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貴方の翼が堕ちても 二四

 わずか数日振りだというのに、中流と二人で過ごす六条家はひどく懐かしく感じられた。

 時折、血が足りないせいでクラクラするという中流を居間のソファに座らせたまま、腕も完治した尋人は今までの倍も一人で動いて夕食の支度から後片付けまで済ませた。

「尋人、少し休んだらどうだ?」

 居間から声を掛けられる。

 夕食の準備、それ以前から――帰宅してすぐといってもいいだろうか。

 部屋の掃除や洗濯などで休まず動き回っている尋人を、中流は手が出せない分、気になって仕方がなかったのだ。

 そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、まずは「はい」と答える尋人だったけれど、いま大人しく中流の近くに座っている勇気がない。

 相手の気持ちを読めていないのは中流も同様。

 尋人には、まだ解決していない問題が一つあったのだ。

「…」

 さすがにこれ以上動いているのは、中流から逃げているみたいだからと覚悟を決めた尋人は、お茶を持って居間に入る。

「先輩、…トマトジュースの方がいいですか?」

「え?」

 差し出された湯のみを見て、尋人の言葉の意味を察し、笑ってしまう。

「いや、お茶がいい」

「はい」

 尋人もクスリと笑って、中流の傍に腰を下ろした。

 …だが。

「……」

「…」

 改めて並んで座っても、互いに最初の一言が出てこない。

「……」

「……」

 ズズッ…と茶をすする音がして。

 また沈黙が来て。

「……………ぁ、あの…おかわりでも…」と立ち上がりかけた尋人を、中流が慌てて掴んだ。

「尋人」

「ぇ…」

「ぁ、いや…えっと…」

 顔を見合わせて。

 ……しばらく見合わせて。

 先に吹いたのはどちらだろう。

「っ、くっ、くっくく」

「せ、先輩…ひど…」

「いや、別におまえの顔見て笑ったわけじゃ…」

「でもそんな感じでした!」

「尋人が笑うからだよ」

「先輩の方が先です」

「い〜や、尋人だ」

「先輩です!」

 強く言い張る尋人に、今度は「あはは」と声を立てて笑って、中流は頭を掻く。

「…なんか、互いに遠慮しているみたいで変な感じだな…」

「遠慮…?」

「あぁ。でもいいや、聞くわ」

「聞く、って…」

「おまえ、なにか俺に聞きたいことあるんだろ?」

「――」

「何か落ち着かないみたいだし、俺のこと避けてるっぽいし…、それ、尋人が俺に聞きたいことがあるんだけど聞けない時の癖だ」

「そう、ですか…?」

「そ。最初に、妖のこと黙ってた時だってそうだったろ」

「あ…」

 そう言われてみれば部屋に閉じこもって中流を避けていたなと思い出す。

 けれど、あれは隠し事されたことに怒っていたせいもあるのだから、今回と同じではないと思う。

 しかし聞きたいことがあるのは本当のこと。

 訂正するのも妙な気がしたため、尋人は素直にその場に座り直した。

「……先輩」

「ん?」

「あの……、…あの、悲しませちゃうかも…しれないんですけど…」

「うん?」

「………僕……」

「尋人?」

「…………僕、先輩のこと、恨んでいたと思いますか……?」

「――」

 ようやく言った後で、尋人は目をきつく閉ざした。

 膝の上、握られた拳は怖くて震える。

 それがずっと気になっていた。

 あのときの、違うと思ったのに湧き出てきた不安や悲しみの正体は、塩木衛の魂が中に入っていて同調したせいだと説明してもらったけれど、本当にそれだけだったのか尋人には判断がつかない。

 同じ目に遭った人が憎んだというのなら、自分だって憎んでいたかもしれない。

 …彼のようになっていたのかもしれない。

 自分はその感情に蓋をし、目隠しをして見ないフリをし続けてきただけで、本当は、そういった汚い感情が自分の中にはたくさん存在していて、それが原因で中流に何も出来ないなら、それは、いつまでも誤魔化していてはならないことだと思った。

 これを解消しなければ、これからもずっと中流に触れてもらうことは叶わない気がしたのだ。

 そう思い、意を決して告げた言葉。

 だが聞かされた中流は首を傾げた。

「…尋人、なんでソレ、疑問形なんだ?」

「え…?」

「尋人が俺を恨んでいたかどうかなんて俺には判らないよ。…確かにあの時、どうして助けてくれなかったのかって聞かれて、すげぇショックは受けたけど…」

「ぁ…」

 そう言って、あの時のことを思い出したのか顔を歪める中流の、その頬に触れる。

 涙は落ちていない。

 けれど今にも泣きそうな顔を、包んであげたくて。

「…俺には何の能力もないし、妖や、魔物、人の霊魂…どんなものが憑いた時に、どう影響するかなんて、さっぱりだ。あの時のあの言葉が尋人の本音なのかも判らない。……ただ、恨まれて当然だとは思った」

「ぇ…?」

「おまえが助けてくれって俺を呼んでいるのに気付かなかった…助けられなかった…俺はそれずっと後悔して来た。こんな血が流れていたって、一番大切な奴を守れないんじゃ意味なんかないって…かなり参ったよ。……でも、今は、尋人はここに居てくれるから…」

「先輩…」

「あの時は憎まれても、恨まれても当然だった。…おまえのこと守ってやりたいのに、いつも空回りで、今回も思いっ切り巻き込んで…ホント俺はしょーもないのに、それでも、尋人は傍にいてくれる。…血の話して、一族の話もして、…それでも俺と一緒に生きるって言ってくれた、おまえのその気持ちが本当だって俺は思う」

「…はい」

「今も恨まれたり、憎まれたりしているなら根本から考え直さなきゃだけど…」

「そんなことないです!」

「…って尋人が言うんだから、さ。いま一緒にいるのが幸せなら、それが正しいんだよ」

「はい…っ」

 ぎゅっ…と抱き締めあって、二人の顔には笑顔。

 大好きな人がこんな近くに在てくれることへの感謝と幸福を噛み締める。

「…ぁ、でも、じゃあ何で…」

「え?」

「! い、いえ、何でもないです!」

 聞き返した途端に顔を真っ赤にして否定する尋人に、中流は意地悪な笑みを作る。

「なんだ? 隠し事はナシだぞ?」

「隠し…そんなんじゃ…!」

「じゃあなに?」

「何でも…っ」

「ひろと〜」

「ひっ、ひぇんひゃい…っ」

「言えよ〜」

 頬をつままれ、ぐにぐにされて、痛くはないのに泣きそうになる。

「ひどいです先輩…っ」

「尋人が素直じゃないから」

「素直に言える話じゃないです」

「どんな話だ」

「だから…っ…その…」

「ん?」

 聞くまで絶対に引かないという中流の態度。

 尋人は本当に泣きたくなって、顔は真っ赤に。

 声は掠れて。

「……っ………だから…それが…原因じゃ…なかったら……………なんで先輩と……ぇ…エッチ…出来ないのかな、って……………」

「―――」

 言われたことがすぐには脳に伝わらない。

 いや、脳には伝わったかもしれないのだが、うまく伝達されて来なかった。

「――は?」

 しばらくしてようやく聞き返せた中流に、尋人はヤケになりそうだ。

「だってあの魔物が言っていたんですっ、心の底では恨んでいるからとか、そういうこと…だから、……っ」

「……だから…?」

「だから…っ!」

 真っ赤な顔で。

 泣きそうな目で。

 つまりは何だ、そういうことか?

「………尋人、おまえ俺としたいの?」

「………!」

 ただでさえ赤かった顔がなお赤く。

 潤んだ瞳は、なお潤んで。

「…って…なんでイキナリ……って、だっていつから!?」

 こちら、わざわざ一族の力で性欲を抑え込んでいたのだ。

 尋人がその気になっていたなら、今までの我慢は何だったのか。

 だからといってそれを本人に聞くのもどうかと思うが、素直な尋人は、素直に答える。

「…っ…ぉ…お風呂…で…首…の…」

「首?」

「………っ…夜…寝れなくて…」

「―――」

「そ、その後…怖い夢とか、見て…先輩と離れて…なんか…その……」

 なんか、その。

「………っ」

 中流は息を吐き出した。

 長く、長く、息を吐く。

「せ、先輩……?」

 呼んでくる瞳の稚さ。

 愛しい感情が溢れ出る。

 ドキリとして、好きだ、と改めて思う。

「……おまえがその気になったなら、我慢するのやめるぞ…?」

「ぇ、ぁ…」

「抱くぞ?」

「…」

 低い囁きに、咄嗟には答えられずにいると、待ちかねたように唇が重ねられた。

「んっ…」

 ほんの少しの驚き。

 …けれど逃げない。

 受け止める。

 その、熱を。

「……怖い記憶なんて、俺が上書きしてやる」

「……はい…」

「ずっと一緒だ」

「はい……っ…」


 口付けは甘く深く。

 睦言は密やかに。

 熱い指先、熱い唇に熟れる身体。

 もう、貴方しか見えない――。


「…っ」

「…? 先輩…?」

 不意に止まった動き。

 辛そうな顔。

 尋人の上に倒れこんで、どうにもその様子がおかしい。

「先輩…?」

 呼びかける尋人に、中流は泣きそうな声で言う。

「………血、足りねぇ……」

「―――」

 血、足りない。

 当然だ。

 傷口は塞いでも流れ出た血までは戻せない。

 里界人の血は輸血も出来ない。

 クラクラするとさっきから言っていたのだ。

 そんな身体で興奮するような真似は出来るはずがない。

「くそぉ…っ…」

「――っ、あははははは」

「笑うなっ」

「だって先輩…っ…だって……!」

 珍しく大笑いする尋人に、いつしか中流もつられて笑い出す。



「もう寝る」

「それがいいです。早く身体回復させて下さい」

「………今度こそ、だからな」

「はい!」

 二人の言葉に伴う笑顔。

 もう大丈夫。

 今度こそ。


 今度こそ、ここからが二人の幸せへのスタート地点。




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