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貴方の翼が堕ちても 十九

「…、憑かれたかな」

 意識を失った尋人を抱えて、佳一が低く呟く。

 中流は泣いていた。

 気を失った恋人に近付くことも出来ずに立ち尽くしたまま。

「中流」

 そんな彼に裕明が近付く。

「中流、しっかりしなさい」

「…っ…アキ兄…」

 裕明に言われて、何度も何度も涙を拭うけれど、止まらない。

 どうして助けてくれなかったのか、――その言葉が胸に刺さる。

 今のは妖に言わされただけだ、とは誰一人言えないのだ。

 …言えるわけがない。

 あのとき。

 どうして気付かなかったのか。

 どうして救えなかったのか。――そう自分を責める中流を皆が見てきた。

 中流自身が自ら責めることを、尋人が責めないなんて誰に言えるだろう。

 そのうえ妖に憑かれたなどと、こんな惨いことがあるだろうか。

「ごめ…っ…」

 無意識に口をついて出る謝罪の言葉は、尋人へか、家族へなのか――。

 裕幸は従兄の姿に顔を歪め、次いで佳一を見上げた。

 憑かれただろうかと彼は言った。

 しかしそうでないことに裕幸は気付いたのだ。尋人に触れると同時に流れ込んできた彼の記憶、その内面。答えはようやく彼らの前に出された。

「先生、尋人君は憑かれてはいません」

「……根拠は」

 裕幸の――白夜の言葉を疑うことは里界神にも出来ない。

 故に根拠を尋ねた。

「尋人君からは妖の気も魔物の気も感じられません」

「だとすれば、いまの台詞は尋人君自身の言葉ということになるよ?」

 中流を恨んでいるという言葉。

 どうして助けてくれなかったのかと、責めた言葉。

「…っ…」

 彼らは息を呑む。

「白夜。君にはどう見える?」

 重ねて問いかけられて、裕幸は深く呼吸する。

 言葉を落ち着ける。

 情報を組み立てる。

「……なぜ、先生の結界から妖が逃げられたのか。兄さんや出流さんに追跡出来なかったのか…、それは妖が魔物と同化したからという理由で納得出来ます。では、尋人君が谷俊介の襲われた現場を夢で見た理由は何でしょうか」

「理由?」

「柴田航太郎の現場に居合わせたのは」

「……そして今日、松本孝雄の居場所を知り、獣から庇えたのは何故か、って?」

 佳一が言う。

 裕幸の言葉を補足するように。

 付け足すように。

「答えは?」

 最後の問い。

 欲しいのは、その答え。

「尋人君が、塩木衛だからです」

「――」

「な…んだって…?」

「正確には、尋人君の中に塩木君の魂が入り込んでいるから、です」

「…」

 それでも裕幸の説明は、彼らを納得させるには不十分だ。

 だが推測ならば可能。

「……まさか、妖、魔物に続いて人間の霊魂まで関連してくるんじゃないだろうね」

 それこそ里族の管轄外だと眉を顰める佳一に、裕幸は苦い顔をして言葉を繋ぐ。

「最初のトラックの暴走事故、あれも妖の仕業でした。そこで尋人君が妖の残り香を纏ってきたことは、中流さんも覚えていますよね?」

「っあ、ああ」

 あの事故があった日、大樹医師から中流にあった電話を思い出す。

 尋人から妖の気配がする。

 狙われているのかもしれない、だから裕幸に視てもらうようにと。

「俺は、近くに狙われている人がいたから尋人君も巻き込まれたのだと判断しました。実際、そこには狙われている松本さん達がいたんですから。…けれど、事故のあと、松本さんたちは病院にいなかった。……それは何故ですか」

 最後は松本孝雄に問いかける。

「なぜ、って…」

 松本は本気でうろたえ、返す言葉を見つけられない。

 裕幸の言う内容がまったく理解出来なかったのだ。

「ぇ…、なに…事故…?」

「松本君?」

「事故、って…なに…?」

「――」

 トラックの暴走事故。

 駅前の噴水広場、巻き込まれた尋人が骨折した騒動を、彼は知らない。

「…松本さんは言いました、谷さんは危ない感じがした、と…恐らく、谷さんは随分長い間、闇の魔物と同化していたんじゃないでしょうか」

「…松本君。谷俊介に危ない感じがし出したのはいつ頃からだい?」

「ぇ…って…、最初から…なんかオタクっぽいっていうか…言うこともいつも怪しかったし…、それに付き合ってる柴田もかなり変な奴で…」

「つまり、君たちが知り合う春以前からということだね」

 はぁ…と複数の溜息が重なる。

 谷俊介がなぜ闇の魔物に憑かれたのか、それは彼らの知るところではない。

 判るのは、闇の魔物に憑かれた人間が長い間放置されていたという危険な現実だ。

「…その近くにいた柴田もかなり毒に当てられていたのかな」

「恐らく。その魔物の毒は、多かれ少なかれ松本さんと塩木君にも影響を及ぼしていたでしょう」

「…ぁぁ、なるほどね」

 佳一が頷く。

 影響が及べば負の感情が肥大する。

 肥大した悪感情は彼らの関係を捩れさせていっただろう。

「その塩木さんが、三人を恨んで海に身を投げ、妖と同化した」

「闇の毒に当てられていた塩木衛を喰らった妖は、闇の気配に疎くなる。なんせ自分の中にもそれがあるんだからね」

「逆に、谷は自分の魔物の気配には敏感だ。狙われていると判って妖を罠に掛けた。それがあのトラックの暴走事故。魔物がそこに罠を仕掛けたのは、……里族の気があったからです」

「里族――」

 彼らは尋人を見つめ、中流を見る。

 里族の気。

 中流の。

 裕幸の。

 裕明の。

 出流の。

 …何も知らずとも傍にいるだけで影響は受けるもの。

 塩木衛や、松本孝雄が闇の魔物の影響を受けていくと同様、尋人は里族の中で、常にその気を受けていたのだ。

「魔物は考えたでしょう。里族の目の前で妖が騒ぎを起こせば妖は確実に消滅させられる。そうすれば自分が狙われることもなくなると」

「だが尋人君は、気を纏っていただけの普通の人間。妖を狩るなんて出来るはずがない。そうして今度は、消滅させられなかった妖が尋人君を未熟な里族だと勘違いした?」

「だと思います。魔物の罠にかかり、復讐を果たせなかった妖は、魔物に対抗出来る力を得る為に里族――そう思い込んでしまった尋人君の身体に憑いた。だが妖本人では仲間…俺達に気付かれて祓われる。だから塩木君の魂なんです」

「…まったく知能犯だな。人間の魂なんてそれこそ俺達には気付かれない。妖はうまく里族の力を利用しながら塩木君の復讐を果たそうとしたわけだ」

「最初、谷さんを襲った時には、おそらく相手にしてみれば不意打ちだったでしょう。塩木さんの魂を外した妖からは自分の匂いが薄く、近付かれても気付かなかった。それで一人目の復讐は果たせたけれど、逆に、塩木君の魂を外していた妖にとって、谷さんの中にいた闇の魔物は制御不能だったんです」

 結果、妖の主導権は谷が握った。

 闇の魔物と妖という二種の能力を得た新たな獣は、谷の意のまま動き出す。

 柴田航太郎を襲ったのは、自分だけが死んだのでは割りに合わないとでも思った為か。

 松本孝雄を襲ったのも似たような理由だろうが、その真偽は本人に確認しない限り、推論のままだ。

 その一方で、魂だけが外された塩木衛は、尋人の中で妖の動向を見続けていた。

 自分の復讐を果たそうとしてくれた妖が魔物に乗っ取られるのを知り、気が気ではなかったと思う。

 どうにかして救いたいと思っている矢先に耳に入った佳一の言葉。

 全部まとめてでよければ抹消できる。

 自分のせいで苦しんでいる妖を、自分を汚した連中と同じ扱いで消されてしまうことなど絶対に許せなかっただろう。

「尋人君に確認してみなければ、断言は出来ません。でも、尋人君が松本さんのいる場所を知っていたこと、獣を庇ったこと…、たぶんトラックの暴走事故の時から、尋人君は違和感か何かを感じていたはずです」

 説明を受けて、彼らの各々の中で情報を整理する。

「……じゃあ…さっきの尋人の言葉は…」

「……おそらくは、塩木君の本音…、それに、……同じ、経験を持つ傷が…尋人君を…彼を、混乱させて、自分の気持ちだと思ってしまったんじゃないかと……」

「…」

「…」

 裕幸の答えは、だが「良かった」なんて間違っても口に出させない。

 絶対に違うとは言えないからだ。

 本当には尋人は中流を恨んでいないなんて、それは彼らが勝手に決めて思い込めることではない。

「………」

 沈んだ空気。

 重たい沈黙。

 それを破るのは、やはりというべきか佳一だった。

「なんにせよ、尋人君の中にいるのが人である塩木衛の魂なら、妖を消した後にでも霊能者を呼んで祓ってもらえばいいわけだ」

「けれど塩木君が妖の解放を望んでいるのなら、それを叶えない限り成仏はしてくれません」

「そこまで面倒を見る気はないよ? こっちも妖と魔物の二重奏なんて経験がないんだ。余計な気を回していたら、こちらが危ない」

「……でも、もしその妖を解放して味方につけられたら…、里界にとっては有益ですね」

「――」

 不意に口を挟んだ裕明は、まるで出流のような笑みを浮かべていた。

「文月さん。俺達は心を持てる妖がいることを知っています」

「…詩貴のことか」

「ええ。塩木君の魂は尋人君の中にある。尋人君と塩木君の心は限りなく近い場所で同調している。加えてあの妖は、塩木君が解放して欲しいと願いたくなる妖です。今後、尋人君が俺達里族の一員となるのであれば、少なくとも一体の式が必要になる、…このような事態に陥ったことは、むしろ幸運だと思うべきじゃありませんか?」

「…塩木衛という式を尋人君につけるかい?」

「俺的な意見ですが、松本君にも償って欲しいと思うんですよ」

「っ、俺…?」

 突然、名前を出されて怯える松本に、裕明は軽く頷いた。

「犠牲者は減らせる限り減らすべきだと思います」

「…」

 大樹兄弟の視線を一身に受けて、佳一は深々と息を吐いた。

「まったく参るね…」

 呆れた呟き。

 それは、里界神が彼らの意思を尊重すると頷いたも同じだった。



 ***



 いつだって、互いに互いを想い過ぎて、すれ違ってきた二人。

 最初は名前しか伝えてこなかった尋人。

 二度目の再会で自分達が同じ学校だったことを知り、事情を知り、中流は尋人の笑顔が見たいと思った。

 尋人の笑顔にホッとする自分に気付いた。

 同性しか好きになれない、それを知られたら嫌われると恐れていた尋人は、だが中流への想いを抑えきれずに絶縁覚悟で告白し、これが巡り会わせというものなのか、中流も尋人への想いを自覚した。

 これが恋なのだ、と。

 幸せな時間があった。

 楽しい時間があった。


 あの夜の、悲惨な悪夢。

 突然の別れ。



 再会。

 再生。

 新しい日々。

 好きだ、と。

 誰に憚ることなく伝え合える時間を手に入れたと、…それはただの思い込み?

 尋人の心には、今もまだあの夜の傷は深く刻まれたままだった……?


 ――…助ケテ クレナカッタ 裏切リ者……


 塩木衛に同調し、尋人が漏らした言葉。

 どうして助けてくれなかったのか。

 叫んでいたのに。

 あんなに呼んでいたのに。

「先輩…どうして……!!」

 どうして。

 …そんなこと、中流が聞きたい。

 なぜ助けられなかった。

 なぜ、……助けられない。

「……俺…今回も…何も出来ないのか…?」

「…」

「今回も見ているだけか……っ?」

 声を震わせ、憤る中流。

 裕幸は彼の手に、手を重ねる。

「……中流さん。貴方は…自分と、…いえ」

「裕幸?」

「…」


 それしか、ない。


「……一つ、提案が…」

「ぇ…?」

「……、尋人君に全て話す覚悟は決まったんですよね……?」

「――」

 見返す瞳。

 それは、裕幸のものではなく――。




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