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二度目の楽園 七

 尋人から衝撃的な告白を聞かされた翌日。

 放課後すぐにバイトのため撮影スタジオに来ていた中流は、今日数十回目になる溜息を吐いて前髪を乱暴にかき上げた。

 もう片方の手には撮影に必要な小道具の入ったダンボール。

 仕事をしていても、昨夜の少年の姿が脳裏に焼きついて離れなかった。

「はぁ…」

 続けざまの溜息に、自分自身でも嫌になる。

 涙をためた目で自分を見上げ、悲痛な声で叫んだ尋人。

 男しか好きになれない。

 先輩が好きなんです――…、知られて嫌われるのを恐れていた尋人は、いったいどんな思いでそれを口にしたのか。

「…まさか尋人がなぁ……」

「昨日の子がどうかしたか?」

「!?」

 突然、背後から掛けられた声に、中流は飛び跳ねそうなくらい驚いて振り返ると、そこには昨夜と同様に、不敵な笑みを覗かせた実兄・出流が立っていた。

「なっ、何でここにいるんだ? 今日の仕事はここじゃないだろ!」

「ああ。今日の仕事はもう終わったんだ。しかも久々に家に帰れそうだから可愛い弟を迎えに来たんだよ。中流だって車があった方が楽だろう」

「…まぁな。けど俺は今一番、兄貴に会いたくなかったよ」

 冷たく言い放つ中流に、出流は実に楽しげな様子。

「なるほど。そろそろ宗旨替えの意味が解ったようだな」

 そう、からかうように言ってくる。

「解ったから何だよ。俺が一日中ずっと溜息吐き通しなのも尋人が学校休んだのも全部兄貴のせいだからな」

 本心から言い放ち、兄を無視するように再び歩き出す中流。

 出流は小さく笑ってから彼の隣に並んだ。

「そう言わないでほしいな。中流にまでそんなことを言われたら悲しいじゃないか、昨夜は裕幸にも散々怒られたんだよ?」

「裕幸に?」

「中流を見ていれば関係なんかすぐに解るはずだ。イタズラに尋人君を追い詰めるなってね」

「…その通りだろーが」

 昨夜、自分達が出て行った後のスタジオで二人がそういう会話をしていたのかと納得しつつ忌々しげに言ってから、ふと気付く。

「…ってことは、裕幸も兄貴も最初から知っていたってことか?」

「ん?」

「その…、尋人が、そうだってこと」

 声量を抑えて言う中流に、出流は笑みを強めた。

「裕幸は俺が言って初めて気付いたみたいだったけどね」

「言って…って、まさかあの宗旨替えってやつか?」

「今時ああいう場面でその意味を取り違えるのは中流くらいさ」

「っ」

「宗教がどうとか言われた時は中流の天然を改めて実感させられたな」

「俺が変だってのか!?」

「素直で可愛いと言っているんだよ」

「〜〜っ」

 どこまでが本気なのか解らない兄の発言に頭痛を覚えながら、本気にしろ冗談にしろ、実の弟に言う台詞ではないだろうと思う。

 改めて溜息を吐き、相変わらずの笑みを崩さない出流を睨み付けた。

「大体な、顔見ただけで見抜くヤツなんかいるか? 尋人だって普通の中学生にしか見えないのに解る兄貴が一番変だろっ」

「彼だけじゃなく、見ればほぼ確実に解るけどね」

「はぁ?」

「信じてないな」

「誰が信じるか」

 中流が冷たく言い放つと、出流は残念だと呟いた。

「そもそもゲイなんて、そこら中にいるもンじゃないだろ」

「…なら実例を見せようか?」

「実例…、って何の?」

 聞き返す中流には笑顔で応え、出流は周囲を見渡す。

 しばらくそうしていて、ふと彼の目線が扉の開くエレベータで止まった。

 そこから降りてきたのは、中流のよく知るスタッフ仲間。

 機材の運搬作業を主にしている人物で、金子という名の三〇代後半の男だ。

「彼は?」

「金子さんて、撮影スタッフの仕事をしている人だよ」

 答えてから、兄の言うだろう事を察した中流は呆れた笑いを漏らす。

「金子さんがゲイだって言うなら全然ハズレ。あの人、奥さんも子供もいるぜ」

「ふーん…」

「? あ、おい兄貴?」

 急にスタスタと歩き始めた兄を、中流は慌てて追った。

 出流は迷わず金子の後を追い、彼が控え室の扉をノックして入るのを見て立ち止まる。

「あれ…、今日はあの部屋…」

「だろ?」

 勝ち誇ったような兄の顔に、中流は言い様の無い不快感を覚える。

「だろって何だよ! 金子さんが今日は使ってないはずの控え室に入ってったから何だって!?」

「一般常識に疎い子はこれだから…」

「一般常識!」

 控え室に入るのに何が一般常識だと噛み付く中流を笑顔でかわし、おいでと、扉の前まで連れて行く。

「聞いてみるといい」

「…」

 しばらく聞き耳を立てていた兄に呼ばれ、怪訝な顔をして見せる中流だったが、結局は言われた通りに控え室の扉に耳をつける。

「っ!?」

 途端に聞こえてくるのは熱っぽい二つの声。

 しかもそのどちらともが低い声で、中流は瞬時に顔を赤くし、慌てて扉から離れると、実に楽しそうに笑う兄と目が合った。

「何が聞こえた?」

「〜〜っ…」

「ん?」

「だ、ダメだとか…、会いたかった、とか」

「クスクス。ま、そういうことだね」

 それで満足したのか、出流は何事もなかったかのような足取りで歩き出す。

 それをまた中流が追い、今度は彼が兄の隣に並んだ。

「…なんで解るんだよ」

 今までと違った、棘のない口調で尋ねると、出流は赤くなった弟の顔を見下ろした。

「今の金子さん、だったかい? 彼の場合は微妙なところだ。奥さんと子供がいると言うし、そのせいだろう」

「だから何が?」

「匂いだよ」

「は――?」

「尋人クンの方が分かり易いと思うけれど、あの子には男の匂いがしなかった」

 出流には分かり易くとも中流にはまったくの意味不明だ。

 顔にそう書いて見上げると、出流は苦笑を交えて続ける。

「つまり俺は男が嫌いだ。俺自身が同性に嫌われる性質だからな。一緒に仕事をするのも嫌だし、ましてや接触して撮影なんてことになれば絶対にやらない。それは知っているだろ」

「知ってる。そのせいで撮影が滞ったことが一度や二度で済まないからな」

 中流が辛辣に言い放つと、出流は顔だけで笑う。

「そう、俺は男と撮影なんて絶対に御免だが中には例外もある」

「例外って…、あ!」

 気が付いた中流が思わず声を上げ、出流はそっと頷く。

「弟のおまえや、家族はまた別だが、俺が嫌な気がしないのは決まってそういう系統だってコトさ」

 平然と言い放つ出流に、中流はようやく納得がいった気がした。

 昔から百パーセントの確率で同性に嫌われている兄は、当然のように同性を嫌っているわけで。

 その彼が初対面の少年相手に笑顔で接している=嫌がっていないという時点で妙だと思わなければならなかったのだ。

 だが同時に、もう一つの疑問が浮かぶ。

「けどさ…嫌がるなら逆じゃないのか? 普通は自分が恋愛対象になりかねない方が…」

「好かれる分には嬉しいと思うよ。応えられはしないがね」

「でもいきなり襲われたり…」

「俺がかい?」

「…」

 不敵な笑みで聞き返されて、中流は悟った。

 この兄貴を抱きたいなんて男――それこそ“男”がいるはずのないこと。

 むしろ、そんな悪趣味なヤツは返り討ちにあって再起不能になった方がこの世の未来のためである。

 そんな弟の思考を呼んでか、出流は笑いを含んで続けた。

「それに、俺の隣にはずっと同じ顔があったんだ。襲われるなら裕明の方だろ」

「…だな」

 裕明というのは大樹家の長男で、出流と同じ年齢の従兄。

 小学校から高校までずっと同じ学校に通っていた彼は、男が嫌いだという出流の唯一の友人でもあった。

 その容貌は双子と見間違うほど出流と似ており、その分、対照的な中身が彼らの魅力を引き立てている。

「アキ兄だけだもンな、兄貴の破綻した性格に付き合っていられるの」

 感心したように中流が言うと、出流はわずかに苦笑いの顔をして見せ、弟の頭を軽く叩く。

「破綻した性格はともかく、そういうことだよ。ま、人口過剰で男が余っている世の中だからな。金で女を買って性欲を満たすような下衆よりも、男同士だろうが愛情を持って生きられる人間の方が美しいと思わないか?」

「ふーん…」

 答えながら白い目で兄を見返すと、出流は珍しく不審そうな顔をした。

 彼が眉間に皺を刻んだ顔は、滅多に見られるものではない。

 なんだか得をした気分になりつつ、中流は続けた。

「ってーかさ。そういう台詞は一人の女を大事にしてから言えっての」

「?」

「仕事の度、新しい女とウワサ立てられているけど、実は本命がいるんだって?」

「――裕明か」

 弟の発言がどこからの情報か察した出流は眉を寄せた表情のまま虚空を睨む。

「あいつは余計なことを…」

「アキ兄は心配してンだよ、このままじゃ本命に愛想尽かされるって」

「フン」

「悪ぶってさぁ。で、本命って誰? 俺の知っている人?」

 これは初めて兄を言い負かせるのではないかと、目を輝かせて詰め寄る中流。

 だがやはり出流の方が上手である。

「人のことより自分のことだろう?」

 焦った様子もなく、いつもと変わらない不敵な笑みで中流を見下ろす。

「尋人君がそうと判ったからには、あの子に何か言われたんだろ?」

 全てを見透かしているような余裕の態度に、中流は内心で舌打ちし、だがこの兄に嘘はつけないと経験上熟知しているから、半ば自棄になりながら頷いた。

「だからどうした」

「おまえがあんな素直な子の想いに気が付かないなんて妙だと思ったが、よく言う恋は盲目というヤツだったのかい? 裕幸があの子に構うと目が釣っていたものな」

「…」

「初恋もまだってわけじゃあるまいし、女と付き合った経験もあるだろうに純情だねぇ、中流は。お兄ちゃんの方が照れてしまいそうだよ」

「〜〜っ、だから何だって!?」

「イイ男は、自分を好いてくれる子を悲しませるものじゃないよ」

 ようやく正面から食って掛かってきた中流に、出流は楽しそうに目を細めた。

 節操ナシの男も、実の弟に構ってもらえるのはものすごく嬉しいらしい。

「俺の見た限りじゃ、あの子は可愛くて優しい、いい子だと思うけどね」

「…知ってるよ、ンなこと!!」

 そう、充分すぎるくらい判っている。

 暴力に屈しず、他人に頼らず、笑顔を絶やさずに何度でも立ち上がろうとする少年の強さを、ほんの一週間程度しかなかった時間の中で充分に感じてきた。

「あの子との関係を変えるなら改めて紹介においで。昨日の非礼も謝罪するから」

「え…、あ、どこに行くんだよ!」

 家に帰れるから迎えに来たと言っていたはずが、一人で去ろうとしている兄の背に中流は慌てて声を掛けるが、彼に戻ってくる気はなさそうだ。

 しかも新しい行き先を既に決めているらしく。

「これから裕明に会って話し合う必要があるんでね」

 そう言い残して見えなくなった。

 本命の有無を中流が知っていたことについて話し合うのだろうと思うと、裕幸とよく似た顔立ちの裕明がひどい目に合わないよう祈るしかない。

「…ま、アキ兄なら兄貴に口で負けたりしないだろうけどさ」

 そうでなければ、生まれてからずっと従兄弟関係にある二人が、友人として二十年以上も付き合っていられるはずがないのだ。

「…にしてもなぁ……」

 中流は振り返り、撮影スタッフの金子が入ったきり、まだ出てくる気配のない控え室の扉を見て大袈裟に肩をすくめる。

 同性愛者の存在が広く知れ渡って久しい昨今、まさか自分のこんな傍にもいるとは思わなかったが、驚きはあっても嫌悪感というのは皆無と言ってよかった。

 尋人のことも、彼自身は知られたら嫌われると思っていたらしいが、好きだと言われた中流は、その想いを、自分でも驚くくらい素直に受け止めてしまっていた。

 嫌ってなどいない。

 むしろ喜ばしく思えた。

 それを伝えなければと教室まで会いに行ったのに休みだと言われ、尋人が昨夜からどんな思いでいるのかと思うと心配で、不安でならなかった。

 家も判らず、連絡先も知らず。

 どうすることも出来なくて、また溜息が漏れる。

「明日は学校に来るだろうか…」

 明日も駄目なら、土日は連休になってしまうから月曜日までこんな気持ちでいなければならず、それを考えると恐ろしくなる。

 放っておきたくない。

 尋人を一人にしたくない。

 いじめに遭って傷ついた少年が自分の傍でだけは安らいでほしい…、その思いがエゴなのか、同情なのか、それもまだ判別がついていなかったが、この思いが“恋”だと言われれば、それが一番素直に納得できる表現のような気がした。

 今までに女の子と付き合ったことはあるし、それなりに楽しいこともあった。

 異性と付き合うことに躊躇いはなかった。

 ただ、『一緒にいたい』とは思っても、今のように『一人にしたくない』とは思わなかっただけで。

「…あぁ、そういうことか」

 自嘲気味に笑って、ようやく運んでいたダンボールを所定の位置に下ろした中流は、背筋を伸ばして深呼吸をする。

 裕幸も出流も言っていた。

 彼らに言われたことを信じて、自分の想いを率直に言うなら、自分も尋人が好きなのだ。

 だから気になった。

 一人にしたくなくて、彼を傷つける連中が憎らしくて、裕幸と話しているのを見ると面白くなくて、……自分の無力さに苛立ち、尋人を抱き締めてしまったのも、きっとそう。

「そっか…。俺って俗に言う両刀使いってやつだったんだな」

 自覚すると急に楽になって、中流自身が不思議に思うくらい肩の力が抜けた。

 普通なら取り乱しそうなこの事実を素直に受け入れられるのは、周囲にいるのがあの兄だったり従弟だったりするせいか。

 それとも尋人の想いを知っていて、幸福感が上回るせいだろうか。

「…。とにかく勝負は明日だ」

 そうして彼は、仕事を一秒でも早く終わらせるべく力強い足取りでスタジオへ戻るのだった。





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