貴方の翼が堕ちても 十五
「ふぅん、この少年の所在を突き止めればいいんだね?」
大樹家に呼び出された文月佳一は、庭で裕幸の話を聞き、塩木衛の写真を手に意味深に微笑んだ。
「ま、せっかく白夜が頼ってくれたのだし、御期待に添えるよう努力しようか」
次いで佳一が短い呪文を口にすると、腕に一羽の鳥が現れる。
まるで水が形を成したような、氷細工のように透明で煌びやかな、水神の使い。
「今回は人探しだよ」
語りかけると同時、鳥は空気に溶けた。
それは大地に。
風に。
空に散らばり、世界を駆ける。
海へ。
河へ。
湖へ。
神の探し物を伝え、答えを運び、彼らの見たものを流し込む。
「…恐らく海を越えてはいないと思うけれど、しばらく待っていてくれるかい?」
そう言って微笑む水神の意識は、既に水の中。
普段、どれほど人の反感を買う物言いを繰り返していようとも、この存在は間違いなく神なのだ。
***
庭に立つ文月佳一と裕幸の姿を、二階の自分のために用意された部屋の窓から見つめていた尋人は、しばらくしてから短い息を吐き出し、窓辺を離れた。
「…」
待っていて欲しいと中流に言われ、尋人はそれを受け入れた。
確かに待っていると約束したけれど、…ただ待っているだけでいいのかという不安を抑えきれない。
「僕は見ているのに…」
能力を持っている彼らが見つけられずにいる獣を実際に目にしているのは自分だけ。
それは自分だけが出来る何かがあるということではないのだろうか。
「……僕には何が出来るんだろう…」
呟き、白い布に覆われた腕を庇いながらベッドに横になる。
柔らかで暖かな感触。
尋人はそっと息を吐きながら目を閉じた。
***
中流は汨歌のアルバイト先である探偵事務所で仕入れた情報を頼りに、塩木衛以下四名が通う大学に足を運び、唯一、手掛かりとなりそうな人物・松本孝雄を探し始めていた。
親友・尚也の通っている大学と同じならば他にも手はあっただろうが、生憎、この大学に知り合いは在籍していない。
多少、不審人物の観はあるが学校の外で学生を捕まえて聞くしかなく、なるべく話しが聞きやすそうな人物を選んで声を掛けていった。
だがすぐに松本孝雄の知人と接触出来るわけもなく、十人を越えても有力な情報は得られない。
「参ったな…」
このままでは教師が出てくるかもしれないと考えた中流は、幸いにも道路を挟んで正面に小さな喫茶店があることに気付き、その窓辺の席で様子を見る事にした。
探偵事務所から他にも借りてきた写真を参考に、そこにいる顔が出てくるのを待とうと考えたのだ。
時刻はまだ昼過ぎ。
これからもチャンスはたくさんあるはずだ。
「よっし、いつでも出て来い」
個人的には特等席と思える場所で珈琲を注文した中流は、先に精算を済ませてからカップに口をつけた。
一口飲み。
「…」
尋人が淹れてくれる珈琲が飲みたいなと内心に呟く。
そのためにも、出来れば今日中に松本孝雄と接触したい、中流は心からそう祈った。
***
――……オマエ 俺ト 同ジ……
あの異形の獣はそう言った。
恐らく、現場を目撃してしまった尋人を始末する余裕もあっただろうに、そう告げて姿を消してしまった、鋼の毛並み、牙という凶器に血を滴らせた妖と呼ばれる獣。
――……俺ト 同ジ……
尋人を殺せる余裕を持ちながら。
何もせずに。
そう告げて消え去った。
「…何が、…同じなの……?」
尋人は胸中に呟く。
ここはどこだろう。
どこに迷い込んでしまったのだろう。
周りには誰もいない。
あれほど傍にいてくれた中流の存在も感じられない。
ただ暗くて。
暗くて。
…淋しい闇ばかりが広がる此処は、一体どこなのだろうか。
そんな疑問もあったけれど、しかし言葉になるのは獣の言うことに応えるもの。
同じだと言った妖。
そう言って、尋人を殺さなかった獣。
では、少年と獣は何が同じだったというのだろうか。
――……同ジ……
「…何が…?」
――…俺ト…同ジ……
「何が同じなの…」
何度も何度も繰り返される同じ言葉。
いや、繰り返しているのは尋人自身…?
彼の言葉が、彼の記憶に繰り返しているだけなのかもしれない。
「…っ…僕と…君は…」
君、は。
「何が同じなの……?」
荒い息遣い。
止めどなく落ちる涙。
――滴る血液。
痛かった。
苦しかった。
「…っ…」
辛かった。
怖かった。
「ぁ…っ…」
泣いた。
叫んだ。
――助ケテ………っ!!
「!!」
ハッとして身体を起こす。
「っ…」
眠っていた?
今のは夢?
「っぁ…は…はぁっ…」
尋人は荒い息をつく。
呼吸が静まらない。
心臓が、…痛い。
「…いまの……!」
尋人はベッドから降りると駆け足で部屋を飛び出した。
二階ホール。
「もう死んでいるよ」
居間から文月佳一の声がした。
「…残念だけれど、塩木衛はもう死んでいた…一週間ほど前に海に沈んで、その屍を妖獣に喰われている。しかも、その後の妖獣を追跡したら何とまぁ…闇の魔物に憑かれた少年を吸収して変化してしまっているじゃないか。あれじゃあ普段通りの俺の結界じゃ留めておけなかったのも頷ける。あれは里界の能力だけじゃ探せないし倒せないよ」
「…闇の魔物に憑かれていたのは谷俊介に間違いありませんか?」
「そ」
「…そうですか…」
「あとはアレだね。闇狩一族に協力頼むわけにもいかないし、多少乱暴になるけれど俺が抹消してやるしかないんじゃない?」
「…先生には可能ですか?」
「当然。俺は神様だよ? 塩木君と、谷君と、…柴田君だったかな? 三つの魂をごっちゃにしてしまうけどね」
ごっちゃに…?
それは、三つ全部まとめてしまうということ…?
「…っ……!」
尋人の心臓が締め付けられる。
ダメだ。
絶対にダメだ。
何故かなんて説明できないけれど、そんなことは絶対にさせてはならないと気付いてしまった尋人は、まるで逃げるように外へ飛び出した。
「! 尋人君…?」
先ほどまで部屋で眠っていた気配。
佳一の捜索結果に気を取られていたために裕幸すら気付くことが出来なかった。
「尋人君!!」
慌てて玄関に出る裕幸に、さすがの佳一も目を丸くした。
佳一が驚くほど慌てて動いても、外に飛び出していった尋人を捕まえることは出来なかった。
「尋人君!」
少年を追って自分も外に出ようとした裕幸だったが、佳一に腕を取られて、尋人を見失ってしまう。
「先生!」
「緊急だろうと、君を外に出すわけにはいかないんだよ。この邸を無人には出来ない」
「――」
「自覚していないわけではないだろう“白夜”」
「…っ……」
「尋人君は俺が追うよ」
静かで、それでいて楽しげな佳一に、裕幸は戸惑いの表情のまま、だが素直に頷いた。
「しかし、何をあんなに慌てているのか……」
裕幸を屋内に戻した佳一は、ぽつりと呟いた後、尋人の気配を追って動き出した。