとリーゼの体ってかなり良い感じに発育していると実感できる。そして、俺を見下ろして微笑んでいるリーゼはやはり綺麗だと思う。
この世界でも滅多にいないと言われる銀色の長髪を筆頭に、夜空のような藍色の瞳、ふっくらとした唇、小柄な顔立ち。リーゼの整った顔は非人間的なまでに美しい。
俺は眠気がゆっくりと訪れるのを感じながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
「ぐふふ……これでマスターは動けないですよね!」
「んな!?」
「うへへへ。観念しなぁ……その唇はもうお姉さんの物だぁ!」
突然リーゼの両手が俺の頭をがっちり掴んできたことで、まどろんでいた俺は一瞬で覚醒した。リーゼは涎を垂らしながら自身の顔を俺の顔目掛けて一気に近づけてくる。
……あーあ。中身がこれじゃなきゃ、本当に綺麗な女だと思えるんだけどな。
気が付けば俺は条件反射でリーゼの顔に拳を叩き込んでいた。
「ぷぎゃあ!? 顔が……私の顔がぁああああああああああ!」
「悪い! 今のはお前が急にアレな感じになってたからつい……」
「気にしないでください。それよりも……もっと、ぶってください。はぁ……はぁ……!」
「それだよ! すぐそういう風になるから困るんだって!」
リーゼは確かに美人だ。街中に放り込んだらきっと全ての男がリーゼに見惚れるだろう。ただしそれはあくまで外見だけの話だ。中身は絶望的なまでに変態であり、色んな煩悩や欲望に塗れている。はっきり言って醜い。できることなら一緒に連れて行きたくはなかった。
「お客さん、そんなに煩くすると馬の機嫌が悪くなるよ。喧嘩ならもう少し控えめにしてくれ」
「「すいません」」
前の席に座っている御者に注意された俺達は、その後目的の街に着くまでずっと大人しくしていた。余談だが変態の繰り出す無言の迷惑行為に抵抗しているうちに、不思議と馬車酔いは鎮まっていた。こいつと一緒にいるとセクハラされる人の気持ちがよく分かるぜ。
***
交易都市パリーニュ。ここはノルマンディア大陸の中心に位置し、各地方からの貿易が盛んに行われている。おかげで多種多様な文化や技術がこの都市の中に丸々と根付いていて、一種の巨大観光施設として大陸一の人気を誇っている。
俺も仕事で来たとはいえ、せっかくだからしばらくはこの都市内を観光するつもりだ。出来るだけ長く遊ぶ為にもさっさと仕事の方を済ませておくか。
「わー! 大きいですね! あ、見てください。向こうにお店がいっぱい並んでますよ!」
「おお……! 確かに凄い光景だな。店もそうだが、人の数も多い。流石は大陸一の観光スポットだな!」
俺達は今パリーニュの大通りを歩いている。田舎では考えられないような人の数に少し圧倒された。
パリーニュは都市全体を十字に切り裂いたような大通りが敷いてあり、四つの区画によって成り立っている。
四つの区画というのは観光客が集中して集まる北東の商業区、最先端の技術が詰まっている南東の工業区、この都市に住んでいる人々の家や宿屋が多い南西の居住区、そして俺達が今いる北西のギルド区のことだ。
俺達は『冒険者ギルド』と書かれている建物を見つけて迷わずそこに入った。ギルドの中では、色んな格好をした人達が壁に貼られている依頼書を見たり、備え付けられているテーブルで何やらゲームをしたりして賑わいを見せている。俺達が今までいた田舎とは大分雰囲気が違った。
「なんというか、活気が違うな。それに建物の中がやたら広いし」
「はい。やっぱり人が多いからでしょうかね? というか皆さん、なんか私達をじろじろ見てませんか?」
「見ない顔が入って来たから珍しがってるんだろう? それよりもさっさと受付に行こうぜ」
確かに俺達の存在に気付いたらしい連中は、好奇の目でこちらに視線を飛ばしてきている。まあリーゼが純粋に怯えているということは、恐らく悪意は含まれていないんだろう。だから気にする必要はない。
それにしてもバルジ村にある冒険者ギルドと比べると見事なまでの変わりようだな。
この世界の冒険者という職業は所謂「社会奉仕を目的としたなんでも屋」みたいなもので、荒くれ者も多いが基本的には仕事熱心な奴等が集まっている。だからこそ村にあるギルドが役所みたいな静かな所でも全然おかしくないと思っていたのに、こちらのギルドはまるで酒場や遊技場のように賑やかだ。流石は都会と言ったところか。
ギルドの奥の方に受付のカウンターが並んでいる。受付員は五人。そのうち三人は女性職員だ。しかも三人とも可愛い。俺はその中で最も好みの女性職員の列に並んだ。
「マスター。あっちの男性職員がいる方が並んでいる人の数は少ないですよ」
「そうか。でもここがいい」
「はっ!? もしかして……そんなの駄目! マスターは私以外の女性と話しちゃ駄目です! いいですか? 女は皆ケダモノなんですよ。マスターは可愛いからすぐに雌豚共の餌食にされてしまいます!」
「安心しろ。ケダモノの雌豚はお前だけだ。それと無駄に煩いから黙っててくれ」
「~~~~っ! も、もっと罵って……!」
変態のおねだりを完全に無視して待っていると、前の人が去ってようやく俺の番が回ってきた。セミロングの茶色い髪をした受付嬢は俺と目が合うと人懐こそうに笑った。彼女の制服には「チェリア」と書かれた名札が取り付けてある。
なるほど、この受付嬢の名前はチェリアさんね。よし覚えた。
「ここに来るのは初めてですよね? 良ければ冒険者ギルドについて説明致しましょうか?」
「あ、大丈夫です。俺達も冒険者なんで。ほら、冒険者カードも持ってます」
チェリアさんの可愛い笑顔に見惚れそうになっていた俺は、彼女の厚意に感謝しながら銀色のプレートをカウンターの上に置いた。
冒険者カードはギルドが冒険者として認めた者に与える一種の会員証のようなものだ。カードの表面には簡単な個人情報と、冒険者の実力を表すランクが記載されている。
チェリアさんは受け取った冒険者カードを見た後、俺の顔をちらりと覗き込んだ。そして何かを納得したように頷いた。……おい、俺の顔を見て何を考えたんだ。
「うんうん。バルジ村支部の方でしたか。結構遠くから来たんですね。道理でこの辺りじゃ見掛けない人だと思いました」
「というと?」
「だって二人とも珍しい髪の色をしていらっしゃるじゃないですか。特に貴方のような黒髪の人はこの都市で一度も見たこと無いですし」
俺とリーゼを交互に見るチェリアさんにそう言われて、俺はこのギルドの中に入った時の周りの反応を思い出した。
なるほどね。目立ってたのはそういう理由か。そういえばバルジ村でも俺みたいな黒髪の奴は一人もいなかったな。やはりこの世界には黒髪の人間はいないのかもしれない。
「ぐぬぬ……」
俺の後ろに立っていたリーゼがチェリアさんを険悪な目つきで睨みつけている。
何をそんなに怒っているんだ? 分からないが、放って置くと暴走しそうでヤバイな。
さっさと仕事の話をしようと、俺は腰に着けたポーチから取り出した小さな袋と一枚の依頼書をチェリアさんに手渡した。
「“例の品”を届けに来ました。確認したら報酬の用意をお願いします」
「えっと、はい! 少々お待ちください!」
チェリアさんは依頼書を読むと血相を変えて、一緒に受け取った袋を奥の部屋に持って行ってしまった。
その際、リーゼが俺に耳打ちをしてきた。
「マスター。きっとあの女は見た目で人を判断する奴です。人の中身を把握できない屑ですよ。仲良くしない方が身の為です」
「お前、それでさっきチェリアさんを睨んでたのか?」
「だって、あの女! 私のマスターをまるで珍しい動物を見るような目で見てたんですよ!? ぶっ殺してやりたいと思いませんか!」
「とりあえず落ち着け。それと俺はいつからお前のになったんだ?」
鼻息を荒くしながら俺の耳たぶを銜えようとするリーゼを引き剥がして、俺はギルドの周辺に注意を払った。良かった。誰もこの変態の話は聞いていないみたいだ。
冒険者はギルドに嫌われたら仕事ができないからな。いくらリーゼが俺の為に怒ってくれているとはいえ、職員を必要以上に貶す発言は不味い。
俺が頭を撫でてリーゼを宥め終えた頃にチェリアさんは戻って来た。
「お待たせしました! こちらが今回の依頼の報酬となっております」
「ありがとうございます」
「がるるるる!」
野犬のように唸るリーゼにチェリアはビクッと体を震わせ、困惑したように俺を見上げた。
まさしく「この人、大丈夫ですか?」と問いたそうな目だ。俺は真正面からリーゼの異常性を説明する気がないので苦笑で誤魔化しておく。
もしかしたらチェリアさんと会話することはもう無いかもしれない。あーあ、やっぱりリーゼを連れて来るんじゃなかった。
俺は少しだけ後悔しつつ、チェリアさんから報酬を受け取ってギルドを立ち去ろうとした。
「タクヤさん」
「はい?」
そんな俺を呼び止めたのはチェリアさんだ。彼女は丁寧にお辞儀をした後、ふんわりと微笑んで見せた。
「またのご利用お待ちしています」
「営業スマイルご苦労様です」
悪意全開で茶々を入れるリーゼの頭を、俺は強めに引っ叩いた。