第10話『夜の女性は積極的で』
「……さっきは大変お見苦しいところをお見せしました。それと、結構待たせてしまいましたよね? 本当にすみません」
「ああ、いえ、気にしないでください。待つのは慣れてますから」
俺は薄黄色のパジャマに着替えてきたチェリアさんに見惚れつつ、なんでもないと手を振った。
だけどチェリアさんは先程のトラブルをかなり気にしているようで、何度も俺に頭を下げてくる。そんな彼女に苦笑しつつ、俺は目の前に出されたレモンティーを一口啜った。……うん。初めて飲んだけど意外と美味いな。
俺はこの世界に来てから緑茶ばかり飲んでいたが、たまにはこういうシャレた飲み物も悪くない。
もしかすると俺は本来、こうして優雅なティータイムを送るような生活を望んでいたのかも。……なんて気取った感想が出てくる辺り、俺も相当緊張してるんだなぁ。思わず苦笑いを浮かべてしまった。
俺は現在、チェリアさんの部屋で彼女と向かい合わせになっている。
ほんとはチェリアさんを自宅まで送り届けて終わりの筈だったのだが、彼女がどうしても一人にしないで欲しいと懇願してきたので、仕方なく今の今まで付き合ってあげていたのだ。
割ときつかったんだぜ? 女の子の部屋でじっとしているのって。
特にチェリアさんが「シャワー浴びてきますね」なんて言い出した時は誘ってんのかぁ? と一方通行な思考を働かせるほど混乱した。ああいうのはほんとにやめて欲しい。
まあ、速くパンツを交換したいという気持ちは分からなくもないけどな。
「……さて、じゃあ俺はそろそろ帰りますね」
「ま、待ってください!」
「いや、さっきもそう言って引き止めてきましたけど、もう勘弁してくれませんか? 一人暮らしの女性の部屋とか普通に難易度高すぎですから。最初こそ乗り気だったんですけど、今はもう緊張を通り越して精神的に追い詰められてますから!」
「も、もうおしっこは漏らしたくないんですぅ! だからあとちょっとだけ一緒にいてくださいお願いしますぅ! それともまた私に失禁しろって言うんですかぁ!?」
「それどんな脅し方ぁ!?」
服の袖を引っ張って俺の脱出を妨害するチェリアさん。彼女は涙目を浮かべながら必死に俺を説得しようとしていた。
今の彼女はシャワーを浴びてきたせいでかなり色っぽく見える。お湯で湿った髪に、僅かに紅潮した肌。パジャマの上からでもはっきりと分かる体のライン。その全てが俺から拒否という言葉を奪おうと働きかけていた。
くそっ……! 上目遣いまでされちゃ、断るわけにはいかないじゃなイカ!
俺は軽く肩を竦め、さっきまで座っていた椅子に座りなおした。
「……はぁ。分かりました。あと少しだけですよ?」
「はい!」
そんなに俺と一緒にいるのが嬉しいのか、チェリアさんは向日葵のような明るい笑みを浮かべた。そんな彼女を見てつくづく思う。
……やっぱり美少女はノーマルに限るな。
*****
「マスターが帰ってきてない!? ちょっとタウさん! それどういうこと!?」
「いやー。観光に行くって言ってたような気もするんだけどね? 具体的にどこ行ったのかは知らないんだよね。まさかこんな時間になっても帰ってこないとは思わなかったよー」
『竜の卵』では現在、目を血走らせたリーゼが必死の形相でタウに詰め寄っていた。そんな彼女に対し、タウはあっけらかんとした態度を崩さない。それが気に入らなかったのかリーゼはどんどん怒りを募らせ、今にも発狂しそうになっていた。
そんな二人の様子を無視してエルメダはさっさと宿の奥へと消えていく。
「わ、私、今日すっごい良い子にしてたのに……! マスターに褒めてもらおうと頑張ったのに……! それなのに肝心のマスターが宿に帰ってない? 冗談じゃないわ!」
「あはは。そんなこと私に言われても困るなーって、割と本気で思うんだけど」
「なんでこの宿の人達はマスターがいないのに平然としてるのよぉ! あああああああ! マスター成分が足りないぃいいいい! 速くチュッチュペロペロしないと死ぬぅ!」
「おっかしいなぁ。目の前の美少女がすごく残念な子に見えてきたよ」
綺麗な銀髪を掻き毟りながらリーゼが叫ぶ。そんな彼女の異常性にタウは若干引いていた。
(ていうかチュッチュペロペロって何?)
あまりそっち方面に詳しくないタウはそんなことを考えつつ、窓から宿の外を覗き見る。そこには僅かに紅い光が降り注いでいた。
(そういえば今夜は禍月だっけ)
禍月の夜は不吉の象徴。もしかしたらタクヤは何か危ないことに巻き込まれているのかもしれない。そう思うとなぜか体が強張ってしまう。
タウは自分の変化に動揺を隠せなかった。
「……何よ。そんな不安そうな顔しないでくれる? こっちまで不安になっちゃうじゃない」
「うえっ!? 私、そんな顔してた?」
「してた。すっごいしてた。どうせマスターがどっかの女とハッスルしている妄想なんてしてたんでしょうけど、そんな心配は無用よ! あの人は割と奥手だから、あまり親しくない女の部屋なんかに泊まったりできないんだから!」
「……ハッスルって何?」
「【ピ――】することよ!」
「――ッ!!?」
すでに正気を保てなくなっていたリーゼに遠慮とか自重という言葉は存在しない。彼女は容赦なく自分の知識を披露し、タウの純粋な疑問を打ち砕いた。
タウは練熟しすぎた林檎のように顔を真っ赤にして、自分が何を聞いてしまったのか理解する。それからは頬に手を当てて「え? え? そういうことなの?」と口にしながら目を回していた。
しかし、饒舌なリーゼの解説は唐突に終わりを迎える。
「……おっと!? これは……マスターからの『転移紙』じゃない!」
リーゼの目の前に現れたのは一通の手紙。それを受け取ったリーゼは目を爛々と輝かせながらその内容に目を通し始めた。
「ふむふむ。観光をしていて夜中に帰ろうとしていたら……ええ!? 怪人鎧男に襲われた!? それで、たまたま一緒に歩いていたギルドの受付嬢が怯えてしまって? ……今は……その雌豚の部屋にいる……だとぅ!? 何考えてんのよ!」
リーゼは手に取った手紙をビリビリに引き裂き、魔法で塵に変えてしまった。
「な、なんて書かれてあったの……?」
「マスターが……女に騙されて部屋に監禁されてるって……!」
「ええ!? それって……もしかしてさっきみたいな展開に?」
「こうしちゃいられない。速く助けに行かないと、マスターが……喰われる!」
「ちょっ! こんな夜中にどこ行くの!?」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
体をわなわなと震わせながらリーゼは叫ぶ。それからタウの静止も聞かず、そのまま夜の街に飛び出してしまった。
「ちゃんとタクヤ君の居場所……分かってるのかな?」
タウの言葉を聞く者はどこにもいない。その声は虚しく闇の中へと溶けていった。
*****
チェリアさんから貰った『転移紙』をリーゼに向けて送った後、俺はふと呟いてみた。
「あの『魔剣使い』は一体なんなんだろうな?」
そんな俺の疑問に対し、チェリアさんは困ったように首を傾げる。
「さあ……それは私にも分かりません。ある日突然、なんの予兆もなく現れたので、誰も『魔剣使い』について把握しきれていないんです。分かっているのは『魔剣使い』の戦闘力がずば抜けて高いということだけ」
「ふーん」
どうやら『魔剣使い』は思っていたよりもずっと謎の存在だったらしい。分かっているのはあいつが魔剣を使うってことだけか。俺は少し溜息を吐きたくなった。
あいつの強さは未知数だ。傍に非戦闘員のチェリアさんがいたから仕方なく倒すことを放棄したけど、せめて三十秒くらいはちゃんと戦うべきだったな。
俺はほんの少しだけ後悔を覚え、それから気づいた。
「……馬鹿馬鹿しいな」
「え?」
俺は普通の生活を望んでいたんじゃないのか? だからこそ、今まで面倒なことから逃げ回ってきたんだろう? それなのに、俺はなんでこの事件に積極的に関わろうとしているんだ。おかしいだろ。
もしここにリーゼがいたら「そうですか? いつものことだと思いますけど」とか言って呆れ果てるんだろうけど、それでも俺は自分の甘さを責めずにはいられない。
もういっそのこと、明日には村に帰ろうかな。そんなことを考えつつ、そっと自分の右腕に左手を添えた。
「チェリアさん」
「はい?」
「俺って……優しい奴に見えるかな?」
「はい」
「そうですか……って、えっ!?」
俺はその返答に驚いて顔を上げた。まさか即答してくるとは思わなかったから。
俺の目の前にはチェリアさんが座っている。彼女は暖かい眼差しで俺にはっきりとこう告げた。
「タクヤさんは優しいですよ。だって、私がおしっこ漏らしても笑ったりしなかったじゃないですか!」
「年頃の女性が平然とおしっこ漏らしたとか言うんじゃありません!」




