表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/88

貴方の翼が堕ちても 二一

 里族の血が流れる。

 獣の毛に落ちる。


 ――ォオ…ッ…ゥォオオオオオオッ…!


 咆哮。

 それは里界神から逃れようとするためであり。

 里族の血を振り払おうとするためであり。

 何より。


 ――…ナゼ ナゼ ナゼ …

 ――…孝雄 ナゼ オマエ ガ …


 松本孝雄が自分を庇った。

 実際には中流だけれど、魔物の目には、それは松本孝雄でしかなく、それが、獣の中核である谷俊介の内部を震撼させた。

「ぁ…あああっ…先輩……!」

 尋人が叫ぶ。

 そして、内部の塩木衛も。

「先輩………!」

     ―――………!

 叫ぶ。

 空気が張り詰める。

「中流さん!!」

 裕幸が駆け寄った。

「なんてバカな真似を…!」

 佳一が舌打ちしてそれに続く。

「中流さん! 中流さん!!」

「中流!」

 裕明の声も重なる。

「いま治癒を…!」

 裕幸の叫ぶような声を、だが中流の手が制した。

「…っ…ユキ…血…」

「中流さん!?」

「…俺、の…里族の…血……」

「……!」

 掠れ、今にも消えてしまいそうな中流の言葉を、だが裕幸は正確にとらえた。

 なんてことをと責める気持ちもある。

 …本当は、もっと別の形で成したかった。

 だがそれが中流の望みで、これを教えたのが裕幸自身である以上、それを実現させないわけにはいかなかった。

「……っ…先生、白夜の気を取ってください」

「え?」

「白夜の気を中流さんの血と混ぜて、先生の水で人型を…!」

「――まさか器かい?」

「そうです」

「……ほんとバカだね。器程度、指先からの一滴二滴で足りるものを…」

 馬鹿だと言いながら、佳一は真剣な表情で即座に動いた。

 水を呼び人型を成す。

「――っ」

 獣に飛び散った中流の血、そこから都合の良い場所を選び、印を為す。

 器となる人型に混ぜられた血。

 獣に散った血。

 こうなったら血で血を喚んでしまえと、多少強引なことだとは自覚しながら佳一は決めた。

「先輩…っ」

 駆け寄り、泣きながら呼ぶ尋人に、中流は笑う。

「…も…ぜったい…傷つけさせないから…」

「ぇ…?」

「おまえ…俺が……守るから…」

「――」

 守るという。

 中流の血が。

「トウ ガン ビ シン シュ ケン キョウ ワン」

 佳一の声が空間を渡る。

「松本! 塩木衛を思い出せ!!」

「!」

 突如怒鳴られて、松本は混乱する。

 だが拒否など出来るわけがない。

「おまえの幼馴染だ! ずっと抱いてきた体だ! 思い出せ!!」

 切羽詰った佳一の、口調すらガラリと変わった物言いに動揺は隠せない。

 だが目を瞑り、必死に思い出した。

 少しクセのかかった茶の髪。

 きつめの瞳。

 薄い唇。

 猫みたいに気まぐれな性格で、細いしなやかな四肢が、そのラインが、――綺麗で。

「シ フク ビ ソク コウ シュ シ!」

 佳一の呪が終る。


 ――ゥォオオオオオオオオオ!!!!


 直後、獣は叫ぶ。

 叫ぶ。


 ―― ナゼ ……!

 ―― ナゼ 邪魔 ヲ ……!

 ―― ナゼ 孝雄 ……!


「! 谷…っ」

 水の結界の中、松本は歯噛みした。


 ―― ナゼ 庇ウ …!

 ―― ナゼ 守ル …!

 ―― ナゼ 救ウ ………!!!!


「…っ」

 谷俊介を核とする魔物の叫びは、魔物を庇って倒れた、中流が扮する松本孝雄に向けられたもの。

 自分にじゃない。

 自分は、…逃げただけだ。


 ―― ナゼ オマエ 俺 ……!

 ―― 衛 殺シ タ 俺 ……!

 ―― 衛 俺 殺 シタ ……!


「違う…っ…衛を死なせたのは俺だ……!」

 何も解っていなかった、自分なんだ。

 衛は言うんだ。

「仕方ない」って。

 幼馴染だし、困ってるなら相手してやるって。

 だけど気分ノッた時だけって約束で。

 それ以外はいつも冷めた目で自分を見ていた。

 …だから、ベッドの中でだけは熱い目をしているのが嬉しくて。

 うかれて。

 谷に言われて。

 言われたって衛に言ったら。

 別に構わないって。

 誰が相手でも同じだって、衛が言ったから。


「…バカな俺がそれ信じたから……!」


 素直じゃなかっただけ、なんて。

 そんなこと知らなくて。

 谷に憑いていた闇の魔物の余波だったとか、そんなの他人のせいにしているだけで。

 もっと早く。

 もっと素直に。

 …それで傷ついたって。

 自分の気持ち。

 衛の気持ち、真っ直ぐに見ていれば良かったのに。

「…っ……」

 たった一人、結界に守られて。

 一人、安全な場所で。

 松本は膝をつく。

 悔しくて情けなくて、…怖くて。


 ―― 孝雄 ……!


「その“孝雄”の血に命じる」

 佳一は言い放つ。

“孝雄”に扮した中流の血を媒介に。

「妖の名を教えろ」


 ――ゥォオオオオ……ッ…!


「…全員に教えろなんて言わない。君を守ろうとした塩木君に教えればいい」


 ――オオオオ…ッ…


 ―― 衛 …

 ―― 衛 ニ 妖ノ 名 …


「!」

 不意に尋人の背筋を駆け抜けた震え。

 決して不快ではなかったそれは、尋人の中の塩木衛が妖の名を受け取った証。

「…尋人君、この器に触れなさい」

「ぇ…」

 先ほどの裕幸が言い、佳一の水が成した人型のそれ。

「塩木君、この水の器が君だ」

「――」

「塩木君、君の身体だ」

 佳一に促されて、尋人の手が触れる。

 ――衛の意識が触れる。


 ――………  ………


 妖の名。


 ―― ォオオオオオオ ……!


「ぁ…」

 尋人は不可解な感覚に声を上げた。

 それは塩木衛の魂が尋人から抜けたせい。

 里族の、中流の血がそれを喚ぶ。

「!」

 刹那、水の人型は、塩木衛の姿に。

 獣は、谷俊介に。

「…申し訳ないが、俺達には闇の魔物の正しい消し方は判らない。せめて来世は人として生まれ変われるよう祈るよ」


 ―― ォオオオオ …

 ―― ゥォオオ …

 ―― ォオ …


 佳一のチカラがそれを砕く。

 ほんの一瞬。

 たった一度の閃光。


 後には、何も残らない。

 そして新しく生まれ変わった、その存在は。

「……塩木君」

「…」

 それの瞳が開く。

 周りを見る。

「君は、もう人には戻れない。妖に堕ちてしまったからには、里族に仕えるか、抹消されるかのどちらかだ」

「…」

「俺はどちらでも構わないけれど、君を生かせという意見が多くてね。……どちらを選ぶかは君に任せるよ。…それくらいの判断は出来るだろう?」

「…」

 佳一の言葉を、妖は反芻する。

 生きる。

 死ぬ。

 妖の中の、塩木衛。

「……里族に仕えたら、あの男に復讐出来るか」

 水の結界の中、崩れ落ちている松本を見て言う。

「復讐とは? 食い殺すというなら抹消だが?」

「違う。殴る」

「殴る?」

「殴る。人として。…衛が、そう言っている」

「ふぅん?」

 塩木衛の姿をした妖に、佳一は「おもしろい」と思った。

「いいだろう。里族の駒になるなら幾らでも殴らせてあげるよ」

「…了解した」

「では、自分の主人も判るね?」

「あぁ」

 問うと、妖は倒れている中流に近付き、膝を折った。

「血の主よ、我が名は流焔りゅうえん。私は貴方の式となる。貴方に仕え、貴方の命の影となる」

「…っ…そっか…」

「! 先輩…っ…」

 このような惨い姿になって以降、ようやく聞けた中流の声に尋人は真っ青な顔を近づけた。

 そんな尋人に、中流は笑いかける。

「流焔…、…っ…おまえに、守って欲しいのは、こいつだ…」

「! 先輩…?」

「何者からも守ってやってくれ…、絶対に…もう二度と傷つかないように…」

「了解した。主の命に従い、私はこの者を守る」

 妖の誓いに、だが尋人の表情はみるみるうちに歪んでいった。

「そんな…そんなこと…イヤです…先輩…死んじゃうなんてイヤです…っ」

 血だらけの中流に、尋人は繰り返した。

「死ぬなんてダメです…っ…そんなの…僕…!」

「――」

「――」

 ぼろぼろと涙を零しながら訴える尋人に、周囲の彼らは一瞬動きを止めた。それから顔を見合わせて、失笑する。

「……あぁ、まぁ、確かに中流のこの姿は今にも死にそうだけど」

「尋人君、心配しなくても中流さんは死なないよ」

「ぇ…っ、でもこんなに血が…!」

「うん、血はひどいけど、もう傷は塞がっているから」

「ぇ…?」

 顔を歪めて、また状況を把握し切れていない様子の尋人に、中流も苦しいのをこらえて笑った。

「…裕幸…尋人の腕…」

「そうですね」

 中流の提案に頷き、尋人の骨折した腕に触れる。

 それからわずか数秒。

「――え…?」

 それがはっきりと感じられたわけではない。

 だが、腕の中の違和感に目を見開く。

「家に戻ったら、ギプスを取ろうね」

「俺達一族の秘密も話さなきゃ」

「――」

 呆然とする尋人。

 苦笑する中流や、裕幸、裕明。


「…君も、ああいうふうにもう一度笑える日が来るかな」

 水の結界を解き、松本孝雄を外に出す。

「…俺…死んだほうが楽だった…」

 低い呟きに、佳一は笑う。

「そうだよ、死ぬほど楽なことはないさ。だから生きるんだ」

「…」

「人間なんてバカばっかりなんだよ。誰もが自分が一番で、人を簡単に傷つける。自分の本音も隠して楽な方へ行きたがる。…だけどね、どんな罪を犯しても、いつかまた、ああいうふうに笑えるんだ、心掛けしだいで。それが人間だ」

「…」

 地面に落ちる、大粒の雫。

 松本孝雄は、これからが償いの日々。


「さぁ、帰ろうか」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ